第十一話 猿面冠者


「く……ここは引け! まだ機会はある」

 義輝の姿とその技量を目の当たりにした黒ずくめの男達のリーダーは、舌打ち混じりにそう指示を下すと、一目散にその場を駆け出す。

 だが彼のそんな行為を許さぬものがいた。


「そうはさせんよ」

 逃亡を図ろうとした敵に一瞬で迫った人物。

 それは当然の事ながら、大樹であった。

 彼は間合いを詰めた瞬間、男に向かって刀を一閃させる。


「グウッ!」

 次の瞬間、そこには一人の男が地面へと崩れ落ちる。

 ただしリーダーらしき大柄な男ではなく、突然横から飛び込んできた黒ずくめの中の一人がである。


「良い覚悟だ。だが……」

「逃げられましたね」

 大樹の小さなつぶやきを引き取る形で、僕はそう口にする。

 そう、身代わりとなった敵の一人を残し、すでに黒ずくめの男たちはその姿を通りから完全に消し去っていた。


「ああ。しかし大胆な奴らだ。仮とはいえ、我が御所の前で事に及ぶとはな。上総介、心当たりはあるか?」

「いえ、この度の上洛自体、我が家でも内密に事を運んだ次第。心当たりらしきものなど……ともあれ、至急追手を向けるとしましょう。成政、猿に連絡し奴らの影を追え」

「はっ、直ちに!」

 信長殿の名を受けた佐々さっさ成政なりまさは、大樹に一礼するなり、すぐさまその場を駆け出す。

 その後ろ姿を見送った大樹は、軽く顎に手を当てると、僕に向かい見解を求める。


「秀一、お前はどう見る?」

「そうですね。普通ならば、ここで事に及ぶなど愚劣極まりない選択でしょう。となれば、この時、そしてこの場所でならなかった理由があるとみるべきかと」

「ふむ、正論だな。で、その理由とは?」

 僕の発言に一つ頷くと、大樹は更なる説明を求める。

 それに対し僕は、一度信長殿へと視線を向けた後、迷いながらもその口を開いた。


「はい……幾つか理由が考えられますが、一つは将軍家の衰退を喧伝けんでんするため。そしてもう一つは、将軍家と織田家の関係を決定的に割くためかと」

「我が家の衰退はわかる。御所周辺でさえ守れぬとの風評は簡単に流布するだろうからな。しかし、後者はどういう理由だ?」

 僕の説明を受け、大樹はそう問いかけてくる。

 しかしながら彼に向かい回答を口にしたのは、後方で衣服を整えなおした若き当事者たる青年であった。


「おそらく、私がここで命を失った場合、将軍家によって謀殺されたとの噂が流されていたからでしょう。事の真偽はともかく、我が家の残された者達は、大樹に対しあまり好意的ではいられなくなるでしょうから」

