(2)

「じゃあ、わたしは何を?」

「ようちゃんに頼みたいことは、そこなんだ」

「そこ?」


 社長が机を拳でごんごんと叩いた。


「うちの社は、油がさされてなくて軋んでる。でも、その音が何も聞こえてこない。そんなの、おかしいんだよ」

「はあ……」

「だから、ようちゃんはそれを聞き逃さないで欲しいんだ。そのためのテレオペなんだよ」


 ええー? それっておかしくないかあ? 社長自身が直接探れよ、聞き出せよーって思うわたしはおかしい? おかしくないよねえ。


「ここではね。まだ、いろんな意志、意図、目論みが錯綜してる。そして、その全部が互いに見えるわけじゃない。みんなが考えてることが重ならない。重ねられる場所がないから。その交点が、ここになるのさ」


 ぼそっと言い落とした社長が、人差し指で電話を指差した。でも、それはおかしい。どうにもおかしい。納得出来ない。


「あの。そういうのは、会議とかで摺り合わせるんじゃないんですか?」

「会議をいくらやっても、運営に関わる事務的なことしか出て来ないよ。その背景が何も見えないんだ。こんな小さな会社であってもね」


 ぱん! 手のひらで机を叩いた社長が、すぐ背中を見せた。


「僕がここにいないことの意味。それを考えてくれると嬉しいかな」


 そう言い残して。テレルームをささっと出て行ってしまった。わたしの疑問に、何一つ答えてくれることなく。


「な、なんだあ?」


 社長がテレルームを出て行った後。わたしは呆然としていた。社長の具体的な指示は一点だけ。


 『これからかかってくる電話は全て録音し、その印象や感想を出来るだけ詳細に記録すること』


 一日に一本かかってくるかどうか分からないクレームの電話に、社長に言われたような対応をするのは何も難しくない。ってか、それは今までも悪質なクレーマー用の対策としてやってたんだ。でも、社長があえてそう言ったってこと。それは……通常のクレーム以外の電話がかかってくるっていうことの示唆だろう。そして社長自身も、それが誰からのどういう内容のものかは知らないってことなんだ。しかも、社長はその電話への応対は自分には出来ないからわたしがこなせと言ってる。記録を取る意味は、社長にあるんじゃなくてわたしにあるってことか。


 社長が最後に言い残して行ったセリフ。


『僕がここにいないっていうことの意味を考えて』


 うーん。ここに居れば、電話は社長に繋がれる。社長はそれに応対しない訳にはいかなくなる。だけど、出先を回っている間の社長の携帯に連絡出来るのは、社員だけだ。つまり社長がここにいないってことは、社員以外からのアクセスを遮断するため。でも外部アクセスの遮断のためなら、社員に取次ぐなと言い含めておけば済むことだよね。社長にとっては、どうしても『ここに居ない』っていう事実が必要になってるってことだ。それは分かる。でも、どうして?


 わたしは、机の引き出しから、真新しい大学ノートを一冊出して、それを開く。


 このノート。これが社長への報告用のノートになるかどうかは分からない。分からないけど、クレームとは明らかに別の種類の電話がかかってくるんだろう。それはクレームとは別にさばかないとならないから。わたしが真っ白な紙面をじっと見ていたら、電話が突然鳴り出した。


 どっきーん! し、心臓が止まるかと思った。慌てて、ヘッドセットを掛けて受話器を取る。


「はい、高野森製菓お客さま相談室でございます」

「出て行け!」


 しわがれた低い声。ただ一言。電話はすぐに切れた。


「ちょ! なんなわけえっ?」


 先週までなら、とんでもないイタ電だとぶりぶり怒っておしまいだっただろう。だけど……。さっきの社長の示唆の後だと、今の電話がめちゃめちゃおかしいってことがすぐに分かる。残念ながら、わたしが取って録音ボタンを押す前に電話を切られちゃったから、録音は出来なかった。これからは受話器取る前に録音にしておかないとだめだな。反省。


 早速ノートに記録しよう。まず、通話文。


『出て行け!』


 それだけ。


 発信者。不明。電話の受信履歴では、番号非表示になってる。公衆電話からの通話だろう。発信者は間違いなく男だ。社長は事実だけを書けとは言っていない。わたしの感想、印象を記載しろって言った。だとすれば……若い人ではない。年輩の男性で低いしゃがれ声。作り声でも、うちの社員でこういう声を出す男の人はいないなー。出木のじいさんは癇に障るきんきん声だし、黒坂さんも甲高い声だ。もちろん社長の声ではない。わたしが考えるに、社外の人間だ。


 わたしは素早くノートにシャーペンを走らせて行く。


 おかしいのは、出て行けという対象が何も分からないこと。わたしに向かって言ったのか、それとも社そのものがここの敷地を立ち退けという意味で言ったのか。それを推し量るには会話文が短過ぎ、判断材料が少なくてどうにもならない。ペンディング。また同じような電話が来るかどうか。それで、こちらもどう対応するか考えることにしよう。


◇ ◇ ◇


 いつもなら暇で暇でしょうがない時間。それが、初めてきっちり充実した。いや、他に電話が来たわけじゃない。電話はあれっきりだった。だけど、社長が言い残していったことの意味。そして、さっきの電話。まだわたしには何も明かされてない背景。わたしは、ほんの少ししか手にしてないピースからそれらを必死に探った。それまで湯水のように使えたはずの時間が、むしろ足りないように思えて来る。

 もちろん、ちっとも喜ばしいことじゃないのは確かだ。でも、わたしはわくわくしていた。社屋でただ単に訳もなく飼われていただけのわたしに、あてがいじゃない仕事が出来たんだ。


 クレ担日誌とは別の、下ろしたばかりのノートの白い紙面は、あっという間にたくさんの書き込みで埋まった。でもまだ。まだ、だよね。それはまだ、わたしにもこの社にも何も残せない。でも社長は、わたしに『猛烈に忙しくなる』と言ったんだ。電話があれっきりってことは、きっとないんだろう。わたしは、来るべき事態にしっかり備えておかなければならない。


 わたしはノートをぱたんと閉じて、ヘッドセットを外した。同時に、正午のウエストミンスターチャイムが……鳴った。


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