第四章:精霊の卵

第一話

 あれこれと慌ただしい日々から二カ月ほどが経った。

「アイザ・ルイス。あなたはもう初級の授業を受ける必要はないと思いますよ」

 微笑みながらもやんわりと教師に告げられて、アイザはまたか、と思った。

独学でしか魔法を学んでいなかったアイザは基礎の初級ともいえる授業から受けていた。これから実技を受けるとなると基礎はしっかりしていたほうがいいだろう、というアイザとセリカの判断だったのだが――。

「まただな、アイザ」

「……うん」

(魔法基礎学、魔法技術学、魔力制御入門……どれも初級の授業は受けなくていいと言われてしまったな……)

 授業によっては初級、中級、上級のコースにわかれている。単純にそれらは中級に進めばいいだろう。確かに初級の授業はほぼアイザの頭にあることの復習のようなものだったが、まさかこんなに早く単位が取れるとは思わなかった。

(とりあえず、セリカ先生に相談しよう)

 本来は次も授業だったのだが、その授業も先週にレポートを提出した上で単位をもらった。こうなると暇だ。

「あ、アイザ!」

 中庭の脇を通り抜けようと歩いていたところで、よく知る声に呼び止められた。

「……ガル」

 赤毛の少年はぶんぶんと手を振ってこちらに駆け寄ってくる。向こうは授業中だろう、訓練着を着ていた。

「何してんの? 授業は?」

「まぁ、ちょっと……おまえこそ授業中だろ」

「今は一対一で手合わせしてて、俺の番まだだから」

(そういうのって、見ているのも勉強のうちなんじゃ……)

「ガル! 次だぞ!」

 武術科の男子生徒が大声でガルを呼ぶ。やべ、とガルはアイザに手を振りながら慌てて訓練に戻った。どうやら体術の訓練らしい。

「あの少年は強いのか?」

 ルーが興味深そうに訓練の様子を見ている。一対一、二組ずつそれぞれ手合わせしているようだった。

「さぁ……こういうときのガルを見るの、初めてだから……」

 運動神経はいいのだと思う。けれど武術ともなれば、ただ運動神経がいいというのでは駄目なのだろう。

「ガルはけっこう強いよ。体術ならゆくゆくは学園一を狙えるんじゃないかってくらいは」

 ひょっこりとやって来たのはガルの友人のヒューだった。

「ヒュー……訓練は?」

「俺の番は終わったから」

 だから平気、とアイザの隣に並んでガルの様子を見る。ちょうどガルの順番がまわってきたところだった。

「……ガルって強いのか」

 ヒューの言葉を思い出して、アイザは驚きながら繰り返した。

「剣術とか武器を持つものだと微妙だな。まだあんまり使い慣れてないらしくて。ああでも弓は使えたな」

 へぇ、とアイザは相槌を打ってガルを見ていた。相手はガルよりも背が高く体格もいい。不利なのでは、と思ったが開始早々、優勢なのはガルのようだった。相手の大振りの拳を軽々と避けながら、足に蹴り技を入れて背後をとる。振り向きざまのもう一手も身を屈めて避け、懐に入った。そして大きな身体など物ともせずに投げ飛ばし、相手が仰向けになったところで首を、急所をとった。審判が終了の合図をとる。

「……すごいな」

 感嘆のため息をこぼして、アイザは相手に手をかして立ち上がらせているガルを見た。体格がいい武術科の男子生徒たちのなかで、ガルは小柄なほうだ。

「天賦の才ってやつかね。こっちの立場がねぇよ」

 あいつより先にマギヴィルで授業を受けていたのにな、とヒューは苦笑した。

「ヒューにも特技はあるだろう?」

「一芸だけでも秀でてなけりゃ男が泣くよ」

 おどけたように肩を竦めるヒューに、アイザは笑った。武術科はありとあらゆる武器の使い方を生徒たちに叩き込む。そうして自分の武器を知り鍛えていくのだ。魔法科とやり方は変わらない。騎士を目指すならばそれに合った道を選ぶし、なかには軍師のような知略を必要とする立場を志す者もいる。

