第17話 異変2
あれはまだ恵美が学生だった。父と母、それに祖父とまだ幼い妹と恵美の五人家族、とても仲が良く毎日が満ち足りてとても幸せな日々を送っていた。
だが平和な日常はある日突然終わりを告げた。
あのときのことを死ぬまで忘れないと恵美は絶対の自信を持って断言できる。
恵美の父は能力者でも名うての実力者だった。
祖父譲りの剣の名手で、他の家に敵うものなしといわれていた。
そんな父がいま、手も足も出ない状況に陥っていた。
「っち!」
銀の軌跡が宙を舞う。だが刃が踊れど踊れど敵に当たることはなかった。
敵は唐突にやってきた。黒衣の者は高堂家に突然訪れたかと思うと、無言で応対した一族の者を消し去った。
いかな術を使っているのか、直接その手に触れられると触れられた部分があとかたもなく消失するのだ。
次々と一族の者が消失していくなか、父は恵美と志弦を逃がそうと残った仲間と共に黒衣の者を必死で食い止めてくれていた。
しかし一人また一人と少しずつ仲間が消え去っていく。
迫り来る濃厚な死の気配を感じて恵美は思わず胸を押さえた。隣にいる志弦も青い顔をして震えている。
「恵美、早く志弦を連れて母さんのいるところに逃げろっ ここは俺がなんとかする」
運悪く、祖父は遠出をしておりしばらく帰ってくることはない。
だが母は買い物に行くと出かけに行っただけなので、この場から逃げ切れれば合流できる可能性は高かった。
幸いながら黒衣の者はさきほどからなぜか父の刃を避け続けるだけで反撃をすることなく不気味な沈黙を保っている。
まるでこちらを観察しているかのような静けさに恵美は恐ろしさを隠しきれなかった。
「お、お父さん。いや、嫌だよっ!」
「ダメよ、志弦。行くのよ」
ぐずる志弦の手を恵美は無理矢理引く。
二人がこの場から離れようとしたとき、黒衣の者が動いた。
「させるかよ!」
太刀が光を纏う。父よりも恵美と志弦に意識がいっていたのか、刃は当たりはしなかったもの影をかすった。
光の太刀、影斬り。影が斬られれば本人もダメージを受ける秘伝の技。
黒衣の者の動きが目に見えて精彩を欠いた。
「いつまでもだんまり決めてんじゃねえ!」
出来た隙を見逃すことなく、すかさず父が敵に斬りこむ。
「父さん、どうかご無事で」
父が作ってくれた隙に全力で道を駆ける。
能力を行使して身体能力を限界まで高める。志弦はまだ能力をうまく使えないため、恵美が志弦を抱えた。
まるで心臓が破裂するのかと思うほど全力で走り始める。身体がきしみを上げるが、今はどれほど全力を出してもまだ目的の場所につかないことが恵美はもどかしかった。
――なんでこんなことになってしまったのだろう。
ついさっきまで平和なときを過ごしていたとは思えない。
父がうまく敵を抑えてくれているのか、追手も来ることなくなんとかもう少しで街につくところまで来ることが出来た。
緩む気を引き締めつつ、恵美が一歩足を進める。
その瞬間、何かに吹き飛ばされ、恵美と志弦は別々の方向に転がった。
二転三転し痛む体をこらえながら、起き上がって吹き飛ばされた方向に目を凝らす。
さきほどまでは存在しなかった結界がまるで二人を逃がす気などないように街へと降りる道をふさぎ、その結界前には黒衣の者が気配なくたっていた。
父と戦ったあとだというのに黒衣の者は傷一つない。
恐怖で身がすくむ。声すらでなく、もはや指一本も動かせそうになかった。
闇に隠れて顔は見えないが粘りつくようなおぞましい視線を感じる。そのまま奴は恵美に向ってゆっくりと手を伸ばした。
「姉さんから離れろっ!」
志弦が声を張り上げ恵美の横をすり抜けて、黒衣の者に立ち向かっていく。
「やめて、志弦にげてっ!」
反射的に叫び声をあげ、手を伸ばすが届くことはなかった。
こんなときに動くことも出来ず、妹をかばうことも出来ない自分自身が恵美は泣きたくなるほど悔しかった。
黒衣の者は声に反応して志弦へ標的を変える。そのとき閃光が走った。
「うおおおぉおぉぉぉおお!」
志弦の前に父が立ちふさがる。
