第十一話 暁の魔法使い

 王の間を目掛けて城内を走り抜けていくと、薄暗い回廊に男たちの声が響いた。魔法教徒の城であるにも関わらず、妙なことにその会話はオレたちが使う言語で話されていた。

「カストリアのパッシェン総主教とフォルスター公だ」

 石壁に身を潜めて様子を伺いながら、ゴドウィンさんが言った。

 パッシェン総主教は白い僧服を纏った白髪の小太り男で、フォルスター公爵は鷹のような目付きにくるりと巻かれた顎鬚が印象的な、背の高い細身の男だった。二人が並んで歩いていると、なんだかちぐはぐとしていて妙だった。

 円柱の影から現れたもうひとりの男が彼らに跪くのを見て、リーブル先生が驚きの声を上げる。「アイツはトリヴスじゃないか!」

 よく見ると、確かにマリアさんの従者だとかいう骸骨のような顔をしたあの胡散臭い男だった。

 フォルスター公爵が人差し指と親指で髭をつまみながら、トリヴスに向かって言う。

「計画通り、マリアを聖オーロラ狩りに見せかけて捕らえて来たのだな?」

「はい。仰せのとおりに致しました」

 どうやらトリヴスがウィンスレットの館に魔法をかけてじいちゃんたちを眠らせ、マリアさんとばあちゃんをここへ連れてきたようだった。館中の箒を燃やしたのも、きっと彼の仕業に違いない。

 フォルスター公爵は不敵な笑みを浮かべて言葉を続ける。

「マリアから禁書は手に入れたのか?」

「それが、持っていないの一点張りで……困ったものでございます」

「ふん、まあよい。すぐに吐かせてやる。禁書の在り処さえ聞き出せばあの小娘に用はない。むしろ王位継承権のある至極邪魔な存在だ。すぐに父上の元に葬ってやる」

 公爵の隣でパッシェン総主教がくつくつと忍び笑いを漏らした。

「公爵様は恐いお方だ。ジルベール王を殺しただけではあきたらず、そのお子にまで手をかけるおつもりか」

「本当に腹黒いのは貴殿の方だ。私は貴殿の申したとおりに事を成したまで」

「懸命なご判断ですな。禁書をサン・スクワール王室に引き渡せば、カストリアはランズ・エンドの魔法使いたちによって護られ、他国の脅威に怯えることもなくなります。さらには、今にも底をつきそうな我が国の国庫を補う以上の金が彼らによって手に入る。飢えた民衆どもは何も知らずに満足し、貴方様は安心して王の座に着けばよろしいわけです」

 なんということだろう! カストリアのジルベール王は彼らによって暗殺されたのだ!

 リーブル先生が怒りに打ち震える手で星十字を切った。ぎゅっと唇を噛み締めて、暗い回廊の先を睨みつけながら。

「大丈夫だよ、先生。カストリアは、絶対に彼らの思い通りになんかなったりしないんだから……」

 そう。未来が変わらなければ。オレの知る未来のカストリアは――。


 彼らの後を追って王の間に辿り着いたオレたちは、石柱の影に隠れて衛兵に見つからないようにその場の様子を伺った。

 天井の高い広間には悪魔をモチーフにした薄気味悪い盾や旗が飾られている。きらめく黄金の玉座に威風堂々と腰掛けているのが、どうやらサン・スクワール王のようだった。王の向かい合わせにはマリアさんが立っていて、その背後を真っ黒なローブを纏った魔法使いたちが取り囲んでいた。それから、後方に並ぶ屈強そうな衛兵のひとりがファインズ総長を取り押さえているのが見えた。

