第47話 夏祭り
白地の浴衣には緋色と白色の控えめな大きさの椿がいくつも咲いている。葉やがくは墨のような黒色で、コントラストがはっきりとしている。
蘇芳色の少し黒味をおびた赤色の帯は、文庫結びでまとめられている。
編み込みした黒髪を低い位置でまとめ、下がり飾りがついた玉簪で控えめにお洒落をする。
シャラシャラと玉簪の音を立て、小さな朱色の手作り巾着を両手で持ち、赤色の下駄でしずしずと歩く姿は、まさしく大和撫子と形容するに相応しい。
夏祭りにかこつけてナンパに気合を入れた学生達でさえ、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」といった諺を見事に体現した茉莉花に気安く声をかけるのをためらわれた。
当の茉莉花といえば、楚々とした表情とは裏腹に、周囲の視線に気づかないほど緊張していた。
4人とはいえ、学外で好きな人と遊ぶのは初めてだ。しかも、漫画に限らず、夏祭りと花火といえばデートの定番の場所。
焦りと緊張で思考がまとまらないうちに、はやめに待ち合わせ場所に着いた。
待ち合わせ場所の鳥居の下には、お祭りの入り口のためか、茉莉花の他にも待ち合わせをしているであろう人々が立っていた。
この人混みの中出会えるのか不安に思った茉莉花は、いつでも連絡がとれるよう携帯を巾着から取り出す。
「茉莉花ちゃん、だよね?」
かけられた声に目を向けると、そこには浴衣を着た王崎がいた。
紺色の雨絣柄の浴衣は、王崎の明るい髪色にも、キャラメルのような瞳にも意外に調和し、普段より大人めいて見える。
「今日は一段と綺麗だから、一瞬迷ってしまったよ。浴衣も、髪型もすごく似合ってるね」
「そ、そう…?ありがとう。王崎君も、浴衣似合ってるわ。本当に雨が降っているような繊細な柄で素敵。お祖父様の浴衣なんでしょう?」
似合っているというか、似合いすぎてて直視できない。
顔を見るのが恥ずかしくて少し目線を下げると、今度は制服のシャツでは見えなかった首筋や鎖骨がちらりと見え、茉莉花は目線をどこに置いていいものかわからなくなった。
「そうだよ。似合ってるって言ってもらえて安心したよ。地味かなぁとも思ってたんだ」
「古典柄は落ち着いていて好きだし、私もお下がりの古典柄の浴衣だもの」
「じゃあおそろいだ、俺達」
おそろいという単語に心臓が跳ねる。
王崎は他意なく言っているのだとわかっていても嬉しくなり、茉莉花は会ったこともない曽祖母に感謝した。
「そろそろ待ち合わせ時間だけれど、この人混みの中2人は俺達を見つけられるかな」
「もう少ししたら連絡してみましょう。その方がきっとすぐに出会えるはずだもの。むしろ、王崎君はよく私を見つけられたわね」
「どんな人混みでも見つけてみせるよ、茉莉花ちゃんのことなら。それに、今日はその椿の浴衣が遠くからでもはっきり見えたし、綺麗な浴衣を着こなしている茉莉花ちゃん自身も目立っていたしね」
いたずらっぽく笑う王崎に、ハッと息を呑む。
いつもなら、王崎の言葉にただ照れていただろう。しかし、彼の言い回しに茉莉花は反応せざるを得なかった。
王崎君の言葉、少し言い回しが違うけれど、『スイートチョコレート』の夏祭りで百瀬さんを見つけたときの台詞だ。
この台詞が出たということは、漫画のシーンを回避できたということかな。
どんな人混みでも見つけてみせるよ、なんて一日に違う女の子に向けて何回も言う台詞じゃないもの。
「…ありがとう、王崎君」
達成感と高揚感、安堵、そして今更ながらに彼の言葉に対して照れくささを感じながら、そっと微笑んだ。
王崎には、単に茉莉花を見つけ出したことと、浴衣や茉莉花への賛辞に対するお礼としか伝わっていないだろう。
それでも茉莉花の心情を何か察したのか、王崎も優しく頷いた。
その時、人ごみの中から一際大きなやり取りが聞こえてきた。
「けーちゃん、はやくはやくっ!」
「どうせ時間遅れてるんだから歩いていきゃいいだろ。お前、何にもないとこでよくこけるドジなんだから。浴衣なら尚更走るべきじゃねぇって」
「どうせドジですよぅだ。人待たせてるんだから速く行くのは当然よ!」
「それに足遅いんだから、歩いても走ってもそんな変わんねーだろ」
「そんなことないもんっ」
よく知った声はだんだんと近くなり、やがて声だけではなく姿もはっきり目視できる距離になった。
百瀬は『スイートチョコレート』のとおりに、桃色地の生地に葡萄色と群青色の大ぶりな朝顔の柄が描かれた浴衣を着ていた。くまのゴムで留めているおさげをゆらゆら揺らしながら速水に向かってぷくりと頬を膨らませている。
無地のTシャツにスキニーとラフな格好の速水は心なしか楽しげな表情だ。
周囲の人々が痴話喧嘩だなんだと見守っている中、2人とも気付いていないのか不毛な言い争いを続けながら歩いている。
周囲の様子が目に入っていない2人には、茉莉花と王崎の姿も見えていないようだ。
茉莉花達は顔を見合わせ、いまだ可愛らしい喧嘩をしている2人に近づいた。
「もう走らなくても大丈夫だよ、2人とも」
「王崎君!茉莉花ちゃん!」
声をかけるとぴたりと言い争いをやめ、そして王崎を見た百瀬はぽやんとした表情で彼に見蕩れた。
「王崎君…かっこいい…」
「ありがとう。百瀬さんも、かわいいよ浴衣姿」
「えっ、ありがとう!」
やだ、声に出してたんだ、と赤く染めた頬に両手を当て、百瀬は呟いた。
その横で、先ほどの楽しげな表情とは打って変わって、眉間にしわを寄せた速水が王崎を睨みながら、こいつが着るなら俺も浴衣着たのに、等とぶつぶつと口の中で呟いている。
「それじゃあ皆揃ったことだし」
対照的な2人の様子に気がついていないのか、王崎が無邪気に笑って切り出した。
「花火が始まるまで、屋台をまわろうか」
4人は、提灯によって赤々と照らされている賑やかな屋台が並ぶ参道へ歩き出した。
夏祭りのはじまりだ。
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