第二話 新たなる事実

「大丈夫?」


 トウシロウとキリエが部屋から出て行ったあと、頬を腫らしたツキヒコにシオは水で湿らせたタオルを手渡した。タオルを受け取ったツキヒコは精一杯の笑みを作ってみたが、それがシオを安心させる行為にならないことはわかっていた。


「大丈夫。ありがとう」


 タオルを口元に当てて顔を歪めるツキヒコ。仕事柄、荒事をさけて通れないので怪我には慣れているが、今回のように真っ直ぐな憎悪を向けられることには耐性がなかった。故に、傷の痛みよりもこころに痛みが大きく響く。それにキリエのことも気になっていた。


『姉は去年なくなりました。『先生』に関わったせいで』


 ガクトはツキヒコが過去に巻き込まれた事件の黒幕である可能性が高い『先生』にこだわっていた。その理由が明らかになり、ツキヒコは重たいバトンを渡されたように感じた。別にガクトがそのバトンを渡してきたわけではない。彼が落としてしまったバトンを勝手に拾っただけだ。それでもそのバトンを放り出すわけにはいかない。今回の事件が片付いたら『先生』を追わなければならない。そうこころに刻み込む。


「気にすることはないですよ。ええ」ツキヒコの隣にいたオクトーバー・フェストが言う。「あの状況ではガクトさんを助けることは不可能でした。AKを所持する数十人の武装集団に囲まれていたわけですからね。エージェントさんは特殊能力を有していますが、その力で銃弾を跳ね返せるわけじゃありませんし。わたしとツキヒコさんが今こうして二本足で立っていることすら奇跡ですよ。片手、片足がなくなっていたとしても命さえ残っていれば運がいいと言える状況でしたから」

「いや、俺にも責任はありますよ」


 ツキヒコはタオルを強く握りしめた。


「その武装集団に襲われたのは俺のせいですから。素直にガクトさんの言うことを聞いていれば戦闘は起こらなかったかもしれませんし」

「あなたの優しさが招いた悲劇だとでも?」

「優しさじゃありません。エゴですよ」

「困りますねえ、そういうことをおっしゃるのは」オクトーバー・フェストは首を振った。「せっかくわたしがフォローしてあげたのに、台無しじゃないですか。それこそエゴですよ。ええ」


 大げさに落胆するオクトーバー・フェストにツキヒコは言う。


「台無しなんかじゃないですよ。あなたの優しさには少し救われましたから」

「少し、ですか。わたしもまだまだですね。もっと頑張らなければ。わたしの夢は全世界の男を篭絡することですから」


 ツキヒコとオクトーバー・フェストはお互いに目を合わせて微笑んだ。

 その様子を見ていたシオは苛立ちを抑えた口調で言う。


「さてと。オクトーバー・フェストさんとの交渉は後にして、先にガクトさんの話を聞かせてもらおうかしら」

「え、ああ。わかった」


 シオの気持ちのざわつきにまるで気が付かない様子のツキヒコは簡潔に高層マンションで起こった出来事を説明した。爆破現場で襲撃犯を撃退したオクトーバー・フェストと出会ったこと。高層マンションから出ようとした時に襲われている一般人を見つけて、自分がその人を助けようとしたことでガクトが殺されてしまったことを。


「そう。そんなことが」


 難しい表情を浮かべるシオに、オクトーバー・フェストが問いかける。


「シオさん。あなただったらどうしますか? 部下の暴走を許しますか?」


 じっと自分を見据えてくる瞳にシオはわずかにたじろぐ。このオクトーバー・フェストの問いが交渉の一部なのだと理解したからだ。最善の答えは何だろう。そう考えてからシオは答を口にする。


「わたしだったら部下の暴走を許しません。ガクトさんが主張していたようにわたしたちの任務はオクトーバー・フェストさんから情報を聞き出すことですから。オクトーバー・フェストさんに危険が及ぶ可能性を排除する選択をするのは当然だと思います」

「そうですか」オクトーバー・フェストはため息をついた。「シオさん。やっぱりあなたは面白くないですね。ええ。いや、ある意味、面白いのですが」


 オクトーバー・フェストの言葉にシオは語気を強くする。


「どういうことですか?」

「わかりませんか?」

「ええ、わかりません」


 仕方ないですね、とため息を吐いてからオクトーバー・フェストは言う。


「自分に嘘をつくならもう少し上手くやって欲しいということですよ。そんな顔をしながら言われた言葉を信じられるほど、わたしは純粋じゃありませんよ。ええ」


 シオははっとして自分の下唇を強く噛んだ。何も言い返せない自分に悔しさが募る。


「過保護な姑みたいに純粋な子をいじめないで欲しい」


 シオに助け舟を出したのはミヅキ・タチバナだ。彼女は無表情のままオクトーバー・フェストに近づき軽く手をあげた。


「久しぶり」

「久しぶりです。ミヅキさん」


 同じようにオクトーバー・フェストも手をあげる。ハグをしてお互いの頬にキスをしたわけではなかったが、二人の仲がそれなりに深いことがツキヒコには伝わってきた。

 オクトーバー・フェストが言う。


「でも、こういう挨拶はさっき顔を合わせた時にすると思うのですけど。タイミング的には」

「そういうのは気にしたら負け」

「商売柄、細かいことが気になっちゃうのがわたしの悪い癖でして」

「奇遇。わたしもその癖を二物として与えられた」


 小説の登場人物が会話をしているような独特の空気を醸し出す二人にツキヒコが話しかける。


「二人はどういう知り合いなんだ?」

「それは秘密」シオが言う。

「そうですね。秘密です。どうしてもわたしたちの関係を知りたいのなら大麻栽培を行っている無人島を気前よく提供してくれるくらいのサービスが必要ですよ。ええ」オクトーバー・フェストも続いた。


