その204 探しもの

 結局のところ、夜久銀助が求めていたのは「とう勝つか」ではない。

 「どのように負けるか」であった。


 最初に彼女と出会ったときから、気付いてはいたのだ。

 「どうやったって、敵わねぇ」、と。

 あの、記憶を失った少女とのレベル差を見たからそう思ったわけではない。

 この場所にいる人々の想いに気付いていたからだ。

 最初のきっかけは、――あの、麻田梨花と名乗った少女である。


 みっともなく逃げていく”終わらせるもの”を庇いながら、彼女はこう言ったのだ。


「あの人の代わりであれば、私を好きにしてくれて構わない」、と。


 それは、自らの命ばかりか、尊厳まで捧げた殉教者の姿だった。

 倫理にも、常識にも、神にすら裏切られてしまったこの世の中で、なかなか言える言葉ではない。


 銀助が、ずっと探し続けてきたものがあった。

 自分が命を賭けるに足るものを。

 本当に美しいものを。


 心の底から”正義”だと思える何かを。


 むろん、”正義”という言葉が持つ危険性は重々承知している。

 時としてその言葉が、暴力を正当化されるために使われることも。

 ”正義”の反対は、また別の”正義”だということが往々にしてあることだってわかっている。

 彼は知りたい。

 この世の中に、真に普遍的な”正義”はあるのか。

 自己正当化のため使う欺瞞でも、時と場合によって移り変わるものでもない”正義”。


 トロッコ問題の明瞭なる解答を。


 夜久銀助の夢は、子供の頃から変わらない。

 ”正義の味方”になることだから。


――あるいはこの場所で、探しものが見つかるのかもしれない。……なんてな。



――とはいえ、わざと負けちまうってのは、違う。


 弱者を”悪”と断ずるほど傲慢なつもりはないが、少なくともそれは”正義”じゃない。間違いなく。

 だから彼は、突如降り注いだ雨に濡れ、内心ウンザリしながらも一切手を抜くつもりはなかった。

 物語序盤に登場し、あとあと改心する悪役を演じようと思っていた。今だけは。


「――む?」


 そこで銀助は、ただでさえ豪雨の中の視界を、さらに遮らんとするものが周囲に漂っていることに気付く。


「霧、か」


 質量すら感じさせる特濃の白。

 豪雨に紛れて、猛烈な蒸気が発生していた。


「なるほど。《火系》と《水系》を組み合わせて……」


 二人の”プレイヤー”が組むと、こういう動きもできるようになるのか。

 霧の向こうで、うっすらとオレンジ色の輝きが見えた。おそらく蒸気の発生源はあそこだろう。

 最早、下手に動くわけにはいかない。腹具合から察するに、すでに魔力が切れつつあった。恐らく次の攻防で勝負が決まる。


 ここまで耐えたのは、《不屈》による能力強化の恩恵を限度一杯まで受け、――最後の攻め手、《正義の鉄槌》により沖田凛音を場外にまで吹き飛ばすためだ。

 すでにこちらの準備は済んでいる。


――さあて、君たちの力を見せてもらうぞ……。


 右手のひらの内に顕現させているのは、長さ4~5センチほどの鉄槌。

 玩具のようなサイズのそれを、銀助は《正義の鉄槌》と呼んでいる。


――この技の正体については恐らく、バレていないはず。


 何せこれは、夜久銀助が考え出した完全オリジナルのスキルなのだから。

 どうやら敵側の陣営は、誰一人として”フェイズ3”のアナウンスを聞いていないらしい。

 ”フェイズ3”のアナウンスを聞いたプレイヤーであれば全員、新たな力に気がついているはず。

 ”スキル”を変質させる方法を。


 銀助が《カルマ鑑定》を弄くり回して生み出したこの技は、――、相手のカルマが”悪”に近づけば近づくほどに威力が高くなる。

 そして相手を視界に収めた状態で術を解き放てば、決して外さない。


 プレイヤーの善悪判定に関してはイマイチ納得できていないところがあるが、”決して外さない対人攻撃”は、今後のため必ず必要になると考えていた。


「――……ふぅー……………」


 右拳に《鉄槌》を隠し持ち、銀助は相手方の次の動きを待つ。

 この霧雨、視界が悪いのはお互い様のはず。


――遭遇と同時に《鉄槌》を放つ。それで勝負が決まる。


 一応、まだこちらが優位だという自負はあった。

 こちら側は敵との接触とともに《鉄槌》を投げればそれでいい。

 対する向こう側は、最低でも三、四発は攻撃を当てなければならない。


――さて。君たちはどうでる……?


 どこか、この状況を楽しんでいる自分がいた。

 相反した二つの気持ちを弄んでいる。

 自分が破られることを望みながら、絶対にそれだけはさせられない。


 足音を消しながら、霧の発生源と真っ直ぐに向き合う。


 太陽光さえ遮る霧の中にいて、相手の場所を見分ける手段があるならば、恐らくは音だけだろう。

 スキルにより強化された耳を澄ましていると、確かに一つ、足音が聞こえていた。

 ドタ、ドタ、と。

 一歩一歩、大地を踏みしめるような音が。


――こちらには、君のいる場所が手に取るようにわかるぞ……。


 だがふと、小さな疑問が生まれる。

 さっき確かに、彼女たちは《スキル鑑定》を使っていたはず。

 つまり三人とも、夜久銀助が《五感強化》を持っていることには気付いているはずなのだが。


――では、何故、わざわざ目くらましを……?


 そう思い至った次の瞬間だった。

 雨に紛れ、風を切るような音が聞こえた気がして。


「――ッ!」


 我ながら、事態を理解するまでの反応は早い。


――なるほど、恐らくは仲間の手を借りるか何かして、ここまで跳ねたのか……ッ。


 攻撃すべき対象は二択。

 たった今、こちらに飛びかかっている方。

 そして、わざとらしくドタドタ足音をさせている方。

 恐らくは前者が正解。

 そう判断し、そちらに向かって《正義の鉄槌》を、――投げかけて、


――違う! 跳んできた方が陽動か!


 間一髪、そのシルエットから、飛びかかってきた方がメイド服の少女だと察する。


――先着した方に攻撃を一発撃たせて、その隙に……ということか。付け焼き刃にしてはいいコンビネーションだ!


 うまく決まれば、ルールの上でも、”プレイヤー”としても夜久銀助は完敗していたことになる。

 だが、場数を踏んだおじさんを仕留めるには、一手足りない。

 銀助はメイド服の少女を無視して、もう一つの、今やはっきりと聞こえてくる足音を捉える。


「これで……ッ!」


 勝ちだ!

 そちらに向けて《鉄槌》をサイドスローで投擲。


 天地がひっくり返ったのは、その次の瞬間だった。

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