尖閣~防人の末裔たち

篠塚飛樹

第1話 出港前夜

 201X年6月22日、20時を回った石垣島の新川漁港の常夜灯は、一列に並んで岸壁に係留されている5隻の漁船の白い列をくっきりと浮かび上がらせていた。その漁船たちは、整然と動き回る船員たちにより、凛々しくさえ見える。

 4tの青いトラックからは次々とダンボールが運び出され、船員から船員へとバケツリレーの要領で船に積み込まれていった。カップ麺やレトルト食品、飲料水のダンボール箱の列が途切れると、ややあって数個のアルミケースが荷台から姿を現した。船員たちはこのアルミケースだけは他のダンボールのように軽々と扱わずに、両手で慎重に扱っていた。アルミケース自体は傷や凹みのある年代ものだったが、派手な英数字や鳥を象ったステッカーが不揃いに貼られていた。それらは古川にはお馴染みの航空自衛隊やアメリカ軍の戦闘機部隊使用しているエンブレムだった。

-飛行機マニアでもいるのか?-

 航空ショーなどで、よく見かけるアルミケースのアレンジに古川は首を傾げる。無表情できびきびと作業をしている船員達にはあまりにも不釣り合いだった。

 かつて古川もそうだったように、カメラに凝った飛行機マニアにとって角張った質実剛健なアルミケースは彼らの財産をつぎ込んだ機材を守り、人垣の後ろでは踏み台となって視界を確保してくれる頼もしい相棒だった。

 アルミケースは、古川に中身がカメラであることをさりげなくアピールしている

-尖閣に行くのにそんな機材が必要なのか?-

 取材と併せて撮影を依頼されていた古川は、若干不本意気味に常夜灯の柱に寄りかかり、二本目の煙草に火をつけながら再び積み込みの様子に目を向ける。

 自分のカメラバックの2倍はありそうな大きさの古びたアルミケースが、甲板に所狭しと並べられた食料類と別に船室に慎重に運び込まれていくところだった。アルミケースに貼られた白い鷹の頭の形をしたステッカーと、黄色いカメラメーカーのステッカーがふと目に付いた。

-204飛行隊のエンブレムだな、百里にいた頃はよく取材に行ったものだが、那覇に移動してからは行ってないな。隊員たちは大分顔ぶれが変わったのだろうか?空自(航空自衛隊)は異動が極端で悲惨だな~。しかし、いいメーカーのカメラ使ってるな、さすがは金持ち連中だ。それにしても素人さんが立派な道具で何を撮るんだ?-

 俺も昔は道具にこだわったな。あんな感じのアルミケースに沢山詰め込んで。。。

 古川は、ゆっくりと煙を吐く。

 駆け出しの頃、金も無いのにカメラはニコンで揃えた。報道といったらカメラはニコンかキャノンが定番だった。プロでもアマでも腕に関係なく金さえ掛ければ一流の道具が手に入る。良くも悪くも金さえ払えば平等なところが資本主義だ。こんな俺でもメインに大型のF3、サブには小柄なFMを持って歩いた。どちらもピントを手動で合わせるマニュアルカメラだ。F3の場合は写真の命である光の取り込み具合を決める「シャッタースピード」や「絞り」は今時の一眼レフデジカメ同様「シャッター優先」や「絞り優先」で自動にすることもできるが、FMはそれさえもできない。全てが経験と勘だ。露出計にボタン電池を使っているだけで、写真を撮るのに電池は不要だ。

 しかもフィルムの場合はデジカメのようにその場で画像を確認することはできない。現像するまでどのように撮れたか見ることはできない。まさに腕の世界だったのである。

 しかもフィルムは1本で36枚しか取れないから、すぐに取り替えることになる。それもカメラから取り出す前にフィルムケースに巻き戻しておく必要があるからフィルムの交換に1分は掛かる。


-巻き戻さないでカメラの蓋を開けると大変なことになる。-

 古川は懐かしい思い出に吹き出しそうになり、ぐっと飲み込む。決して漁民の格好が滑稽なほど似合わない男たちを笑っているわけではない。

 古川は小学生の頃、父親のカメラの蓋を開けたことがある。巻き戻すことが必要だということも現像の意味も知らずに。。。

 あれは夏休みのことだった。。。あと2枚だけ撮れるから、好きに撮ってみろ。と言い残して仕事に出かけた父に使い方を聞くのを忘れていたことを後悔しつつ、古川少年は、自分のお気に入りの飛行機のプラモデルを見よう見まねで撮った。

 本体には良く分からない数字や記号、アルファベットが刻まれたダイヤル、それにレンズの付け根にあるグルグル回るリングにの意味不明な小数点のある数字は何だ?今の自分にとってはかなり重要な事だが、当然古川少年は知らなかった。とりあえず本体の数字だらけのダイヤルは、意味ありげに自己主張している「X」に、レンズのリングは、「A」にした。「自動はオート」だから「オートってAで始まるんだったよな」といった程度の知識だった。

 撮ってみたらすぐに見たくなる。それは大人になった今も変わらない。

 古川少年は、四苦八苦しながらやっとのことでカメラ蓋を開けた。本当に意味不明な開け方だった。ボタンひとつでは開けられない構造の意味を今なら知っているが、当時は知る由もない。

「やった!」

 と独り言にしては大きな声で、蓋を開けると、これまた意味不明だった。カメラの中で左側には緑色のよく見掛けるフィルムケース。フィルムケースから出ているフィルムは裸のままで右側に巻かれている。その真上にはシャッターを押す前に引くレバーがある。このレバーを引かなければシャッターボタンを押しても何も起きないのは知っていた。どうやらレバーと裸のフィルムが巻かれている軸は連動しているらしい。

