第13話 騎竜



 エスクードに連れられて自分の部屋へと戻ると、身の回りのお世話をしてくれている侍女のレーナさんが駆け寄って来た。

「蒼天の君、どこへいらしたのですかっ?」

 がしっと両肩を掴むと、焦った様子で私の全身に目を走らせる。

 レーナさんは私がお城に身を寄せてからこちら、面倒をかけて申し訳ないと思ってしまうくらいに気を配ってくれている。

 男性であるエスクードでは口出しできない女性的なことなど、この世界の習慣に戸惑う私に色々と丁寧に教えてくれた。

 それはまるでお姉さんのように――もっとも、年齢は私の方が確実に上だろうけれど。そんな彼女だから、私がいなくなったことで、かなり心配をかけてしまっただろうと想像つく。このお城の人たちは、本当に優しい。

 レーナさんが朝、私が部屋にいないことをエスクードに相談したのだろう。

「ごめんなさい」と頭を下げて謝罪する私の傍らで、エスクードがレーナさんに対して当たり障りのない説明をした。

 ホッと表情を和ませるレーナさんに私のことを預けて、エスクードは朝のパトロールへ向かうのだろう。私から上着を受け取ると、挨拶もそこそこに踵を返した。

 私は寝室横の造りつけのクローゼットに飛びこんで、服を着替えた。私はコルセットもフープといったスカートを膨らませるものも――フリルがついたペチコートは履くけれど――身につけないから、着替えは一人でできる。

 肌触りのいいワンピースに袖を通して、室内履きからブーツに履き替える。わたわたとブラシを片手に髪を梳いて、レーナさんが用意してくれていた水で顔を洗う。鏡で自分の顔をチェック。寝不足で顔がむくんでいるんじゃないかと心配したけれど、何とか大丈夫そう。

 レーナさんに出掛けてくるとジェスチャーで告げて、私は手帳と鉛筆をポケットに詰め込み、エスクードの後を追いかけた。

 展望台で彼は、空を見上げて指笛を吹こうとしていた。

 ピュッーと音が響けば、騎竜フレチャが厩舎から飛んでくるのだから、ビックリする。

 石床を蹴ってフレチャに飛び乗ったエスクードは、そこで私に気付いて目を丸くした。

「アリス、どうしたんだ? パトロールから帰って来るまで、休んでいて良かったのに」

 そう身振り手振りで言ってくるエスクードに、私は小さく笑ってメモに文字を書いてそれをエスクードの方に差し出した。

 フレチャに乗っているエスクードは、二階ぐらいの高さから私を見下ろしている。彼はフレチャの背からするりと降りてきて、軽やかに着地すると私の前に立った。それからメモを覗く。

「一緒に行ったら、駄目かな?」

 と、メモには書き記している。

 エスクードのパトロールには、私がこの世界に降って来た場所も含まれている。その辺りを自分の目で確認しておきたかった。

 どういう状況で、こちらにやって来たのか、わからないことをそのままにしておくには、私は色々なことを知りすぎたの。

 私のお願いに、エスクードは額に落ちた前髪の下で少しだけ眉根を寄せた。

「……いや、しかし」

 エスクードの目が私から逸れて、騎竜フレチャに向かう。ドラゴンは長い首を巡らせて私の方へと顔を寄せてきた。

 こんなに近くでフレチャを見るのは初めてで、一瞬、身が竦んだ。

 ドラゴンがごつごつした硬い外皮の鼻面を私に押し付けてくるに従い、エスクードが慌てる。

「フレチャ、待て。アリスはおもちゃじゃない」

 そう言ったエスクードの言葉に、フレチャはじゃれてきているのだとわかった。恐る恐る私は手を伸ばして、フレチャの外皮に触れる。

 見かけはトカゲのようなので、蛇のような手触りだったら嫌だなと思ったけれど、硬い鱗の連なりは魚のようだ。

 そして鱗はエメラルドのような深い緑色をしていて、綺麗だった。

 触れてみるとそんなに生々しくない。むしろ、ひんやりとした感触に手のひらが吸いつく感覚が気持ち良かった。

「怖くないのか?」

 エスクードが頬を傾けて問いかけてくるのに対して、私は「うん」と頷いていた。

 他のドラゴンだったら、怖かったかもしれない。けれど、エスクードの騎竜だからね。きっと、いい子だと思った。案の定、脅してくるように牙を剥くわけでもなく、つんつんと鼻の先を私の手のひらに当ててくる。

 私がフレチャの目を見ると、ドラゴンは金褐色の瞳に細い瞳孔の目をパチパチと瞬かせた。「撫で撫でして」と言っているみたい。何か、可愛い。

 くすぐる様に頬っぺたにあたる部分を撫でてやると、フレチャは目を細めて「キュー」と鳴いた。

 ドラゴンの鳴き声というより、イルカの鳴き声みたい。私のなかでフレチャに対する距離はゼロに縮まった。

「フレチャもアリスが好きみたいだな」

「えっ?」

 エスクードが笑うように呟いたそれに首を傾げれば、今の鳴き声はご機嫌な合図だとか。

 本当に、ドラゴンと喋れるの?

「フレチャも承諾してくれたみたいだから、行くか?」

 エスクードの腕が不意に私の腰を抱く。地面から足が浮いたと思った瞬間には、展望台の淵から飛んでいた。落下する私たちの下に回り込んだフレチャの背が私たちを受け止める。

 ――――び、ビックリしたっ!

