第14話 ただの冴えない中年ですが②
エンジェルフォールを望むテーブルマウンテンの麓には幾つかのキャンプ地が点在する。日帰りだと強行軍になり情緒も何も無くなってしまうので、私達はその一つに予約を入れていた。この様なキャンプ地では珍しい事では無いが、見も知らぬ人間と相部屋になる事がある。
ツアーで参加した訳では無い私達は尚更その確率が高くなり、当然の如くこのキャンプ地でも相部屋となった。
「ほう、この地で日本人と出くわすとは。某、田村幸夫と申す同郷の者。何卒宜しくお願い申す」
私達がキャンプ内のロッジに到着すると、既に一人の日本人男性が部屋に居た。長髪を首の後で束ねた何処か憎めない丸顔の男ではあるが、彼が身に着けているのは『何故此処で?』と、思わず突っ込みたくなる着流しだ。
「田村さん、はじめまして。私の事はモッさんとでも呼んでもらえれば」
「角井貴子です」
参ったな、人柄は悪そうに見えないが物凄く色々と面倒くさそうな男だ。
リアルで自分の事を某と呼称する人と初めて会った。
それに着流し。
部屋着なので何を着ていても良いし、何ならパン一でも此方に責める権利は無い様に思うが(いや、あるのか)、着流しってどうなのだろうか。
喋り方や着衣でこの男が自分でどんなキャラ設定をしてるのか解るだけに、相部屋の隣人として当たりかどうかと言えばハズレだろう。
「某、この地には滝行をする為に参った。世界最大の落差を誇るエンジェルフォールの水に打たれれば、未だ未熟な我が心も少しは悟りを開けるものと期待してござる。その方達もここにある滝が目的と見るが、どうだろう共に滝行をしてみぬか?」
うん、やはり当たりとは言えない。
しかもエンジェルフォールに滝壺が無い事を知らない人だ。
さっきからの話し言葉も何か色々可怪しいし、出来ればあまり関わりたく無い類だが相部屋なのでそれは中々難しい。
「えーと、私達はこの付近に棲息する昆虫を見に来たんですよ。それに濡れるのは勘弁なので滝行は――」
「滝行ですか、何かカッコいいです! アタシもやってみたい!」
あ、駄目な感じの人が此処にもいた。
来る途中で滝壺が無い事を説明したと思うのだが、周囲の景色に夢中で私の話が届いて無かったと見える。
貴子ちゃんなら滝壺の無い滝の下で、小雨程度の霧散した水に打たれても必殺技を開眼するかも知れないが、出来れば普通に昆虫採集だけで満足して頂きたい。
「ほほう、そなた女性(にょしょう)の身で在りながら見上げた心意気でござるな。角井殿、ならば共に参ろうではないか」
武家言葉がおかしい。田村さん、キャラ設定はしっかりして下さい。
「うん、アタシも田村さんの滝行にかける意気込みを感じたよ。あのでっかい滝に打たれて修行だなんて普通は思いつかないよね。モッさん、アタシ達も滝行しよう?」
滝行しよう? って瞑らな瞳で見上げるんじゃありません。
と言うか此処では修行にはならない事を教えなければ。
「貴子ちゃん、エンジェルフォールは世界一の落差九百七十九メートルを誇る滝なのだがそのあまりの落差のいせいで流れ落ちる水は地上へ到達する前に霧散してしまうんだ。だから滝壺も無いし滝行も出来ない。本来滝壺のある辺りに行くとちょっとした暴風雨状態を体験できるだけでとても二人が想像している修行なんて出来ないんだよ」
「えええー」
「な、なんとっ」
「だからまあ、行くのは止めないが私としては諦めて別の事に情熱を注ぐ事をお勧めする」
何だ、この雰囲気は。
私は間違った事は言っていない筈なのだが。
貴子ちゃんは落胆し田村さんは驚愕に目を見開き私に嘘だと言ってくれと言わんばかりだ。ちょっとしたプチ悪役になった気分である。
「くっ…遠路はるばるこの地を目指してきた某の行動が、よもや無駄であったとは……」
「あうう、滝を登って泳ぎたかったのに……」
貴子ちゃん、それは滝行じゃ無い。ただの鯉だ。
「ま、まあまあそんなに落ち込まないで。取り敢えず、行くだけでも行ってくれば良いんじゃないかな。わざと滝の下をくぐる観光イベントもやってるみたいだし」
「あーちょぎりーさ!いちゃしわんわカンシ運がねーらんんやっさぁ」
「え、なに? 暗号?」
あ、田村さんのキャラが崩壊した、あれが素なのか?
「わんわクリからどうすればいいー…ハッ、し、失礼。某とした事が取り乱してしまった」
田村さんは沖縄本島の北部、国頭村に住む所謂ヤンバラーで、普段は浜へ打ち上げられた珊瑚の死骸を集める仕事をしているらしい。
アクアリウム用の珊瑚として熱帯魚関係の卸問屋と取引しているそうだ。
その他にもライブロックと呼ばれるアクアリウム内に入れる珊瑚の塊を海中から削り出し、全国のペットショップ等に販売していたりもするらしい。
採取には県知事の認可がいるものの、人件費を考えなければ元手ゼロで儲けが出るのでかなり美味しいらしい。
元々身体を鍛えるのが好きで琉球空手の有段者でもある田村さんは、インターネットでエンジェルフォールの画像を見た瞬間、ここで修行出来れば一皮剥けるに違いないと思い立って現在に至ると。
田村さんが居ない間の仕事は奥さんが引き継いでいるとの事。
何だよ、結婚してるリア充だったのか。
全身から醸しだされる残念臭に惑わされるところだった。
と言うか奥さんの理解が深い。
あれから貴子ちゃんと田村さんは二人で滝の下に行って来たのだが、直ぐにずぶ濡れで帰って来た。
『ただ雨の中で立ってるだけでした』とは貴子ちゃんの談。諦めが着いた様で良かった。五百メートル位登ってどうこうするとか言い出したらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたのだが。
聞くに田村さんも私達と同じくツアーで来たのでは無いらしく、帰国の期日は決まっていないとの事。ならば此処で会ったのも何かの縁だし、明日から一緒に行動しますかと社交辞令で聞いたところ、
『某の様な者で良ければ是非に!』と直角九十度のお辞儀をされたので、まあそう言う事になった。面倒くさそうな人だが、悪い人では無さそうだし、まあ良いか。
明日は朝から昆虫採集に勤しみ、荒んだ心を少しでも癒やせればと思う。
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