湖畔の魔女 3
ネリーは結局白衣を脱がなかった。本人曰く「脱げなかったわけではない」らしい。その代り、というわけでもないだろうが、ネリーは水の魔法を作って場を盛り上げた。宙に浮く水球などはリアが大喜びして中を泳いでいた。「空を飛んでいるみたい!」と感動していた。
それから水の掛け合い──魔法も含めた──豪快な水遊びになってしまい、川の形が少し変わってしまったが、自然破壊ほどではない、はずだ。
「そろそろ休みましょ」
ネリーが提案したのは太陽が真上に来た頃。丁度お昼時だ。
「そうだね。あれ? ユーゴは?」
「ユーゴなら途中から川を出てたわ。ほら、そこにいるでしょ? 荷物をまとめてる所」
「ああ、ほんとだ。……ん?」
変なのはユーゴの表情だ。どこか余裕がない。
皆で陸に上がり、設営場所へ行くとユーゴが待っていた。
なぜか防御の姿勢で。
「……いーか。落ち着いて聞けよ。残念なお知らせがあるけど、頼むから俺を攻撃しないでくれ! お前らがそこまで狂暴じゃないって信じてるからな!? 信じてるんだって!」
ネリーがジト目を向ける。
「意味わかんないけど、それが信じてる相手にとる態度なわけ?」
「勘違いするなってネリー。これは俺の人を信じる合図だからな。親しい人にはこうするんだ」
「今にも魔法を展開して走り出しそうな体勢だけど、まぁいいわ。茶番やってないでお昼にしましょ? 魔法を使ったらお腹すいちゃった」
「あたしもお腹へったー」
「リアもお腹すいた! さっき鳴っちゃったもん」
「お前ら……そうやって俺を潰す気でいるんだな……? ちっとは気づいてもいーだろーよ……」
血色の悪い顔で冷や汗をかくユーゴ。
さては昼食を忘れてきたな。昨日は「俺が本当の野営の飯を教えてやるよ!」とか豪語していたくせに。
「魚がいい」「パンの気分」などと盛り上がる女子陣と、戦場で孤立したかの如く警戒を厳にするユーゴ。雰囲気のあまりの違いに笑ってしまう。
ユーゴもその笑顔でこちらが気付いたことを察し、すり足で近づいてきた。
「お、おいっ、笑ってないで助けてくれ。このままだと俺が料理されちまう」
「とは言ってもなあ。ないものはないんでしょ?」
「完全に忘れてきたぜ。辛うじて食えるもんは……くっ、俺がさっき見つけたカエルしかねー。これでいいか? こいつ毒ねーし栄養はあるし、あれだ。鶏肉に近いぞ」
「それを出したら火に油だよ」
「ガマ油な」
そういう意味じゃない。
「真面目な話、現地調達しかないんじゃないかな? それこそ外に来たって感じがするし」
動物は見かけないが川に魚は泳いでいそうだ。
「やっぱそうなるか。仕方ねーな。最終奥義を使う」
「分かった。川に石を落とすんでしょ。振動で魚が気絶するっていう」
「違う違う。捕り方の話じゃねーって。俺が言う奥義ってのは、あいつらの怒りへの対抗手段のことだ!」
「素直に言えば皆許してくれると思うよ」
「フフフ、その通り! お前だったら素直に言うよな。そしてお前が言えばあいつらは文句を言わないだろう……! つーことで頼む! お前から現地調達案を出してくれ!」
「ええ? 僕が言うの?」
「……テヘ」
『断りましょう』
「冗談だって! マジで頼むよ。俺は健康体で豊穣祭を迎えたいんだ……!」
熱心な教徒のように手を合わせるが、ユーゴがやっても心に訴えるものはなかった。
「まあいいけどさ」
「いいのか!?」
「うん。でもやっぱりユーゴが素直に言えば怒らないと思うけどな」
「……そうか? 魔法とか飛んでこないか?」
「来ないよ」
ユーゴは少し真面目に考え込んだ。首を横に振る。
「いや、自信持てねーわ。俺じゃダメだろ」
「軽い男のフリを止めれば、大丈夫だよ」
「そいつは無理だ。俺の心を守る殻だからな。何より似合わないから恥ずかしい」
「そうかなあ」
荷物を軽く改めたネリーが声をかけてきた。
「ねえユーゴ。お昼ご飯はどこ? テントの中にないみたいだけど」
「やべ」
「僕から言うよ。えーとネリー、それに皆も聞いてほしいんだけど」
「なにー?」
「あたしのことも呼んだ?」
リアとコトも呼んで伝える。
「食べ物は自分たちで調達するのはどうかな。その方が野営っぽくて楽しそうだ」
「え、せんぱい。今から探すの?」
「もっと早く相談すべきことだったね。ごめん」
「あっ、違うよ!? 責めるわけじゃなくてっ、ええと、あのねっ?」
「コトが言いたいのは、持ってきた分はどうするのか、ってことでしょ。自給自足をするなら夕食の時にすればいい。その方が余裕を持って探せるから」
正論だった。
とりあえず僕が忘れたことにするか。
「それなんだけど──」
「待て。俺から言う」
「ユーゴ?」
ユーゴは打って変わって落ち着いていた。穏やかな仙人のような顔つきをしていた。
「お前ばっかに良い格好はさせねーよ。こいつは俺の責任だ」
「ユーゴ!」
最初からそうだったら格好良かったのに!