 今、私……明らかに、落ちていたわよ?

 エスクードは動揺一つ見せていない涼しげな顔で、フレチャの背中を撫でると、ドラゴンは気持ちよさげに「キュー」と鳴く。

 騎士様と騎竜の間に確かな信頼関係があるようだ。フレチャの背には鞍も何もない。手綱もないのに、エスクードの身体は揺らぐことなく真っ直ぐに、背筋が伸びている。

「俺に掴まっていて」

 エスクードの手が私の腕を彼の身体に絡ませる。

 私はエスクードの膝の上に横座りする形で、彼の身体にしがみ付いた。胸板に額を押しつけんばかりに密着する。

 傍から見れば大胆な格好だろうと思う。でも、これから空を飛ぶんだよ? 恥じらいなんて、感じている余裕なんてあるものですか。

 バサリと翼がはためき、フレチャの身体が空を滑る。空気の流動に髪が泳ぐ。広がる髪にまとめてくれば良かったと思ったとき、エスクードの大きな手が私の頭を撫でて、髪の広がりを抑えた。

 後頭部を包み込む大きな手のひらにドキリとした。エスクードの手は革手袋に包まれていて、直接体温を感じることはないのだけれど……。

 額を押し付けた彼の胸板の奥、若干、鼓動が速くなったのは気のせいじゃないだろう。

 ダンスなどすることから、女性の扱いには慣れているように思えたけれど、そんなことはなかったみたい。

 ドキドキしているのが、自分だけじゃなくてホッとした。少し肩の力を抜いたところで、私の視界はぐるんと回った。

 髪の毛が総毛立つ。いや違う、重力の法則に従って、地面に引かれているだけだ。

 ワンピースのスカートが翻って、剥き出しになったふくらはぎに風が当たる。予感に目を頭上に向けると――この場合は何と言ったらいいのか――世界が逆さに引っくり返っていた。

 世界がというより、私たちが逆さになっている。

 フレチャが何を思ったのか、空にお腹を見せて――地に背を向けて、仰向けになって飛んでいるのだ。

 さすがのエスクードも驚いたらしい。当然だろう、太ももに力を込めて身体を支えていたとしても、これでは重力には負ける。

 私を抱え込むようにして、エスクードはフレチャの首にしがみついた。

「こら、何をやっているんだっ!」

 エスクードの怒鳴り声に、フレチャがくるりと身体を反転して、私たちは普通の姿勢に戻った。

 ――――し、心臓、止まるかと思ったっ!

 後、三秒でも遅かったら、私とエスクードは重力に引っ張られるままに地上に落ちていたかもしれない。

 目を白黒させる私に、フレチャが「キュッキュッ」と鳴く。

 笑っているように聞こえるのは、気のせい?

 私は真意を問うように、エスクードを上目使いに見た。そうして、気付く。私と彼はフレチャの背中に抱き合うようにして横たわっていた。

 今朝方、寝台で皇太子さまと一緒に眠っていたときよりもずっと近い距離に、エスクードの顔がある。

 しがみついている間は身長差があって顔なんて見えていなかったけれど。

 エスクードが抱きかかえるように身を屈めたため、彼の蒼い瞳が私の視線と同じ位置にあった。黒の瞳孔に蒼の虹彩。睫毛の一本一本まで数えられそうな至近距離だ。

 息が掛かりそうな距離に驚いて、私とエスクードは互いに首を仰け反らせた。

「…………すまない、アリス。フレチャの奴が気を利かせてくれたらしいが」

 難しい顔をして、エスクードは私から目を逸らす。頬や耳が赤いのは、柄になく怒鳴ったせいかしら。

 エスクードは片腕をフレチャの背に突っ張り、上半身を起こす。

 私もまた背中に回された腕に支えられながら上半身を起こし、彼の言葉に首を傾げた。

「キュウ?」

 不思議そうに鳴くフレチャが首を曲げて、私たちを振り返る。金褐色の瞳は悪びれた様子は一つもなく、鳴き声と同じように不思議そうだ。

 もしかして、私を楽しませようとしたのかな?

 空中遊泳に慣れているフレチャにしてみれば、逆さに空を飛ぶこともそんなに難しいことではないのかもしれない。

 常に空を飛んでいるものからすれば、たまにはセスナ機のアクロバット飛行のような無茶もしたくなるだろう。

 あれはテレビの映像などで見ると、やっぱり凄いと思うし、フレチャがそういう感覚で私を楽しませようとしてくれたのだとすれば、心臓には悪かったけれど、ドラゴンの厚意は嬉しかった。

 ありがとう、というように、私はフレチャの背を撫でる。

 硬い外皮にどれだけ伝わるものかと思ったけれど、フレチャは尻尾をくねらせ、「キュー」と鳴いたから、気持ちは伝わったんだろう。

 意思の疎通が出来ていることに、そっと私がはにかんでいると、頭上でエスクードの声が聞こえた。

「とりあえず、礼を言っておくよ。……フレチャ」

 ちょっとだけ苦笑交じりの声だったけれど、フレチャは「キューキュー」と機嫌がよさそうに鳴いた。

 その鳴き声は何だかとっても楽しそう。


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