父はもう太刀を持っていなかった。
持てなかったのだ、奴にやられたのだろう父の両腕はもう存在していなかった。
父は志弦をかばうために二人の間に入る。
志弦を押しのけたことで黒衣の者の手がぽんと、父に触れた。
触れた箇所から父の体が溶けていくかのように消え去っていく。
まるでその部分は元から存在していなかったかのように父の腹部に大穴が空いた。
大穴のなかは夜の闇を思わせる黒々とした闇が広がっている。
「お父さん?」
「……ごめんな」
志弦は何が起こっているのかわかっていないのかぽかんとしている。
父は寂しげな表情を浮かべて、志弦の頬を一撫ですると跡形もなく消えた。
なんの痕跡もなく骨の一片すら残ることなく消滅した。
「いやだ。やだよっ なんで! なんで!!」
目の前で父を失ったショックか、志弦は大声で泣いた。
黒衣の者は意にも介せず無慈悲に再度、志弦に手を伸ばす。
そのとき異変が起きた。泣き声に呼応するかのように、志弦の周囲に紫電が走ったのだ。
日光が志弦を中心に収束を始める。
黒衣の者も異変を感じ取ったのか、志弦へ伸ばしかけた手を引いて、大きく後ろに退いた。
同時に光が周囲を満たした。志弦を中心にまばゆいばかりの光がほとばしり、恵美は光に呑まれた。
*
全てが光で出来ていた。
なぜここにいるか、思い出そうとするが何を思い出せばいいかわからない。
そもそも自分がなんなのかすらもわからなかった。
「え……、……」
何かが聞こえた気がする。
そもそも聞こえたっていうのは何だったのだろうか。
思うこと全てに疑問符をつけなければならないほど、何もかもがわからなかった。
「え……み……」
何かに抱きしめられたような安堵感に唐突に包まれる。
その心地よさに微睡みそうになりながらも、聞き覚えのある響きがまた聞こえた。
「恵美! お願い、起きて……」
今にも泣き出しそうに震えているのは母の声だ。
呼ばれているのは自分の名前だ。その言葉によって意識が明瞭になり恵美は全てを思い出した。
意識が浮上する。
*
目が覚めると恵美は布団に寝かされていたことに気づく。
ゆっくりと起き上がるとそこには記憶より憔悴した母が座り込んでいた。
隣に志弦が同じよう横になっている。志弦は母が出しているのかなぜか光の球体に身を包まれていた。
「恵美、よかったっ もう起きないかと……」
嗚咽を漏らす母に駆け寄ろうとするが、体がいうことを聞かず手を伸ばすのみに留まってしまう。
母が少しの間静かに涙を見せたあとそれを拭い、涙を気にさせないように母は悲しげににこりと笑った。
「母さん、私が寝ている間に一体何が起きたんですか?」
「私も何が起こったのかはよくわからない。ただいえるのは最悪の形で志弦の能力が発動してしまったということよ。ありがとう、恵美のおかげで私も覚悟が決まったわ」
そういって母は右手を差し出す。
母は能力者のなかでも非常に珍しい精神操作系の能力者だ。その手に触れると、母から当時の情報が流れ込んできた。
母がちょうど買い物から戻る途中のときだった。
強力な能力の発動を感じて急いで家に戻ったところ、意識を失った恵美とまるで太陽のようにまばゆい光に身を包まれた志弦を発見した。
光は周囲の光を吸収して徐々に成長をしている。
志弦の能力は『忘却』だ。志弦を包み込む光がこのまま広がっていけば、これを目撃した者にも『忘却』の被害がおよぶ。
直感的に悟った母は街に被害がおよぶのを防ぐために自らの能力で志弦の能力を抑えこんだ。
「ごめんなさい。もっと色々と教えてあげられるといいんだけど、私もちょっとずつ記憶が薄れていってるみたいでね。最後に恵美と話せて嬉しいわ」
悲しげにそういう母の背中はいつもと違っていてとても小さく見えた。
「だから全てを忘れる前に志弦を起こしに行ってくるわ」
「母さん、まさか……」
母が恵美の口元にそっと指をそえる。
柔らかに微笑み、口を開いた。
「恵美、志弦を頼むわ。父さんも母さんもあなた達が大好きよ、こんな最後になってしまってごめんね」
