04 決起集会
翌日――いわゆるお盆の初日たる八月十三日、瓜子たちは天覇館東京本部道場を目指すことになった。
昨晩、プレスマン道場に集まっていた女子選手は全員集合している。すなわち、瓜子、ユーリ、サキ、愛音、灰原選手、多賀崎選手、小柴選手の七名である。
「無理を言って、シフトをずらしてもらったんだからね! 何か実のある話じゃなかったら、魔法老女のステッキをへし折ってやるんだから!」
目的の場所を目指す道中で、灰原選手はそのようにのたまわっていた。この七名は全員が初めての来訪となるため、駅前で待ち合わせて合流することになったのだ。
天覇館の東京本部道場は、副都心線の雑司ヶ谷駅から徒歩五分の場所に存在した。
武魂会の本部道場に比べればささやかなサイズであるが、こちらもれっきとした自社ビルだ。建物は三階建てで、別のフロアではフィットネスジムも経営しているようだった。
しかしお盆であるからして、やはりこちらも閉館中だ。一階のロビーは無人であり、出入り口のガラス扉にもしっかり鍵が掛けられていた。
扉の脇のインターフォンを鳴らしてみると、すぐさま聞きなれた声で『ちょっと待つだわよ』と告げられてくる。
しばらくして、ヒマワリ柄のワンピースを着た鞠山選手がロビーの向こう側から現れた。
「よく来ただわね。他のメンバーは、全員そろってるだわよ」
「他のメンバーって? 合宿メンバーの他は、誰が集まってるのさ?」
「そんなもん、顔をあわせれば一目瞭然なんだわよ。うだうだ言ってないで、ちゃきちゃき進むだわよ」
鞠山選手を先頭にして、一行はその建物に乗り込んだ。
映画館のように立派な両開きの扉を抜けると、そこは一面にライトグリーンのマットが敷かれた稽古場である。
その中央に、七名ばかりの女子選手たちが座していた。
「お待たせしただわね。これでこっちも勢ぞろいだわよ」
「ああ」とうなずいたのは、来栖選手に他ならなかった。
来栖選手はこの東京本部道場の所属であったため、いちおうは想定の範囲内であったのだが――やはり瓜子は、緊張を否めない。だいぶん態度が軟化したとはいえ、来栖選手はいまだユーリとほとんど没交渉であったのだ。
なおかつ来栖選手は、その雄々しい顔に包帯を巻いていた。
七月大会でベリーニャ選手の強烈な膝蹴りをくらった来栖選手は、眼窩低と鼻骨を粉砕されてしまったそうなのだ。
しかし、マットにあぐらをかいた来栖選手はぴんと背筋をのばしており、その堂々たる雰囲気には微塵の陰りも見られなかった。
そんな来栖選手と向かい合うようにして座しているのは、同じくこちらの道場の所属である魅々香選手と、神奈川から駆けつけてきた小笠原選手、合宿稽古のメンバーであるオリビア選手――それに、瓜子とはほとんど交流のない三名の女子選手たちであった。
「こっちの三人とは、あんまり面識もないだろうね。名前ぐらいは知ってると思うけど、いちおう紹介させてもらうよ」
いつも通りの朗らかな面持ちをした小笠原選手が、その三名を紹介してくれた。
まずは、天覇館川崎支部所属の、
次は、武魂会大宮支部所属の
そして最後は、天覇館竜ヶ崎支部所属の
「お察しの通り、こちらの三人も九月大会のオファーを受けることになったんだよ。前園さんは犬飼京菜、白木はピエロ、後藤田さんは――一色ルイって組み合わせだね」
「一色選手は、初めてのMMAでいきなり後藤田選手とやりおうっていうんすか。ずいぶん無謀なマッチメイクっすね」
「そうかな」と、後藤田選手が低い声で応じた。彼女は三十歳を超えるベテランファイターでもあるのだ。
「あたしはグラップラーだし、正直言って、アウトスタイルのサウスポーなんてのは大の苦手さ。サキにだって、手も足も出なかったしね」
後藤田選手は、かつて王者であるサキに挑んで敗退した経験があったのだ。
サキは、いつもの調子で肩をすくめた。
「あのクソガキが名をあげるには、格好の獲物ってわけか。ずいぶん見くびられたもんじゃねーか」
「ああ。もちろんそんな思惑は、返り討ちにしてやるよ。こっちにだって、プライドってもんがあるからね」
いかにも実直そうな風貌をした後藤田選手は、感情を押し殺した声でそう言いたてた。
「いっぽう前園さんもトップファイターで、名うてのストライカーだ。しかしまあ、犬飼のやつも《G・フォース》でベルトを巻くぐらいの実力で、しかもグラップリングまで人並み以上ってことが判明してる。十分に勝てると見込んでのマッチメイクなんだろうね」
前園選手は無言のまま、ただ炯々と両目を光らせている。いまだ高校生である犬飼京菜のかませ犬と認定されたならば、それは憤懣も尽きぬところだろう。
