第9話 接近

 人間が登る考えを起こすのは無謀であることを無言で警告しているような岩山をそびえ立たせた尖閣諸島、魚釣島をバックに、海上保安庁と似たような白地に青色の帯の塗装を身にまとった船舶が3隻航行していた。彼らは魚釣島を背にして急速に離れつつあった。それは、勿論中国側へ向かっているのではない。石垣島方面、正確には魚釣島を目指しているであろう漁船団に向かっているのだった。海は依然凪いでおり、空は快晴だった。彼らは既に1ヶ月もの間尖閣諸島の日本の海の縁をなぞる事を凝り返してきた。そして時折接続水域を横切ってみたり、領海に入ってみたり、挑発行動を繰り返していた。挑発行動を時々行うことで、長きに渡る航海で士気の下がった乗組員の目的意識を鼓舞しているのに他ならないが、その安直な考えは、日本政府だけでなく日本国民に苛立ちを募らせてきた。「中国人は何を考えてるのか分からないな。」と遠い対岸の火事のようにニュースを見て呟いていた多くの日本人は、次第に「中国人、いい加減にしろよ。」と憤りの感情に火がつき始め、最近では「どうにかならないのか?いっそ沈めちまえ。日本は何やってんだ」と嘆く現状となっているのを、彼らは知る由もない。何故なら彼らにとって、それが任務だからだった。そして「どうせ日本はこちらが撃たなきゃ撃って来ない」という安心感が士気を下げさせる大きな一因となっていた。乗組員の緊張感が続かないのだ。国有化まで宣言しておいて警戒はしているものの、こちらが何をしても反撃はナシ。「日本人は何を考えているのか分からないな」というのが彼らの本音だった。


タブレット端末でレーダー画面の各船の位置を確認した河田は、さりげなく画面をタッチしてレーダーを閉じ、GPSによる地図の現在地の画面に切り替えて古川に差し出した。

「まもなく魚釣島です。多分中国の海監が向かってくるでしょう。そして海保の巡視船も。ここからの彼らの対処方法をよく見といてください。」

多分と言いながらも、河田は、確証を得ていた。「鷹の目」からもたらされたデータは、すでにこちらへ向かう海保の3隻の巡視船と、それを追うように尖閣諸島からこちらへ向かう中国の海監船隊を映し出していた。そして、急行してくる2機のP-3Cも。。。まぁ、こちらはこの陣形を解くつもりはないからな、せいぜい巡視船と海監とで仲良く中途半端に包囲することだな。と内心独りごちだった。


護衛艦「いそゆき」のCIC(戦闘指揮書)には、艦長の倉田が来ていた。様々な情報を集約する処理装置と大小のディスプレイと多くの端末で埋め尽くされたCICは艦の中枢とも言える存在であり、艦内部の最も安全な場所に位置していた。遠距離での状況を観察するにはここが最適な場所だった。薄暗い室内で先程漁船団の鮮やかな陣形の組みなおしをレーダー画面ごしに見せ付けれらた時、倉田は溜息が漏れるのを感じた。見事過ぎる。そもそも漁船にあんな動きは必要なのか?と疑問を感じずにはいられない。

「おい、今の見たか?」

洋上レーダーを監視していた。菊池1等海曹が隣にいた水島1等海曹に思わず声を掛けた。

「うん。3流海軍の皆さんもなかなかの高等技術を見せてくれるじゃあないか。」

水島は、おどけながら返した。こんなこと、いちいち真に受けていたら心身共に参っちまう。多少は皮肉やギャグがないとな。

「実に見事だ。」

背後から被せられた艦長の倉田の言葉に、2人は反射的に振り返った。そこには艦長の倉田がいた。

「さすがは、中国の警備船ですね。なかなか見事な艦隊運動でしたね。」

と水島は倉田に返した。こういった会話を部下が気兼ねなくできる雰囲気がこの艦にはある。倉田が着任して以来築いてきた「いそゆきの」新たな文化だった。

「こいつが中国の警備船だったらまだ張り合いがあるんだがな。お前の目は節穴か?どこ見てんだ!」

倉田は声を少しばかり張り上げた。萎縮させるつもりはないが、こいつは多少緊張感が抜けているようだ。いや、多少どころじゃあないな。対象を見誤ってるじゃないか、と倉田は内心苛立ちを隠すのに必死だった。

「あれは、漁船だよ。しかも日本のな!」

水島の隣で菊池が軽く何度も頷いている。

「えっ、漁船?日本の?...何で漁船があんな運動をする必要があるんですか?」

水島は、自分が叱責されたことには露とも気付かず、漁船の動きに興味を引かれた。

倉田は、こいつはほんとに暢気だな。と思いつつも

「実際そこが気になるとこなんだがな、妙にデジタル無線使ってるし。おっと、そうじゃない。いや、それもそうなんだが、俺が言いたかったのは、目標を間違うなってことだ。お前はホント能天気でいいよ。。。こっちまで釣られちまう。」

