旧王都 心のしこり 5

 シンセンの孫娘はさすが鍛冶屋の子だけあって、刀の扱いは手慣れていた。刃物を触っても見ていて心配にならない。


「あたし、静かなのあまり好きじゃないんだ。だから刀触ってる時も話しかけていいから。絶対失敗しない自信あるよ」


 そう言ってくれると暇がなくていい。

 まず聞いたのはずっと疑問だったこと。


「最初から気になってたんだけど君の名前は? 僕はハーニーって言うんだけど」

「な、名前ね……わっとと」


 女の子がガタガタッ、と鍛冶道具を机から落しそうになる。


「……それで、なんの話だっけ?」

「君の名前のことなんだけど」


 話を戻すと彼女はむっとした顔をしてこちらを見た。数秒見合って、女の子が肩を落とした。


「だよね……名前聞くよね普通」

「聞いてほしくなかった?」

「そういうわけじゃないんだけど……いや、そうかも。ううーん、もういいや。言っちゃえ。あのね、あたし自分の名前好きじゃないの。だから言いだしづらくて」

「自分の名前が?」

「うん。そっちは? ハーニーって名前好き?」

「僕は好きだよ。色々あって僕の大切な持ち物なんだ。始まりからこれだけは一緒だった、みたいな」

「ふーん? ……あたしも本当に名前が嫌いってわけじゃないんだけど、でもちょっと女の子らしくないっていうか。だからおじいちゃんにも名前呼ばないでって怒っちゃう。いい由来の名前なんだけれども!」


 好きだけど嫌い。そんなところだろうか。

 静かに待っているとやがて微かに聞こえる大きさで言った。


「……コ、コウトウ……」

「コウトウ?」

「そう! おじいちゃんはシンセン、お父さんはセンコウ、お母さんはトーコ。それであたしはコウトウ……うう、やっぱり女の子らしくない。だから自己紹介は苦手なんだ。コウトウって呼ばないで? 分かってるけどやっぱり恥ずかしいから」


 真剣な顔で言うあたり心底気にしているようだ。自己紹介の度内心で思いがせめぎ合っていると思うと少し不憫に思えてしまう。


「って、それじゃ何て呼べばいいのさ。シンセンさんは君のことなんて?」

「人前では名前を呼ばない。二人の時はそのまんま。お母さんも同じ感じ」

「じゃあ友達は何て呼ぶ?」

「友達はねー……いない!」


 元気ないい子のようだし、いそうなものだが。理由が分からず首を傾げるとすぐに答えをくれた。


「あたしの家、東国系だし、職業貴族だからどっちつかずで」

「職業貴族?」


 聞きなれない単語だ。

 少女は「知らないの? 変なの」と不思議がってから説明した。


「職業貴族は一層魔法までしか使えない貴族のこと。戦うほどの力はないから、生活に役立てるなりして魔法で生計を立てるんだ。うちの家系は赤魔法ばかりだから鍛冶に向いているってわけ」

「へえ……知らなかった」

「ま、職業貴族も大勢いるわけじゃないから。それにもし魔法が使えなくても家名を守るため隠すもんなの。何にせよあたしは中途半端だから友達がいない。半端者の価値観なんて皆分かんないしね。別にあたしも欲しくないんだ、友達」


