第一章:精霊の呪い

第一話

 アイザがルテティアからマギヴィルに戻り、半年ほどが経った。

 ドレスを着てエスコートされて……なんて日々から、堅実に学生として学ぶ毎日に帰ってきて、長期休暇の記憶がだいぶ過去のものとなりつつある。こういう毎日のほうがアイザは気が楽だし、正直楽しい。

(とはいえ、ああいう場も慣れておかないとなぁ……)

 自分の将来を見据えて考えると、社交が苦手だからと避けてばかりはいられないのだろう。アイザはただの魔法使いになりたいのではない。イアランを支える、王国の盾となる魔法使いになりたいのだ。

 ガチャリ、と部屋の扉が開く音がして、アイザは振り返った。

「おかえり、クリス」

「ん」

 少し疲れた顔のクリスが戻ってきた。

 近頃の彼は連日遅くまで学園に残って魔法薬の調合を繰り返し、その実験結果をまとめている。論文に書き起こすためいろいろと大変らしい。

「……大変そうだなぁ」

「普段ならそうでもないが、最近どうも粗悪な材料が混じってるみたいでな」

 結果が正確なものでなくなるし、やり直しも多くなる、とため息を零しながらクリスは髪をくしゃくしゃとかきあげる。

 どうやらその粗悪品のせいで望むような結果がなかなか出ないらしい。

「まぁ、わたしはちょっと嬉しいかもしれないな。早く論文が完成したら、それだけ早くクリスが卒業するわけだし」

 クリスが今書いているのは、いわゆる卒業論文だ。

 マギヴィルには学年というものがないし、クラスに別れて授業を受けることもない。おのおの自分でどの授業を受けるのかを決めて勉学に励んでいるのだ。

 卒業するためには卒業要件を満たす単位を取得し、魔法科ならば修めた専門分野の論文を担当教諭に提出する。無事に受理されれば卒業にいたるわけで、さっさと単位をとって卒業する者もいれば長く学園に在籍する者もいる。

「……おまえな、こっちはそろそろボロが出そうで焦ってるんだが」

「そんな心配いらないと思うけど」

 焦るなんて言葉が出るほど、クリスの見た目に変化はないように思える。相変わらずアイザよりも女の子らしいし、多くの男子生徒は『クリスティーナ・バーシェン』は少し身体の弱いお嬢様育ちの高嶺の花と思っているだろう。

「もちろん俺は類まれなる美少女なわけだが。……身長も伸びてきたからな。限界も近いだろ」

 ぱちぱち、と何度か瞬きをしたあと、アイザは確かにそういえば最近目線が変わったような気がすると気づいた。

「……クリスもガルも、どんどん背が伸びるんだなぁ」

 少しずるい、と思う。

 アイザ自身はもうほとんど背は伸びていない。一六〇センチほどのままだ。

「男のほうが成長期は遅いし、二十歳くらいまでは伸びるだろうな」

「……ガルもまた背が伸びたみたいだ」

「あれはこれからもっと伸びるだろ」

 獣人だしな、とクリスは零す。

 アイザも獣人に詳しいわけではないが、数少ない文献を読むと彼らは体格もしっかりしていることが多いらしい。出会った頃のガルはまさに少年という感じだったが、最近は日に日にたくましくなっているように思える。

「……クリスが卒業したら寂しくなるな」

「卒業してもたまになら愚痴くらい聞いてやる」

「王子になるのに」

 クリスのやさしい発言にアイザは苦笑する。クリスは大切な友人のはいえ、アイザとは身分が違う。

 しかしクリスはそれがなんだという顔をした。

「今だって王女に会ってるだろおまえは」

 確かに、とアイザは笑う。

 ミシェルとは月に一度会えたらいい程度の付き合いではあるものの、交流はある。タシアンとの婚約が決まり、ミシェルからの連絡は増えた。

 考えてみればこの姉弟との縁は、卒業して切れるようなものでもないらしい。



 クリスの話していた粗悪品、いやむしろ偽物といってもいい材料はいっこうに減らないようだった。ついには魔法薬学の授業でも偽物が混入していたせいで小規模の爆発が起きたらしい。

 おかげで次の授業がなくなってしまった。魔法薬学で失敗による爆発はままあることとはいえ、それが調合によるものではなく材料そのものに問題があるとなれば教師たちの顔も渋くなる。

