06:『行き帰りし物語』の始まり≫≫

 シーツは夜気を含みしっとりと冷たかった。私が腰かけていたところだけがほんのり温かい。


 立ち上がって今度はさらに机を撫でてみる。本にも触れてみる。私はパラパラとゲド戦記の第一巻『影との戦い』のページをめくった。


 そして最後に黒猫の頭にポンと手を置いてみる。もふもふとした触感が伝わってきて、心地よかった。黒猫はゴロゴロと喉を鳴らす。


「だって……信じられない。偽物だっていうの? これがみんな? 全部?」


「それだけじゃない。図書館も、駅も、映画館も──太陽だってそうだ。この世界全てが君の記憶と〈REM〉による補足で構成されている」


 猫は、いや、猫の姿をした上条カミジョウという男は、両腕を持ち上げ、猫ながらにそう力説する。喋る猫というのは漫画やアニメなどで見ている分にはいいが実際にこの目で見てみるとなんかやだ。加えて中身が三十代のおっさんかと考えると余計に可愛くない。


「だって、私、もとの世界のことなんて何も覚えてない…… 」


「そういう風にできてるからな。仮想現実ヴァーチャルに入っている間、君の本体は深いスリープ状態に入っているし、誰だって旅行やアミューズメント・パークに行く時は現実のことなんて忘れたいだろ」

「それは、まあ」


 私はある・・事実にふと気付いて、だんだん腹が立ってきた。


「だとしたらこの“映画”全然面白くないんですけど? ドラゴンも出てこなきゃ、トム・クルーズみたいにハンサムな特殊任務のエージェントだって出てこないし……」


「それは君の本体がそういう“ソフト”を選んだからだよ。アクションやサスペンスばかりが映画じゃない。ノスタルジーに溢れた普通の女子高生が主役の映画だってあるだろ? 君のはそれを選んだ。何故だかは知らんがな」


「それにしたって…… ただ、毎日毎日普通の生活してるだけなんて、こんなの日常と一緒じゃない。こんな映画なんて、やだ」


「そう。そこがおかしい。つまり、バグなんだ」

「バグ?」

「所詮は機械だからな。故障だってする。レコードって知ってるか? 針がとんで同じところを何回も繰り返してるような感じだ。先へ進まない。“物語”が始まらない。始まらないってことは終わりもしない。かといってイジェクトもされない。つまり君はこの世界に閉じ込められた形になっている」


「ナビゲートがどうのとか言ってたけど……つまり、カミジョウさんって修理屋さんみたいなものなの?」


「電気屋みたいに安っぽい言い方をするな。俺は〈ストーリー・ライター〉だ」

「ストーカーみたいだー?」

「ストーリーライターだ。わざと聞き間違えるのはやめてもらおうか。そうだな、昔で言う脚本家みたいなもんかな」


「脚本家?」


「普通の映画と違ってヴァーチャルの場合、君の選択肢によって物語が左右するわけだからその都度臨機応変に対応していかなきゃならない。本来ならそれを機械が対応するわけだがバグの場合はそれをでラストシーンまで持っていかなきゃならない。それが俺の仕事だ」


 やっぱり修理屋みたいなもんじゃないか、と私は思ったがそれを口に出すのはやめた。


「〈REM〉だかなんだか知らないけど、そんな危険な装置が許されるの? バグなんかで何ヵ月も昏睡状態になるなんて…… 」


 そこまで言った時、私はこのカミジョウという男が映画館で言っていた言葉をふと思い出した。


(君はここで十七年生きてきたつもりだろうが実はそうじゃない。君はまだ“この世界”に来て三十分すら経ってないないんだよ)


 猫は「そうだ」と言わんばかりに頷く。


「もとの世界とこちら側では時間感覚が大幅に違う。長い夢を見ていたつもりでも目覚めてみればたった三分だった、ってこともあるだろ。あれと同じだ」


 私は呆然となった。じゃあ、この十七年間の記憶も全てが嘘なの? 全部作り物だっていうの?


「物語を終わらせさえすれば君はもとの世界に戻れる。終了したディスクが自動的にイジェクトされるみたいに勝手に放り出される。簡単だろ?」


 ーー簡単だろって言われても。

 

 私は頭がこんがらがっていた。


「全然わかんないわよ。終わらせるったって具体的にどうしろって言うのよ」


「君はすでに一歩踏み出したじゃないか。井戸部いとべくんとの恋愛を成就させるとかでもいい。夢をかなえるとか…… 何だっていいんだ」


「それを何とかしに来てくれたんじゃないの?」


 猫はフンと鼻を鳴らした。


「高校生なんだから“ナビゲイター”って意味わかるよな? “道先案内人”だ。案内はできるが歩くのはキミ、運転するのはキミなの」と、肉球を突き出してくる。


 やっぱりなんだかチンプンカンプンだ……。なんだか猫に説教されてるみたいで少しカチンときた私は軽く手を挙げて発言権を求めた。


「ごめんなさい、質問し直します。それって頼りにになるの? ならないの?」


 私の平坦な口調に対し、猫はいぶかしげに顔をしかめた。


「悪かったよ、こっちも応え直そう。俺にはこの世界の主人公である君の意志は操作はできない。状況設定や時間操作ならなんとかしてもやれるが、最終的には君が選択し、君が決定する。そうやって初めて物語が動き出すんだアンダースタン?」


 そんなに怒ンなくても…… 。


「こっちがせっかく図書館でチャンスを作ってやったってのに君はそれを活かさなかった。電車の中だってそうだ」


 そうか、状況設定とはそういうことか……。あれはこのカミジョウという男がわざと井戸部いとべくんと二人きりになるチャンスを作ってくれたということだったのか。


「そういうわけだ。せっかく仮想現実ヴァーチャルの中にいるんだ。もっと楽しめ。前向きに生きろ。行動的になれ。そしてさっさと物語を終わらせてもとの世界に戻るんだ」


 猫はふわぁと欠伸するとその場に寝転がった。


「もっとも君が本当に戻りたいと望むんならの話だけどな」と、捨て台詞を吐くとペロリと口の周りを舐めた。


「それより腹が減ったんだが何か食うものはないか?」


 仮想現実ヴァーチャルの中で腹が減るってのも変な話だなと思ったが、確かに私も小腹が空いていた。お腹がぐうと鳴ったがこの音だって偽物なのかなと考えるといったい何を信じていいのやら、私は少し分からなくなってくる。


「キャット・フードとかでいいのかな?」

「いいわけないだろ」

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