「先生、あそこ見て。ファインズ総長だ」

 衛兵に腕を捕まれた総長は、ひどくぐったりとしていた。

 フォルスター公爵とパッシェン総主教が玉座の傍らに姿を現すと、マリアさんは強い衝撃を受けたように目を見開いた。

「ご機嫌ようマリア。空の旅はどうだったね?」

「フォルスター公爵……やはりあなたの差し金だったのですね。ここで私を殺す気ですか? そうまでして王の座が欲しいのですか?」

 フォルスター公爵はマリアさんの言葉を無視して、広間の中央にある祭壇をぐるりと一回りした。そして、儀式用の剣を手に取ると、それを蝋燭の明かりに翳しながら問う。

「禁書はどこにある?」

 マリアさんが貝のように口をつぐむと、パッシェン総主教が猫なで声を出した。

「素直におっしゃられた方が御身の為ですぞ」

「禁書など持っていません」

 マリアさんの返答に総主教は冷ややかな視線を注ぎ、いきり立ったフォルスター公爵が怒鳴り声を上げた。

「嘘を申すな!」

「本当に持っていないのです!」

 フォルスター公爵はマリアさんを物凄い形相で睨みつけ、強引に彼女の腕を引っ張り上げた。そして、もう片方の手で握り締めていた剣を天井高く振りかざす。

「持っていないのなら、どこかに隠したのだろう! 言え! さもないと今すぐに首をはねるぞ!」

 次の瞬間、無謀にもオレとリーブル先生はほとんど同時に柱の影から飛び出していた。

 公爵の右腕にしがみついた先生は剣を奪い取り、オレはラルフ君の箒を振り回してマリアさんに近寄る魔法使いたちを遠ざけた。そのどさくさに紛れ、ゴドウィンさんが魔法使いのひとりから奪った箒で、ファインズ総長を捕らえていた衛兵を背後から殴りつけた。

「な、なんだ貴様らは?」

 敵陣が混乱する中、オレたちは一塊になってマリアさんと総長を護るようにして立ちはだかった。

「……すまぬ。私は何も出来なかった」聖ユーフェミア騎士団の騎士が背後で弱々しい声を出す。

 しかし、マリアさんがすぐさま涙混じりにそれを否定した。

「いいえ。あなたは懸命に私を救おうとしてくださいました」

 サン・スクワール王は悪魔の影が伸びたみたいにすらりと椅子から立ち上がった。眉間に皺を寄せ、衛兵たちに落雷のごとく何かを――きっと曲者を捕らえるように指示したのだろう――叫んでいる。オレたちはにじり寄ってくる魔法教徒たちによってバルコニーの淵へと追い詰められた。まさに一触即発といった具合だった。

 そのとき、対峙し合うオレたちの前を突然小さな子供が横切った。海岸や王家の墓で見かけたあの黒髪の少年だった。ゴドウィンさんの口から「王子……」という言葉が漏れる。

 少年は懐から古い羊皮紙を取り出すと、それをサン・スクワール王に手渡した。紙に視線を落とした王は狂ったような笑い声を上げると、それをパッシェン総主教に受け渡した。紙面に目を走らせた総主教は、喉が詰まったような声を発した。手はひどく震え、丸い頬は興奮気味に赤々と染まっていく。

「これは……! 禁じられた書物の一ページに違いない!」

「なんだと?」

 フォルスター公爵が鋭い視線で総主教を睥睨したものだから、太った聖職者は慌てて彼に見えるように古びた紙を祭壇の上に広げた。公爵は蝋燭の明かりに照らされた羊皮紙を疑い深い眼差しで見つめる。

「本当に禁書の一部なのか?」

「はい。王の反応からして間違いないと思われます。それも、ちょうど聖エセルバートの魔法陣について記されたページのようです」

 総主教の言葉に、マリアさんの表情はみるみるうちに青くなった。

「そんなはずはないわ。だって、私は確かにあの方の元へと禁書を送ったのだから……」

 その言葉に、先生は驚いた様子で振り返る。

「マリア、君は本当に禁書を持っていたのか? あの方って……じゃあ、まさか森で魔法使いに渡していたあの手紙が……?」

 先生の問いかけに、マリアさんは黙ってコクリと頷いた。先生が焦った様子でオレの顔を見た。まるで信じたくないとでも言っているみたいな顔つきだった。オレは小さな声で告げる。

「やつらが手にした羊皮紙は、オレが森で拾った禁書の一枚に違いないよ。きっと対岸の浜辺で倒れていたとき、あの黒髪の少年が鞄から持ち去ったんだ」

 パッシェン総主教が儀式用の聖水を振りまき始めるその横で、フォルスター公爵ががなり声を上げた。「東の塔にいる金髪の魔法使いたちの出番だぞ! 悪魔を復活させるのだ!」

 それから、彼はふとオレの金髪に気がついて奇妙な笑みを浮かべた。

「輝かしいばかりの黄金の髪……こんなに近くにいたとはな」

 そのとき、異変に気がついたリーブル先生が、バルコニーから身を乗り出して声を上げた。「あれは……!」

 驚くべきことに、いつの間にやらおびただしい数の船の明かりがランズ・エンドを取り囲んでいた。右側に広がる町を見下ろすと、多くの兵士が高らかに剣を掲げサン・スクワール城に乗り込もうとしているところだった。その無数の松明の明かりに、オレは思わず身震いした。

「あの旗はフェストリア公国の……それに、同盟軍の紋章も……ランズ・エンドへの総攻撃が始まったんだ!」

 混乱した町には凄まじい光景が広がった。魔法教徒の中には箒で逃げ飛ぶ者もいれば、魔法で気味の悪い生物を呼び出して自分の身を護る者もいた。あちらこちらで炎が上がり、眩しい閃光が弾けとんだ。それはまさに、聖書(マリアバイブル)の序章で描かれている、聖女マリアが現れる以前の混沌とした世界そのものだった。

