第34話 まったく、コイツラは……⑦

 九月八日。細胞活性試薬散布の準備が整った。


 次の大規模スタンピード予想日まで日時的な猶予を残しての散布であり、加納が企業に対してせっつき回った結果でもある。


 日時的な猶予があると言っても、キタツマフキが着々と数を増やしているのは事実であり、昨日までの間もアチラコチラで捕獲作戦は遂行されている。


 山並などはキタツマフキが鈴なっているせいで一部色が変わって見える場所もある程なので、何時スタンピードが起こっても不思議では無い。


 いや寧ろ人里へと大量に下って来ていないからスタンピードだと認識されないだけで森では連日スタンピード状態なのだ。




 今から行うのは自衛隊所有の飛行機十数台に農薬散布用のポンプと散布器具を取り付けての大作戦で、これが成功すればもうキタツマフキの大発生に頭を悩ませる必要もなくなる。


 そして同伴したくは無かったのだが、是非にと言われて仕方なく私も此処に居るわけで。


 パイロットスーツに身を固めてゆっくり搭乗する際は、自分がアルマ○ドンの主人公にでもなったのかと錯覚してしまう。


 バックにはエアロ・スミスの『I DON'T WANT TO MISS A THING』が流れ、心持ち画像をスローリーにして否応なしに気分が昂ぶってくるあの感覚だ。


 但し私が乗るのは安全性を考慮して、飛行機ではなくヘリコプターなので若干の違和感は否めない。


 同じ機内の隣には加納がいて、なにやらしたり顔でチラチラ此方を伺っている。


 彼にしてみれば金の成る木でもあるキタツマフキを駆逐する事には抵抗があるものの、自分の作った試薬が表舞台で活躍する一大イベントなのでその反応は仕方無いが、何度も子供みたいにドヤ顔を此方に向けてくるのは正直気持ち悪いので止めていただきたい。




 自衛隊の隊長さんらしき人が無線で号令をかけるや細胞活性試薬散布用に急拵えで改造された飛行機が次々と空へ飛び立っていく。


 核兵器も効かない(と言うか使えない)エイリアン(みたいな昆虫)へとウィルス(細胞活性試薬)を仕掛けに飛び立つ勇姿。


 パイロットは全員、正真正銘アジアンチックなのっぺりしたお顔の操縦士なのだが、心にはブルース・ウィルスが宿っているに違いない。


 現在地は戦場ヶ原なのだが、此処以外の自衛隊基地からも順次飛び立つ段取りだ。


 飛行機が飛び立った後、徐ろに私達を乗せたヘリコプターも浮かび上がり、あれよあれよと言う間に望まぬ空の人となった。


 何故に空へと上がる必要があるのか。陸上からでは駄目なのか。


 離島や海外に行く際には当然私も飛行機のお世話になるのだが、何時になってもこの浮遊感は好きになれない。地から脚が離れて支えるものが無くなると、どうしようもない緊張感が襲ってくるのだ。


 飛び立つ前はあれだけ上がっていたテンションが、どんどん下がっていくのが解る。飛行機やヘリコプターは所詮人間が造った物なので墜落しないとは限らない。座っている座席が急にガクンと外れて落下したらと思うと気が気ではない。


 パラシュート付きで安全に落下出来るのならまだ良いが、ヘリコプターの高速回転するハネに撒かれたり、飛行機のジェットエンジンに吸い込まれて粉微塵の灰になってしまう様な悍ましい妄想が次から次へと頭の中を駆け巡る。


 私は生粋の昆虫学者なのだ。


 地を這う昆虫の如く私は在りたい。




 散布範囲はみなかみ町全域に及ぶので、これだけ多くの飛行機が何やら怪しい液体を散布しているとなると住民からの苦情が絶えないのではないかと思うが、警察からの警告及びテレビやラジオを通じての告知は既にしているとの事なので安心だ。