 蓋を開けたままゆっくりレバーを引いてみると、左側のフィルムケースからフィルムが引っ張られて右の軸に巻かれていく、その途中でレバーが固くなってこれ以上フィルムを巻けなくなった。もうフィルムケースの中にフィルムはないのだろう。フィルム切れってこういうことか。。。

好奇心が納得に変わる。なんか楽しい。。。

 右側に巻かれているフィルムを引き出そうとするが、これがなかなかうまくいかない。レバーと連動した軸が頑なに動かない。

 軸が動けばいいのか、、、レバーと連動してるということは、上にはレバーしかない。下は、、、ひっくり返したカメラの底、軸の真下にあたる場所が窪んでいて銀色のボタンがあった。押してみる。最初ちょっとだけ固かったボタンがへこむ。フィルムを引っ張ると参りましたと言わんばかりに軸が回って素直にフィルムを出してくれる。

「僕って天才。」

 引き出したフィルムを太陽にさらす。

 映画のフィルムのように撮影した画像が透けて見えると思っていたが、フィルムには何も写っていなかった。片方は一面黒くて反対側はベージュ一色だった。とても透けて見えるような代物ではなかった。


-親父に悪いことしたよな~。-

 また吹き出しそうになる自分に当時の父と同じぐらいの年齢になった古川が心の中で苦笑する。


「フィルムって何も見えないんだね」

仕事から帰宅した父にベルトのように例のフィルムを両手でいっぱいに広げて見せると、父は今までに見せたことのないような表情を作った。怒っているような悲しいような。

ワンテンポ遅れて嘆くように吐いた言葉を覚えてはいないが、口調は怒鳴っているときと一緒だった。

「ごめんなさい。。。」

その言葉で怒鳴り声が思い出したように止まる。

「そうだよな。仕組みが分かんないんだよな」自分を諭すように呟いた父は、カメラのことを説明してくれた。それこそ幼い古川の瞳を覗き込むようにして理解しているか確認しながらいろいろな図を書いて話してくれた。

 翌日、帰宅した父はカメラ屋の紙袋から例のフィルムを現像、プリントしたものを広げた。

 シャッターが開いた一瞬の光に反応して画像として記録しているフィルムを現像前に光に当てるとどうなるか。眩しい光をたっぷり「追加」されるようなものだ。シャッターを開けっぱなしにしたような状態になれば、眩しい写真になるだろ?

 父は昨夜説明してくれた話の一部を繰り返した。

 そして、広告の裏紙に曇りの時、晴れた日、蛍光灯の室内それぞれの場合のシャッタースピードや、レンズの絞りの設定を書いてくれた。そして紙袋から新しいフィルムを1本取り出した。

「フィルムをセットしてみろ。」

「いいの?」

 昨日の事件でもう二度とカメラを触らせて貰えないと思っていた古川少年は父を見上げた。そこには優しい笑顔があった。

「36枚撮れるからな。夏休みだし、好きなものを撮ってみろ。」

「ありがとう。」

 父は満足そうに頷くいた。

「あ、そうそう。撮り終わったらフィルムの出し方を教えてやるから。今度は開けるなよ。」

 罰が悪そうに下を向いた少年の頭を指の太い手がくしゃくしゃに撫でた。

「いいんだ。気にするな。」

 それ以来古川はカメラに夢中になっていった。

 

-あの時、俺の生き方が決まったような気がする。-

 デジカメで便利になったが、もしあの時にデジカメがあったらカメラを使った仕事はしてないだろうな。。。


 今やデジタルの時代、シャッター幕を開いて被写体を光として焼き付ける原理は同じだが、受けた光をデータとしてメモリに書き込むメカニズムは画素数と呼ばれる画像の精密さが加速度的に上昇する過程で気がつくと報道の世界にも浸透し、あっという間にフィルムを追いやった。そもそも、現像など不要なのですぐにデータとして画像を送れる利点も大きい。もうフィルムを持ち歩く必要も、フィルムを巻き上げる必要もない。

 それは一眼レフカメラ自体の構造も変えた。フィルムを手で巻く必要もモータードライブで巻き上げる必要も無くなり、フィルム本体のケースとフィルムを巻き取る部分のスペースは不要となった。それでもフィルム時代末期のオートフォーカス一眼レフカメラと比べて大差ない形なのが古川には滑稽に思えた。

-機能美というより「道具としてあるべき形」なのかも知れないな。でも道具としては未だにしっくりこないんだよな-

 その過渡期を駆け抜けてきた古川は、手元のデジタル一眼レフカメラを優しく撫でた。

-だけど大きく変わったことがある-

 今や家電量販店でも扱われるようになったカメラ達。便利なのは確かだが、電池がないと動かない。フリーになってからは、撮ることも大事だが、記事も大事。綺麗に撮ることよりも「撮れていること」を重視した。だから海外の戦地で取材するときは今も小柄で電池の要らないFMを持っていく、防塵防滴ではないから砂漠の砂が入らぬように、ジャングルで豪雨に打たれぬように対策が必要だが、どんな環境でも確実に写真が撮れる。昔のマニュアルカメラはデジカメのように電気がないと機能しない電気製品ではなく精密機械だ。寒さでグリスが固まると動かなくなるだろうが、温める。という対策をとれば写真は撮れるのだ。