「で、白木は戦績もそこそこだけど、最近はMMAから離れて本業の空手やキックの試合に集中してた。サキと猪狩と亜藤さんにしか負けのないピエロの相手をするのは、ちょいと荷が重いだろうね」
「押忍。さきほども申し上げましたが、わたしは今回のオファーを断るつもりでいます。……というか、これを機にアトミックから離れようと思います。あんな理不尽で不透明な運営の下で、試合をしたいとは思いません。MMAの活動を再開するなら、《フィスト》や《NEXT》にお願いしようと思います」
白木選手は、落ち着いた顔でそう言っていた。
小笠原選手は頭をかきながら、そちらに笑いかける。
「それならそうと言ってくれれば、電話で済ませられたのにね。盆の初日に呼びつけちゃって、申し訳ないと思ってるよ」
「いえ。自分がアトミックから離れようとも、小笠原先輩や小柴さんの去就は気にかかりますので」
白木選手は笑顔で応じてから、やおら灰原選手をにらみつけた。
「それで……そちらの灰原さんは、小柴さんとの対戦オファーが来たそうですね。どうして彼女までこの場に集めたのか、わたしはいささか理解しかねます」
「なんだよー! あたしは別にチーム・フレアじゃないんだから、関係ないじゃん!」
灰原選手が頬を膨らませると、小笠原選手が苦笑を浮かべた。
「ところが、そうでもないんだよ。たとえばジジのやつだってチーム・フレアではないけど、美香さんにぶつけられることになった。あいつらは、とにかく最初の興行で天覇と武魂会の鼻っ柱を折っておこうって目論見なのさ」
「だから、その話もよくわかんないんだよねー。どうしてあいつらが、天覇と武魂会を目の敵にしてるわけ?」
「それはたぶん、消去法だと思うんだよね。どうやらあいつらはフィストとの関係を修復して、ゆくゆくは手を携えていきたいって思惑みたいなんだよ。これはアタシらのコネを総動員して探った結果だから、まず間違いのないことだと思う」
「それでどうして、天覇や武魂会を潰そうって話になるわけ?」
「潰すってよりは、噛ませ犬さ。ルール改正で試合場までケージに移行するってんなら、誰だって準備期間が欲しいとこでしょ? おまけにオファーがひと月前なら、対戦相手の研究をする時間までロクに取れない。調整期間を考えたら、しっかり稽古できるのは二週間ていどなんだからね」
「でも、チーム・フレアの連中は、最初から準備も万端ってことっすよね」
瓜子が口を出すと、小笠原選手は「そうそう」と笑った。
「いつだったかの動画でも、秋代のやつが一色ルイを稽古でいじめぬいてるって言ってたでしょ? あと、猪狩の上司の推理によると、こいつは今年の始めあたりから練られてた計画なんだ。あっちは肘打ちありのルールやケージでの戦い方をしっかり対策してから、こんな計画を公表したってわけだね」
「ついでに言うなら、一色選手が参戦してる《トップ・ワン》ってのは肘ありのムエタイ・ルールですからね。彼女の得意技は、クリンチ状態からの肘打ちだそうですよ」
「へえ、情報が早いね」と、小笠原選手は感心したように目を丸くする。
《トップ・ワン》という興行には瓜子の旧友であるリンも参戦していたため、そちらから情報をもらうことができたのだ。リンと一色選手は階級が異なるために試合の経験はなかったが、一色選手はタイ出身であるリンが感心するぐらい肘打ちが巧みであるのだという話であった。
「それでアイツは、典型的なアウトタイプだって話だもんね。ケージの新ルールで試合をするには、かなりのアドバンテージを持ってるってわけだ。で、海外ではケージの舞台や肘打ちありのルールがスタンダードだろうから、オルガやベアトゥリスなんてのはそれ以上の脅威なわけ。こんな連中を相手に一ヶ月で対策を練るってのは、そりゃあひと苦労だよ」
小笠原選手がそのように締めくくると、灰原選手は難しい顔で「うーん」と腕を組んだ。
「で? フィスト系列の人間にはあえてオファーをかけないで、対策の時間をくれてやろうってこと?」
「そうそう。で、その間に天覇館と武魂会とプレスマン道場の選手を踏みつけにして、チーム・フレアの名を上げようって目論見さ。フィスト系列を除いたら、あとはあたしらと個人ジムぐらいしか残らないしね」
「でもさ、あたしの所属する四ッ谷ライオットだって、いちおうフィスト系列だよ? でも、しっかりオファーが来てんじゃん」
「ああ、それは――」と、小笠原選手が鞠山選手のほうを見やった。
鞠山選手は、低い鼻から「ふん」と鼻息を噴き出す。