「たしかにそれは否定できんな。しかしだ……」

「我が家如きが、将軍家と不仲になったところでどうということがあるのか……ですか」

 大樹が僅かに言いよどんだ言葉を、信長殿はあっさりと口にする。

 その反応に対して、大樹は興味深そうな表情を浮かべると、わずかに口元を歪めた。


「ほう、言い難いことを自ら述べるな」

「小賢しい物言いはお好みでないでしょうから」

 信長殿はそう口にすると、大樹同様にニヤリと口元を歪める。

 それを目にして、大樹は満足そうに一つ頷くと、信長殿へと笑いかけた。


「ふふ、そのとおりだ。結構。気に入ったぞ、上総介。では、後の話は中でやるとしよう。この場でこれ以上立ち話をするのはいささか無粋だからな」






「仮の御所と伺っておりましたが、これはなかなか」

 用意された部屋へ通された信長殿は、ぐるりと周囲を見渡すと、感慨深げにそう口にする。

 それに追随するような形で、前田利家が大樹に向かい問いを口にした。


「教養のない私でもこれはわかります。これは大樹が?」

「うちの与一郎だ。俺にはここまで凝った趣味はねえよ」

 先日より文化面の指導を僕が仰いでいる人物。

 その名を大樹が口にされたところで、信長殿は顎に手を当てながら一つ大きく頷かれた。


細川ほそかわ藤孝ふじたか殿ですか。なるほど……噂に違わぬ文武両道ぶり」

「ま、最近は器用貧乏になりかけてたから、少し反省しているみたいだがな」

「え、そうなのですか?」

 大樹の物言いに驚いた僕は、側に控えながらも思わず口を挟んでしまう。

 それに対し、大樹は全く咎めること無く、嬉しそうにニコリと微笑んだ。


「おう、お前と遊んでからだ。ま、あいつなりに色々思うところがあったんだろう。ともかくだ、俺の趣味はこんなこったものではなくこいつでな」

 大樹はそう口にするなり、部屋の側面の障子戸をバンと開け放つ。

 そこに広がる光景を目にした信長殿は、思わず感嘆の声を上げた。


「これは……」

「ここが御所内において、唯一の俺の憩いの場だ」

 やや誇らしげに大樹が示したその部屋。

 そこには無数の日本刀がずらりと並べられていた。

 それを目にした瞬間、利家は思わず感嘆の声を上げる。


「素晴らしい……なるほど、剣豪将軍などと伝え聞く所以がよくわかりました」

「別に足利家伝来の刀を集めてるだけだ。これをもって剣豪などとはとても言えんさ。実際、どこかのじっちゃんの領域には未だたどり着けていないしな」

 大樹は苦笑を浮かべながら、謙遜を口にする。

 だが利家は二度首を左右に振ると、キラキラとした眼差しで大樹を見つめた。


「ですが、先ほどの腕前。正直、感服いたしました」

「そうかい? まああの程度なら、そこのそいつでもできると思うがな」

 そう口にすると、大樹は僕へと視線を向けてくる。

 それに対し利家は、途端に意外そうな表情を浮かべた。


「この少年が……ですか」

「犬千代。見た目に騙されるな。そいつの師は、大樹の師でもある」

 すぐに利家を窘められたのは、信長殿であった。

 僕はわずかばかりこそばゆくなり、この空気を変えようと口を開きかけるも、それより早く利家が驚きの声を上げる。


「ということは、まさか塚原卜伝殿の……なるほど、理解いたしました」

「ふふ、まあじっちゃんの話は良いや。ともかくだ、せっかく上洛してきた記念だ。何か欲しいものでもあるかい?」

「いえ、残念ながら私は刀を嗜んでおらぬもので」

 大樹の問いかけにに対し、信長殿はすぐに首を左右に振って否定される。

 すると、その反応が予期できていたのか、大樹は右の口角を僅かに吊り上げた。


「ほう、そうかい。そういえば堺では、千宗易を通じて、種子島を買い集めているとか?」

「はは、私にはあれの方が手に馴染みますもので」

「ふうん、なるほどな。ま、どうせそんなところだとは思った。結局のところ、本当にお前が欲しいのは追認ってことだ。違うか?」

 突然の大樹の切り返し。

 それを受けて、信長殿はほんの少しばかり意外そうな表情を浮かべられる。


「……まさかいきなり本題に踏み込まれるとは」

「おいおい、お前が言ったんだろ。俺は小賢しい物言いが嫌いだって。で、どうだ?」

「答えは一つ。その通りです以外にございません」

 大樹の重ねての問いかけに対し、信長殿は直ちに平伏する。

 それを目の当たりにした大樹は、満足そうに一つ頷いた。


「結構。幕府の証文は既に作らせている。尾張に戻る前に取りに来い」

「は、ありがたく」

 大樹の言葉に驚きを見せながら、信長殿は重ねて感謝の意を示す。


「うむ。しかし、道三の言っていたとおりだな」

「は? 義父が何か?」

 思わぬ人物の名を耳にして、信長殿は慌ててその顔を上げる。

 すると、ニンマリとした笑みを浮かべた大樹が、嬉しそうにその口を開いた。


「いや、あのマムシ爺いがお前のことを気に入っていたものでな。なるほどと思っただけだ。それに、俺の新しい部下も、お前のことを好んでいるみたいだしな」

 大樹のその言葉が発せられた瞬間、信長殿の視線は僕へと向けられる。

 それを確認した大樹は、愉快そうに更に言葉を続けた。


「そういえば、堺に君が滞在した時期に、何やら一悶着あったそうだな。噂では三好家の四男が解決したと聞くが、その際に南蛮銃を扱う若い男がいたとかいなかったとか……おっと、断っておくが、これは秀一から聞いた話ではない。この意味がわかるな、上総介」

