旧王都 ネリーの恋心 3
欠伸交じりで酒場に入ったネリーに、声をかけたのはユーゴだった。
「よー。ハーニーに用かー?」
ユーゴは酒場、といっても昼は食事処だが、その中央のテーブルに一人腰かけていた。
「私はリアちゃんに会いに来たのよ。ユーゴは一人で何してるわけ?」
「別に、さっきまでおっさんたちと話してたのさ」
「それってパウエル卿とかのこと?」
「そーそー、楽しいお話をね。……そうだ。ネリーも少し話そうぜ」
ネリーは露骨に嫌な顔をした。
「私はあんたに用事ないんだけど」
「相変わらずツンツンしてるな……ま、聞けって。ハーニーの話もある」
「ハーニーの?」
ユーゴがニヤついた。
「食いついたな」
「……別に。リアちゃんが関係してるかもと思っただけ」
言いながら渋々ユーゴの対面に座る。
「それで話って?」
「あー、それな。前から聞きたかったんだけどよう」
「なに?」
「お前ってハーニーのこと好きなのか?」
「な……!」
ネリーの顔が紅潮する。慌てて否定した。
「い、言いがかりね! どうして私が!」
「だってハーニーが行方不明の時、泣いてたって言ってたぞ」
「誰がそんなことを言ったの!?」
「酔っ払い」
「あの男……! とんだでまかせね」
「なんだ嘘かよー」
「心配はしてたけど泣いてはいない。むしろ彼の方が泣きそうに見えたわ」
「へえ? まあ最近まで沈んでたもんな」
ネリーが気になって「最近まで? 今は違うの?」と尋ねると、ユーゴは歯に何か挟まったような苦い顔をした。
「今はすげー元気になってて鬱陶しいことこの上ないぜ。ハーニーのことやたら気に入ってて邪魔なんだよな」
「ハーニーのことを……」
ハーニーが何かしたんだろうか。私の悩みをいい方向へ変えてくれたように。
ネリーがぼおっとしているとユーゴが憎たらしい笑みを浮かべて言う。
「今ハーニーのこと考えてただろ?」
「……話題に上がったから考えてもおかしくないでしょ」
「そうかー?」
「……あのね、この際だから言っておくけどね……!」
ネリーは強く断言する。
「私は別にハーニーのこと好きじゃないから! 嫌いじゃないけど! 邪推するからそう見えるだけよ!」
「お、おう……」
ユーゴは勢いに押されながら頷く。
だが、「でもよう」と食い下がる。
「特別には思ってるんだろ? ハーニーだけ扱い違うし」
「うう……」
ネリーは一気に勢いをなくす。
否定できない。何度も助けられたのだ。それに彼がリアちゃんに優しくする姿は私の心を揺さぶる。過去の独りだった私を慰めてくれているようで……。
「それに今日だって何しに来たんだ?」
「私はリアちゃんに会いに……」
「子育てする夫婦かよ!」
ユーゴは自棄っぽく声を上げた。
「そりゃあリアちゃんはいい子だし心配になるのは分かるぜ? でも本当にそれだけが目的か?」
「どういうことよ」
ユーゴはふっふっふ、と意味ありげに笑った。
「ハーニーに会いたい気持ちがちっとくらいあったんじゃないのか!」
「っ」
たじろいだネリーにユーゴは口角を上げる。
「やっぱりな……さては寝不足もそうだな!?」
「ちょ、調子に乗らないでよね! 何度も言うけど! ハーニーのことは別に好きじゃない! 単なる友人よ!」
「友人ねえ……お前友達他にいないんじゃなかったか?」
「……いないけど」
「ほー、友人ねえ……単なる、だっけ? へー……?」
「ホントしつこい……! もういいでしょ!? 他意はない! 好きじゃない! どうでもいい! これで話は終わりよ! もう私行くから!」
舌打ちでもしそうな剣幕でネリーはその場を離れようとする。
階段に差し掛かった時、背後からユーゴの声。
「いいのかねー、そんな刺々しくて。そんなんじゃ黒髪美人に取られちゃうぞー」
ピタッ、と足が止まる。
ネリーは躊躇うことなく振り返った。
「それってどういうこと……?」
声はか細く震えていた。
ユーゴはネリーの反応が予想と違ったらしく激しく動揺した。
「い、いや、そのまんまの意味。ハーニーがこの前高貴そうな黒髪美人と話してたからさ」
「ハーニーにそんな知り合いが……?」
ネリーがしゅんと俯く。
「お、おい。そんなに落ち込むなよ」
「そうね……」
「あのー、あれだ。困ってるところを助けただけだって。お前の方が付き合い長いんだし」
ネリーは視線を彷徨わせていたが、ハッと我に返った。
