63皿目 槍。
我が家では、ちょっとしたお祝いごとをする時に、手巻き寿司パーティーをすることがある。練習試合を翌日に控えた夜、太郎は母に小さなお願い事をした。
「明日、オレがシュートを決めたら、晩ご飯は手巻き寿司ね」
これまで太郎は試合で点を取った事がない。太郎は決して上手い方ではない。いや、むしろ下手だ。身体は小さくて、当たりには弱いし、怖がりな気質は争いには向かない。控え選手としてベンチを温めている事のほうが多い。出場機会を与えられても、普段の練習より白熱したボールの奪い合いが行われる試合となると、気弱な性格が出てきてしまい、ボールからは離れた所をチョロチョロと走り回り、体力を消耗させている。そんな、積極性を失った太郎にはパスもまわって来ない。時折、運良く転がって来るボールに触っても、なかなかチャンスを演出することは出来ないし、みずからゴールシーンを描くことなどは、奇跡に近い。
しかし、サッカーは大好きで、チーム内では、いつも一番声を張り上げていて、明るく元気なムードメーカー。ところが、ゲームではみんなの足を引っ張る。これで、もし、難病を抱えていれば、青春スポ根映画の脚本には不可欠なキャラクターだといえるだろう。
そんな太郎がこんなお願いをするには、理由があった。この日の練習の終わりに、試合の選手起用についてコーチから話があった。
「明日の練習試合には、普段、ベンチを温めている者を使うから」
『ベンチを温めている者』それは太郎に他ならない。
4年生からは、11人制サッカーとなった。これまでよりも選手層の厚みが求められる。その結果、控え選手といえども試合に慣れさせる必要に迫られたのだ。
チャンスを与えられた太郎。先発として出場する機会など滅多にない。果たして、シュートは決まるのか。残念ながら、私は仕事があるので、練習試合を観に行く事はできない。
やや興奮ぎみの太郎が、ベッドに入りながら呟いた。
「明日の天気は大丈夫かなぁ」
安心するといい。天気予報は曇り。降水確率も0%だ。気温も高くはならない。絶好の試合日和となるはずだ。
翌朝、太郎は集合時間よりも随分早くに家をでた。先に行って、身体を動かしておこうと思ったらしい。
「がんばれよ」私はありふれた言葉で太郎を送り出した。
朝の片付け等を終わらせ、仕事に行く準備をしていると、ケータイにメールが届いた。妻からだった。
「太郎が1点とったよ!!!」びっくりマークの数が妻の興奮と驚きを表していた。
太郎がシュートを決めた!この目で、ゴールシーンを見る事ができずに悔しく思った。初めての得点。それは、タナボタシュートかもしれないし、見事なシュートかもわからない。さぞかし嬉しかったことだろう。チームメイトに祝福されたに違いない。太郎は照れくさそうにしたはずだ。よろこぶ顔が脳裏に浮かんだ。
去年の冬に敢行した土手での朝練を思い出した。凍てつく土の上を走った。近所の公園で、ドリブルの練習を思い出した。暗くなっても止めようとはしなかった。そんな練習が実を結んだのだろうか・・・・その瞬間に立ち会った妻をうらやましく思った。
支度が整い、家を出ようとした時、空から雨が降ってきた。お天道様もビックリしたのだろう。ケータイを取り出し、妻にメールした。
「太郎が点を取るなんて!そりゃ〜雨もふるよな」
すぐに返事が帰って来た。
「なんと!3点とった!!槍が降るかも!気をつけて!!」
3点・・・?ハットトリック?太郎が?
私は下駄箱の上段の扉を開けた。そこに、数年前、大地震対策として購入した、人力で発電して使えるラジオと懐中電灯があることを確認した。
必要になるかもしれない。もしも、もう一発、シュートを決めたら。
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