旧王都 戦士の慟哭 1
残された時間は残り二日。といってもパウエルは明日話すのだから実質今日一日しかない。ハーニーは未だ打開策を見つけられずにいた。
しかも二日酔いのせいで午前中を無駄にしてしまい、今も頭痛がして考えがまとまらない。
「うう、どうしたらいいんだ……」
『その問いで30回目です』
ハーニーは部屋で一人、横になりながら悩んでいた。リアは部屋にいない。二日酔いを見かねたネリーが連れて出かけたのだ。リアに醜態を見せずに済んで本当に良かった。
ハーニーは寝返りを打って唸る。
「うーん……」
ただ悩むよりもアルコーに会った方が建設的だが、今日に限って姿が見えない。夜を待って考えることしか今できることはないのだ。
「……僕の言葉じゃ足りない」
問題はそれだ。昨日のことを見ても明らかだ。
申し訳が立たない。死んでいった仲間と殺めた敵に。そう言っていた。
アルコーを救えるのは彼らなのだろう。既にこの世にいない、死者たち。
少なくとも命のやり取りを知らない僕にできることがあると思えない。
……かといって諦めるわけにも──
コンコン。
ノック音がした。
「はーい。今開けます」
のそりと起き上がってドアへ向かう。昼時に来るのは誰だろう。ノックをしたからリアじゃないし、となればネリーでもない。ユーゴもノックをしなさそうだ。また酒場の店主だろうか。
様々な予想は見事に裏切られた。
「こんにちは。約束通り来ましたよ」
「サ、サキさん!?」
そこにはサキが立っていた。今日は髪を下ろしておらず、後ろで束ねたいつも通りだ。
「よかった。一人みたいですね。ん、この匂い……」
サキが顔を近づけてくる。すんすんと首元の匂いをかがれた。
渋い顔をして指摘される。
「……お酒の匂いです」
「あ、ああ、ごめん。のっぴきならない事情があって……サキさんはどうしてここに?」
サキは僅かに頬を膨らませた。
「もう、忘れちゃったんですか? 約束したじゃないですか。今度稽古をつけるって」
「ああ、そういえば」
した覚えがある。僕には技術がないから、と。
でもこんな状況だ。時間がない今、他のことをする余裕はない。
せっかく武芸の熟練者に教わる機会とはいえ……ん。
「……サキさんは戦士だ」
「そうですね。刀には自信があります」
天啓を得た思いだった。
「サキさん! 相談があるんです!」
詰め寄るとサキは困った顔をしてすっと身を引いた。その動きすら流れるようで美しい。
「いいですけど……敬語とお酒! 何とかしないと許しません」
「は、はい。じゃなくて、うん。でもお酒は……」
サキはあやすように笑った。
「お酒は抜きましょう。汗をかけば楽になりますよ」
「……こんなに頭が痛いのに?」
「じゃあ相談も聞きません」
サキは踵を返そうとする。
「分かったよ! やる! 稽古をつけてもらう!」
「それでいいんです。ふふ、昨日歩き回っていい場所を見つけたんです。そこに行きましょう」
サキはこちらのことなど露知らず、楽しそうだった。
……何だか遠回りをしている気もするけれど、今できることは少ない。頭をはっきりさせるだけでも意味はあるはずだ。
そう自分に言い聞かせてサキを追いかけた。
案内されたのは旧王都の南にある林だった。木々が並ぶだけのそこは静かで人気がない。
ここなら誰にも見つからず鍛錬できるというわけだ。いくら大声を出しても大丈夫、と。
そして秘密の練習場に来て3時間が立った。
「ほら! そこ! また軸がぶれてましたよ! それにちゃんと振った刀は止めないとダメです! それすらできずに刀を使えると思わないでください!」
サキの叱責が飛ぶ。
サキは想像以上に厳しかった。普段と稽古は別というわけか、細かいところまで指摘してくる。基礎から、高度な技術まで全て教えようとするから指摘の数も膨大だ。その度無力感と悔しさが沸く。
恐ろしいのはこの3時間、素振りしかしていないということだ。それだけで百を超える注意をされている。
息切れが極限に達しようという時、サキがパン! と手を叩いた。
「やめ! 少し休みましょうか。汗もかけたでしょう」