「そうね……て、落ち込んでないから! なに!? 慰めてるつもり!? 余計なお世話よ!」
「びっくりするほど強情だな……まだ認めない気かよ」
「認めてるから。私はハーニーのこと好きじゃない。好きじゃない。好きじゃない……!」
繰り返すほどにネリーの顔は辛そうになっていく。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫よ! 何も問題なんかないの! 好きじゃないし、黒髪の誰かなんて……どうでもいい!」
ネリーは今度こそ階段に向かう。
「ちょっとくらい考えてもいいんじゃないのかー!」
声が追いかけてくるが無視する。
内心は大きく揺れていた。
好きだとか嫌いだとか、最近気になってたそれらを考える余裕が今はない。
新たに浮上した問題が頭を支配していた。
「そんなんじゃ黒髪美人に取られちゃうぞー」。
ユーゴの声が脳裏に木霊する。
ハーニーに女の子の知り合い。
大したことではないはずなのに、そのことが頭を離れなかった。
急に離れてしまったような……。
「……バカみたい。変な夢見たからよ……」
頭をぶんぶん振って思い直す。
眠いせいだとか、夢のせいだとか色々理由をつけてネリーは階段を上がった。
◇
困ったように頭を掻きながら階段を下りたハーニーを呼び止めたのはユーゴだった。
ユーゴは酒場の中央の席にいる。さっき男たちで話してからずっといたらしい。
ハーニーは特に用事もないのでユーゴに歩み寄った。
「やあ、まだいたんだ」
「暇なのさ。ハーニーはどうしたんだ? 部屋でネリーとリアちゃんと過ごすんじゃないのか?」
「そのつもりだったんだけど、僕は邪魔みたいだったから」
女の子の輪に入っていくのは気まずいものがある。それも恋愛関係の話をリアがしたがるのだから、困ったものだ。ネリーも妙に落ち着かない様子だったし、部屋を出てよかったはずだ。
ユーゴは嬉しそうに頷いた。
「そうかそうかー。ならお前も暇なんだな。とりあえず座れよ」
「? うん」
さあさあ、と椅子を勧めてくるユーゴに違和感を覚えながらも従う。
「また僕をからかうんじゃないの?」
「はっはっは。そんなことしないさ」
そういう笑顔は胡散臭い。
「いや、真面目にからかわないぞ。さっきはおっさんたちがいたからな。今度は真剣に話す」
「そう? 真剣に何を話すのさ」
「ネリーの話。……おーい! どこ行くんだ!」
「からかわないって言ったじゃないか」
「からかわねーって。真面目なネリーの話。ほら、座れって」
「……分かったよ。それで話って何?」
「実はお前に聞きたかったんだよ。ネリーとはどんな感じなんかなーって」
「どんな感じって、普通だよ」
「そうじゃなくてよ! お前はネリーのことどう思ってるのか。それが聞きたいわけだ」
「僕がネリーをどう思ってるか? どうしてそんなこと聞くんだよ」
「それはあれだ。ほら、俺たちって一つの集団みたいになってるだろ? だから仲間のことは知っておきたくてね」
流暢に並びたてられた言葉だが、どうも信じられない。
「で、どうなんだ?」とユーゴは間もなく聞いてくる。
「どうって、それこそ普通だよ。ネリーは優しいしリアによくしてくれてる」
「優しいか……?」
「優しいよ。色々分かってくれるし。ユーゴには少し厳しいけど」
「ほーん?」
そこには憎たらしい顔があった。
「何さ?」
「いやー? そんだけ良く思ってるなら意識しちゃうんじゃないのってね」
「……さては何か企んでるね」
そう口にするとユーゴは怯んだ。黙ったまま怪訝な視線を送ると、諦めたように嘆息した。
「あーあ。さすが、顔色窺い男。お前には隠し事できないな」
「褒めてないよね」
「褒めてる。ネリーにはバレなかったからな」
したり顔のユーゴは少年のようだった。
「それでユーゴは何がしたいんだよ」
ユーゴはいかにも真剣な顔で言う。
「別に悪気があったわけじゃない。お前ら友達いないから、仲良くなってほしいだけだ」
「……」
じっとり視線を向けるとユーゴはそっぽを向いて付け足す。
「……面白そうだったことも理由の一つだ」
「やっぱり」
「だってよー! 面白いじゃねーか! 世間知らずのハーニーと、これまた世間の狭いネリー! 興味をそそる組み合わせだろ!? 悪い奴じゃないし、お似合いだ!」
一人で盛り上がるユーゴに釘を刺したのは右腕からした声だった。
