とある青年の恋話

銀礫

第三自習室

 その日も、今までと何も変わらない放課後のはずだった。

 いや、物理的には、何も変わってはいない。

 でも、何かが、確実に変わった日暮れだった。




 高校三年の冬、いつも通り自習室で勉強に励む。入試という制度がその行動を強いたのかもしれないが、僕にはどうしても、それだけだとは思えなかった。

 でも、なぜかその違和感を認めることもできなかった。


 最終下校時刻が迫り、日も落ちきってしまい、外は夜が幕のように降りてきていた。

 この時間まで、この第三自習室に残る生徒は、最近固定化されていた。



 僕と、彼女。ふたりきり。



 彼女は勤勉だった。大学に合格するために必死で勉強していたのだろう。

 対する僕は、そんなに使命感も義務感も持っていたわけではなかった。

 それでも僕がこの時間まで自習室に残っていたのは、やはりそういうことなのかもしれない。


 そんな状況がけっこう続いた。そして、自習室の鍵を閉め、その鍵を職員室まで返して、駐輪場まで歩いていくという一連の行動を、最後まで残ったふたりで一緒にすることが多くなった。

 職員室と駐輪場が真逆の方向なのに、そして、鍵を返しにいくのはひとりで十分なのに、僕は何かとふたりで行動するようにしていた。


 教室の明かりもなく、廊下にぼんやり灯る古ぼけた照明の下、なにかと他愛のない話をしていた。

 その話の内容は、今では一つとして覚えていない。だけど、静かで少し冷えるはずの廊下で、ふたり並んで歩いていたときの、あの何とも言えないぬくもりは覚えている。


 それが一体何なのかということは、考えないようにしていた。


 いま思えば、それは防衛本能だったのかもしれない。



 そして、あの日。

 いつものように僕らは最後まで自習室に残り、最終下校のチャイムが鳴り始める。

 そして、いつも通りどちらが鍵を返しにいくのかという話になった。

 そして僕は、これもまたいつも通りに、言う。


「僕が返しにいくよ」


 いつもなら、僕だけに仕事を押し付けるのが申し訳ないと考えている彼女は、何だかんだでふたりでだらだら返しにいくことを選ぶ。

 僕も、それを期待していたんだろう。

 だが、その日の彼女は、いつもと違った。


「あ……そ、そう。じゃあ、よろしく…」


 妙に、不自然に困惑した彼女は、そのまま教室を出ていった。

 その対応に、僕自身も困惑する。あれ、こんなはずじゃないのに。

 そのとき、廊下の陰から現れた一人の生徒が、出ていった彼女を迎えた。


 廊下に立つその人影は、周囲の薄暗さのせいで顔までは認識できなかった。だが、その制服の型から、その人影が、女子生徒ではないことは理解した。

 そのまま、その二人は並んで、僕といたときよりずっと側に近づきながら歩いていった。



 僕は、独りになった。


 いや、最初から独りだったんだと、思い知らされた。


 鍵を返し、駐輪場まで歩いていった廊下は、どこまでも暗く、急に冷えきったように感じられた。


 ただ、目頭だけが、嫌になるほど熱かった。

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