「はぁ、はぁ……汗は十分かいたよ……腕が鉛のように重い」
「これくらいで根を上げるようではダメですね。星霜零花ではこんなのただの準備運動です」
「ええ……」
サキは誇らしげに語る。
「本当ならここから師範と組手ですよ。何度何度も挑んで負ける。ダメなところを木刀で叩かれながら繰り返すんです。……まあ今日はこれくらいにしましょうか。体がついてこないみたいですし」
よかった……。
サキはその内心を見透かしたように付け足した。
「これから毎日その素振りをしてください。あなたがどう戦ってきたのかは知りませんけど、筋肉が足りないですよ。刀も馴染んでいない」
「これを毎日!?」
「毎朝がいいですよ。気持ちがいいんです」
本人はやってるような清々しい口ぶり。
戦士への道は遠そうだ。
「素振りはまだまだですけど、お酒は抜けましたね」
「うん。ありがとう。ふう」
ようやく落ち着いた呼吸を実感しながら、さっきまでを思い出す。
死ぬほどつらかった。単純に肉体も疲労したが、特に頭痛がとんでもなかったのだ。
今はすっきりしている。意識は明瞭だ。
ハーニーはその場にへたり込んだ。それまで振っていた刀を鞘にしまって横に置く。
サキの視線はその刀に向かっていた。
「それ、ずいぶん良いものですね」
剣士として刀に思うところがあるらしい。
「シンセンさんっていう刀匠に譲ってもらったんだ。僕には不釣り合いだと思うけど」
「じゃあ釣り合う努力をしないといけませんね?」
「……うん」
年上の女性らしい物言いはなんだか恥ずかしい。照れる。
サキもハーニーの対面に座った。ゆるやかな動作で正座する。
「また太ももを見るんですね」
「ち、違うよ! 足痛くないか心配になるだけだから!」
「ふふ、そういうと思ってました」
「信じてくれてるんだかいないんだか……」
大体口にするからなおさら気になってしまうのだ。動きやすいためか、服の太もも部分に切れ目があるから。しかもサキはそれを隠そうとしない。
やれやれと思いながら空を見上げる。木が囲う狭い空は赤みがかっていた。
もう夕方になる。残された時間はさほどない。
「……サキさんに聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「もしも、もしもだよ。大切な人のためにたくさん戦って、命のやり取りだってたくさんして……それで大切な人に必要ないって言われたら、どんな気がするんだろう」
サキは少し考えて、言った。
「苦しいですね」
「詳しく聞きたいんだ。僕はどうも経験が足りない。記憶があれば違うのかもしれないけど、そもそも戦士っていえるほどじゃないから」
真剣に向かうとサキもそれに応じた。
「もしも私だったら、苦しいのは二重の意味です」
「どういうこと?」
「その宣告はただ本人だけを否定する言葉じゃないんですよ。それはその人の過去まで否定する」
「過去まで?」
「そうです。想像ですけど、その人は戦って命を奪ってきたんですよね? もしその大切な人を守るためだけに戦っていたなら……戦いの過程で失われた命はどうなります?」
「無駄死にってことになるのか」
「無駄とまでは言いません。そう思う戦士はいないでしょうから。ただ希薄にはなります。そして許せなくなる……」
言葉は沈み、サキが急に遠ざかった気がした。
「私には分かりますよ。誰だって、人を殺めた正当な理由が欲しいんです。いえ、理由があるから殺すんです。そうでないとやりません。……その人は理由を奪われたんですね」
もうサキにはこの話が実在する誰かのことだと分かっているらしい。
「……覚えてるよね。あの反戦の区。あそこで生まれ育った人がいるんだ。すごく苦しんでる」
「気の毒に……でも、いいじゃないですか」
「いい? 何が」
サキはさも当然のように言った。
「その人の戦いは終わったんですよ。だって守る人は守らなくてよくなったんでしょう? そこまで悩むってことは戦う理由はそれだけだったということですよね」