ユーゴはキリリとした横顔で皆の前に進み出た。
「聞いてくれ。残念なお知らせがある」
「なに? お昼ご飯持ってくるの忘れたの?」
「な、なに……?」
ネリーのあっさりな反応にユーゴは言葉を失った。
「ハーニー……」
なぜバレた、という顔を向けてくるが、話の流れ的に分かって当然だ。
「別に謝るほどのことじゃないでしょ。ね?」
「うん。あたしもよくど忘れしちゃうし」
「リアは魚捕まえるの賛成だよ!」
「……」
ユーゴがもう一度目を向けてきた。
よかったじゃん、とこっそり親指を立てるとなぜか硬い表情が返ってきた。また汗を垂らし始める。
「……いや、違うぜ」
「え」
何が違うのか。
「ん、お昼あるの? それなら──」
「いいや、そういうわけじゃねー。くくく。お前らが今日食うのはこれだ!」
そう言うとどこに隠し持っていたのか、一匹の巨大な蛙を両手に乗せて突き出した。
「ひっ──」
「うおっ? ──ぎゃああああ!」
ネリーが微かな悲鳴をあげた瞬間だった。ユーゴのすぐ近くで爆発が起きた。ユーゴは蛙を庇いながらきりもみ回転しながら吹っ飛んだ。
「バ、バカじゃないの!? そんなの食べるくらいなら魚を捕まえるからね!?」
「さすがにあたしもムリ……」
「リアも魚の方がいいよー……」
ユーゴは遠くからやたら目配せしてくる。話を進めろということか。
「それじゃあそういうことで。皆別れて探そうか」
呆れで満ちた雰囲気のまま一旦解散する。
ユーゴのことは僕に任せたらしく、女性陣は女性陣で川沿いへ歩いていった。
「……で、なんであんなことを?」
うつ伏せで倒れたままのユーゴに問う。両手は、テーブルから落ちた食器を辛うじて受け止めたみたいに伸ばされていた。その上に鎮座していた蛙はぴょんと跳ねて去っていく。
ただ手を伸ばしたユーゴが取り残される。
「思いのほか皆が優しくて、勇気を振り絞った自分が恥ずかしくなってついやってしまった」。ユーゴは妙にすっきりした顔でそう言った。
「ユーゴはもっと素直になった方がいいね」
「うるせー、お前が言えることかよ……ちぇっ。蛙だって結構美味いんだぞ。──そうだ! 俺たちだけで食うか?! 探せばすぐ見つかるぜ。ケロケロ」
「皆に合わせて魚にしようよ」
苦笑を返す。
立ち上がったユーゴはユーゴは視線に気づいて、そっぽを向いた。
「……お前に嘘吐かせるくらいなら、面白可笑しくするっての」
「はは。今は素直だね?」
「おー、蛙を食いたいか。いいぜー。ちなみに俺は食ったことあるけど調理法知らねーぞ」
「よくそれで皆に勧めたよ」
沈黙がやってくる。
色々くだらなさすぎて二人笑った。
「まーいいさ。魚獲りと行こうぜ! ここで俺たちが多く捕まれば汚名返上できる」
『汚名はあなたが全て背負っていますが』
「厳しい意見だけど、いいのかな? セツちゃんは俺に感謝すべきじゃねーのー?」
『なぜです』
「女どもは俺と行動するのを嫌がってハーニーに『ユーゴ当番』を押しつけた。つまり、俺のおかげでハーニーはイチャイチャする機会が消えたってことだ」
『……なるほど』
「なるほどじゃないよ! 丸め込まれてるよ!」
セツってこんなに騙されやすかったっけ。
「あいつらに対抗して俺たちは上流に行こうぜ。釣り道具は俺が持ってく」
ユーゴがテントの中から釣り竿を取りだす。用意周到だ。
「ほら、お前の上着。森は意外と涼しいから着とけ。お? ナイフも入ってるみたいだぞ」
「あ、ああ。短刀ね」
避けたい印象のある切四片ごと上着を受け取る。近くにあると精神に変調をもたらすとか、何かが変わるわけではない。不穏な気配を感じるだけだ。
