第11話
自分の放った矢がブルーキャタピラーの目に突き刺さったのを、アースはどこか不思議な気持ちで見つめていた。
いや、正確には現実感がないと言うべきか。
矢を射るまでが一生懸命であった為か、虚脱感とも呼べるものがアースの身体を襲っていたのだ。
燃え尽き症候群……というのとはちょっと違うだろうが、アースの現状を示すにはそれ程間違ってはいない。
そんな、どこかやり遂げたようなアースを現実に引き戻したのは、つい先程電撃を放ってブルーキャタピラーの動きを一瞬ではあるが止めた青いリスだった。
「ボルルッ!」
バチリ、と。
その叫びと同時に軽く電気を流され、ようやくアースは我に返る。
「そっ、そうだ! えっと、えっと……」
弓と矢筒は両方とも手に持ち、慌てて周囲を見回す。
近くの木の陰にはサニスンがいるが、とても戦える状態ではない。
出来ればブルーキャタピラーの近くから引き離した方がいいのだろうが、まだ子供――成人はしているが――のアースの体力でどうにか出来る筈がないのは明らかだった。
それでもどうにかした方がいいのではないかと迷い……その迷った数秒は、アースが自分自身で生み出した、宝石よりも貴重な数秒間を無駄に浪費することになる。
「ブモオオオオオォォォッ!」
眼球を矢で貫かれた痛みと、それを行ったアースに対する怒り。
ブルーキャタピラーはその二つの感情が赴くままに、アースへと向かって足を振り下ろし……それを目にして思わずアースの足が絶望と共に止まり……
「ボルルルルルゥッ!」
再びアースの肩の上に乗っていた青いリスが高く鳴き、同時に一条の電撃がブルーキャタピラーへと放たれる。
「ブモォッ!?」
放たれた電撃により、再びブルーキャタピラーの動きが一瞬止まる。
先程同様に数秒だけの絶好の好機。
アースも同じミスは二度と繰り返さず、その場から素早く移動した。
当然ブルーキャタピラーは片目がアースの放った矢によって潰され、視界が半分になっている。
それは逆に言えばまだ視界の半分は生きているということであり、アースの肩に乗っている青いリスの電撃で身体が動かなくても、視線を動かすことは出来る。
そして身体が動かない数秒が過ぎ去れば……次に当然向かうのは自分に背を向けて逃げ出しているアースだった。
アースのいる方へと身体の向きを変えると、ブルーキャタピラーの周囲に幾つもの氷の槍が生み出される。
突き刺さればアースは命を落とすだろうその槍は、数本が一気にアースへと向かって放たれる……寸前、何かが動いたかと思ったら、ブルーキャタピラーは腹部に激痛を感じる。
背中側とは違い、柔らかな腹はいともやすくリヴの放った槍の穂先が外皮を破って体内へと潜り込んだのだ。
「ブモオオオオオォォォッ!」
そんな雄叫びと共に、アースへと向かって放つ筈だった氷の槍を、自分のすぐ側にいる相手へと向けて放つ。だが……
「はぁっ!」
鋭い叫びと共に槍が振るわれ、リヴは自分に向かって放たれた氷の槍の全てを弾く。
勿論氷の槍を弾くだけではない。その隙を突くかのようにして槍を振るい、ブルーキャタピラーへと攻撃を重ねていく。
つい先程までであれば、氷の槍や足の一撃で弾かれていただろう攻撃。
だが、その攻撃をブルーキャタピラーは防ぐことが出来ず、悲鳴を上げる。
「ブモオオォォッ」
本来であれば防げただろう攻撃だが、視界が半分になっている今はリヴの放つ槍の攻撃を防ぐことも、回避することも出来ない。
リヴも、ここが絶好の好機だというのは理解しているのだろう。ブルーキャタピラーの視界が封じられている左側、左側へと攻撃を集中させる。
「ブモオオォォッ! ブモオオオォォォォォッ!?」
ブルーキャタピラーもその攻撃を防ごうとするのだが、見えない状態ではどうしようもない。
少なからぬ傷が胴体の部分へと与えられていく。
それが苛立たしいのだろう。足を振るい、氷の矢を放ち、更には不可視の刃でもある風の刃をリヴへと向かって連続して放つ。
だが、リヴはそのことごとくを回避し、同時に槍を振るってブルーキャタピラーの足と氷の刃を弾いていく。
「はああぁぁぁっ!」
連続して放たれる槍の連撃。