-だから道具といえば、アイツになるんだよな。。。-

 今となっては遺品となってしまったあの時のカメラ。。。父から貰ったFMは、今だに現役だ。


 4ヶ月前、以前勤めていた新聞社の先輩である権田から軍事関係に詳しいフリーの記者を探している人がいるという電話があった。その先輩は、新聞記者として配属されてから一緒に仕事をしてきた人で、報道のイロハを古川に厳しく、そして時には熱く叩き込んでくれた人間だった。防衛省担当から社会部への移動が打診されていたある日、半人前とドヤされようがフリーで仕事をしてみたい。と意を決して権田を飲みに誘った居酒屋で、古川がフリーになる決心を話したとき、一気にウィスキーのロックを呷ると、ただ一言、

「俺たちの報道魂を試してこい!しっかりやれよ!これからもよろしくな。」

と肩を叩いて微笑んでくれたのだった。古川にはその目は微かに潤んでいるように見えた。怒るでもなく、理由を詮索したり引き留めることもせずに、古川は何故か溢れてくる涙が止まらなかった。その後は日本の防衛について、周辺諸国との外交と国防について、防衛省担当らしい話題をいつものように熱く語り合ったのだった。あれから4年が過ぎたが、半年に一度は一緒に飲みに行くことにしていた。その間も、権田は古川を半人前扱いしたり見下したりするようなことはせず、情報を交換したり、古川が行き詰まった時には厳しくも遠回しにアドバイスをくれる間柄になっていた。今では先輩後輩というよりも、かけがえのない友人という存在になっていた。それでもどこかでいつになったら権田に追いつけるのだろうか、と常に思っていた古川は、権田に認められる存在になるのが当面の目標だった。そんな権田から古川が仕事を紹介されたのは、今回が初めてであった。

 嬉しさと不安とが頭を駆け巡る。とにかく受けたいが、大丈夫なのか?それが気になった。どんな仕事かと聞くと、権田は内容は知らされておらず、詳細は会ってからということが条件とのことだった。

電話越しでも古川の戸惑いを感じたのか、権田は、こう付け加えた。

「お前はここまでフリーでやってこれたんだから、堂々とやりゃあいいんだよ。俺からの仕事も受けるのも断るのもお前の自由だ。ただ、このネタはお前にピッタリだと思うぜ。」

 その言葉を聞いて古川は、権田から初めて仕事を貰ったことに、認められたという嬉しさもあり、断るという考えはそもそも無かったが、その好意に報いたいという自信が芽生えてくるのを感じた。古川は、不安と疑問を飲み込み、そこまで一人前扱いをしてくれた権田に、根掘り葉掘り聞くことはやめ、とりあえず話を聞いてみることにした。

 それから2日後、古川に電話で先方からの連絡があった。相手は田原と名乗り、依頼人の代理であり、依頼人は沖縄にいるので直接は話せないという。依頼人の名前を聞くと、電話では話せない。と田原は言った。一瞬何か嫌な予感がしたが、古川は田原と会うことにし、日時と場所を打ち合わせて電話を切った。

 1月中旬のある日の昼下がり、古川は打合せの場所に指定された都内のホテルに向かった。

 非常に寒い日で都内は今にも雪が降り出しそうな高い灰色の雲に覆われていた。田原とはホテルのロビーで待ち合わせることになっていた。約束の時間よりも15分前にロビーに着いた。高い天井とクリスタルの散りばめられた照明、磨きあげられた大理石の大きな柱がこのホテルの格調の高さを静かに語りかけてくる。

 こんなホテルに泊まれるほどの売れっ子にはなれんだろうな、と思わず古川はひとり苦笑い浮かべた。ロビーに入ってきた古川を見ると大きなソファーにもたれ掛かるでもなく、浅目に腰掛けた太股の上に両手を揃えて背筋をピンと伸ばしていた白髪頭の初老の男性がすっと立ち上がり、古川に向けて深い会釈をした。ピンと伸ばした背筋に深い会釈、まるで軍隊の最敬礼だな、と思いながら古川は軽く会釈を返した。

 その男性は、古川に近づくと、再度頭を下げて、

「田原と申します。先日はお電話で失礼致しました。本来ならばこちらからお伺いすべきと頃ですが、事情が事情ですので、こうしてお呼び立てすることになり、恐縮です。」

と小声で言った。

古川も声を潜めて

「いえいえ、私もそうとは知らず、電話口であれこれと詮索してしまい、申し訳ありませんでした。今日はよろしくお願い致します。」

と返した。

「いや、お気になさらないでください。あのように頑なに「言えません、お会いしたときに」という事を連呼されれば誰でも心配になりますよ。お恥ずかしい限りです。では、打合せのための部屋を用意しているので、ご案内します。」

軽く苦笑いを浮かべた田原は、すぐに表情を引き締めてついてくるように促した。

 田原に続いて踵が沈み込む感覚を受ける厚い絨毯の敷かれた廊下を歩き、木目調のパネルの壁面と、ステンレスの地肌にエッチングで細かい模様を刻み込んだドアで高級感と落ち着きを表現したエレベーターに乗り込む。古川が乗り込むと、田原は他の客に乗り込まれるのを拒むかのように7階を押して即座に戸閉ボタンを押した。落ち着いた雰囲気を醸し出す田原の落ち着きの無い挙動、その田原の行動一つひとつに古川は、これから明かされる仕事の危険度が高まっていくのを感じずにはいられなかった。