 友達いらない。ネリーもそんなことを言ってたなと思い苦笑する。自分の周りの女の子は変わった人ばかりだ。


「でも困ったな。それじゃ何て呼ぼうか」

「別に好きなように呼んでいいよ。そのまんま以外なら」

「うーん……」


 コウトウ……コトウ……。


「それじゃコトってのはどう?」

「コト?」

「うん。単純だけど女の子らしいと言えなくもない……気がする」

「コト……コトか……可愛い?」

「たぶん」

「そか……コト、コト。いいかも。銘は思いつくのに名前を変えるなんて思いつかなかったな。何で気づかなかったんだろ……」

「きっと名前が好きだからだよ」


 それは自分を重ねた印象でしかなかったが、コトはゆっくり頷いた。


「うん。でもコトは気に入った。ちょっと名前いじっちゃったけど、いいよね? 本当の名前は一生変わらないし。銘みたいなもんだよね」

「僕も呼びやすいし」

「ん! コトって呼び名大切にするね! あなたのことは……あたしより年上っぽいからさん付けするかな」


 無邪気に笑うコトは年下らしく可愛らしい。微笑ましくてハーニーも笑みを返した。

 それからハーニーは自分の身の上話を軽くした。記憶喪失のことは複雑なので話さず、ガダリアから来たことと、リアのことなどを語った。

 コトは刀をひとしきり観察し終えると暗いため息をついた。


「……やっぱり劣化が遅い。ほとんど新品同然だ」

「それっていいことじゃないの?」


 尋ねても渋い顔のコト。「刀だけ見ればいいことだけど」と喜べない理由を話し始めた。


「どうして刀の質が落ちないのか、その理由を考えると喜べないよ」

「理由……」


 よくわからず黙っているとコトは控えめな調子で続けた。


「さっきもそうだったけど、ハーニーさんが振った刀には氷が張ってるの。それがハーニーさんの色なんでしょ? 物を凍らせる白色の魔法色」

「僕の色は、氷の白?」


 心から驚く。今まで僕の魔法は無色透明だった。知らない間に色が付き始めていたのだろうか。確かに刀に水が付着していることが何度もあった。あれは氷だったのか。

 コトは無意識下で刀に氷が張ったことを気にした。


「無意識に刀身を覆う氷。魔法は心の表れだから、つまり……心を凍らせて戦ってるってこと。強く自分を押さえつけて戦ってるなら、寂しいことだよ」


 心を氷にしている。その指摘にハーニーは俯いた。

 人を斬るという瞬間、理性が感情を抑え込む。それを凍ると表現するなら、その通りだ。感情で殺してはいけないと思うから、必要以上に冷えているのかもしれない。

 熱くなったまま戦うことと比べてハッキリ思う。


「……凍った方がいいよ。斬るときは」

「どうして?」


 アルコーの言葉を思い出しながら答えた。


「命は背負えないよ。だから感情で殺しちゃダメなんだ」

「……そか」


 静かな応答。

 ハーニーは自らの行いを振り返る。

 今まで三人を斬った。サキさん。見知らぬ東国貴族を二人。

 それは戦いの結果だ。誰かを責めようと思わないし、自分を責めるべきだと思わない。ただ一つ気になるのは、戦いの過程。

 ハーニーはいつも刀を持つ両手を見た。

 ……僕は僕だけの力で戦っていない。セツの力、そしてサキの経験を利用している。寄りかかった勝利だ。それがどうしても釈然としない。


「ハーニーさんの刀の腕すごいよね」

「……そんなこと」


 コトにそう褒められて全く同感できないのがその証拠だ。ほとんど僕の力ではない。そんな僕の行動の結果は、どこまで自分のせいにしていいのだろう。


「……また悲しそうな顔してる」

「え、あ、ごめん。最近思い悩むことが多いんだ」

「……戦うのも大変なんだね。あたし甘く見てたかも」

「僕はお勧めしないよ」

「ダメって言わないんだ?」

「君は一人で戦える強さを持ってる。それなら僕が口出しできることじゃないと思うから」

「……普通反対するのに」


 唇を尖らせるコトは嬉しそうだった。彼女なりに戦いたい理由があるらしい。


「不思議な人だね、ハーニーさん」

「変な人、ならよく言われるよ」

「あははっ」

「はは」


 ハーニーも笑った。久しぶりに躊躇わず笑えた気がした。理由は分からない。

 やがてコトは刀をテーブルに置いた。


「何となく手癖は分かった気がする。手合わせもしたし、きっとハーニーさん向けの刀が作れるよ」

「僕向けの刀か。想像できないな」

「へへん。それを想像するのはあたしの仕事だからね。それで、一つお願いがあるんだけど」


 コトはさっ、とハーニーの手を取った。温かい小さな手だった。剣術修行のためだろう。少し硬いのが彼女らしい。

 コトは手を握って頭を下げた。束ねた黒髪が揺れる。


「あたしに剣術指南してほしいの! おじいちゃんはあたしが鍛えるの反対で他に頼れる人いなくて……お願いっ」

「僕が君に剣術を教えるって? 僕自身まだまだなのに無理だよ」

「でもあたしに勝った。あたしより強いなら教えられるよ! ね、お願いっ。刀打つし、コトって呼んでいいから!」

「うーん」


 ちらりと右腕を見た。何も動きはない。

 断る理由は見当たらなかった。


「……僕にできる程度なら」


 そう答えた時、胸が少し締め付けられた気がした。

 教える。誰が?

 その自問の解答が、僕、ではない。そのことが息苦しいのか。


「やった! 嬉しい! 刀作るね! コトって呼んでよし!」


 それでもコトはすごく嬉しそうに微笑んだ。

 受け入れてよかったはずだ。そう思いなおす。

 コトはにこにこ笑顔でからかうように首を傾げた。


「教えてもらうからにはこれから師匠って呼ぼうかな?」

「師匠は僕には早いよ」


 いつだったかパウエルさんも嫌がっていた。今ならその気持ちが分かる。師匠は重たい。

 コトは軽く考えてから小悪魔な笑顔を浮かべた。


「それじゃあこれからはこう呼ぼうっと」

「なに?」

「先輩。せんぱい。せーんぱい。どう? ちょうどいいでしょ」

「少しこそばゆい気がするね」

「コトだってこそばゆいからおあいこ! じゃあこれで決まりね! これからよろしく。ハーニーせんぱいっ」


 屈託なく笑うコトにつられてハーニーも笑った。

 今までにないタイプの子だ。基本元気で、でも思慮浅くはない。かといって性悪というわけではなく、利発な感じ。


「あ、そうだ。刀少しの間預かるけどその間別の刀使う? 並の刀ならたくさんあるけど」

「……遠慮しとく。近く戦いはないらしいから」

「分かった。それじゃ、えっと……また来て! 稽古付けて欲しいの! もう明日にでも!」

「うん。明日来るよ」


 コトは拳を握って「よしっ」と喜んだ。一つ一つの反応が素直で、見ていて安心する。

 一つ息を吐くとハーニーは帯刀しない自分の腰に目を落とした。

 感じたのは寂しさよりも重荷を下ろしたような気楽さで、しかしそう感じることがずるいことに思えた。ハーニーはそのことから目を背けるように足早で外に出た。

 シンセンの鍛冶屋を出ると日は傾き始めていた。街外れなので人気はない。


「剣術指南か」


 つぶやいてみる。急に人と親しくなってセツはきっと不満だろうな。文句に身構えていたが来るべき反応はなく、セツは無言だった。


「セツ?」

『何でしょう』


 呼びかけると返事は早い。怒気を孕んでいる感じでもない。


「あ、いや、静かだったからさ」

『怒ってません』

「あ、うん」


 先んじて言うものだから頷くしかない。


『……少しでも元気になるかもしれないなら私だって我慢します』

「え?」

『……いえ。さ、宿に戻りましょう。日が暮れますし』


 話を流そうとしてくる。

 ……セツが言おうとしないということは、問題ないということか。


「そうだね。予定より長居しちゃったし」

『帰り道何について話しますか』


 そう言ってくれるのだ。気にしないでおこう。

 ハーニーはセツと他愛もない話をしながら宿へ歩いた。

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