槍の間合いで振るわれる攻撃は幾度となくブルーキャタピラーの攻撃を弾いて、穂先を身体へと埋める。
その行為自体は先程吹き飛ばされた時と同じだ。だが、違うのはやはりブルーキャタピラーの視界が半分になっていることだろう。
そして、リヴを援護するべくシャインズから放たれる矢。
「やぁぁっ!」
鋭い叫びと共に突き出された槍の穂先が、ブルーキャタピラーの左足の一本へと突き刺さる。
本来であれば槍を弾くだけの硬度を持っているのだが、関節部分に槍の穂先を食らってはどうしようもなく……次の瞬間には、足の一本が関節部分から切断されて、空を舞う。
ようやく与えられたダメージに、弓で援護していたシャインズは小さく笑みを浮かべる。
だが、リヴはその程度は騒ぐこともないと、再びブルーキャタピラーへと向かって槍を振るう。
そんな二人を余所に、アースは弓と矢筒を持ってツノーラのいる場所へと走る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
木に背を預けたままのツノーラが荒い息を吐くアースを確認して安堵の息を吐く。
本来であれば、今のアースの役目は自分がやるべきものだった筈だ。
だが、今の自分ではそれが出来ない。
足の踏ん張りが利かず、とてもではないがブルーキャタピラーの攻撃を回避しながら走ることが出来ないのだ。
また、森に入る前に持ってきた自分の弓も、コボルトの死体から逃げた時にどこかになくしてしまっている。
それでも、アースは自分の代わりに弓と矢筒を持ってきてくれた。
矢を射るのは、足が動かなくても問題なく出来る。
「よくやった、アース。今回の戦いで一番のお手柄はお前かもしれないな」
それは、弓と矢筒を拾ってきたことだけを言っているのではない。
アースの肩に乗っている青いリスの放った電撃と、破れかぶれではあっても放たれたアースによる矢の一撃。
ブルーキャタピラーの動きを止め、片目を潰したその一撃は、逆転の切っ掛けともなった。
事実、戦いが始まった当初は一方的に攻撃をされて防御に専念していたリヴが、ブルーキャタピラーの死角を突いて攻撃を命中させている。
その攻撃のダメージも最初は小さなものだったが、幾度となく積み重ねられることにより、ブルーキャタピラーの傷はより大きくなっていく。
「この森は俺達の森だ。援軍に来た冒険者だけに戦わせる訳にはいかないよな。……アース、一応念の為だ。お前はいつブルーキャタピラーが攻撃に移っても回避出来るように準備を整えておけ」
「お、俺も! まだ、何か出来ることがっ!」
ツノーラの言葉に言い募るアースだったが、ツノーラはそんなアースの頭に手を乗せ、軽く叩く。
「そう言うなって。少しくらい俺にもいい格好をさせてくれよ。な?」
「……分かった」
本心では納得出来ない。
折角あのブルーキャタピラーを相手にして、逆転し始めたのだ。
それを行ったのが自分であると……より正確には、自分と右肩にいる青いリスと自分の一人と一匹であると理解し、自覚している為に、自分でもまだ何か出来るのではないか。そう思ってしまうのだ。
だがここで無理を言って足を引っ張れば、それは結果的に現在続いているこの状況を壊し、自分達の不利になる。
最初にブルーキャタピラーと遭遇した時、自分がツノーラの足を引っ張り、その結果ツノーラは死んでもおかしくないだけの怪我をした。
命は助かったが、それは多分に偶然に助けられたものでしかない。
それを繰り返すような真似をするのは、絶対に嫌だった。
その為、ツノーラの言葉に従って大人しく戦いの様子を眺める。
ただし、何かがあればすぐにでも行動出来るようにだ。
既にこの時、アースの中にブルーキャタピラーに対する恐怖心はない。
いや、正確には短時間に色々な出来事が起きすぎており、半ば恐怖心が麻痺している状況になっていると言うのが正しかった。
木の幹からそっと顔を覗かせ、戦闘の様子を眺める。
シャインズの弓とリヴの槍でブルーキャタピラーと互角に近い戦いを繰り広げていたのだが、そこにツノーラの弓の援護も加われば当然戦況はリヴ達の方が有利になる。
視界が片方封じられているブルーキャタピラーなら、このまま反撃もさせずに倒せるのでは?