 エレベーターを降りてすぐの部屋が田原が用意した部屋だった。エレベーターを降りると廊下をさっと見渡してからそそくさと部屋のドアを開けて古川を部屋に通すその実は目立つ行動を見て、こういった行動に田原は不慣れなのだと古川は気付き、古川は田原に悟られぬように小さな安堵の息を吐いた。今回の仕事の話がたとえ大きな話でも、この素人集団に万が一にも俺が消される話にはならなそうだ。と、古川は感じたのだった。

 部屋に入ると、4人用だが広く場所をとった応接セットがあり、古川はそこに座るように勧められた。

「お飲み物はいかがですか?コーヒーですか?紅茶ですか?」

そう聞く田原の言葉といい、この部屋に来るまでの行動といい、落ち着いた雰囲気には遠く及ばぬ落ち着きのなさだ。やはりヤバイ話なのか?古川はまた不安になる。ま、お互い落ち着く必要がありそうだな。と古川は考え

「それじゃ、コーヒーを頂けますか?」

と答えた。

「あ、私もそうさせて頂きます。コーヒーって何だか気持ちがほっとしますよね。」

と半ば自分に言い聞かせるように呟いた田原は、部屋に備え付きのインターホンを使ってフロントに飲み物を注文すると、田原は一言、失礼します。と会釈してから古川の向かい側に浅く腰を降ろした。

 ここのところの天気の様子、今年は雪が多いこと云々、他愛も無いことを田原が言っている間にドアのチャイムが鳴った。田原は「失礼」と言いながらそそくさとドアを開けてコーヒーの入ったトレーを受け取り、ドアを閉じた。

 田原は、古川の前にコーヒーを置き、自分の前にもコーヒーを置いてソファーに腰をかけると

「さ、どうぞ、熱いうちに頂きましょうか」

と古川に勧め、自分もひとすすりした。

「頂きます。」

と古川もひと口飲む。

 古川がカップを置いたと同時に田原は身を乗り出すように

「古川さんは、軍事関係にお詳しいと聞きましたが中国海軍をどう思いますか?」

と切り出した。ソファーに浅く腰掛けていただけに田原が迫ってくるような圧迫感を受け古川は反射的に身を引きつつ、ありきたりな質問に内心ほっとした。

「中国海軍は、急速に近代化、増強を進めていますね。近代化は、技術の進歩によりここ数年各国でも行われていますが、増強については、独特ですね。背景には中国政府の海洋政策があることは周知の通りですが、ただの増加ではなく、これまで以上に警戒しなければならないと考えています。海軍の増強は、総トン数を増やし、すなわち隻数を増やすことで艦隊を増強するのですが一般的で、これは勿論中国海軍も行っていることなのですが、明らかに異常なのが空母の配備です。中国海軍が最近就航させた空母遼寧は旧ソビエトが開発した空母のうち未完成のヴァリャーグを買い取り、中国で仕上げたという空母です。空母としては、固定翼、あ~、ヘリとか垂直に離着陸できる機体ではなくて普通のジェット戦闘機の類ですね。これらを運用する空母としては、旧ソビエトでも初の空母だったため、紆余曲折あり、性能の高い空母とはいえません。例えば、空母は航空機にとっての滑走路となる飛行甲板が短いため、発艦つまり離陸する航空機はその短い距離で離陸できる速度まで加速する必要があります。このため、アメリカ、フランスではカタパルトでいわば打出すようにして発進させています。そのカタパルトは蒸気で動かしています。

 一方でカタパルトの無い空母に多く見られるのは、飛行甲板が先端に行くほどせり上がっていくいわゆるスキージャンプ式飛行甲板があります。この方式を編み出したのはイギリス海軍で、航空機はこの上り坂になった飛行甲板を駆け上り、まさにジャンプするかのように発艦します。そもそも、イギリスには、イギリスが独自に開発した垂直離着陸機、すなわちヘリのように真上に上昇でき、真下に降下できるハリアーというジェット戦闘機があります。このハリアーが重装備で離陸する場合には、垂直には離陸するほどのパワーを得られないので、少し滑走して揚力をつけて離陸する短距離離陸を行います。これを空母でやる場合に有効なのがスキージャンプ式なのです。ロシア式もちろんそのお下がりを買い取った中国もそうですが、カタパルトが無いため、スホーイ戦闘機など、通常の戦闘機を発艦させるのにスキージャンプ台を使用しています。多少改造はされているようですが、所詮普通の飛行機です。先ほどのハリアーとは逆に、スキージャンプ台を使用して普通の航空機を飛ばすためには離陸する重量を小さく、すなわち武装を減らすか、燃料を減らすしかないんですよ。これは、空母があっても航空打撃力と行動半径が著しく小さいということになり、せっかく通常の戦闘機を空母から運用している意味が無くなってしまうんですよね。先ほど申し上げたイギリスのハリアーが通常の戦闘機に対して劣るのは、速度、武装搭載量、行動半径なのですから。」

古川は、ここまで一気に話すと、一旦話を区切って冷めて飲み易くなったコーヒーをひとすすりした。話題が中国海軍の空母に集中してきてしまい、自分の飛行機好きが前面に出てしまったようで、気恥ずかしくなった。説明したいのは気になる中国海軍の動きだったのだが、久々に話が逸れてしまった。何よりも、田原は深く頷いたり、「なるほど」と呟きながら話を聞いてくれるので話しやすいというのがあるのかもしれない。