「……そうかもしれないけどあの人は喜んでいなかったんだ。それに戦わなくちゃいけないって言ってた。落とした命に申し訳が立たないって」
「義務感ですね」
サキは冷静に分析した。
「本当は戦いたくないんです。ふさわしい理由もなく人を殺しちゃいけないから。でも、ここでやめるわけにはいかないんですね」
やめるわけにはいかない。
意味が分からず首を傾げると、サキはむしろ嬉しそうに微笑んだ。
「あなたには分からないですね。分からない方がいいんでしょうけど」
「どういうこと?」
「その人は戦う理由を失っても、過去を無駄にしたくないんです。落とした命、奪った命。それらを無駄にしないために戦い続けないといけないと思ってる。優しい人ですよ」
「……でも戦いたくないんだよね?」
「私なら、そうですね。でも引き返せないんですよ。手向けでもあるんです。立ち止まらないことが、戦い続けることが、死者へ許しを乞うことにつながるんです」
「……」
正直、重い話だった。記憶の欠けた自分の手から余るほどに。
サキは経験に基づいて話してくれたから、きっと合っているのだろう。
アルコーは自分が必要とされなくなったことを受け入れている。だが、自分の行為まで無駄だったと思いたくない。だから戦い続けたいと思っている。
両方なんだ。
戦いたくないし、戦わなくちゃいけない。どちらかに定まらないから魔法が薄弱になる。魔法とは理由で、意志なのだから弱くなるのも当然だ。
「……じゃあ、どうすればいいんだ……」
頭を抱える。
両方なのだ。どちらも彼は望んでいて、望んでいない。
頭上からいつの間にか立っていたサキの声。
「色々言いましたが全部私の憶測ですよ。本当は違うかもしれません。どちらかの思いが強いかもしれない。そこまでは分からないですよ」
「どっちの思いが強いか……? それを知らなくちゃいけない……」
苦笑の気配がした。
「あなたはお節介ですね。困っている人を放っておけない」
「僕自身放っておかれたくないんだ。だから僕も放っておかない」
「そうすれば誰かが助けてくれるかもしれないから? ふふ、回りくどいんですね。本当は単純に無視できないからでしょう?」
サキはまるでよき理解者のようにそう言って微笑む。
「……何でそう思うのさ」
「人を見ることには自信があるんです。私の流派星霜零花は……いえ、刀という武器は待つ属性を追っていますから」
「待つ属性?」
「相手を見て、動く。些細な予感も見逃さないんです。ハーニーさんは才能が有りますよ」
それは初めて言われた類の言葉だった。
「僕には才能があるって? ……剣の才能はないって言われたんだけどな」
リオネルに言われたのだ。覚えている。
サキはハッキリと否定した。
「いえ、才能はありますよ。ハーニーさんはいい目をしています。人をよく見ることができる目です。刀が向いてますね」
「……なんだか怖いな。急に価値を見出されたみたいで」
「あなた自身が見出すんですよ。それまでは素人です」
からかうように言われる。
「……でもちゃんと死を乗り越えられるかどうか……」
そのつぶやきは小さく、夕空に溶けた。
「どういう意味?」
「いえ、何でもないんです。今日の鍛錬はこれで終わりにしましょう」
「今日の、ってことは続くんだ?」
素朴な疑問にサキは頷く。
「今はハーニーさんといる方が見える気がしますから」
「何が?」
「それは内緒ですよ」
どうしてもそれは教えてくれない。
「これからどうするんですか?」
サキの質問はさっきまでのやり取りを絡めていた。
アルコーさんの抱える問題。サキさんのおかげで全貌が何となく分かってきた。少しずつ知れたらいいんだろうけど、時間は残されていない。
「……真っ直ぐぶつかってみるよ。強引にでも気持ちを全部聞いてみる」
「そうですか。頑張ってくださいね」
そう応援したサキの表情は穏やかだった。
どうしてこんなに親身になってくれるんだろう。
小さな疑問が沸いたが、すぐに思考はアルコーの問題に上書きされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます