ブルーウッド大森林 時を止める魔法 3


 いくら言葉を足しても、いくら思いを伝えても、サキは止まらない。

 だからこそ本気で戦う。戦って止めるしかない。

 今度はハーニーも攻める意志を持って切りかかった。


「うおおっ!」


 無骨な縦一斬。サキはひらりと木の葉のように避ける。同時に最速の反撃がくる。

 金属音。空中に生まれた無色の魔法が遮る。

 だがサキはそれを予想していた。その魔法に手をかけて、飛び越えてくる。戦況に合わせた柔軟な動きだ。そして縦に斬りかかってくる。


「それならッ!」


 ならば、とハーニーは手元の空間に魔法の塊を作った。サキが魔法に手をかけて迫って来たように、ハーニーもその魔法を掴んだ。そして手すりのように引き寄せてハーニーは身体をずらす。サキの刀は一瞬前に身体があった場所を切った。ぎりぎりの回避。

 攻防の後、距離を取る。

 全力の集中が勝つための可能性を模索していた。


「セツ! 魔法を間隔開けて出来るだけ広く展開!」


 返事など待たずにハーニーは駆けだした。

 魔法が生まれる。空中の至るところが歪んだ。月明かりが多色に散光する。

 ハーニーはその宙に浮かんだ魔力を踏んだ。点と点を結ぶように次々歪む虚空を駆ける。

 はたから見れば空を駆けているように見えるだろう。

 前進するほどに魔法の道ができる。

 自由かつ変則的な接近。


「いい発想です!」


 サキは口角を上げて待ち構えた。


「いくぞおっ!」


 ハーニーが魔力を蹴って突進する。

 そしてサキに真っ直ぐ行くと見せかけて、別の魔力に手をかけて軌道を変えた。急落下して着地。地面ごと切り上げるようにサキを狙う。


「っ」


 意表を突いた攻撃がサキの肩口を斬る。傷は浅いが、初めての手傷だった。

 サキは俊敏な動きで離れた。


「……ふふ。いいですね。でも通用するのは一度きりですよ?」


 出血する肩を軽く擦ってサキは笑う。

 直後、サキは疾走してきた。接近戦になれば同じ手は使えない。この距離はサキの領域だ。直感と反応の戦闘距離。

 斬りかかる。避けられる。魔法で弾く。毎回切り口の違う戦闘の中、切先が自分を、相手を傷つける。

 双方が双方の裏をかこうとして、寸前届かない攻防。

 ただ戦った。

 己の力、感覚に従って眼前の相手に挑む。

 本気の戦いに理由は要らない。本能がそう言っている気がした。闘争本能のままに戦うことを、身体が熱を持って喜んでいる気がした。

 サキもそれに呼応するように、戦いながら笑っていた。清々しい、爽やかな笑顔で。

 それを見てハーニーの心は静まる。

 本当はこうやって戦いたかったんじゃないんだろうか。気兼ねなく戦うことは、きっと剣術修行をしてきたサキさんにとって喜びだ。それなのに、今まで憎しみに囚われて戦っていたのなら、それはどれだけ鬱屈したものだったんだろう。

 目の前の少女が戦いを享受する様を見るほどに、同情心があふれてくる。

 その間も体は独立して戦っていた。相手を窺うことが戦いだった。

 やがて、どれほど戦っただろう。

 全身は土で汚れ、傷つけられた手足が激痛で疼く。肺は悲鳴を上げていた。息は荒い。刀を持つ腕はだらりとおちそうになって、震えている。

 サキもまた汗を垂らし浅い呼吸を連続している。手傷は数えるほどだが、接戦にはなっていた。


「……はあっ」


 緊張が集中を張り詰めさせた。

 理由はない。しかし、次の剣戟が勝敗を決する予感がした。

 互いに刀を下に構える。

 朝の近づいた風の音。月は隠れはじめ、別の明かりが空に上がろうとしている。

 穏やかな朝焼けが広がりつつあった。

 対峙の時は数秒。

 二人、同時に動いた。

 一直線、相手に向かって駆ける。

 振れば刀の届く距離に達した。


「フッ!」


 サキが月を描くように斬りあげる。


「ッ」


 ハーニーはそれを刀の柄に纏った魔法で受け止める。腕全体に衝撃が走った。負けそうになるが必死で耐える。

 サキは刀を抑え込まれて動けない。

 今なら致命的な一撃を与えることができる。

 躊躇を全てが非難していた。

 本能、理性、サキ。あらゆるものが手加減は摂理に反すると主張していた。


「く、うおおッ!」


 全力で刀を振り上げる。

 あとわずか。刀がサキに届く。もう少しで。

 加速した感覚世界の中、染み入る声が鈴のように鳴り響いた。


「星霜零花──」


 身体がびくっ、と震える。これから起こる事象に対して魂が怯える。


「あなたは静止する」


 静かな、落ち着いたサキの声。何かが凝縮された言葉。零から生まれた魔力が溢れてハーニーのコートをはためかせた。


「あ……」


 サキを斬ろうとした動作は、届かぬまま静止していた。たった一言の魔法で、ハーニーの身体は動かぬものとして硬化している。まるで石だ。戦うための筋肉が完全に硬直している。

