06 閉会式

「予定を変更して、勝利者インタビューの前に閉会式を執り行います! 出場選手の方々は、試合場まで移動をお願いします!」


 運営スタッフからそのような言葉が届けられたのは、試合が終了してから数分ばかりが経過し、ようやく瓜子の涙がおさまった頃であった。

 モニターの中で、マットに倒れた赤星弥生子はドクターチェックを受けており、フェンス際の椅子に座らされたユーリはあちこちを氷嚢で冷やされながら口もとに酸素スプレーをあてがわれている。これでは勝利者インタビューどころではないので、閉会式によってユーリの回復を待とうという判断であるようであった。


 赤コーナー陣営の一行は、列を成して試合場へと向かう。

 その間、灰原選手さえもが余計な口を叩こうとしなかった。試合の直後には多くの人々がユーリの勝利に激情をほとばしらせていたのだが――その反動で、今は沈静化してしまっていたのである。


 瓜子たちが花道に足を踏み出すと、新たな歓声がわき起こった。

 そしてそれが、おかしなタイミングでうねりをあげる。ケージ上で動きがあって、観客たちの目がそちらに奪われたのだ。


 瓜子たちは花道を歩きながら、その光景を目にすることになった。

 ドクターチェックを終えた赤星弥生子が六丸の手を借りて立ち上がり、ユーリのもとへと歩を進めたのである。


 赤星弥生子の接近に気づいたユーリは、介抱をしてくれていたサキたちをなぎ倒すような勢いで立ち上がった。

 が、途中で力尽きたように倒れそうになってしまう。

 すると、こちらも六丸の手を振り払った赤星弥生子が、両腕でユーリの身体を抱きとめた。

 きっとおたがいに、自力で立つ力も残されていないのだろうと思うが――ふたりはおたがいの身を支えとして、なんとか転倒をこらえているようであった。


 その姿に、観客たちは盛大な拍手を送っている。

 瓜子はまた涙をこぼしてしまい、慌ててタオルでぬぐうことになった。


 ユーリと赤星弥生子は、おたがいの耳もとに何事かを囁きかけている様子である。

 瓜子の側からは、赤星弥生子の横顔しかうかがえない。赤星弥生子は、何か苦笑めいた微笑みを浮かべ――タップアウトするように、ユーリの背中を手の平で叩いた。


 そうして瓜子たちがケージに到達する頃には、各陣営のセコンド陣が両者の身を引き剥がす。ユーリはサキと愛音に左右から支えられて、とらわれた宇宙人のようになっていた。


『それではこれより、閉会式を開始いたします! ユーリ選手と赤星選手へのインタビューもそちらで執り行いたく思いますので、どうぞ客席のみなさんもお時間の許す限りおつきあいください!』


 リングアナウンサーがそのように言いたてると、まったく勢いを減じない歓声がそれに応えた。今日はほとんどの観客が、まだ座席に居残っているようである。


『《アトミック・ガールズ》と《レッド・キング》の合同イベントは、無事に終了いたしました! まずは、駒形代表に総括をお願いいたします!』


『は、はい。駒形でございます。……まずは、今日のイベントのために尽力してくださったみなさんと、会場まで足を運んでくださったみなさんに、心より感謝の言葉を届けさせていただきたく思います。今日のイベントは、《アトミック・ガールズ》が正しい道に立ち戻るためのきわめて重要なものであったのですが……みなさんのおかげをもちまして、期待以上の素晴らしい内容になったのではないかと考えております』


 駒形代表が汗をふきふきそのように述べたてると、温かい歓声がそれに応えた。


『た、対抗戦につきましては、《アトミック・ガールズ》陣営の全勝という形で終わりましたが……《レッド・キング》にて活躍される赤星道場の方々の強さもまた、しっかりと証明されたように思います。またいずれ、こういった形の合同イベントを実現できればと考えておりますので、みなさんどうぞご期待ください』


『駒形代表、ありがとうございました! それでは引き続き、メインイベントに相応しい激闘を繰り広げたユーリ選手と赤星選手にお言葉を頂戴したく思います!』


 期待に満ちた大歓声が、いっそうの渦を巻く。

 そんな中、サキと愛音に左右から抱えられたユーリがひょこひょことリングアナウンサーの前に進み出た。

 その顔は――満腹の子猫めいた笑顔である。


『ユーリ選手! 劇的な逆転勝利、おめでとうございます! 現在の心境はいかがでありましょうか?』


『はい……ユーリは……すっごくハッピーです』


 もう試合終了からずいぶんな時間が過ぎているのに、ユーリはまだ息も切れ切れで、元気な声を出すこともできないようだった。

 しかし、ユーリらしからぬ穏やかな声音が、瓜子の胸に深くしみいってくる。右目の上がぼこりと腫れあがり、右目の下には大きな青痣をつくった化け物のような面相でありながら、ユーリは赤子のように無垢に見えた。