「……なるほど。いささか軽挙だったようです」

 大樹の言葉を受け、信長殿はほんの僅かに苦い表情を浮かべながら、そう反省の弁を述べる。

 すると、大樹はそんな彼に向けて、一つの忠告を口にした。


「わかればいい。俺に近づくのは構わんが、距離感は大事にしろ。何しろ、表向き……いや実質俺は三好の飾りということになっているのでな」

「三好の……ですか」

「ああ。その中でも、かの家の家宰は――」

「大樹、お話中の所失礼致します」

 大樹の言葉を遮る形で部屋の中へと姿を現したのは、やや細身の男性であった。


「どうした、惟政これまさ?」

 大樹の部下であり、普段は無作法を好まれぬ和田わだ惟政これまさ殿。

 そんな彼が突然姿を現した事実を受け、大樹はすぐさまその理由を問う。


「たった今、境内に侵入してきた怪しげな者を捕らえましたため、そのご報告に」

「怪しげな者? どんな奴だ」

「それが貧相な猿面をした町人姿の小男でして、至急の用があって御所にきたなどと申しているのですが……」

 その言葉を耳にして、僕の脳裏にはある一人の人物の名が浮かび上がる。

 それを肯定するかのように、信長殿が二人の会話へと割って入った。


「……すいませぬが、それは私の部下のようです。申し訳ありません、大樹」

「なに、先ほどの今だったため、確認せず取り押さえたのはこちらの落ち度だろう。惟政、ここに連れてきたまえ」

「あの男をですか? は、はぁ……」

 明らかに不承不承といった体ながらも、大樹の命令には逆らえず惟政殿は重い足取りで部屋から退室していく。

 そして、あの男がこの部屋へとその姿を現した。


「お館様!」

 大声を開けながら、信長にすがりつかんばかりの勢いでその男は部屋の中へ入り込んでくる。

 途端、信長殿の叱責が、その猿面男へと向けられた。


「馬鹿者。猿、俺に……いや、私に物言う前に、先ずは大樹に挨拶せよ」

「こ、こちらの方が。た、大変失礼を致しました……わたくめは、き、木下藤吉郎と申します」

 後の豊臣秀吉こと木下藤吉郎は、信長殿の叱責を受けるなり、自らの過ちを理解して、地面と一体化しかねぬ勢いで大樹に向かい平伏する。

 一方、ややみすぼらしい格好をしたその男に対し、大樹は値踏みするような視線を向けた。


「木下……藤吉郎か」

「はい。某はお館様の部下にございまして……そ、そうです、お館様。奴らの居場所がわかりました!」

 藤吉郎は突然ハッと気づいた表情となると、その事実を信長殿へと告げた。


「奴らというのは、先ほど我らに仕掛けてきた連中だな。でかしたぞ、猿。それで奴らは?」

「は、下京の外れ。今や廃墟とかした草堂院の寺社後に逃げ込んだ模様です」

「ほう、草堂院か……ふむ」

 二人の会話を耳にした大樹は、軽く顎に手を当てると、少し考える素振りを見せる。

 それに対し、信長殿は藤吉郎の言葉に深く頷くと、更に問いを重ねた。


「で、奴らは何者だ?」

「申し訳ありません、未だわからず……」

 申し訳無さそうに表情を曇らせながら、藤吉郎はそう口にする。

 一方、そんな彼の言葉を耳にするなり、思わぬ決断を一人の男が行った。


「ならば捕まえて調べれば良い。秀一、準備をいたせ」

「た、大樹……まさか」

 突然立ち上がった青年を目にして、僕は慌てながらそう口にする。

 すると、大樹は不敵な笑みを浮かべ、堂々とした口調で宣言を行った。


「京を荒らす者、それはすなわち我が大敵である」

「で、ですが、大樹はこの日ノ本の守護者。たかが賊相手に」

「義輝ならそうかもしれんな」

 慌てて諌めにかかった僕の発言に対して、大樹は意味ありげな口調でそう口にされた。

 途端、僕はその意図を理解し頬を引きつらせる。

 だが、その意味するところを理解できなかった信長殿は、些か戸惑いを見せつつ、大樹に向かい問いを口にする。


「大樹……一体、どういうことですか?」

「ふふ、義輝は日ノ本の守護者。だから此度の討伐には参加せぬ。それ故、この京の守護者たる足田菊堂が賊を討伐する。さあ秀一、祭りの続きだ。戦いの身支度をせよ」


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