 以前、一度経験したことがある。

 サキと初めて会った時。その時は自分ごと谷へ落として凌いだ。だが今はそんな逃げ場存在しない。周囲に広がるのは木々に囲われた草原だ。


「これで……」


 目の前のサキの口がゆっくりして見える。

 どうしたらこの状況を切り抜けられるか。そんなこと考えられず、ただ彼女の顔に目をとられていた。


「最後です」


 サキは刀を横に構えた。無防備な首をサキは見ている。刎ねようというのだ。気高き覚悟を持って殺そうとしている。

 ここで殺されるという死への恐怖は確かにあった。しかし、ハーニーはそれよりも何よりも一つのことが不思議だった。

 それは目の前のサキの表情。人の顔色を窺う癖の延長で生まれた疑問。

 なぜサキさんはこんな寂しそうな顔をしているんだろう。

 これから僕を殺すから?

 でも、サキさんが表情を変えたのは時を止めた時だった。魔法を発現した瞬間、その時点で僕を殺すところまで想像できた? その時から僕の死を寂しく思ったのだろうか?

 ……おかしい。

 曖昧な想像で魔法は発現できないはずだ。僕への感傷込みで魔法を作れば、さっきの僕みたいに心が乱れて魔法もぼやけるはず。

 ということは、その寂し気な表情をさせた思いまで、サキさんにとっての魔法なのか。

 ふと思い出す。

 魔法は願いだとネリーは言った。

 魔法はその人の表れだと。最も強い想いだと。

 時が止まってほしい。

 それがサキさんの願い?

 今を生きるのを辛がっているサキさんが、それを願う?


「無駄ですよ。足掻いても」


 思考を巡らすハーニーをサキは沈んだ声で止める。


「あなたはここで終わるんです。止まった時の中で……」


 サキが刀を薙ごうとする。

 ……でも、それを許しちゃいけない。

 ハーニーは自分自身の理由より、この目の前の女の子のために思った。

 これ以上彼女に辛い思いをさせたくない。戦場で殺せば罪でなくとも、それを辛がってしまうのがサキという人のはずだから。

 首に向かってくる刀から目を離した。

 見るのは、目前の少女の顔。近づく死よりも、ただ守るべきものを目に捉える。

 動けない体の中、言葉だけは命を吹き込んで叫んだ。

 サキの願うこと。

 魔法の理由。

 求める結果。

 今なら……分かる。


「──ああ!」


 3年しかない記憶の中で、全てを受け入れる肯定を口にする。


「──僕の時は止まる! 止まっていいッ! ──サキさんと、同じように!」


 「私たちは同じですから。家族もいなくて……記憶に蓋をされてる」。

 サキさんは言っていた。

 「だから私たちは同じなんです! 仲間なんですよ! 分かり合える二人なんですっ。ね?」。

 そう言って喜んでいた。

 「そうですよね。ハーニーさんは私と同じ。記憶を見られず、帰る場所もない……」。

 仲間ですよね。

 一緒ですよね。

 そう求めていた。

 時が止まった自分と、同じ存在を。

 キィン──

 綺麗な高音が鈍い衝撃を持って全身を流れる。

 首を鈍器で殴りつけたような感覚が意識を奪おうとする。

 目は瞑らなかった。だから結果が分かる。驚愕するサキさんの顔。

 僕は生きていた。首は胴とつながっている。

 時が止まっているのなら、生きたまま止まっているはずだ。そんな、相手の魔法を重ねて信じる自分の被せ。

 ガンガン鳴る思考の中で一つだけ分かっていることがあった。

 サキさんの魔法は動揺のため解ける。

 そしてこの瞬間。

 確信した勝利が揺らいだ今ほど好機はない。

 ハーニーは刀を握り直す。身体を縛る戒めはなかった。

 突く体勢で構える。

 目の前の少女は刀を弾かれ、あらぬ方を見ていた。何を見ているのかは分からない。

 だが。


「く……」


 理性が言う。これが最初で最後だと。これを逃したら、後にも先にもチャンスはないと。

 体力は限界だ。傷も多い。集中もままならない。このまま戦えば剣術で、体術で勝てない。経験が違いすぎる。

 全て占めて考えて今しかない。

 刀の切っ先をサキに向けたまま引く。

 どうする。

 どうする……ッ。

 揺れる心を支配するのは、殺したくない思いと死にたくない気持ち。

 行かないで、と泣いたリアが脳裏に浮かぶ。

 心の中にいる、ネリーもパウエルもユーゴもアルコーも、皆死ぬなと言っている。

 リアが帰ってきてねと言っている。


『死んではいけませんっ! ハーニー!』


 確かに……言っている!

 刀をサキに向けたまま、ハーニーは目をつむった。

 何かを破る感触を覚えながら、震える手で刀を握っていた。


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