『ユーリは、ベル様……ベリーニャ選手みたいに強くてかわゆいファイターになるのが目標なのですけれど……今日、新しい目標ができました』


『新しい目標! それはどのような目標なのでしょうか?』


『はい。それは……赤星弥生子殿に勝てるぐらい、強いファイターになることです』


 リングアナウンサーはきょとんとした顔になり、客席にも困惑げな雰囲気がたちのぼった。


『えーと、ユーリ選手はたった今、赤星選手に勝利されたところなのですが……それはいったい、どういったお話なのでしょうか?』


『ユーリは全然、試合に勝った実感がないのです。今日はたまたまユーリが勝ちましたけど、本当に強いのは弥生子殿のほうです。だからユーリはもっともっと強くなって、今度こそきちんと弥生子殿に勝ちたいのです。……ユーリはMMAが大好きで、強くてかわゆいファイターを目指していましたけど……こんな風に、特定の誰かに勝ちたいと思ったのは初めてです』


 そうしてユーリは幸福そうに微笑んだまま、赤星弥生子のほうを振り返った。


『弥生子殿は、ベル様と同じぐらい特別な存在です。弥生子殿と巡りあえて、ユーリはすっごくハッピーです。弥生子殿、どうもありがとうございました』


 六丸に支えられた赤星弥生子は、静かな表情で目礼だけを返した。

 リングアナウンサーはにこやかな表情をこしらえて、ユーリに一礼する。


『ユーリ選手、ありがとうございました! それでは、赤星弥生子選手にもお言葉を頂戴いたします! ……赤星選手、ユーリ選手との対戦は如何でしたか?』


『桃園さん……ユーリ選手は、強かった。彼女は実感がわかないと言っていましたが、今日は私の完敗です。何も言い訳する気にはなれません』


 赤星弥生子の落ち着いた声音に、会場までもが静まっていく。

 しかし、すべての力を振り絞った赤星弥生子は、青白い雷光めいたオーラまでもがすっかり消え去っており――その姿が、また瓜子の目の奥を熱くさせてやまなかった。


『ですが……私も満足しています。ユーリ選手と試合を行えば、私は自分の力を世間に知らしめることができるのではないかと考えていましたが……そんな雑念に身をゆだねていたことを、恥ずかしく思います。私はすべての力を出し尽くし、ユーリ選手がそれをすべて受け止めてくれました。明日からは、ユーリ選手に勝てるように、いっそうの稽古を積みたく思います』


『では! お二人の再戦もありえるのでしょうか!?』


『それはまだ、なんとも言えません。ですが私は年に一度ていど、こうして外部で試合をしたいと思っています。それまでは、《レッド・キング》の応援をよろしくお願いします』


 赤星弥生子は最後まで、感情をこぼすことはなかった。

 しかしその理性的な言葉も、すべて彼女の本音なのだろう。彼女もまた両目を真っ赤に染めた怪物めいた姿であったが、そんな些細なことなど気にならないぐらい、ゆったりとした空気を醸し出していた。


『赤星選手、ありがとうございました! それでは駒形代表、閉会のご挨拶をお願いいたします!』


『は、はい。……えー、あらためまして、本日はご来場ありがとうございました。三月にもこちらのPLGホールで試合を行うことが決定しており、今日にも負けないイベントを実現できるように調整中でありますので、どうかご期待ください』


 そうして出場選手はケージの中央に集まって、記念写真を撮影されることになった。

 ユーリと赤星弥生子は真ん中に配置されたが、セコンド陣が身を引くなり、一緒に倒れてしまいそうになる。ユーリの身は瓜子が、赤星弥生子の身は青田ナナがしっかりと支えることになった。