皆がそんな思いを抱いた、その瞬間。ブルーキャタピラーはここまで我慢してきた怒りを一気に発散させる。
「ブモオオオオォォォッ!」
それは、これまでに聞いたどんな雄叫びよりも力強く、それでいて殺意に満ちていた。
自らをここまで追い詰めたリヴ達……中でも、その最大の原因を作ったアースへと向けられた怒りの叫び。
その雄叫びを聞いた瞬間、その場にいた者は身を竦ませて動きを止める。……唯一リヴのみが動くことが出来たが、それでも動きは確実に鈍っている。
「ブモオオォォォォッ!」
再びのブルーキャタピラーの雄叫び。
その雄叫びと共に放たれたのは、ブルーキャタピラーが得意とする風の刃。
不可視の刃は身動き出来るリヴ……ではなく、その背後で弓による援護をしていたシャインズとツノーラの二人へと向かう。
身動きが出来ない状態で放たれたのだが不可視の風の刃となれば、それを回避出来る筈もなく、二人共が身体の何ヶ所にも傷を負い、血を噴き出しながら地面へと吹き飛ばされる。
それでも木を盾にしていたおかげで致命傷ではなかったが、身体中のあちこちに深い傷を負っており、とても戦闘が出来る状態ではない。
「ブモォッ!」
それを見たブルーキャタピラーは、今が好機とそのままリヴへと突っ込んで行く。
足での一撃や氷の槍、風の刃ではなく、自らの巨体を活かして突っ込むことを選んだのは、やはり視界が半分封じられている為だろう。
先程の雄叫びでまだ動けはするものの、それでも動きは確実に鈍っている。
そんなリヴであれば吹き飛ばすのは用意であり、一度吹き飛ばしてしまえば後はどうとでもなる……と、そこまでブルーキャタピラーは考えた訳ではない。
ただ本能の衝動に任せた攻撃だった。
「くっ!?」
未だに身体が完全には動かない状況であったが、それでも何とか身体を横に投げ出すことによりブルーキャタピラーの攻撃を回避する。
その動きもまた反射的なものであり、だからこそブルーキャタピラーと戦っていた自分がいつの間にかアースやツノーラが隠れていた木の進行上にいるというのは気が付いていなかった。
「っ!?」
先程の雄叫びは、当然アースにも影響を与えていた。
冒険者のツノーラや、それよりも上のランクにいるシャインズですら動きを止められたのだ。
当然アースにもその影響は出ており、そして皮肉なことにツノーラは先程の風の刃を食らった衝撃で吹き飛ばされ、ブルーキャタピラーの進路状にその姿はない。
「……」
「ボルルルルゥッ!」
肩のリスが必死にアースを動かそうとするが、雄叫びで身体の動かないアースはそれでも動けず、後はただブルーキャタピラーに吹き飛ばされて死を待つだけ。
死神の刃がアースの魂を狩ろうとした、その時。
「ブルルルルルルルゥッ!」
「ぎゃっ!」
突然の横からの衝撃にアースは吹き飛ばされ、ブルーキャタピラーの突撃の進路上から外れることに成功する。
そしてアースの避けた場所をブルーキャタピラーは真っ直ぐに突っ込んで行き、隠れていた木をへし折っていく。
何が!? そんな思いで後ろを見たアースは、そこに猪が一匹いるのに気が付いた。
その猪が、前回森に来た時に見た猪の親子の母親であると理解出来た理由は、アースにも分からなかった。
それでも、その猪がそうであると何故か理解してしまったアースは、その視線が地面に落ちている弓と矢筒……先程ツノーラが構えていたそれへと吸い寄せられる。
そして考えるよりも前に身体が動く。
弓を拾い、矢筒から矢を抜き、矢を構え……その時、ブルーキャタピラーが今度こそ自分達を撥ね飛ばそうと戻ってきたのが見えたが、何も言わずともアースの肩に乗った青いリスが電撃を放ってブルーキャタピラーの動きが一瞬乱れる。
同時にアースの手から矢が放たれ、ブルーキャタピラーに残っていたもう片方の目を射貫く。
「ブモオオオォォオオオォォォッ!」
再びの激痛による悲鳴。
「はああああぁぁぁあっ!」
その絶好の好機をリヴは見逃さず、動きの鈍くなった身体を無理矢理動かしながら槍を手に突っ込み……次の瞬間にはブルーキャタピラーの頭部を、槍の穂先が貫く。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
これまでの中で最も大きな悲鳴を上げ……その後、周囲が静寂に包まれる中、ブルーキャタピラーの巨体が地面へと倒れ込む音のみが周囲へと響き渡るのだった。
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