「話が逸れてしまいましたね、どうも昔から飛行機が好きなもので、話が飛行機の方へいってしまいました。さて、このような中途半端な空母でも、あるのとないのは大違いなんですよね。戦前、大艦巨砲主義という巨大な艦に巨大な砲を搭載した戦艦が最強と言われていた時代、その戦艦での威圧を外交の切り札にするという砲艦外交というのがありましたが、今は空母が戦艦に取って代わっています。よくある例ですが、アメリカが緊張地域に空母機動部隊を派遣するだけで、相手国は軍事的にも政治的にも牽制されてしまいます。過去に中台関係が緊張する度にアメリカが空母機動部隊を台湾近海に展開させて演習という名の牽制をしてきたことは中国にとって長年の屈辱となっていたに違いありません。先ほど述べた垂直離着陸機ハリアーを運用できる空母は、イギリス、インド、イタリア、スペインなどで運用されていますが、飛行甲板が短くて済むためいずれも小型のいわゆる軽空母です。一方でアメリカのように通常の航空機を運用する空母は長い飛行甲板が必要となるため大型の空母が殆どです。このような空母を運用しているのは、アメリカ、ロシア、フランスのみでした。ここに空母の運用経験を持たない中国が名を連ねたということは、大きな意味があります。先ほど、カタパルトを持たないロシアの大型空母は中途半端だと申し上げましたが、通常の航空機を運用できる大型空母というインパクトは、アメリカの空母機動部隊並みなわけです。中国はこのインパクトで、アメリカと同様の海洋外交を進めようと考えているのではないかと私は考えています。いずれ中国海軍はアメリカ海軍と肩を並べようとしているのではないでしょうか。」

ひと呼吸おいて古川が言葉を終えたのを見届けてから、田原がゆっくりと口を開いた。

「尖閣での活動もその現われとお考えですか?」

 古川は大きく頷きながら

「そうですね。アメリカが安保を傘に含みを持たせた発言をして牽制をしているつもりでしょうが中国は一歩も引きませんね。やはり経済を握られているアメリカが大きく出られないのを中国は見抜いている。今は海洋監視船や漁業取締船を常駐させてあの海域で存在を世界にアピールしているのだと思いますが、同時に日本を煽っていると考えています。」

 古川はソファーから体を起こして太ももの上に置いた両肘、握り合わせた両手の上に顔を乗せて身を乗り出し静かにしかし真剣に自らの思いを語った。その時、古川のワイシャツの胸ポケットに煙草が入っているのが田原の目に入った。

 田原は、我が意を得たり、といった感じに深く頷きながら、テーブルの隅にあるクリスタル調の灰皿を古川の前に差し出した。

「さ、お吸いになるならどうぞお構いなく。日本を煽るというのは、穏やかではないですね。何が目的で煽っているとお考えですか?」

 と古川と同じ姿勢で身を乗り出して結論を引き出そうとする。

「ずばり、海上自衛隊を引き出そうとしていると思いませんか?」

 と言いながら古川は胸ポケットからラークを取出して、愛用のジッポで火を点け、深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 いきなり質問を投げ掛けられ田原は面食らってしまった。田原としてはもっと古川の本音を探りたいところなのだ。

「海上自衛隊をなぜ引き出す必要があるのですか?」

 田原は聞き返した。

 古川は、よく話しを聞いてはくれるが、ここまで言っても質問してくる田原の理解力のなさに平和ボケした年配教師のイメージを重ねてしまい、多少苛立ちを感じつつ、その気持ちを抑えて教え子を諭すように口を開いた。

「中国海軍の優位を示すためです。尖閣が日本領であるのはアメリカも認める明らかな事実。中国はここまで来たら認めることの出来ない事実です。であるならば、国民も、世界も納得する正義でこの事実を崩すしかない。中国海軍よりも先に海上自衛隊をこの海域におびき出し、海上保安庁並みの装備しか持たない中国の海洋監視船や漁業取締船に危機一髪の事態を作り出したところに中国海軍が大挙して押し寄せ一触即発の状況にしつつ海上自衛隊を圧倒する。彼らは経済問題のため手を出せないアメリカを知っていると同時に、実力行使のできない自衛隊を知っています。これで国際世論で堂々と日本を非難し、中国の領有権主張をもう一度理解させるチャンスが出来、なおかつ中国海軍の強さをアピールできる。中国国民の士気もいやおうなしに上がりますよ。中国にとってはいいことずくめです。」

古川が言葉を切り、すっかり冷めたコーヒーを口につけると

「なるほど、そうですね。あ、新しく熱いコーヒーを貰いましょう」

と言って席を立った田原は、インターフォンでフロントを呼び出し、丁寧な口調でコーヒーの追加を依頼していた。

 そんな姿をぼんやりと眺めていた古川は、すっかり相手のペースに載せられて喋りまくってしまったが、自分には、まだ田原の素性すら知らされていないことに今更ながら気付いた。

 ソファーに戻りながら、田原はスーツの内ポケットから、ショートホープを取出し、100円ライターで火を点けた。

「お、田原さんもお吸いになるんですね。ショッポですか、渋いですね」

と古川が田原も喫煙者と知って、安心したように言った。

「古川さんこそ、赤ラークとは、お強いですな。」

 と田原は返した。

 二人が煙草の火を揉み消した頃に部屋にチャイムが鳴った。田原がドアを開け、コーヒーを受け取った。

「さすがは権田さんが紹介してくださった方だけのことはある。とても的確な御意見だと思います。私たちが同行取材をお願いするのに適任です。」

 飲み干したコーヒーカップを下げながら、テーブルに新しいコーヒーを並べる田原は安堵の表情を浮かべた。

「やっと仕事のお話に入れるという訳ですね。すっかり話しに夢中になってしまいました。同行取材ですか?」

と、古川が嫌味と捉えられないようにあくまで爽やかな口調で返した。

ソファーに浅く背筋を伸ばして腰掛けた田原が改まった口調で切り出す。

「そうです。同行取材です。我々の活動を独占取材して頂きます。但し、お願いがあります。この件をお受けになる、お受けにならないに関わらず、口外無用であることをお約束頂けますか?」

