第44話 夏の訪れ2
臨海学校の説明があったのは、テストが終わった日の放課後の職員室だった。
「まぁ参加するなら当日の流れなんかも説明したいからはやめに連絡くれ」
そう萩原が締めくくると同時に、王崎は参加すると表明した。
決断早いな、と思いながら茉莉花が萩原を見ると、彼はでかでかと「せっかくの夏休みなのに進んで仕事ひきうけるなんて正気か」と顔で物語っていた。
萩原は中肉中背の身体をいつも少し猫背気味な体勢でまるめ、ローテンションな口調どおり、必要最低限の労力のみで授業を教えている。授業やテストのような生徒の将来に響かない行事ごとに関しては、授業の時以上に省エネでいたいのだろう。
実際、五月の親睦ウォークの時も担任としての最低限の責務を果たし、企画や運営のほとんどは茉莉花と王崎が行った。
B組の担任の武田とは正反対であるが、濃いクラスメイトが多いA組だ。それくらいの担任が調度いいと茉莉花は思っている。
王崎は萩原の表情に気がついていなかったのか、にこにこと
「参加するクラスメイトが楽しめるよう、学級委員としての責務を果たしたいんです」
と伝えた。
真面目で責任感の強い王崎らしい意見だ。
しかし、その隣にいた茉莉花には、普段は少女漫画特有のキラキラした輝きを背負っている彼の背後に、後光が差しているように見えた。
王崎の考えに更に顔を崩した萩原に「もちろん僕自身、臨海学校が楽しみっていうのが一番の理由ですよ」と付け加えたが、萩原はちっとも信じていない様子で相槌を打った。
「王崎は参加な。せいぜいがんばってくれ。宮本はどうするんだ?数日考えてからでもいいが…」
「私も参加します。えーっと、私も臨海学校がすごく楽しみで、せっかく参加するならよりよい思い出がつくりたいので」
参加します、と告げたあたりに萩原から「こいつもか」といった表情を投げかけられたため取り繕うように理由を述べた。
実際は、王崎のような高尚な動機ではなく、好きな人が行くからという下心からであるが、それは口にはできない。
どうせ夏休み中は部活もなく、宿題もすぐ終わってしまうだろうから、暇になるはずだ。
それに、『スイートチョコレート』の展開どおりならば、夏休み編には夏祭りのほかに臨海学校も描かれていた。
『スイートチョコレート』は少女漫画のテンプレートをすべて網羅する漫画だ。
海、お祭り、花火、怪談…といった少女漫画での夏の季語にもあたるイベント事は当然のごとく順当に漫画内で描かれていた。
イベント事とはすなわち、ヒロインとヒーローの距離がぐっと縮まる機会なのだ。
漫画と少し展開がずれてきているとはいえ、そんな機会をおめおめと逃すわけにもいかない。
たとえ、職員室を出た瞬間に閉めた扉の先から「最近の学生は聖人しかいないのかよ」という担任のぼやきが聞こえたとしても。
ともかく、茉莉花と王崎それぞれ目的は違うものの、百瀬に話をふられる数日前からすでに二人は臨海学校に参加することが決定したのだった。
「臨海学校だから、基本的には海に入ることが目的だけど、細かいところはまた夏休みに入って調整しよう」
「王崎君はバスケ部があるでしょうから、時間は合わせるわ」
じゃあまた後で連絡するよ、という王崎の言葉に内心ガッツポーズをする。
これで夏休み中に、お祭り以外にも少なくとも1回は王崎に会うことができる。
「そっか、二人とも同じ学級委員長なんだよね…」
顔に大きく、いいなぁと羨ましさを前面に出した百瀬が、王崎と茉莉花を交互に見た。
「百瀬さんはどうするんだい?」
「私も行くよ!もちろん!」
「俺も!行くからな」
百瀬の言葉に、速水がガタリと席を立った。
「あれ、けーちゃん興味ないとか言ってなかった?」
「気が変わったんだよ。あ、亜依が行くとか聞いてなかった」
「ふーん、よかった!臨海学校楽しみだね」
何するのかなとうきうきと笑う百瀬に、王崎が「百瀬さんの思い出に残るような企画をたてるから楽しみにしてて」と返した。
「…百瀬さん、天然だものね。私はがんばったと思うわ」
百瀬が行くから参加するのだと、速水にしては覚悟を決めたであろう遠まわしのアピールが全く通じず、うな垂れる彼の肩を茉莉花は労わるように叩いた。
さっき百瀬さんを落ち込ませたフォローができなかったかわりに、素直な気持ちを伝えたんだよね。からかってばかりの速水君にはしては頑張ったよ。ただ、相手は少女漫画のヒロインだよ。並外れじゃない鈍感さを持つ相手だから、気長にいこう。
ケーキをもう一切れお食べ、と差し出すとやけ食いをしながらも、やはり途中から「うまい」と機嫌を直す速水の単純さに茉莉花は笑った。
『スイートチョコレート』の夏休み編はイベント盛りだくさんで不安を抱えていたが、王崎達と過ごす始めての夏休みが少し楽しみになった。
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