「フィスト系列の独立ジムは、言ってみればフィスト本体との懸け橋なんだわよ。そっちの連中を優遇して、フィストのご機嫌をうかがってる節があるだわね」
「優遇って、例のMMAスクールのこと? そんなのコーチ連中の話で、あたしには関係ないじゃん!」
「あんたもきっちり優遇されてるだわよ。そのために準備されたのが、そこのあかりとの対戦ってわけだわね」
小柴選手は、最初から張り詰めた面持ちでみんなの言葉を聞いている。
鞠山選手はその姿をしっかり見据えながら、さらに言いつのった。
「ウサ公はライト級に転向して以来、うり坊にしか負けてないだわね。おまけに残りの五戦は全試合一ラウンドKOで、すでにケージの試合まで経験してるだわよ。……いっぽうあかりは三勝三敗で、七月大会では圧勝したものの、その前に三連敗してるだわね。それでもって、あかりは去年の十一月に、すでにウサ公に負けてるわけだから……数字でしか選手を測れない低能なら、ウサ公の勝利は揺るぎないと考えるだわよ」
「でも、そんなの――!」
「あんたは優遇の対象である四ッ谷ライオットの所属で、IQが低い代わりにビジュアルも良質で、戦績も立派なもんなんだわよ。あんたがチーム・フレアに誘われなかったのは、たぶんピンク頭やわたいたちとつるんでることが、あっちの耳に入ってるからなんだわよ」
灰原選手の怒声をさえぎって、鞠山選手はそのように言いつのった。
「あんたとマコトがジムを離れて出稽古を積んでることも、どうせあっちには筒抜けだわね。だからこれは、あんたに準備されたご褒美であると同時に、リトマス試験紙でもあるわけだわね」
「リトマスなんちゃらって何だよ! わかる言葉で説明してってば!」
「あんたが大人しく四ッ谷ライオットに戻って、生け贄のあかりをKOで沈めたら、今後も優遇してやろうって言外に誘いをかけてるんだわよ。ゆくゆくは、チーム・フレアの参入も打診される可能性があるだわね」
灰原選手は押し黙り、タンクトップから覗く剥き出しの肩を震わせた。
すると、これまで無言でいた多賀崎選手が声をあげる。
「でも、そいつは全部、鞠山さんたちの推測なんだよな? あまりに話が、突拍子もなさすぎるっていうか……」
「わたいたちは可能な限りの情報をかき集めて、この結論に至ったんだわよ。そのひとつひとつを説明してたら、お盆が終わっちゃうだわね」
そう言って、鞠山選手はゴテゴテとした腕時計に視線を落とした。
「そろそろいい時間だわね。せっかくだから、傍証のひとつぐらいはお披露目しておくだわよ」
鞠山選手はかたわらに置かれていたボストンバッグをあさって、そこからノートパソコンを取り出した。
そうしてキーボードを操作したかと思うと、おもむろに画面上へと語りかける。
「お忙しいところ、申し訳ないだわね。目の覚めるような美しさだわよ」
『いややなぁ。花ちゃんのべんちゃらなんて、後が怖いわぁ』
ちょっとわざとらしいぐらいの京言葉が、瓜子たちのもとまで聞こえてくる。
鞠山選手がパソコンをこちらに向けると、そこには画面いっぱいに雅選手の上半身が映し出されていた。しかも、もともと端麗な顔にばっちり化粧までほどこされた、瀟洒な和服の姿である。
『お馴染みのお人らもそうでないお人らも、お疲れやすぅ。この時期はちょい実家のほうが忙しゅうて、こないなところからお邪魔しますえ』
「雅さん……そういえば、雅さんはパイソンMMAウェストの所属でしたね」
一瞬呆気に取られた多賀崎選手が、気を取りなおした様子で身を乗り出した。
「新しいパラス=アテナに優遇されてるってのは、うちとパイソンとガイアがメインだったはずだ。雅さんも、何か美味い話を持ちかけられたってわけですか?」
『あらぁ。花ちゃん、まだうちのこと話してへんかったん? うちなぁ、パイソンは辞めてフリーになったんよぉ』
妖艶に微笑みながら、雅選手はそう言った。
『カッパージムとの提携話なんて蹴ってまえ言うたのに、コーチ陣がちいとも言うこと聞かへんさかい、うちのほうが辞めたったんや。あないなド腐れどもの傘下思われたら、末代までの恥やさかいなぁ』
「そ、そうなんですか? それじゃあ――」
『そないしたら、昨日になっていきなり試合のオファーが来たんよぉ。お相手は、あのチーム・フレアの狛犬みたいなブラジル女やてぇ』
普段よりもいっそう紅い唇が、三日月のように吊り上がった。
『やり方が露骨やろぉ? 手綱を握れへん思うたら、もう粛清やてぇ。ま、うちにしてみれば、飛んで火に入る夏の虫やけどなぁ』
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