「ちょ、なんでおまえがアイザと話してんだよ!」

 ヒューと二人で話していると、それに気づいたガルが威嚇するように駆け寄ってきた。

「おまえの手合わせの解説をしていたんだよ」

「いらねぇよんなもん!」

 離れろ、と言わんばかりにガルはヒューとアイザの間に割って入った。

「すごいな、ガル。あんなに体格差あったのに」

 素直に感想を言うと、ガルは虚をつかれたようで目を丸くした。

「別に大したことじゃ……」

「正直、真面目に授業を受けてるのか心配だったけど杞憂だったな」

「いやいや、座学はからっきしだからなぁ」

 あはは、と乾いた笑みを浮かべてヒューが否定する。

「おまえが言うな!」

 ガルと同じ一般教養の授業の様子を知っているので、こればかりはガルの味方をしてやるわけにはいかない。

「二人とも、早く戻らないと先生に睨まれるよ」

 注意するために慌ててケインがやって来る。そうだ、二人は授業中だった。

「それじゃあ、わたしは行くよ」

「あとでな、アイザ」

 それはつまり昼食で、という意味なのだろう。

「……ん。あとで」

 ゆっくりと歩き出すアイザにはぴったりとルーが寄り添っている。牽制の意味もあって、ルーは常人にも姿が見えるようにしている。最初はかなり注目されたが、最近はようやく皆慣れてきたらしい。

「少年の過保護ぶりは相変わらずだな」

「……それ、ルーには言われたくないんじゃないかな」

 苦笑しながらも、ガルの過保護ともいうべきアイザへの態度は否定しなかった。


『それなら問題ない。俺、アイザ以上に大事な人なんていないし』


 二ヶ月ほど前の、クリスやニーリーには愛の告白かとからかわれたガルの発言も、気にならないと言えば嘘になる。だがあのとおり、本人がまったく態度が変わらないのだ。

(あれって、どう考えてもそういう意味ではないよなぁ……)

 ガルは天然のフェミニストなんだろう。出会ったばかりのアイザに異常に親切だったのもそういうことだ。多少なりとも困難を一緒に乗り越えたことで、ガルのなかで他の友人よりもアイザが頭一つ抜きん出ているのかもしれないが、その程度のことだろう。

(好きとか、さらっと言うしなぁ……)

 何か深い意味があるのかと動揺するのは、過去にも何度かあった。

「……少年もおまえも、少し鈍感すぎるな」

「なんの話?」

「――いや、独り言だ」



 授業中の静かな廊下を歩き、セリカがいつもいる準備室を覗くと、彼女は次の授業の用意をしているところだった。

「このまま中級にいっていいと思うわよ? 十分ついていけるでしょう」

 セリカに相談すると、あっさりとそう言われた。

「上級となると専門分野を決めて選択したほうがいいでしょうけど」

「専門分野……」

 アイザはとにかく魔法使いに、とそればかりを考えていたので研究分野にしようというものを決めていなかった。頭を悩ませ始めたアイザに、セリカは苦笑しながらお茶を出した。甘く優しい香りは、ハーブを調合しているからだろう。

「あなたの目指す先が魔法伯爵であるなら、ひととおりのことは学んだほうがよいでしょうね」

 ――魔法伯爵。

 名ばかりと思っていた、父の称号ともいえるこの名は、決して女王からの寵愛を表すものではなかった。マギヴィルにやってきてからというもの、教師を中心に父がどれだけすごい魔法使いだったのか嫌というほど教えられる。

 研究者としても、魔法使いとしても、リュース・ルイスが残した功績は多い。おそらく、ルテティアを出て他の国に居を構えていたら、その活躍はさらに増えていただろう。

「……ルー。父さんって」

「リュースの跡を継ぐといっても、リュースがしていたことすべてを継ぐことはない。おまえがやりたいと思ったことをやりなさい」

(釘を刺されてしまった……)

 アイザの記憶の中で父は研究に没頭していた姿しかないが、家に父の名の著書はなかった。

 ルテティア最後の魔法使い。それだけでもすごいことだと思っていたのに、それだけではなかった。

「まだマギヴィルに来たばかりなんだから、もう少し肩の力を抜きなさい」

 セリカが見かねたようにアイザの頭を撫でる。ほらお茶を飲んで、と催促されて口をつけると、ほっと安堵するような味だった。

「やりたいことを見つけるための勉強よ。がんばりなさい。ああ、それに」

 セリカが思い出したようにカレンダーを見る。

「十日後には課外授業があるわね。希望制だけど受けてみるのもいいと思うわよ?」

「課外授業?」

 授業ではそんな知らせを聞いた覚えはない。セリカが基本的には中級以上の授業を受けている子に知らせているのだと苦笑した。

「武術科と合同で、隣の森を探索するのよ。課題はそのときで変わるからアドバイスできないけど、実地訓練に近いかしらね」

「武術科と……」

「友だち同士で組むのもよし、見知らぬ相手で組むもよし。もちろん単位はもらえるし、あなたはアテがないわけじゃないでしょう?」

 アテ、と言われてすぐに思いつくような友人は限られている。いや、そもそも友人と呼べるのはガルくらいなんじゃ……? と思いながらもアイザは曖昧に頷いた。

「何事も経験だもの。相談して、できそうなら参加してみたら?」


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