 王の間にいた黒ずくめの魔法使いと衛兵たちは、すぐさまサン・スクワール王の指示を受けて応戦に向かった。突然の事態にカストリアの凸凹コンビは、それぞれ祭壇の上の禁書を確保するために我先にと手を伸ばす。オレは瞬時に羊皮紙に向かって浮遊術の魔法をかけた。

 舞い上がった羊皮紙はふわりとこちらへ飛んできたが、コントロールが上手く行かず、頭上を通り越してしまった。その場にいた誰もが羊皮紙の行き先を見守り悲鳴を上げた。

 オレは走ってバルコニーの手すりに飛び上がり、羊皮紙を掴もうと右手を宙に差し出した。体が手すりから落ちそうになって、慌ててラルフ君の箒でバランスを取り体制を整える。眼下に広がる町を見て、その高さに体中から冷や汗が噴き出した。

「禁書をこちらに渡すのだ!」

 フォルスター公爵が恫喝の叫び声を上げた。

「それは出来ない!」

 毅然とした態度で否定すると、パッシェン総主教がすぐさまサン・スクワール王を介して、残された衛兵たちに曲者を捕らえるよう指示をした。

 オレは右手を天高く持ち上げる。

「それ以上近寄ったら、禁書はこのまま海に落とす!」

 次の瞬間、辺りが一瞬激しい輝きに包まれ、視界の端に一筋の光が流れた。流れ星が海に堕ちたのだ。同時にランズ・エンドに夜明けが訪れ、水平線の向こう側に朝日が覗き始めた。その神々しい光はバルコニーの手すりに立つオレの金色の髪の毛を眩いほどに照らし出した。

 衛兵のひとりが突然何かを口走った。すると、魔法教徒たちは次々に星十字をきり、オレに向かって祈るように平伏した。

「な、何?」

 わけが分からず困惑して辺りを見回すと、興奮したゴドウィンさんが遅ればせながら跪いた。

「『星空暁に染まりしとき、大いなる魔法使いの金色の髪、等しく暁となりて、地上に神の涙が降り注ぐであろう』……おまえ、本当に暁の魔法使いだったのか……?」

「ええ!?」

 オレは驚いて目を丸くした。

 そのとき、リーブル先生が水平線の向こう側を指差して叫んだ。

「大変だ、あれを見て!」

 振り返ると、水平線の向こう側に何やら白い線のようなものが見えた。

「波だ! 海に星が堕ちたせいで津波が起きたんだ!」

 城の中は瞬く間に騒然となった。残っていた衛兵たちは混乱し、うろたえ、我先にと中央の間から逃げ出して行く。

「おいこら、おまえら、どこへ行く!」

 フォルスター公爵やパッシェン総主教が止めるのもきかずに、衛兵たちは次々と扉の方に走って行った。もう誰もオレたちの存在など構う者はいなかった。

「東の塔へ行かなきゃ……」

 リーブル先生が呟いた。「ルリアと約束したんだ。必ず助けに戻るって……」

 そう言うと、先生は塔に向かって走り出した。

「待ってよ先生!」

 オレは禁書を革の鞄に突っ込むと、バルコニーの手すりから飛び降りて先生の後を追った。しかし、マリアさんたちを置いて行くべきか分からず足を止めて振り返ると、ゴドウィンさんが頼もしげに箒を掲げた。

「俺たちのことなら心配するな! 責任を持ってこの箒で二人を連れて城から逃げる!」

 マリアさんも総長も、早く先生の後を追うようにと急かしてくれた。

 踵を返して広間を駆け抜けるオレの背中に、ファインズ総長のありったけの声が響く。

「暁の魔法使いに神のご加護がありますように!」



 階段の手すり部分を滑り降りていくと、あっという間にリーブル先生に追いついた。それに気がついた先生は、苦しそうな表情で叫び声を上げた。

「駄目だ、到底間に合わないよ! こんなペースじゃ塔に辿り着く前にランズ・エンドは波にのみ込まれてしまう!」

 先生はオレが持っていたラルフ君の箒をチラリと掠め見ると、急に閃いたように叫んだ。

「メグ、この箒に僕を乗せて東の塔まで飛ぶんだ!」

「ええ? 無理だよ! ひとりでだって飛べないのに、二人乗りなんて出来るわけないじゃない!」

「君なら出来る! 自分自身を信じるんだ!」

「そんなこと言われたって……やっぱり無理だよ……」

 先生はオレの両肩を揺さぶって言い聞かせる。

「ルリアやハリエットが僕らの助けを待ってるんだ!」

 窓から外に視線を移すと、高波ははっきりと視界で捉えられるほどにまで近づいていた。オレは先端が焼け焦げて黒くなっている箒の先を見上げ、ごくりと唾を飲み込んだ。飛べるはずがない。未だかつて上手く飛べたことなんか、一度だってないんだぞ……?

