第三話

 国境騎士団はその名のとおり、国境を守るために置かれた騎士団である。


 西の隣国、ノルダイン王国との境に砦が築かれ、その砦を中心に騎士団は生活している。隣国との関係は悪くも良くもない。このルテティア王国は機械技術が少しずつ発展しているが、ノルダイン王国は依然として精霊との共存を選び、魔法を使って生活している。

 精霊の去った国、それがこのルテティア王国だ。


 西の砦の一室、国境騎士団の団長室では一人の青年が部下を前に顔を顰めた。

「――魔法を使った?」

「はい、間違いなく魔法でした。そうでなければ家の中で突然霧が発生するなんてありえません」

「こっちは突然生えてきた蔦に足をとられたんですよ?」

 あれは反則技だ、と文句を言っている部下に、団長室の主である彼は呆れるを通り越して怒鳴った。訓練場で誰もが恐れる団長の怒鳴り声は、部屋の中だとなお響く。

「馬鹿かおまえらは! あれほど注意しろと言っただろうが!」

 魔法伯爵リュース・ルイスの死後、ルテティアの中枢は混乱し始めている。それゆえにアイザ・ルイスのもとへむかわせる部下が少々心配な二人になってしまったのだが、その選択を今更になって悔やんだ。

「いやそんなこと言っても聞く耳持たなかったんですよ向こうが」

「どうせロクな説明もせずあがりこんだんだろうが」

 睨みをきかせると部下たちは図星をさされたこともあり小さくなった。

「う」

「うう」

 ――はぁ、とため息を吐き出した。頭が痛い。

「いいか、多少強引でもいい。絶対に彼女を王都に近づけるな! 一刻も早くアイザ・ルイスを見つけろ!」

「ハッ」

「それから魔法もだ、彼女に魔法を使わせるな! ――絶対だ!」

 その声は部屋の外にまで響くほど大きかった。

「……おまえがついていながら」

 頼りない二人の部下が出て行ったあとで、長くため息を吐き出した。

「申し訳ありません」

 答えたのは副官の青年だった。

「初手の失敗は仕方ないとして、どうして逃げ切られた。おまえが」

 あの二人では不安だと、追って副官に向かわせた。その時には既にアイザ・ルイスは逃げたあとだったのだが、たかが小娘だ、この青年ならば追いつけたはずだ。

「姿を捉えるとこまでは行きました。が、霧が深くなりまして」

「霧が?」

「……おそらくですが、そのときにも魔法を使ったのでしょう。不自然な霧でしたので」

 まるでアイザ・ルイスを包み隠すような霧だった、と副官は告げる。雨がまるで一人の少女を守るように強くなり視界を悪くさせていった。

「……また、魔法か」

 低く呟いて、眉間に皺を寄せる。

「ここはいい、おまえも見失った付近から捜索に入れ」

「見つかるまで戻ってくるな、と?」

 確認のために問えば、上官はにたりと笑う。

「分かっているなら話は早い」

「……了解しました」







 翌日、アイザは頭がすっかりとしていて爽快な目覚めだった。


「おはよ、アイザ」

「おはよう」

「うん、顔色もよくなった!」

 にかっと笑うガルにつられて、アイザも笑った。

「今日はイスラおばさんのとこでごはん。俺たちの分も用意してくれてるって」

 行こう、とガルは玄関を開けた。

 眩しい朝の光に、アイザは目を細めた。小鳥の囀りが聞こえ、葉が擦れる音がしている。

「おはよう、アイザ。おはよう、ガル。もう出来てるよ」

 ガルの家からほんの少し歩いたところにイスラの家はあった。ガルの家より広く、大きな食卓の上にはサラダにスープ、焼きたてのパンが乗っている。

「おはよイスラおばさん」

「おはようございます、あの、ありがとうございます」

「子どもが遠慮するもんじゃないよ、ほら早く食べて」

 チビどもが起きてきちゃうからね、とイスラは笑う。子ども用の小さな器が三つあった。きっと今ごろはまだ夢の中なのだろう。

(賑やかな食卓なんて、いつぶりだろう……)

 アイザの父は良くも悪くも魔法バカで、いつも机に向かっていた。食事を忘れがちな父に三食しっかり食べさせるのがアイザの役目で、そんな食卓でも本を手放さなかったから会話しながら食事するなんて本当に久しぶりだった。

 けれど父との静かな食卓も、嫌いじゃなかった。父の耳で揺れる三角錐の光水晶に見惚れながらゆっくりと食べる時間が、アイザは好きだった。

(…………父さん)