ハーニーは置いておいた包淡雪も手に取った。上着を着て帯刀する。戦闘用コートを除けばいつでも戦える状態だ。
「大げさじゃないか?」
「困ったことに、これが落ち着くんだよ」
「へーへー、さすがサラザールを倒した『薄氷』は言うことが格好いいよ」
「『光弦乱舞』とかいう英雄もいるらしいよ」
「……」
「……」
「やめようぜ。鳥肌が立ちそうだ」
「そうしよう」
ユーゴは名前を明かさなかったため、『光弦乱舞』という二つ名の持ち主だと知られていない。ハーニーもハーニーでサラザール・ガラアルを倒した功績は目立っていない。ほとんど作戦の指揮を執ったMJの功績になっていた。
作戦参加者からは多少の敬意を払われるけど、こそばゆいんだよなあ。対外的にMJの手柄になって良かった。MJは大げさに言われてもそのまま受け取って肯定するから助かる。いい身代わりだ。
二人並んで上流へ進む。川沿いに歩けば迷うことはない。気楽な探索だ。
「こうして川沿いを歩いてると、あれだな。この前の奇襲作戦を思いだすな」
「あの時は夜で隠れながらだったけどね」
「ああ……」
ユーゴが軽くため息を吐いた。
「こうやって遊んでられるのも明後日までか」
豊穣祭は明後日だ。最初は豊穣祭近くに戦闘は起きないと言われ半信半疑だったが、本当に平和なまま日々が過ぎた。この平穏に慣れそうになるが、戦時下であり、今が特別なだけなのだ。
「こうやって平和を享受したら戦争なんて馬鹿々々しくならねーのかな」
「聞いた話だけど、この一時の平和は守るものの価値を再認識する意味があるらしいよ」
「戦う理由か。俺だったら今日みたいな楽しい日を過ごしたら、戦うこと自体止める、って考えに至るけどなー」
「僕も。でも、理屈じゃ抑えられないものってあるから」
サキの記憶を受け取った身としては、戦争を止められない理由が分かる。身内を殺されたら、引けるはずがない。理性より感情が暴れるのだ。憎しみや殺意が。
……これがその証明か。
上着の布の重なりの部分に隠していた切四片を取りだした。小さな鞘からは抜かない。
憎しみが簡単に消せないことは、この短刀が証明している。憎悪殺意が、持ち主が死んでなおこの短刀に力を与えているのだ。それほど憎しみは深く残る。
「ハーニーはどう考えて戦ってるんだ?」
不意な質問に切四片をしまい、ユーゴを見る。ユーゴは一歩先の地面をじっと見つめながら歩いていた。
「俺はこの戦争がいまいち自分の戦いって思えねーよ。大きな歯車が動いたせいで、戦わさせられてるような感じで実感がないんだ。ハーニーはやっぱり守るものがあるから違うのか?」
「僕は……考えないようにしてる」
自分で口にして希薄な意見だと自嘲しそうになった。
「僕はリアを守ると決めた。そのリアは一応パウエルさんの庇護下にあるから、僕もパウエルさんの立場に加担してる……感じかな。旧王都はコトとか大切な人がいるし守りたいと思えるけど、国の戦争って話になると僕も実感ないよ」
「やっぱそうだよなー……俺もお前らがいなかったら前線なんか絶対立ってないし」
「どうして突然こんな話を?」
ユーゴは間延びした口調で答えた。
「まーなあ。お前の強さの秘訣はそこにあるかなーってな」
「僕自身の強さじゃないよ。支えが大きいんだ」
「またまたー」
『私たちは離れようがないのですから、合算していいでしょう』
二人はまともに取り合わないが、事実だ。魔法はセツ、剣術はサキさんに支えられている。それを取っ払ったら残るのは空っぽの僕だけだ。鍛錬のおかげで多少は動けるようにはなったけど高が知れている。
……もしも全部失ってしまったら、僕の価値はなくなるんじゃないのか?