 冗談なのか本気なのかよくわからず、しかもこれ以上つっこんだら煙たがられるのではないかという雰囲気が出ていたので、ツキヒコは「そうか」としか言えなかった。


「ところでフェスト」ミヅキが言う。「純情処女の代わりにわたしが交渉してもいい?」

「構いませんよ。ええ。純情処女さんの代わりに一緒に面白い話をしましょう」

「純情処女って……」


 そんなシオの呟きに同情したのはツキヒコだけだった。


「フェスト」ミヅキが言う。「情報をくれればその男、ツキヒコがやる任務に同行する権利をあげる」

「はい? なんですか、それ。わたしはドンパチなんてしたくありませんよ。基本、インドア系なんですから。三メートル走っただけで息が切れる自信がありますよ。ええ」

「ツキヒコと一緒にいると面白いものが見られるかもしれない。金環日食以上に興味深いものが」

「日食って、凶事として恐れられている現象じゃないですか。太陽は生命の源なんですよ。それを隠すなんて悪い予感しかしませんねえ」


 疑問の声を出すオクトーバー・フェスト。ミヅキはそんな彼女の耳元に口を近づけて一言、二言、話をした。話を聞いたオクトーバー・フェストはなるほどとうなずき、楽しそうに微笑んだ。オクトーバー・フェストの耳元から離れたミヅキが言う。


「交渉成立?」

「交渉成立です。ええ」


 がっちりと握手をかわす二人。それを見ていたツキヒコとシオには何が交渉を成立させたのかわからない。シオは二人の間にかわされた交渉の内容を訊いてみたが、ミヅキとオクトーバー・フェストの二人は決して口を割ろうとはしなかった。


「交渉がまとまったところで」ミヅキがツキヒコに目を向ける。「ちょっとご足労願いたい。つまらない話がある」

「わかった」


 歩き出すミヅキにツキヒコはついていく。二人は作業スペースを出て廊下を歩き、つきあたりにあった扉を開いてビルの外側にある非常階段に出た。時刻は午前零時を少し過ぎた辺り。風は弱く、身体を震わせる寒さもなかったので、外に出ることに抵抗はなかった。手すりに手をつけたツキヒコが言う。


「まさかオクトーバー・フェストさんが若い女性だとは思わなかった」


 ミヅキは無表情のまま鼻で笑った。


「フェストが若い女性だと思った?」


 意外な切り返しにツキヒコは変な声を出してしまう。


「は? どっからどうみても若い女性だろ」

「そうとは限らない。フェストはどんな姿にでもなれる。マッドサイエンティスト風の老人にもなれるし、制服を着た女子高生にもなれる」

「変装のプロってことか? スパイ映画に出てくるエージェントみたいに?」

「そう。だから今の姿が本当のオクトーバー・フェストとは限らない。わたしは鼻が良いから見分けがつくだけ」


 はじめは冗談かと思ったツキヒコだったが、オクトーバー・フェストが深淵の世界では有名な諜報員である以上、冗談だとは言い切れない。とはいえ、本当に今の姿が嘘だと言う確信は持てないし、自分がミヅキにからかわれているという線は捨てきれないので、ツキヒコはオクトーバー・フェストが変装のプロだということを頭の片隅だけにとどめておくことにした。


「で、俺をここへ連れて来た理由はなんだ? みんなにばれないようにここから抜け出して飯を食いに行こうってわけじゃないだろ?」


 話を切り出すツキヒコに「残念ながらお腹は減ってない」と言ったミヅキがこう告げる。


「結果が出た」

「結果?」

「ツキヒコが持ってきた指。その持ち主」


 ミヅキの話を聞いて、ツキヒコの身体に緊張が走る。命を賭してガクトが託してくれたものだ。それが自分たちが請け負っている案件に関わっているかどうかは関係なく、気にならないはずがない。ツキヒコは先を促す。


「誰だったんだ?」

「ケンイチ・タナベ」

「誰だ、それ?」

「カオスの構成員」


 カオス。それは裏の世界で暗躍する武装組織で、過去には何度も一般人を巻き込んだテロ事件を起こしている危険なグループだ。彼らならばミマサカ機関の時期総統候補のナナカ・ミマサカを狙う可能性はある。宗教的なテロ組織と違って、カオスに思想はない。オクトーバー・フェストと同じように条件次第ではどのような仕事も請け負うからだ。端的に言えばテロを売っている企業である。そして、その事実はつまり、カオスを動かした黒幕がいるということを意味していた。

 やはり、内部に裏切り者が。

 サカエから受けた極秘任務がツキヒコの頭によぎる。


「ツキヒコ。カオスのボスの名前を知ってる?」

「タケシ……だっけ」

「フルネームは?」

「いや、知らない。そもそもタケシだって通称みたいなもんじゃないのか?」


 ミヅキは首を振った。


「タケシは本名。そして、彼にはもちろんフルネームもある。ほとんどの人は知らないけど」


 ほとんどの人が知らないテロ組織のリーダーのフルネームをどうして知っているのだろうか。ツキヒコはそう思ったが、それを訊ねたとしても秘密だと言われるだけだと思ったので、本名を教えてくれとだけ言った。


「本名はタケシ・カワスミ」

「カワスミ? それって――」

「そう。タケシ・カワスミはシオ・カワスミの関係者。父親と言い換えてもいい」


 じっと自分を見据えてくるミヅキの視線を思わず外してしまうツキヒコ。この事実が一体、何を意味しているのか。考えられることが沢山ありすぎてすぐには頭が整理出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る