『余計なお世話ですね。そういうことは本人が決めることでしょう』
「おっと、セツちゃんには迷惑な話だったかなー」
『……意味を図りかねます』
「分からないかー。それはつまり──」
「ユーゴ! セツまでからかわないでよ。それに余計なお世話っていうのは僕も同意だ。大体ユーゴがそこまで気にするなんておかしいよ。もしかして……」
ユーゴは言葉の先をすぐさま察して否定した。
「違うなー、俺はネリーのこと意識してない。前も言ったろ? 俺は包容力があって年上の女性が好みなんだって。……正直からかいすぎたなかもな。悪い」
「う、うん」
急に素直になったから処置に困る。
ユーゴは今度こそ真面目に話した。
「俺は兄貴分として心配してるのさ。お前、感情には敏感だけど行動には鈍感だから」
「……よく意味が分からないんだけど」
『いえ、分かります』
セツには分かるらしい。ユーゴはその様子を楽しそうに見ていた。
「とにかくそういうところがあるから心配してるんだって。黒髪の女の子ともいつの間にか仲良くなってたし、知らぬうちに面倒に巻き込まれそうだ。だからお前自身誰をどう思ってるのか意識すべきだと思うわけだ」
「僕が誰をどう思ってるか、か……」
理解と認識についての話なのだろう。自覚すべき、という考え方は魔法を使う貴族らしい。
「お前に何回か聞いたことあるけど、はぐらかしただろ? 今は考えてる余裕ないって言ってさ。そうかもしれねーけど、考えるべきだと思うぜ」
「それでネリーを考えろって?」
「お前どっちかっていうと好きだろ?」
そういう聞かれ方をすると頷くほかない。
「……そうだね。好きな方だと思う」
「俺もお前ら気に入ってるしさ、ネリーもハーニーのこと気に入ってるだろ? 少なくとも俺よりは」
「そうだね」
「即答は腹立つな。まあいいや。だから応援したくなるわけよ。ネリーにはぽっと出の奴に負けて欲しくねーし」
「ぽっと出?」
「そこはつっこむな」
ユーゴは思案気に顎をさすった。
「でもハーニーは異性とか考えるの苦手そうだしな……よし、単純にいくか」
ユーゴは一転して胡散臭いほど明るく話し始めた。
「そういえば最近ネリー変だよなあ!」
ユーゴの態度は不可解だが、内容はもっともだ。
「確かに最近変だね。妙に落ち着かないし、それに元気ない」
ちらちら窺って来たり挙動不審なところも気になるが、何より心配なのは元気のなさだ。連日寝不足のようだし、ため息するところをよく見かける。病気ではないようだが心配だった。
「疲れてるのかもしれねーな」
「そうかもしれない」
「癒してあげないといけねーな! さてここにクラウド銀貨が10枚ある」
「え?」
ユーゴは銀貨をジャラジャラとテーブルに置いた。
「パウエルさんからお前に渡せって言われたんだよ。お前さっき途中で抜けてったから」
「これをどうして僕に……」
「ガダリア脱出の賃金みたいなもんだってよ。あと、リアちゃんの後見人としての責任だとか、そんなことも言ってた。とりあえずお前の金だ。自由に使えるな」
「う、うん」
躊躇いがちに受け取る。10クラウド銀貨といえば、レイン銅貨1000枚分だ。一か月生きられるほどの額。食事は支給されているから、とても大きなお小遣いといえる。
ユーゴは渡し終えると言った。
「それでネリーと出かけて来いよ。そうすりゃ少しは元気出る」
「ネリーとお出かけか……」
少し照れくさいけどいい考えだ。それでネリーが元気になるなら嫌がる理由はない。心配していたのは本当だ。
「それじゃリアも連れて──」
「いや、リアちゃんは俺に任せろ。二人で行けって」
「二人で? でもそれじゃあ」
ユーゴはじれったそうに遮った。
「あのなー、いいか? お前はリアちゃんのことでネリーに助けられっぱなしだろ? その礼をしないといけないんじゃないのか」
「確かに……」
「だから俺に任せろ! リアちゃんの面倒は俺が見る!」
ユーゴは頼もしく胸を叩いた。
「それじゃユーゴに悪くない?」
尋ねるとユーゴは晴れやかに答えた。
「お前ら面白いからな!」
「結局それかあ」
ほとほと呆れる。
でも、いい提案だ。ここは一つユーゴに甘えよう。
こうしてネリーと一緒に出かけることが決まったのだった。
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