 下から見上げると見慣れない沢山の飛行機が演習でもしている風に映るのだろうか。


 双眼鏡で見ると時折学校のグラウンド等で此方へと手を降っている無邪気な子供達が見える。一応人体に影響は無いと解ってはいるが、こんな時は屋内に居てもらった方が良い気がするのだが。


『目標地点到着、散布開始』

『散布開始』『散布開始』『散布開始』……


 細胞活性試薬の散布が開始され、みなかみ町上空は一瞬で白に染まる。

 散布のために、かなりの低空飛行をしているので空と言うには語弊があるかも知れないが、この表現以外にどう言って良いのやら私には解らない。


 ヘリコプターも白い霧で包まれていて、右も左も上も下も、ほとんど視界が効かなくなっている。


 こんな視界ゼロの状態で味方同士ぶつかったりしないのか?


「モッさん、怯えすぎだよ。この細胞活性試薬は素数ゼミ以外に効果は無いんだ。もっとどっしり構えて大丈夫だよ」

「お、怯えてる訳じゃない。急に視界を奪われたからビックリしただけだ」

「それに改良を加えて従来より浸透率も良くなっているから、研究室で見せた物より優れた効果を発揮するんだ。これはスポーツドリンク等の原理を応用していてね。ああ、勿論水単体と比べれば効果は減じるのだけど要は浸透力ではなく浸透率を云々――」


 もう自慢したくてしたくて堪らなかったのだろう。ここぞとばかりに口火を切った加納は聞いてもいないのにベラベラと細胞活性試薬の素晴らしさを語って聞かせてくれた。


 それこそ私が盲信して信者になりそうな勢いで喋る加納のメガネは、時折意志を持っているかのようにキラリと輝き、やはりこちらが本体なのかと見まごうばかりだ。


 確かに加納が自慢したいのも良く分かる。霧が晴れて行き双眼鏡で山々を見ると、付着していた筈のキタツマフキ達がポロポロと落ちて行くのが良く見える。


 私の眼下には丁度、北妻蕗村周辺が映っており、キタツマフキによって荒らされた森や草木が姿を表していた。


 おや? あれは……、まあ今は関係ないか。

 事が終わったら確かめるとしよう。


 山の色が一瞬で変わって行く光景は、超大スケールのドミノ倒しを見ている様な幻想的な光景ではあるが、これが終わるとキタツマフキは命運が絶たれてしまうのかと思うと、なんだかしんみりしてしまう。


 色々有ったがキタツマフキのおかげで新しい出会いにも恵まれ、新しいロマン基地…もとい第二研究所も手に入れる事が出来た。


 友人は犯罪者になり師匠と仰ぐべきだった人物はこの世を去ってしまったが、考えるに概ね私にとってはコレと言ったマイナス要素らしき物が無いのも素晴らしい。


 マツムシの事は痛手ではあったが、来年以降も問題なく生態研究を続けられる目処も立った。本当に色々あって慌ただしかったが、これでやっと私も平穏な日常を取り戻せるのだ。


「オブザーバー! 試薬の効果が無くなりました!」


 オブザーバー? ああ、私の事か。


 しかし一体この人は何を言っているのだろう。


 細胞活性化試薬の効果は実証済みだし、第一陣の散布では垢擦りで出た垢かと思う程、ポロポロとキタツマフキを落として行った訳なのだが。


 確か細胞活性化試薬が効果を失うまでは一時間の余裕がある筈だ。


 現在第三陣の試薬散布が行われており、第一陣から換算してもまだ一時間程度しか経過していないのだが。


 その第一陣で散布した細胞活性試薬の効果時間が切れた事を言っているのか?

 しかし第一陣の効果が一時間で切れるからこその連続散布である。

 ならばこの人が言っているのは、現在散布中である第三陣の事なのだろう。


「加納、どうなってるんだ?何かの外的要因があって効果が無くなったのだろうか?」

「アハハ、細胞活性薬だけを散布したのでは味気ないだろう? 折角、不活性薬も作ったのだから効果を確かめて見たいのは研究者として当然の欲求じゃないか。ねえ、モッさん?」


 加納、お前まさか――!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る