第30話 まったく、コイツラは……③
時は少し遡り、モッさんの研究室。
モッさんに遺伝子操作の初歩的な技術を教えてもらった貴子は、その作業に日夜没頭していた。
群馬県民は新しい物好きで有名であるが、貴子も又その例に漏れず新しい事をするのが大好きだった。
村の分校を卒業しただけで学歴は高いとは言えない彼女ではあるが、モッさんが丁寧に教えたのと天性の感覚で、ムクムクと技術を身に着けて行った。
実際問題、大学の研究室で行う作業に必要なのは学歴など関係しない事が多い。
一握りの知識とやる気と根性さえあれば大丈夫なのだ。
どれほど知識があるかよりも、どれほど寝ずに活動出来るかの方が重要だったりする。
当初、制限酵素を用いた実験にも右往左往していた貴子だったが、コツを掴んでからは飲み込みが早く、短期間で遺伝子情報を切り出して他の遺伝子へと転写させる技術を理解するまでとなっていた。
但し理屈ではなく感覚で理解しているところが非常に彼女らしいのだが。
そんなこんなで、どうやって創ったのか本人に聞いても詳しく説明できず、又、大凡今回のスタンピードで役に立つとは思われない物だが、兎に角彼女は一つの卵に別の遺伝子情報を幾つか転写する事に成功し、その卵はスクスクと成長しているのである。
ベースに使ったのはモッさんが処分しようかどうか迷っていたのを彼女が譲り受けたガロアムシの卵で、直径一ミリ程の黒い楕円形の物だ。
彼女はそんな初めての成果を満足そうに眺めた後、コンビニバイトへ向かって行った。
「店長さん、おはよーございます!」
「ああね、貴子ちゃんおはよう。今日も可愛いね」
「ちょっと何言ってるんですか、もうー」
戯れた感じで店長の鳩尾に放たれた音速の右フックは重く、店長に一瞬死線を見せるには充分な威力だった。
人懐っこい虎が人間に戯れた様な事故だが、静かになった店長を尻目にニコニコしながら控室に入り着替えを済ませる貴子だった。
今日はモッさんが東京に行ってしまい、帰りも遅くなるらしい。
アタシも大分都会に慣れたし、そろそろ東京に行きたいな。
死ぬまでに一度はテレビで見た『スカイツリー』を生で見てみたい。
此処へ来た時は驚きの連続だったけど、今ではもうチョットの事では驚かなくなった。
電気のピッも普通に使えるし携帯電話の使い方もマスター出来た。
それに自動車の仮免許も取れたから一般道で他の車と一緒に走る事も出来る。
車の量が多すぎるとは感じるが、それでも事故無く走れる自信がある。
幾ら東京が日本の中心だからって、此処の倍も人が居るなんて事は無いよね。
今度モッさんに頼んで連れて行ってもらおう。
東京の人口は高崎市の比では無いし、リモコン操作も多分東京の街中では使い所が無い。
自動車に至っては、そもそも駐車場が不足しているので、一般の人達は電車での移動を常としているのだが、そんな事を彼女が知る由もなかった。
「ふう、やっとお客さんのピークが終わりましたね」
「おおか疲れたべ、ご苦労さん。そういやぁ、まった貴子ちゃんの実家の方で虫の大発生があったん?」
「そうみたいですね。テレビでもやってたけど特撮映画みたいな感じでグロかったですよ。モッさんもそれ繋がりで東京まで行ってるみたいだし」
「ああね、アレは虫の事しか頭に無いもんでね。貴子ちゃんも大変だぁね。何なら儂の家に泊まってもええよ」
「あ、結構です」
バイトが終わった貴子は、戦利品であるお弁当を平らげてお風呂に入った後、研究室で実験の経過を確認していた。今はモッさんが居ないし、そのモッさんからは自由に入って良いと言われているので躊躇うこと無く此処に居るのだ。
自分が創り上げた成果を暫く観察していると、黒い卵が短く揺れ、次いでゆっくり蓋が開く様な感じで上部が持ち上がり、中から透明な幼生が顔を覗かせた。
「わあ! 産まれたんだ! ちょっと感動かも」
まだ色の着いていない透明な幼生は伸びをするよう、徐々に徐々にとその姿を表し、一本の棒のような姿勢になってから動かなくなった。
これは身体を固める行為であり、これが終わると身体にも色が着くのだ。
幼生誕生の瞬間なんて今まで見た事もなかった貴子は、その幻想的で神秘的な光景に時間が経つのも忘れて見入っていた。
ユラユラと揺蕩っていた物体は、やがて水面に気門(腹部にある呼吸器官)を出し、始めての大気をその身に吸い込んだ。
以前、厳島教授宅の地下室を捜索した際に貴子が見つけた『キタツマフキβ』であり、モッさんも貴子もその存在をすっかり忘れている合成生物である。
地下研究室の培養槽で成長を続けていたそれは、自分がもう活動できる程に身体が整ったのだと本能的に解っていた。
だが幾ばくかの挑戦をした後、培養槽から抜け出る事は難しいと解ったので大人しくしている事にした。
そして何時か広い世界へと飛び立つ夢を見ながら、再び微睡みへと沈んで行った。
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