脅すというよりは懇願ということが田原の困惑した目元から伝わってくる。

「もちろんです。田原さん安心してください。ただ、お話を伺ったのにお受けしなかった場合、どこぞやの海に沈めるなんてことはなさらないですよね。」

 古川は、どこまでこの話を聞いたら受ける、受けないの線引きが出来るか、出来れば断っても問題ない程度の情報で受ける受けないの判断をしたかった。どんな話かまだ分からないが、聞き過ぎて後戻りが出来ないような話はマズい。これで田原にも、受ける受けないを判断するまでは必要以上の情報を示すべきでないということが伝わっただろう。

 それにしても田原のような老紳士がそんなに危険な仕事をしようとしているようには思えないが。。。

田原は、一瞬眉間に皺を寄せたが、本人は精一杯はにかんだような笑顔を作っているのが分かる強張った笑顔で

「と、とんでもない。私たちはヤクザじゃないですからね。ま、そういうことは、今やヤクザじゃなくてもやるでしょうけどね。恐ろしい世の中です。」

慌てた口調で返す。古川は(否定はしないんだな。。。)と警戒を強めた。

「ま、安心してください。引き受けて頂けるまでは、聞かれて困る情報は開示しません。ですから、これから行う私の説明で気になる点があれば、随時質問してください。応えられる範囲でお答えします。もちろん引き受けて下さった後は、隠すことなく何でも開示しますよ。」

と、田原は後を継いで言った。

「分かりました。では、お願いします。」

古川は、ソファーに多少深く座りなおして田原に軽く会釈しながら、話を促した。

田原は軽く頷いてから、背筋を伸ばし、静かに語りだした。

「私どもの素性も明らかにせず、ここでこうしてお話をさせて頂いていることの無礼はお許しください。我々は、国際問題、国防問題を広く国民の皆さんに訴え、そして世論を変えて日本を真の主権国家にしていきたいと考えている団体であることを念頭にして、お話をお聞きいただければ、と思います。」

古川は、軽く頷いた。田原は続ける。

「戦後日本は、朝鮮戦争特需、高度経済成長で、一気にアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になった。その努力する国民の力は信じられないほどの強さを持っていたといえます。しかし、戦後復興のもと焼け野原から這い上がってきた日本は、何かをないがしろにして成長してしまった。それは、平和です。「何を言うのか、平和はないがしろになっていない。現に戦後70年、日本はずっと平和だったじゃないか。」と皆さんおっしゃるでしょうね。でも実際にそうでしょうか?太平洋戦争で多くの犠牲を出し、そして犠牲を与えた日本が、世界に例を見ない平和憲法である憲法9条を築きました。この平和憲法によって平和を宣言し、平和を維持してきた。平和を享受しながら経済成長を遂げ、経済大国になることができた。と多くの国民は思うでしょう。それはある意味正しい。自分たちの平和憲法を誇りとし、平和運動を行っている市民団体も沢山ある。平和憲法は平和を愛する国民に誇りと自信を与えているといえるでしょう。しかし、国として政治としてはこの約70年の長きに渡り、何をやってきたでしょうか?曖昧にしてきただけじゃないか?国防については、ずっと凍結されてきた。と我々は考えています。

 各国が軍を持っている、そして国境がある以上、国防の手段が必要になります。「我々は憲法で戦争を放棄しているから、戦争はしないよ。」は、通用しませんよね。相手は、国防・侵略のために軍隊を維持している訳ですから、戦争をするために軍隊を持っているのですから、侵略をためらう筈がありません。強力な同盟国など、いざというときに守ってくれる強力な後ろ盾がないと、為すすべもなくあっという間に蹂躙されてしまいます。この矛盾に気付いたアメリカは、戦後ほどなくして勃発した朝鮮戦争で、日本の防衛どころではなくなったアメリカの要望により、警察予備隊が発足しました。兵器はアメリカの供与品。戦後数年で、かつての敵の兵器を操る気持ちは複雑だったでしょうね。ま、ともかく、ここですでに歪が発生しています。彼らを軍隊として位置づけをしなかったということです。アメリカから供与された戦車を「特車」と呼ぶくらいですからね。

 そしてそれが、歪んだままの位置付けのまま保安隊となり、自衛隊となりました。後に、戦闘機、戦車などというようになったのは、周知の通りです。あ、その辺は古川さんの方がお詳しいですよね。

 そして、自衛隊は保有兵器の数こそ少ないものの、日本の経済成長に合わせて新鋭の兵器を導入してきました。歪んだ位置付けのままに。。。こうして、平和憲法を守るための平和運動。その市民運動によって、平和憲法に対する国民の思いは強いが、国を守ることに関しては、戦後70年の空白があるということです。これは、言わば平和ボケした日本人と「ひとくくり」にしては何の解決にもならないということです。平和憲法を守るのは大事だが、それ以上にその平和憲法の国を守る力の大切さを理解して欲しい。あの永世中立国スイスだって軍隊を保有しています。いざというときは自分達の力で中立を守らなければならないからです。それと同様に日本も自分たちの力で平和を守らなければならないのです。戦後70年は、平和だったのではなく、単に日本を侵略したい。という国が無かっただけの話です。

