第9話 襲来! キタツマフキ⑧
北妻蕗村からの帰路は行きの様な障害も無く、とてもスムーズに自宅まで辿り着く事が出来た。
貴子ちゃんは道中の車内で、窓の外を見ては目を輝かせながら感嘆の声を上げていた。
コンビニやすれ違う車を見てテンションの上がった記憶が私には無いので、彼女の感激指数は解らないが、少なく見積もっても撮り鉄が会心のベストショットを撮った時や、アイドルファンがアキバの劇場でお目当ての女の子と握手した時と同じくらいの興奮が隣から伝わってくる。
貴子ちゃんの喜ぶ顔を見ていると発生源を特定できなかった事への落胆が消し飛んでしまうから不思議だ。我ながら現金なものだと思うがこれが男の性なのだから仕方がない。
自宅に辿り着いたのが二十時近くだったので一先ず食事を摂る事にした。
と言っても男の一人暮らし。直ぐに調理できる食材が冷蔵庫にある訳でも無く、近くのコンビニで買い出しだ。
貴子ちゃんは初めて入るコンビニに終始目をキラキラさせて、会計の時など店員さんの『お弁当は温めますか?』の台詞に『はい、頑張ります!』と訳の解らない事を言って私の心をほっこりさせていた。
因みに此処のコンビニは私が週二回から四回アルバイトで通っている場所なので、くだんの店員さんとも顔見知りであったため、苦笑しながらこちらに視線を向けてきたが勿論無視である。
私としては無機質なレンジで加熱した弁当より、貴子ちゃんが頑張って温めてくれた弁当の方に当然軍配をあげる所存だからだ。
夕食を済ませて少しゆっくりした後、私達は纏足作業に取り掛かった。
今回は二人で行ったので作業スピードも速く、深夜一時を前にして全ての纏足を終える事が出来た。
他愛無い会話を楽しみながら熟す作業がこれ程楽しいものだとは驚きだったが、もっと驚いたのは四十もあった個体をこの短時間で片づけられた事に対してだ。
私のスピードが速いのは慣れているから当たり前だが、昼間少し教えただけの貴子ちゃんも何時の間にかコツを掴んで私が三つ仕上げる時間で二つ仕上げるまでになっていた。
細かい作業は得意ではないと言っていたが、いやいやどうして。この娘はこういう事に適性がある。うかうかしていると直ぐに追い抜かされるかも知れない。
お風呂の場所と寝てもらう部屋に貴子ちゃんを案内し、勝手に使っても良いからと言った後、私は一階の奥の部屋、研究室と銘打った場所に入る。
此処には様々な実験用機材とやや大型のシンクと業務用を改造した冷蔵庫等が備え付けてあり、棚には昼間セットしたキタツマフキ達のケースが並んでいる。
一年中、二十三度に室内温度を設定したエアコンを点け放しているので、この家の中で最も快適な空間と言っても過言では無い。
今までアルバイトや依頼で稼いできた収入の大半をこの研究室に投資しているので当然と言えば当然だが、それでもまだ大学や企業の研究室に比べると数段見劣りしてしまう。
薬品類を使った簡単な検査や簡易無菌室を使った細菌の培養、遺伝子検査やごく初歩の遺伝子組み換え等は今の設備でも充分出来るが、その先となるとどうにもならない。
最近はネットで簡単に様々な実験器具や実験機器が購入でき、私もそういう所から購入してはいるが、大掛かりな事をするにはやはりそれなりの金額を出して専門に製造している企業から購入する必要がある。その額はオーダーメイドになるので一千万は下らない。
発光タンパクで生体内の細胞を検出したりするのにはもう飽き飽きしているが、当然それ以上が出来る設備を購入する大金をポンと出せる懐具合ではないので何時になっても出来る事は今と変わらないだろう。
実際問題、そんな高額機械が昆虫学に必要かと問われれば別に必要無いのだが、男なら憧れるじゃないか。大型昆虫の断面をCTスキャンで生きたまま読み取りながら体液の流れや筋肉の動きを検証したり、超音波破壊装置で昆虫に付着している細菌を消滅させたり、一見無駄に見えて実はやっぱり無駄な事をドヤ顔でしたいじゃないか。私がガロアムシに望みをかけていた長寿薬も、そんな無駄な事を繰り返している内にヒントとなる物を発見出来るかも知れないじゃないか。
勿論、発見するまでには気の遠くなる程の生体実験が必要で、その後も粘り強い安全確認が必要になるだろうが……って、いかんいかん。この部屋に来ると何故か思考が夢見がちになり本来の目的を忘れてしまう。
棚に並べてある昼間セットしたキタツマフキの状態を一つ一つ確認して行く。
やはりどれもオスの個体なのかマットに深く潜った形跡は無く、キタツマフキ達は静かに私の作った
メスの個体が居たなら
まだ交尾しておらず、その段階ではないのかも知れないが、ブリード個体では無く野外個体であり飛びたてるまでに成熟した個体達なのだからその可能性は極めて低い。これはどうやらメスの個体を改めて見つけに行かなくてはならないかも知れない。
しかし現場で見た感じ、メスの個体らしきキタツマフキはいなかった。
貴子ちゃんの家周辺だけでなく、駆除し終わった何万という死骸をさらっと確認したが、どれも同じ形状をしていた。
さてそうするとメスの個体は何処に行ったのだろうか。
「おや?」
考えに耽りながら産卵セットをしたケースを眺めていると、その中の一つのマットが盛り上がり、中からキタツマフキが這い出して来た。大方浅く潜って寝ていたのだろうが、私は各ケースに三匹づつキタツマフキを入れた筈なのに、そのケースだけ四匹入っている。ケース分けした時に数を入れ間違えたようだ。
ケースの広さを考えれば四匹どころか六匹位は許容出来るので、まあ良いかと、その時の私は深く考えずにその問題を軽視していた。
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