 目を伏せて在りし日を思い返す。


 ――突然、ガルははっと息を呑んで虚空を見つめた。


「誰か来る。馬に乗って……三人はいるな」

「こんな村に?」

 イスラが顔を顰めた。自慢じゃないがこんな辺鄙な村には目新しいものなどないし、旅人がくるような村でもない。アイザが久々の客人だった。

「アイザを探してるのかもしれない。街道の途中で見失ったんならここに来ても変じゃないだろ」

 馬の速度も旅人にしては速い気がする、とガルが呟いた。

「そりゃまずいね。あんたたち急ぎな!」

 イスラはアイザとガルの背中を押して急かした。すぐに用意しておいた軽食を詰め始める。

「ガル、あとどのくらいで着くんだい!?」

「十分! ――いやもっと短いかも!」

 ガルは耳を澄ませたまま家を飛び出し、アイザの鞄と自分の荷物を持ってきた。

「着替えはこれに入ってるから! 食いもんも適当につめておいたよ!」

 アイザはイスラの準備した荷物を受け取って頷く。

「おばさんありがと!」

「あ、ありがとうございます!」

 ガルに腕を引かれてイスラの家を出る。

「行くよアイザ!」

 穏やかなかつての日々も、のんびりしていたこの村の時間も、あっという間に吹き飛んでいく。めまぐるしい突然の出来事たちに、アイザはただ必死に食らいつくしかなかった。

 森の緑が朝日を浴びてきらきらとしている。その眩しさに、アイザは目を細めた。

「――よく、聞こえたな」

 どれほど離れた場所の馬の蹄の音なのか、アイザには知る術もないが、ガルが昨夜話していたように耳がいいのは実感させられる。

 ヤムスの森は、いざその中へと足を踏み入れると不気味さとはほど遠く、爽やかな風が吹き抜ける鮮やかな緑が眩しい森だった。

「朝は静かだからよく聞こえる。チビたちが起き出していたら無理だったけど」

 あいつらうるさいからさ、とガルは笑って、先導する。森はたくさんの木々に囲まれ苔が生し、息を吸うと緑の香りに胸が満たされた。

「アイザ、そこ気をつけて」

 アイザの手を握りながらガルが注意する。足元には太い木の根が地面を割って浮き出ていた。

「……これ、どのくらいで森を出られるんだ?」

 しっかりと握り締められた手を意識しないようにとすればするほど、アイザの手はじっとりと汗をかいた。身長はそれほど変わらないのに、ガルの手は大きくたくましかった。

(獣人だから……は関係あるんだろうか)

「さぁ。さすがに王都まで森を抜けて行ったことはないからなぁ」

「おまっ……道は!? 大丈夫なのかそれで!?」

 言われてみれば確かにガルがヤムスの森を抜けて王都に行く用事なんてないだろうし、よくよく考えれば分かりそうなことではあった。が、ここまでの怒涛の勢いでアイザの頭は正常に働いていないらしい。

「とにかく東に行けば王都には着くよ」

 大丈夫大丈夫、とひどく楽観的なガルにアイザの肩の力も抜けた。

「一応、できるだけ手を放さないでね、アイザ。さすがに俺も人とこの森を抜けるのはじめてだし」

 何があるかわからないから、とガルは真面目な顔で告げる。

「人がこの森に入ったりするのか……?」

「うん、チビどもが前にね。俺が探しに行った」

「そう、か」

 そういうときも見つけたら手は放さないようにしてる、とガルはなんてことない顔で説明した。

「馬、置いてきてしまったな」

 慌てての出発で、アイザが連れてきた愛馬を村に置いてきてしまった。

「馬好きのおっちゃんに世話はお願いしていたし、たぶんイスラおばさんが説明してくれると思う。心配いらないよ」

 頷きながら、アイザはそれほど心配はしていなかった。ガルやイスラを見ていれば、あの村の人々がどんな心根の人か分かるというものだ。

 木漏れ日が眩しい。アイザの育った街はなんてことない場所で、森もなければ山も遠くに見えるだけだった。海は王都よりさらに東にあるのみ。アイザは生まれてこのかた見たことがない。煉瓦造りの街並み、街灯、――アイザが育った街は、ルテティア王国では珍しくもなんともない普通の街だ。

 だからこんな、緑の香りを肌で味わうなんて、なかった。

「……たのしい? アイザ」

 楽しげなのはむしろそっちだろ、と憎まれ口を叩きたくなるくらいにガルはにこにことしていた。

「……なんで」

「なんとなく、たのしそうだったから」

 こんな面倒なことになって、楽しめるはずがないのに。

 けれどそう、森に入ってから、不思議と呼吸が楽になったような気がした。

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