その294 記憶の行方

「結局はほぼ、この一戦で決まる……と」


 ”賭博師”さんが呟きます。

 そして、最終決戦の火蓋は、


「じゃ、――やるか」


 という、彼女の囁くような言葉で始まりました。


黄豚『…………ッ』

赤豚『…………!』


 伝説の剣と伝説のラバーカップが、十字に交差します。

 どうやら両者は今のところ、ほぼ互角の様子。


「……む。ラバーカップのくせに……」

「うふふふふ」


 事ここに至って、これまで積み重ねてきた嫌がらせが功を奏しつつありました。

 彼女の操る黄豚さんは、リーダーらしい行動を取れば取るほどに幸福度が上がることはわかっています。

 それとは逆に、私の赤豚さんは足を引っ張れば引っ張るほど暗い悦びを身のうちに溜め込みます。

 属性に差こそあれ、互いの活力は今、完全に拮抗していました。


 こうしてみると、生物が抱く感情に、不必要なものは何一つないような気さえしてきます。

 怒りも、憎しみも、他者への優越も、不平等も、全ては自身を高みに至らせるためには必要不可欠な要素、なのかも。

 だからこそ子豚たちは、「敵対種の殲滅」という、並々ならぬ偉業を成し遂げられたのかもしれません。


 とはいえ、――その結果として、彼らが見失ってしまったものがありました。

 他者への、感情移入の能力。

 という道徳心。


 これは……今の私たちにとっても、決して他人事ではありません。

 ほんの数週間前まで私は、それこそ虫も殺せない女子高生でした。

 死にかけた蝉を見かけたら、ちょっと遠回りしてでも避けて通るような人でした。

 だというのに今の私は、虫けらごとき、平気で踏み殺してでも先に進む覚悟ができています。

 もし必要ならば、この場にいる三人を一瞬のうちに殺してしまうことだってできるでしょう。

 それが、この”終末”の世において、良いことなのか、悪いことなのか。


――いいかい。ほんの一月と少し前には虫も殺せなかったあたしが、昔惚れてた男を平気で刺したんだ。

――”神”の玩具は、俺たちじゃない。お前らだよ。

――僕がこの場所を“正しい生き方の会”と呼ばせているのには理由がある。いずれ、理解し合える日が来ると信じている。


 私の脳裏には、いつか聞かされた誰かの言葉が蘇っていました。

 頭の中をごちゃ混ぜに掻き乱されている感覚に、思わず瞬きしていると、ふいに”賭博師”さんが、こんなことを言い始めます。


「ここ、ちょっとカットするつもりだけど、――一つだけ、確認してもいいか」

「なんです?」

「勝負を決める前に、一つ確認したい。気付いているか。オレサマずっと、この『ポークマンズ・クエスト』の制作者の名前を伏せておいたんだが」

「はあ」

「それで、……オメーは、覚えているのか?」

「は?」

「このゲームを作った男の名前を」

「それは……」


――だが残念ながら、私は喧嘩が得意ではなくてね。……だから、私との勝負は、これを使う。

――おめでとう、異界の冒険者たち。君たちが記念すべき最初のクリア者だ。


 ……。

 …………ぎりぎりセーフ……。


 私は、素知らぬ表情で、


「覚えてるに決まってるじゃないですか。アキバの”王”。仲道縁さん、でしょう」

「……む」


 ”賭博師”さんは、ちょっとだけ意外そうな顔をします。


「そうか。覚えているか」

「もちろんです。忘れるわけ、ないじゃないですか」

「だよな。――オレサマたちのあの時間が、そう簡単に失われるわけ、ないよな」

「ええ」


 答えながら、内心ではちょっとどきどきしています。

 まだ、完璧に記憶が戻っているわけじゃありませんからね。


「だったらもちろん、も忘れちゃいない、よな」

「ん?」

「オレサマたちは、――”ダンジョン”で、ずっと二人きりだった。時には、ゴールドをケチって同じ部屋で寝ることもあった」

「はあ」

「あれは、――いつだっけか。お互いの手と手が、たまたま重なったことがあって。オメーはオレサマの手を、ぎゅっと握り返してきた」

「…………え?」

「その瞬間まで、オレサマも気付かなかったんだ。……男だとか、女だとか、……あと、体型とか。お互いを愛するのに、そんな障壁は些細なものだって」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って?」


 同時に、ぶるぶるぶるぶると信じられないくらい指がバイブレーション。

 私が操作する赤豚さんが、明後日の方向に駆け出します。


「何をおっしゃるっているのか、……そんな馬鹿なことが起こるはずは……」

「オレサマが、嘘を言ってるってのかい?」


 その時、私は、初恋の人の顔を必至に思い出していました。

 それは、――そう。小学生の時に読んだ『ドラゴンクエスト 天空物語』というマンガの、カデシュというクール系魔法使いキャラ。

 マイナーすぎて、共有できる知り合いが誰もいないことに定評がありますが、当時はすっかり彼にお熱だったことを覚えています。


 つまり何が言いたいかというと、……私は根っからのノンケだということ。

 いくら状況が状況だとしても、さすがに同性に手を出す訳が……。


「驚いてるようだな」

「……い、いいえ。私の記憶とその……なんだか、すれ違いがある、ような……」

「そりゃそうだ。だってオレサマ、嘘吐いたから」

「――は?」


 私が目を丸くして”賭博師”さんを見ると、……その次の瞬間でした。

 黄豚さんの持つ伝説の剣が、私の赤豚さんを貫いたのは。


「しま……っ」


 赤豚さんの残り体力を示すゲージが、三分の二ほど削り取られます。

 見事、私は”賭博師”さんの盤外戦術に引っかかったのでした。


「あなたさっき、『ここはカットする』って……!」


 すると、”賭博師”さんの邪悪な高笑いが、スタジオ内に響き渡ります。


「人気者の秘訣はなぁ、――どんな手を使っても、最後には勝つってことなんだよ!」


 しまった。

 この人、こういう人なんだった。


 私の脳裏に、先ほど破壊した拳銃の姿が蘇ります。


 一時的にとはいえ、死ぬって――どんな気分なんでしょうか。

 とりあえず、めっちゃ痛そう。死ぬほど痛そう。

 やべー。だんだん怖くなってきた。


 背筋を凍らせながらも――私は、振り下ろされる”伝説の剣”を、黙って見つめていることしかできません。

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