 ユーリは無言のまま、震える拳を瓜子のほうに差し出してくる。

 瓜子は万感の思いを込めて、その拳に自分の拳を押し当ててみせた。


 温かい歓声の中、パシャパシャとシャッターが切られていく。

 やがて撮影が終了すると、またサキたちが戻ってきてくれた。瓜子も右足を負傷しているために、ユーリに肩を貸して歩くことはかなわないのだ。


 そうして瓜子が身を起こすなり、マリア選手が握手を求めてきた。

 他の人々も、おおよそは対戦相手と握手を交わしている。《カノン A.G》ではついぞ見られない姿であったが、これが本来のあるべき姿であった。


 そんな中、沙羅選手はにやにやと笑いながら青田ナナの前に立った。


「今日はお疲れさん。……白ブタはんの真似するわけやないけど、ウチもちいとも勝った気がせえへんわ。判定勝負なんて、しょせんジャッジの匙加減やからなぁ」


「…………」


「ウチもボスも、国内の最終目標は大怪獣ジュニアやからな。動機は違えど、自分らもそうなんやろ? せやったら、おたがい精進が必要やね」


「……あんたなんか、弥生子さんの足もとにも及ばないよ」


「せやから、それもおたがい様やろ? どっちが先に大怪獣を――それにそっちの白ブタはんを仕留められるか、勝負やね」


 沙羅選手がフェンス際のほうに引き下がっていくユーリの背中に視線を飛ばすと、青田ナナやマリア選手や大江山すみれもまた同じようにそちらを見据えた。

 誰の目にも、怒りや恨みの感情は感じられない。

 ただ――そこにははっきりと、これまでには存在しなかったユーリに対する何らかの激情がくるめいているようだった。


「ほな、お疲れさん」


 沙羅選手はにっと白い歯をこぼしてから、犬飼京菜とともにケージを下りていった。

 赤星道場の面々も、無言のままに身をひるがえす。

 すると、それと入れ替わりで六丸に支えられた赤星弥生子が瓜子のもとに近づいてきた。


「あ、弥生子さん!」


 瓜子が思わず笑顔になって大きな声をあげてしまうと、赤星弥生子は困惑の表情に成り果てた。


「な、なんだろう? 何か楽しいことでもあったのだろうか?」


「あ、いえ。ようやく弥生子さんにご挨拶できるなと思って。……どうも今日は、お疲れ様でした」


「お疲れ様でした。……今日は一日不愛想な態度で、申し訳なかった。帰る前に、それを謝罪させてもらおうかと思ったのだが……」


「謝罪なんて必要ないっすよ。今日の試合は、すごかったです。正真正銘、自分がこれまで見てきた中で一番ものすごい試合でした」


「そうか。私はまだ気持ちも考えもまとまらないのだが……君にそう言ってもらえることを、とても心強く思う」


 そう言って、赤星弥生子ははにかむように微笑んだ。

 剣呑なるオーラが消失しているため、まるで別人のようである。


「またいつか、ゆっくり話をさせてもらいたい。それじゃあ、また」


「あっ! その前に、ひとつだけ! 閉会式の前、ユーリさんと何を話してたんすか?」


「ああ……」と、赤星弥生子は苦笑した。それこそ、ユーリと身を寄せ合っていたときと同じような表情である。


「私はただ挨拶をしただけなのだが、桃園さんのほうは……『またいつか試合をお願いします』などと言っていた。あんな試合の直後にそんな言葉を聞かされるとは思ってもいなかったので、私は少なからず困惑させられたよ。……彼女は怪物の名に相応しい存在なのだろうと思う」


「ああ、そういうことでしたか。ユーリさんらしくて、安心しました」


 瓜子が笑うと、赤星弥生子もまた魅力的な顔で微笑んでくれた。

 そして今度こそ身をひるがえし、遠からぬ場所で待っていた赤星道場の面々とともにケージを下りていく。対抗戦は全敗という結果に終わったが、彼らの堂々たるたたずまいに変わりは見られなかった。


 もちろん赤星弥生子が生涯で初めての敗北を喫したのだから、誰もが心をかき乱されていることだろう。

 しかしあれは、赤星弥生子の敗北を嘆くような試合内容ではなかった。瓜子はそのように考えていたし、彼女たちも同じ思いであるのだろうと信ずることができた。


「おいおい、マジかよ。ふざけるんじゃねーぞ」


 と、遠からぬ場所からサキの罵声が聞こえてきた。

 そちらを振り返った瓜子は、ハッと息を呑んでしまう。ユーリがサキたちの肩を離れて、マットに突っ伏してしまっていたのだ。


「ど、どうしたんすか? ユーリさんに何があったんです?」


「どーしたもこーしたも、このザマだよ」


 右足を痛めている瓜子は苦労をしながら膝をつき、横からユーリの顔を覗き込んだ。

 そこで待ちかまえていたのは、赤ん坊のように安らかな寝顔である。薄く開いた肉感的な唇からは、すぴすぴと寝息がもらされていた。


「眠りこけた人間は、重さも倍増だからなー。控え室まで引きずってくかー」


「そんな無法は許されないのです! そもそも本当に眠っているだけかも定かではないので、ドクターに診察してもらうべきであるのです!」


 愛音はそのように騒いでいたが、ユーリはどう見ても熟睡しているだけであった。

 瓜子はさきほどの赤星弥生子のように苦笑を浮かべつつ、そのピンク色をした頭にぽんと手をのせる。今日は普段にないぐらい、試合後のユーリと喋ることができていなかったが――そんな不満を帳消しにするぐらい、その温もりは心地好かった。

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