その言葉を最後に母は自身に光を纏い、光の球体を越えて志弦を抱きしめた。
*
光で満ちた空間にいた。
祐輔はなぜここにいるかわからず、数秒のあいだ放心していた。
様々な情報が脳裏を駆け巡っており、ひどい目眩を覚える。
思わず右腕の感覚を確かめる、腕がしっかりついていることに祐輔は安堵した。
「大丈夫か?」
背後から恵美の声が聞こえ、祐輔は思わず後ろを振り向く。
さきほどの悲惨な光景が脳裏に浮かぶが、恵美本人は怪我をしている様子もなく元気なようだった。
「そんなじろじろみるな、気恥ずかしい。ここは私と島田が相互にリンクした際に一時的に作った空間だ。なんとか成功したようだな、お前がすぐにリンクしてくれて助かったよ」
どうやら祐輔と朱美が夢のなかでやっていたやりとりと似たようなものらしい。
納得しつつ、さきほどの出来事が現実だったということを再認識して胸が苦しくなる。
「色々といいたいことはあるだろうが、気にするな。それに残念ながら時間はない、島田に話さなければいけないことがある。お前の異能についてだ」
敵に襲われる直前にいっていたことが脳裏に浮かび、どきりとする。
同時に空間にヒビが割れる。それは残り時間が少ないことを表していた。
異能の正体が判明しながらも隠されていた理由がいま明らかにされそうとしていた。
「島田の異能は『自虐』だ。異能の影響を受けた者の、最も認めたくないモノやトラウマを強制的に再認識させる。こういう言い方はしたくないが、初めて観測されたマイナス面の異能だ」
聞いたことのない単語に祐輔は首を傾げた。
「マイナス面の異能というのは持っているだけで、術者と周囲に害を与えるだろうという異能のことを指す」
異能を研究する際、まだ観測はされていないが存在するであろうといわれた異能らしい。
「マイナスとはどういう意味ですか?」
「ああ、仮に『死』の異能を持った人がいるとしよう。極端にいえばその人が自身の異能を発動したときに死ぬ、その近くにいた人も影響を受けて死ぬ。そういうものを私はマイナス面の異能と呼んでいる」
このことを聞いて祐輔は宏太と朱美が自分の茨を食らった時に精神的に弱っていたことを思い出す。
あれが自分の異能のせいであったとわかったのと同時に、結局現実も異能も自分が他人に迷惑をかけることしか出来ない存在だったことに祐輔は深い悲しみを覚えた。
「だがだ。いいか、島田よく聞いてくれ。お前の異能は志弦の記憶を呼び覚ませる可能性が高い」
祐輔の『自虐』の異能によって『忘却』してしまった志弦の記憶を奮い起こす。
しかし志弦が祐輔の腕輪に触れたときはただ光が見えただけ、志弦の方も体調を崩すばかりで記憶を取り戻したような様子はなかった。
「おそらく何らかの手段で異能の出力を上げることができれば記憶が呼び起こせるはずだ。私の記憶は見たか?」
その言葉に祐輔は頷く。
志弦が記憶を失ったわけ、彼女の母が志弦を覚えていなかったわけも知った。
「そうか、なら話が早いな」
静かに恵美は頭を下げた。
「今すぐでなくてもいい。どうか志弦の記憶を取り戻してやってくれないだろうか。私からの最後の願いだ」
「そんな最後だなんて……縁起の悪いことをいわないでください」
「冗談ではない。あの傷では長く持たないのは自分がよくわかっている。あいつにかけた拘束は多少は持つはずだ。ただあいつは油断ならん、気をつけろよ」
足元が振動で震えた。空間に満ちた光は明滅を繰り返しはじめる。
もはや時間はないのは明白だった。
「ちょっと待って下さい、一つだけ教えてください。なんであのとき俺を助けたんですかっ! 」
祐輔にはひとつだけ納得がいっていないことがあった。
記憶を取り戻してほしいというのは理由としてはわからなくもない。
だがしかし、いつか研究をしていれば自分と似たような異能者が出てくるだろう。
恵美が命を賭してまで自分を助ける価値があるとは祐輔はどうしても思えなかったのだ。
「あー、それな」
困ったような顔を見せ、恵美はくるりと祐輔に向けて背を向ける。