「何か寒くないか?」
「え?」
ぞっとした思い付きの中で言われたものだからびっくりする。ユーゴは立ち止まっていて、僅かながら顔色が悪く見えた。
「大丈夫?」
「急に寒気がしたんだが俺だけか?」
「僕は何も」
「そうか……魚、見つからねーな」
「うん……うん?」
急な話題の変わり方に違和感。
ユーゴの言葉は少し早口だった。
「引き返すか。岩陰に潜んでるのを見逃したのかもしれねー。それか、下流の方に行ったんだ。上流はこれ以上行っても無駄だ」
「そうかな。まだ分からないよ。もう少し行けばいるかもしれない」
「どうせいねーよ。他を探そうぜ」
「でもこのまま戻って何も見つからなかったら文句言われるよ?」
「別にいいって。合流して探せばいい」
「……さっき、僕らが一番多く捕まえようって言ってたのに?」
「いいって。そんなの。戻ろうぜ。早く」
「……?」
ハーニーは首を傾げる。
考えが変わるにしては唐突だ。さっきまでの熱意も消えてしまっている。軽い調子もない。
まるでさっきのユーゴとは別人だ。
「なあ。帰ろうぜ。早く」
「でもさ」
ハーニーは立ち止まったユーゴを置いて数歩進み、川の上流に目を凝らした。川は少しずつ広くなっている。流れは穏やかなままだ。もう少し奥へ行けば魚の一匹くらい見つかりそうな気もする。
「もう少し行ってみようよ。一匹も見つからないじゃ申し訳が立たな──」
言葉が消えたのは、あて先を失ったから。
ほんの数秒、目を離していた間にユーゴの姿が消えていた。
「ユーゴ? ユーゴー?」
返事はない。見回してもいない。近くに気配も感じない。
話の流れなど常識的に考えれば、自分を置いて下流に向かったのだろうと推測できる。しかし、ユーゴが僕を置いていくだろうか。それに感覚を尖らせていなかったからといって、ユーゴが離れるのをサキの経験が気づかないだろうか。
緊張が身体をいつでも戦える体勢にした。
『妙ですね』
「セツもそう思う? ……攻撃を受けた?」
『魔力の動きはありませんでした。魔法は発生していません』
「ってことは……お化けの仕業とか?」
『……』
冗談のつもりが冗談にならなかった。
さっきの話が思い起こされる。黒く尖がった頭の亡霊が出るという話だ。湖を探しに行った人はたどり着けず、最終的に無事で見つかるというが……。
記憶がなくなる場合もあると言っていた。
「これ以上記憶を取られるのは嫌だな」
『どうしますか?』
ハーニーは腰の包淡雪に触れた。
「……幽霊に効力があるか不安だけど、ユーゴが下流に行ったかどうかも分からないんだ。上流に向かって歩こう。少し行ってみて、見つからなければ引き返す」
『それがいいでしょう』
セツの賛成を得て歩みを再開する。今までは川ばかり注目していたが、ユーゴを探すため視野を広げて進む。
森の中の川だ。基本的に薄暗い。ユーゴは寒いと言っていたが、真夏の昼過ぎにしては涼しいくらいで熱気は残っている。
数分歩いた時、硬質な声が耳を打った。
『引き返すべきです』
「え?」
その唐突さに既視感を覚えて焦る。
「ど、どうして。まだユーゴを見つけてない」
『大丈夫です』
無機質な声がいつもより冷徹に聞こえた。
『魚は見つかります。帰る道中で』
「っ」
背筋を冷たいものが襲う。動揺が声を震わせた。
「な、なに言ってるんだ。僕らはまだ──ッ」
言葉の途中、歩みの途中。
全身を電気めいた感触が奔った。狭いところを無理やり通り抜けたような息詰まりがあった。
それも一瞬のこと。すぐに何でもなくなる。
「な、なんだ?」
後ろを振り返る。
川岸が続いているだけだ。何も異常はない。
「くもの巣に引っかかったわけでもない。見えない壁をぬるっと抜けたような感覚だった……セツは何も感じなかった?」
最初は、返事を考えているのだと思った。様子がおかしくても何かしら反応はあると思っていた。
「セツ?」
次第に思考が巡ってくる。同時に今まで感じたことのない不安も。
「じょ、冗談きついよ。セツ、いるんでしょ?」
あるのは無言のみ。
「セ、ぁ……」
右腕を見て絶句する。思考も真っ白になり、呼吸も忘れた。
いついかなる時も薄緑に輝いていたSETUの文字がなくなっていた。
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