 私たちは、国民に平和と国防の大切さを訴えたい。そして真の自立ぁ?平和国家となってほしい。そういう時期にさしかかっていると思います。なぜなら冷戦後は平和になったと見られていますが、冷戦時代のほう日米安保は明確でした。西側か、東側かの2つしかない。西側の最前線である極東の日本が危機に陥れば、アメリカが必ず守りに来る。なぜなら、西側の拠点が少なくなるからです。それなのに今はどうでしょうか?西側・東側ではなく、日本、アメリカ、中国、ロシアなどなど、それぞれの国と国です。国益が安全保障を上回っていることが多くなってきたと思いませんか?」

田原が問いかけてきた。

「アメリカと中国、ですね。」

古川は、落胆気味に応える。まだ、冷戦時代のほうがハッキリしていたのかもしれない。少なくともアメリカが中国に媚びる必要は無かったはずだ。

 それを受けて田原も深くため息を吐きながら続けた。

「そうですね。特に中国は、冷戦、いや、それより数年前の市場開放によって、経済的に西側諸国とのつながりが強くなった。そのしたたかさで中国は、世界の工場、そして世界の消費地として西側諸国にはなくてはならない存在となってきた。そして、自らも西側諸国の技術を学び、延びてきたのも事実です。その中国が、先ほど古川さんがおっしゃったように、海洋国家を目指して拡大している。アメリカがあの状態で、中国の暴走は止まりません。どうやって日本は自らの領土を守るのか?日本政府は国民に、そして国際社会に今こそ示さなければ取り返しがつかなくなる。今回私たちは、そこに目をつけました。」

 田原が一旦言葉を止めた。

すると反射的に古川が割り込む。

「活動というのは。。。尖閣?」

かみ締めるように古川が発する。

 田原は大きく頷いた。

「そうなんです。我々は尖閣へ行きます。日本人として、中国に既成事実を作られる前に!」

田原は、語気を強めてそう宣言した。

「尖閣へ、、、私も同行しろ、ということですね。まさか上陸するわけじゃあないですよね?」

古川は、喉がカラカラになるのを感じながら、平常心を保つよう自分に言い聞かせながら田原に聞く。古川の脳裏に中国、香港、台湾の活動家が、尖閣に上陸して中国、台湾の国旗をかの地にはためかせた時の新聞記事が浮かぶ。日本人があんなことをしたら即、中国軍に叩きのめされるであろう。たとえ民間人であったとしても。。。

田原は、古川が怯えた表情を見せたのを見逃さなかった。

「そんなに怖がらないでください。現に中国人も上陸したじゃないですか?香港人や台湾人と一緒にね。あれを日本人がやったらひとたまりもない、古川さんはそう思ったんじゃないですか?古川さんほど知識をお持ちの方でも、そう考えてしまうところが、日本人の国防に関する意識の問題なんだと思います。日本の領土だと言い張りながら、そこに立つことに怯えている。そうです。確かにそんなことをしたら、尖閣は、地形が変わるまで中国軍の攻撃を受けることになるでしょう。我が国から何の反撃も受けないままにね。

でも、安心してください。我々は尖閣には上陸しません。船で接近するだけです。その活動を軍事・防衛問題に詳しい古川さんに密着取材してほしいんです。」

田原は言い終えると背筋を伸ばし直してコーヒーカップを口に運んだ。

「他にこの話を打診している記者なり、新聞社はあるのですか?」

 身を乗り出して古川は聞いた。この話を逃したら勿体無い。

「いえ、他には声を掛けていません。権田さんですら、この内容を知りません。あなたに口止めをお願いしているように、この話が事前に他に漏洩すると、この計画自体を潰されかねません。尖閣に近づけなくなる。ですから計画を実行した後、古川さんにスクープとしてこの密着取材の内容を公表してもらいたいのです。既成事実となり、報道されれば、誰にも止められなくなる筈です。どうですか?我々の広報担当として協力して頂けませんか?」

田原はそう言って頭を下げた。

「頭を上げてください。お聞きしたいことがあります。なぜ計画が事前に知れると潰されるんですか?」

と、古川はズバリ聞いてみた。

「それは、つまり私たちのメンバー構成が特殊だからです。すみませんが、これ以上は引き受けていただけないと話せません。」

そういうと、眉間に皺を寄せつつ、口を真一文字に結んだ。この人は表情豊かだな、しかし顔に出やすいタイプなのか芝居なのか、とつい考えてしまうが、古川は、これは大仕事になる。と自分に言い聞かせると、不思議と(やってみたい)という好奇心が芽生えてきた。ならば、まずは条件だな。

「そうですか、では、別の質問をさせてください。どのような取材になりますか、期間、回数、私の行動・報道の自由、ケチな話になりますが、交通費とか。。。それとずっと独占取材にさせて頂けるか、ですね。」