「お前が気にするようなことじゃないよ。私はさ、ずっと後悔していた。父を失ったあの時、志弦より先に動けていればもっと違う未来があったんじゃなかったのかってね。だから自然と体が動いただけだよ。翔には悪いことをしたと思ってるけどね」
寂しげにいい放った言葉はいつも厳しい態度をとっていた恵美とは違っていて、祐輔はこれが彼女の本当の姿なんだなと思った。
志弦といい、恵美といい、自分自身が危機に陥ったとしても他人を慮れる二人の生き方がひどく美しく、羨ましく感じた。
ふらりと目眩を起こしたような感覚。朱美のときと同じで現実に戻ろうとしているのだろう、どこかで引っ張られる。
「だから、これでいいんだ。あとは頼むよ」
背中越しに聞こえる声は僅かに震えていた。
雫が落ちる。表情は見えなかったが、どんな顔をしているかは簡単に想像が着いた。
それが最後だった。
*
むせかえるほど濃厚な血の匂い。
悶えるほどの腕の痛みと頭痛が折り重なって気が狂いそうなほどの苦痛が祐輔に振りかかる。
痛みを受けることで、さきほどの出来事が夢ではなかったのだと嫌でも再認識させられた。
血に汚れた体をゆっくりと起こす。
血溜まりの中心で動かなくなっている恵美を見て駆け寄りたくなる気持ちを必死に押さえ、祐輔は志弦の様子を確認する。
まだ志弦は眠ったままだった。この場に限ってだがそれは非常に助かっていた。
「おい、怪我人を置いてなに無言で逃げようとしてんだよ、薄情な奴だ。そんなに自分の命が惜しいのか」
苛立った田淵の声が聞こえてくるが無視する。
足早に立ち去ろうとするが、影が祐輔の足に絡みついた。
「無視してんじゃねえよ」
影はきつく足首に絡みつき、身動きがとれない。
焦ってもがくうちに、田淵を拘束していた光の糸が徐々に夜闇に溶けて消えていく。
こんなときになっても全くうまくいかない自分を恨みながら祐輔は必死にそれを引き剥がした。
急いで志弦を再度背負うべく近づく。そのとき薄っすらと志弦の瞼が開いた。
瞳が大きく見開かれる、視線を追うとその先には血溜まりに沈んだ姉がいた。
仮にもう少し起きるのが遅ければ、志弦がこの光景を目にすることもなかっただろう。
あまりにもタイミングの悪い目覚めだった。
「……姉さん? なんで?」
説明する間も惜しく祐輔は恵美のほうへ行こうとする志弦を押さえた。
「やめて、祐輔さん行かせてっ!」
「だめだ、行かないといけないんだ」
必死に志弦をなだめようとすると、ぷつりと何かが切れる感触がした。
びちゃりと何かが地面に落ちる音がする。祐輔が自分の足元を見ると大きな血溜まりが広がっていた。
田淵の足元から伸びた小さな影の刃が茨を断ち切ったのだ。
血溜まりが茨が崩れて出来たものだと理解したとき祐輔は自然と膝をついていた。
「あれ……」
ひどい寒けを感じ、周囲の音が遠ざかっていく。
体を揺さぶられているような感触がする、しかしすでにその感覚すら祐輔は曖昧だった。
――これで終わりなのか。結局、何もできないのかよ。
何も出来なくて、運良く得た異能も『自虐』
誰かに迷惑をかけてばかりで、せっかく命を助けてもらったのにそれに報いることも出来ない。
――ああ、死にたくないや。
なすすべもなく全てが闇に包まれていく。
意識が消え去ろうとする間際、聞き覚えのある声が聞こえた。
「なんだよこれ、なんで、俺はみんなを守るって決めたのに」
それを聞いて祐輔はすぐに宏太の声だということを理解する。
「認めない。こんなことがあってはならない」
よかった、宏太が来てくれたならこれで一安心だ。そんな呑気なことを思って祐輔はが全てを諦めようとしたとき、
扉が開く音がした。
『地割れ、天堕ち、終わる世の果て。僕は誓った。君は笑った』
響いてくるのは歌。
『その誓いを友に送る』
世界に響く唄。
『僕だけの綺麗事を君に届けに行くよ』
世界が変わる。
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