26皿目 食育。

 太郎が、スープの中から箸で木の子を一つ上手につまみ上げた。

「これはなんていう木の子?」

「それはエリンギよ。イタリアの木の子よ」

「へぇエリンギって言うんだぁ」

 太郎は好き嫌いが多い。だが、我が家では偏食を許さない。嫌いでも食べさせている。アレルギーがあるわけではないので、「嫌いなだけだろ?」そういって食べさせる。『嫌い』は『食べられない理由』として認めない。おかげで随分と嫌いなものが減った。貝類は相変わらず苦手だが、以前はまったく食べようとしなかった魚を、今では進んで食べようとする。焼き魚の皮目についた身の部分がおいしいことに気づいた。

 太郎は偏食というのではない。どちらかというと食わず嫌いな側面が目立つのだ。食べもしないのに見た目で味を判断して、苦手意識を持ってしまう。一度持ってしまうとなかなかその思いを覆さない。それに比べて花子はなんでもよく食べる。食いしん坊なのだ。見知らぬ食材でも、とりあえず食べてみる。未知なる味覚への探究心は枯れる事がない。期待感を持って口にする。それが花子流。従って、花子は食べ過ぎてしまうことが間々ある。

 太郎の場合、見知らぬ食材を目にすると、まず名前を聞く。「これ、なんて言うの?」サラダの中から得体のしれぬ物を取り出した。

「ホワイトアスパラよ」

 姿形と名称を記憶の中から呼び起こし、初めての物には警戒心を抱く。箸でつまみ、360度の方向からその容姿を確認するのだ。そして、骨や皮が付いていないかを見極めて、口にいれる。恐る恐る噛み始め、味がしみ出てくるのを恐怖にかられながら待つ。想像しているのは、『苦い』や『渋い』といったネガティブな味。期待をする事はない。予め、『おいしくない』という心の準備をしておく事が太郎流なのだ。そんなわけで、太郎の方が食材の名前をよく覚える。うっかり苦手なものを口にしないように普段から警戒を強めているのだ。かわいそうに。太郎は食べる事の楽しさ、素晴らしさを知らない。

 我が家では両極端な『食育』が必要な状態なのだ。楽しい食卓を実現するには途方もない努力を要する。

 「これは・・・エノキだよね。」スープから新たな木の子をつまみ上げて太郎が聞いた。

「そうよ。正解!」妻が答える。

「これは・・・マイタケだっけ?」

「正解!よくわかったわねぇ」

「これは、シイタケでしょう?」

「またまた正解!すごい!」太郎の気分がのってきた。

 食卓で褒める事は、『食育』において重要なファクターだ。事実、太郎は警戒を弱め、箸がすすみ始めた。

「これは・・・さっきのエリンギだね。」

 次々と木の子の名前を言い当てる太郎。そして、それを褒める母。この状況は、花子にとって面白い筈はなかった。

 太郎が次につまみ上げたのは、『しめじ』だった。

「えっと、これは・・・なんて名前だっけ?し、、し、、なんだっけ?」ど忘れしたようだ。

 花子がここぞとばかりに割り込んだ。

「花ちゃん知ってるよ!」花子も母に褒めてもらいたい一心で続けた。

「その木の子の名前はねぇ、たしか、『しゃもじ』だよね!」

「喰えネェよ!」

 太郎がすかさずツッコミを入れた。とりあえず、我が家では『芸』を磨く事も『食育』の部類に含まれる。

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