(さて、仕方ないから図書館で自習かな……)

 そう思いながら廊下を歩いていた時だった。

「あ、いたいた。アイザ、このあと時間空いているかしら?」

「セリカ先生」

 どうやら自分を探していたらしいセリカに、アイザは首を傾げる。

「はい、授業がなくなってしまったので」

「魔法薬学ね? ……あなたならもしかしてわかるかと思って、ちょっと付き合ってほしいの」

「わたしなら……?」

 セリカに連れられてやって来たのは魔法薬学とは関係のない、精霊学の教師であるレオニ・レナードの研究室だ。

(レナード先生の部屋……? どうして?)

「失礼します」

 セリカは一言挨拶して、扉を開ける。

 部屋には白髪の男性が難しい顔をしていた。相変わらず白髪にはぴょこんと寝癖がついている。

「……来たか」

「アイザ、少し見てもらいたいものがあるの」

 セリカがこちらを振り返る。レナードは棚から箱を取り出してきた。

「……偽物の材料の話ですよね?」

「ええ、魔法薬学に使うものに最近偽物や粗悪品が混じっていることは知っているわよね?」

 セリカの問いにアイザはこくりと頷いた。

「今日の授業でそれらしきものを見つけた。しかし、本物との見分けがまったくつかない。私のもとに持ち込まれたんだが、私でも確証はないのだ」

「どうしてレナード先生のところに……?」

「その材料が、精霊に関連するものだったからよ」

 魔法薬学の材料にはごく普通の薬草が使われることもあるが、中には貴重な精霊にまつわるものもある。精霊の足跡のついた葉であったり、精霊の雫と呼ばれる純度の高い水晶などがそれにあたる。

「それがこれだ」

 レナードが箱を開けた。

 その瞬間、アイザの背中にぞくりと悪寒がはしる。

「違いはある?」

「……ちょっと、待ってください」

 今見えるものは、二枚の葉っぱだ。大きさはほぼ同じ、色に違いもない。光を反射するときに稀に変わった色を放っているという点はどちらも同じだ。

 アイザは目を閉じ、息を吐き出してからそっと目蓋を押し上げる。精霊が見えるように、感覚を切り替える。

 チリッと目の前に火花が散るような感覚があった。

「……う」

 そして、それを見た途端にアイザは吐き気を覚え口元を押さえた。

「……アイザ?」

(ここにルーがいなくて良かった)

 近頃はルーの過保護っぷりも落ち着いていて、授業を受けているような間はどこかでのんびりしているらしい。

「……右側の葉が、明らかにおかしいです。左は精霊の足跡がついているものですが、右は……」

 すべてを呪うかのように禍々しい色を放っていて、今見ると元の葉の形などわからない。

「ただの偽物なんかじゃない。もっと禍々しいものだと、思います」

 それはまるで、精霊の呪いのような。

「これは、いつも授業用の材料を買う店から仕入れたものよ。他にも生徒が使っていた材料は、商業区の店で買ったものがほとんどだった」

「……つまり、自分たちで採取してきたものではないと?」

 授業に使うものは学園が用意するが、自習や自身の研究に使うものは生徒が用意する。その際は商業区の店で買ったり、お金をかけたくないと許可をとって周辺の森などで採取したりもする。

「ええ、そう。だから、面倒だとは思うけどあなたが商業区の店を確認してくれればある程度は回収できるんじゃないかと思って」

 自然発生した偽物ではないのなら、商業区に出回っているものを回収してしまえば問題はなくなるはずだ。……少なくとも当面は。

「そうですね……学園側から先に店に伝えていてくださるなら構いませんよ」

 突然アイザが店を訪ねて品物を見せろなんて言うのは怪しすぎる。学園が話を通していてくれるならスムーズにいくだろう。

「それはもちろん」

「でしたら……明日にでも行ってみます」

 ちょうど明日は休みだ。アイザは休みの日でも基本は自習ばかりしているので、予定などあってないようなものだし、そろそろ買い足したい日用品もあったので商業区には行くつもりだった。


 お願いね、と申し訳なさそうな顔をするセリカに「気にしないでほしい」と告げて、アイザはレナードの部屋を出る。

 精霊の瞳とはこんなのことにも役立つらしい。


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