「はっ、情報戦にはもってこいの人材だと自負しております。」

水島はモニターから顔を上げて振り返ると、急に真面目な表情を作り、倉田に敬礼をした。

「まったく。こいつめ。さてと、一服してくるか」

と苦笑いしながら倉田はCICを出て行った。もちろん敬礼する水島の額を指で軽く小突いておくのを倉田は忘れなかった。

「ハイ艦長撃沈。」

倉田がCICから出て行くのを見届けると、菊池が茶化した。


那覇基地を飛び立ったP-3C、2機から成る編隊は着々と巡視船隊に近付いていた。巡視船隊は進路を180度変更して漁船団に回り込もうとしているところだった。そしてその後方に中国の海監船団が急速に接近してくる様子が肉眼でも見て取れた。レーダー上ではさらに後方に中国海軍の駆逐艦が4隻いることが報告されていた。

「「いそゆき」こちらティーダ3。作戦海域に到着。漁船団を巡視船が囲もうとしているところです。後方には中国の海監が3隻漁船団に向かってます。」

機長の長谷川が報告した。

「こちら「いそかぜ」艦長。了解。大盛りサービスの件は巡視船にも連絡済み。派手に頼む」

顔は知らないが、「いそかぜ」艦長がいたずらっ子のように微笑む表情が長谷川の脳裏に浮かぶ。

「ティーダ3了解。海保さんが腰を抜かしたのでは格好が付きませんからな。連絡に感謝します。では、遠慮なくサービスさせて頂きます。」

長谷川は、満面の笑みで答えた。副操縦士の高橋も笑っていた。

「じゃ、ということで、ここからは俺が操縦させて頂く。アイハブ」

即被せられた高橋3尉は、反射的に

「あ、はい。ユーハブ」

と、あっさりと、操縦桿から手を離し、操縦を長谷川に返してしまった。その次の瞬間、反論すべきだったという思いがわいてくるのを感じた。あ、全くまた乗せられちまったよ。相変わらずうまいもんだ。

「ティーダ6。こちらティーダ3。操縦しているのはだれだ?」

長谷川は聞いた。

「ティーダ3。こちらティーダ6。操縦は副操縦士の皆川2尉。」

若い声が響く。ティーダ6副操縦士の皆川2尉は、高卒者をパイロット要員として採用する航空学生出身で、P-2J時代からのベテランパイロットである。当然防大卒業後パイロットになった長谷川よりも操縦暦は長く、長谷川も皆川に鍛えられた1人だった。そして、ティーダ6の機長の大谷は、長谷川と同じく防大卒業後パイロットとなった。旧日本軍の海軍兵学校や、陸軍士官学校卒業者同様、自衛隊での防衛大学校卒業者の出世は早い。優秀な大谷はとんとん拍子に出世し、若くして1尉となり機長こそしているものの、パイロットとしての腕はまだまだだった。

「ティーダ6。こちらティーダ3の長谷川だ。大谷1尉、お前が操縦しろ。皆川2尉すみません。箔をつけさせてやって下さい。」

長谷川は大谷には頭ごなしに、皆川には申し訳なさそうに言った。そもそも大谷の腕が上達しないのは謙虚さが足りないからだと長谷川は思っていた。だから皆川さんを副操縦士に付けているのだ。空の上は階級だけじゃ務まらないということを理解するいい機会だ。皆川さんがついているからクルーに危険が及ぶような事態にはならないと思う。少しでも謙虚になってくれれば皆川さんからもっと素直に学べるはずだ。と長谷川は考えていた。

視線を感じてチラと傍らを見ると高橋が羨むような目線を長谷川に向けていた。目が合うと高橋はパッ目をそらして正面を向いてしまった。

(俺には操縦させてくれないくせに。。。)と目が訴えていた。

「なんだ高橋。シケた面して。なんで俺には操縦させてくれないんですか?って顔してるぜ。」

長谷川がからかうように言った。

「あ、すみません。図星でしたか。」

高橋は苦笑いする。

「お前はまだまだヒヨッコだろ~今のお前に本番の特殊飛行をさせたら、クルーの奥さんが全員後家さんになっちまうだろ。もっと鍛えてやるから。覚悟しとけ。」

長谷川は笑い飛ばした。高橋は、航空学生出身で教育課程を修了してこの隊に配属されてまだ3ヶ月だった

「はい。すみません。覚悟して頑張ります。」

と、真面目に答える高橋に、

「よし!」

と真面目に力強く答えると。長谷川は大声で笑った。

高橋も声を出して笑った。

「TIDA6.This is TIDA3.Are you ready?

(ティーダ6。こちらティーダ3。準備良いか?)」

「This is TIDA3.Yes,We‘ve changed Pilot Flying.

(こちらティーダ3。はい準備完了。操縦担当パイロットも交代しました。)」

「Good.TIDA6.This is TIDA3.Maintain 500、speed150、headding 270.

(良し。ティーダ6。こちらティーダ3。では高度500フィート(約150m)、速度150ノット(時速約250km)を維持、針路270度(真東)」

「Roger,TIDA6.

(ティーダ6了解)」

2機のP-3Cは、漁船団と巡視船、そして中国海洋監視船の群れにまっしぐらに突き進もうとしていた。

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