「……落っこちたって、知らないからね」

 弱気な言葉と共に箒に跨ると、リーブル先生は満面の笑みを浮かべてオレの後ろに飛び乗った。

「しっかり捕まっててよ、先生!」

 窓枠を蹴り上げ、オレと先生の乗った箒は明け方の空に飛び立った。

 だが、やはりいつものように箒は羽根の折れた鳥のごとく、あっという間に急降下し始めた。

「わああああ! やっぱりだめだーっ!」

 ぐるぐると旋回しながら箒は地上目掛けて堕ちて行く。そのとき、耳元でリーブル先生の叫び声がはっきりと聞こえた。

「君は飛べる! 自分自身を信じるんだっ!」


 それは、まるで走馬灯のようだった。レーンホルムに旅立つときのリーブル先生の姿が、オレの頭の中に蘇る。


『大丈夫。君はいつか必ず上手に空を飛べる日が来るよ』


 飛びたい……自分自身の力で……。

 鳥のように大空を飛び回りたい……!


 驚くべきことに、次の瞬間箒は宙に浮いていた。

「飛んでる……オレ、空を飛んでる……」

「だから言っただろう? 君は飛べるって」

 リーブル先生が肩越しに微笑んだ。

「よし、そのまま東の塔に向かうんだ!」

 オレたちは東の塔の瓦屋根の上に飛び降りた。先生は天窓に足をかけて塔の中を見下ろすと、大声でルリアの名を呼んだ。

「ルリア!」

 ルリアは薄暗い塔の底から驚いたように天を仰いだ。「リーブル先生!」

 塔の中の人々は外の異変に気がついてひどく混乱していた。誰もが助かりたい一心でオレたちに助けを求めてくる。

 波は物凄い勢いでランズ・エンドに向かって来ていた。オレは焦ってどうしたらよいのか分からずに先生の顔を見た。

「リーブル先生……」

 先生は落ち着いた口調でオレに向かってこう言った。

「メグ、あの呪文をもう一度教えてくれないか」

 オレは何のことかわからずに、戸惑った視線を返した。

「あの呪文って……?」

「鳥に変身させる魔法の呪文だよ」

「魔法は二人でさんざん試したけど、魔法封じに弾かれて無理だったじゃないか!」

「もう一度やってみるんだ」

 オレは必死に呪文を伝えようとしたが、気の焦りから口がうまく回らなかった。リーブル先生は優しく微笑んで、震えるオレの両手を握った。

「大丈夫。必ず助かる。約束するよ。だから、落ち着いて呪文を言ってごらん」

 オレは深呼吸した後に、間違えのないよう、はっきりとした口調で先生に呪文を伝えた。

 先生は全神経を集中させてオレの教えた呪文を唱えた。しかし、塔の中では何も起こらず、誰も変身しなかった。彼はあきらめずに何度も同じ呪文を繰り返した。だが、無情にも魔法はまるで泡が弾けたように儚く宙に消えてゆく。

 振り返ると、波は大きな白い壁となってすぐそこまで押し寄せていた。その高さは高台にあるサン・スクワール城をものみ込んでしまいそうなほどだった。

「先生、もうすぐそこまで波が来てるよ!」

 リーブル先生は何度も何度も呪文を繰り返し唱え続けたが、魔法はことごとく泡と化す。

「僕がもっとうまく魔法を使えれば……! 僕が魔法使いだったなら……!」

 先生は塔の壁を両手で叩いて悲痛な叫び声を上げた。そして、再び必死の形相で同じ呪文を唱え続ける。

「偉大なるマリア様、どうか力をお貸し下さい」

 宙に星十字を描き、オレは懸命に聖女マリアに祈りを捧げた。振り向かずとも、波が不気味な音をたてて城のすぐそばにまで押し寄せているのがわかった。

「神よ、皆を救いたまえっ……!」

 リーブル先生は大きく息を吸い込むと、ありったけの力を込めて呪文を叫んだ。

 次の瞬間、塔を覆っていた魔法の壁が、まるで鏡が割れたように消え去った。そして、凄まじい羽根の音とともに、東の塔から無数の白い鳥が暁の空へと羽ばたいた。

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