古川は努めて明るい口調で質問を変えた。

田原も釣られて表情が明るくなる。

「あ、そうでしたね。条件も大事ですよね。期間は洋上で2~3日、回数は、はっきり決まっていなくて、現時点ではまだ数回としかお答えできません。古川さんの行動・報道の自由は保障します。但し、洋上では安全の問題上私達の指示に従っていただく場合がありますので、その点は御承知置きください。あ、交通費は、交通費、宿泊費、日当、まぁ食事代に毛の生えたようなものになりますが、その都度事前に振り込ませていただきます。もちろん独占取材です。ただ、先ほど自由と言いましたが、こちらの代表者のコメントも合わせて報道してもらうこともあるかもしれません。そういった広報官的なところもありますので、少しですが報酬を出させて頂きます。」

古川は、(こりゃあ、おいしい)と表情で悟られないようにしつつ思った。

「なるほど、手厚いんですね。こちらも助かります。代表者のコメントの件は了解しました。あくまで公正に扱います。宿泊費も出していただけるということは、出港するまでは単独行動で良いということですか?そうであれば、制限も少なくて安心して仕事に打ち込めます。」

 頷きながら聞いていた田原は我が意を得たりという笑みを浮かべながら古川の言葉を継いだ。

「そうです。我々と行動を共にしてもらうのは船の上だけで結構です。我々とずっと一緒では古川さんの他のお仕事にも御迷惑が掛かるでしょうから。連絡は、その都度私のほうからさせて頂きます。どうですか、受けてもらえますか?」

と穏やかだが、ハッキリとした口調で決断を迫ってくる。

「分かりました。密着同行取材、やらせて頂きます。」

と、古川は言いながら、右手を田原に差し出す。

その手をしっかり握って田原が

「よろしくお願いします。」

と深く頭を下げた。


 あれから3ヶ月、田原から?発の電話連絡とその数日後にチケットが古川に送られてきた。そして、更に1ヶ月たった今、まさに出港しようとしている。季節は変わり、気温が高く湿度も高いじめじめした夜だった。

 トラックの荷物が各漁船に積み込まれ、その青いトラックがディーゼル特有のエンジン始動時の振動が長年海風に曝された腐食のためかガタツキの多い荷台を揺する。荷物を降ろして軽くなった空の荷台は、長年連れ添ってきたエンジンに応えるかのような乾いた小気味良い音を立てる。青くて古いそのトラックは、排ガス規制により本土の主な街ではあまり感じられなくなったディーゼルの濃厚な排気臭を漁港独特の魚臭さの中に夜霧のように染み渡らせてその騒音の大きさの割にはゆっくりと走り去っていった。

 その後ほどなくして色も年式も不揃いな4台のマイクロバスが次々と船着場に集まってきた。雑然と停められたマイクロバスからまず降り立ったのは豊かな白髪を蓄えた細身で長身の男性だった。手狭なマイクロバスのドアから屈むようにして降りてきた彼は、地面に両足を付いて軽く深呼吸をして背筋を正したその姿はとても老人には見えない凛々しさがある。さすがは元海上自衛官だな、と古川は呟いた。現役時代は、古川達記者仲間のあいだでは「長官」と呼ばれていたその老人は、今では「先生」と呼ばれ、引退後は自ら立ち上げた「日本領土保全研究会」の活動で余生を過ごしていた。

 「先生」の名は河田 勇、65歳。最終階級は自衛官では最上級である海将で、自衛艦隊司令官を務めていた。自衛官の定年は任期制の士クラスを除き最低定年年齢が曹クラスの53歳であるのに対し海将は62歳。実に9年も長く自衛官を勤められるのである。それだけの重責を負うのはもちろん上層部から一般の隊員まで幅広い人望と職務能力そして判断力を問われる仕事でもある。人望や判断力とひとえに言っても専守防衛が基本で、政党によっては存在そのものが矛盾していると糾弾され、日本人に限らずどんな人間が見ても兵器にしか見えない装備、しかも専門家に言わせれば一流の兵器を運用していながら、設立後今に至るまで実に60年以上も自らを軍隊と呼ぶことをためらう集団でのそれは、命を惜しまず果敢に戦闘をすることではなく、「いかに相手に攻撃されるまで手を出さずに耐えるか。」という専守防衛の原則をフラストレーションを与えずに納得させるように末端の隊員にまで徹底できる人望と、そのような状況にならないように回避する判断力である。それだけに「先生」に対する人望も、海上自衛隊の内外でいまだに篤いといえる。

 「先生」は、常夜灯の下にいる古川を見つけると、悠々としつつも行進とまではいかないが規則正しい歩調で近づいてきた。

そして「先生」こと河田は、社交辞令的とまでは取れないもののそれ自体が挨拶のような軽やかな笑顔を向けて穏やかに声を掛けてきた。

「やあ古川さん、遠いところを御苦労様です。迎えもやらずにすみませんでしたね。こちらもいろいろと飛び回っていて、なかなか直接お会いできずで失礼しました。」

 全く昔の階級を感じさせない穏やかだが思いやりを感じる口調に、指揮官としてこの笑顔と口調で多くの部下の心を掌握してきた貫禄を古川は改めて感じた。やはり今でも筋金入りのというよりは「人間河田」との異名も持つ指揮官の面影は健在だ。

「いやいや、先生はお忙しいでしょうから、お気になさらないでください。私は一度決まったことを何度も打合せるのは性に合わないですし。あ、でも田原さんのサポートには感謝しているんですよ。今回はお見えですか?」

 古川は愛想笑いを浮かべて手を顔の前で軽く左右に振りながら応えた。

「いえいえ、彼は体を壊しているので船には乗れんのですよ。今は連絡担当をしてもらってます。」

 残念そうに応える表情から、古川は、田原がただの風邪などではないことを感じ取っていた。

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