02 発覚

「全員の技量は、あるていど把握できたように思います」


 総当たりのサーキットが終了したのち、赤星弥生子はそのように言いたてた。言葉づかいが丁寧であるのは、かたわらの立松に向けて語らっているためだ。


「猪狩さんと小柴さんはさすがにキックと空手の選手というだけあって、基礎がしっかりできているようです。邑崎さんも若年ながら、自分のスタイルというものを確立できているようですね」


「ああ。あれでもアマの二冠王だからな」


「なるほど。それでは、すみれも歯が立たないでしょう」


 大江山すみれはにこにこと笑っており、愛音は苦虫を噛み潰している。古武術めいたスタイルを封印してしまうと、大江山すみれの立ち技の技術は並であったのだ。実際に手を合わせた瓜子の体感では、高校生にしては立派なほう、というぐらいのものであった。


 ちなみに、青田ナナは気合が空回りしているのか、勢いまかせの荒っぽい攻撃ばかりであった。それでも凄まじい勢いであったため、瓜子も左ジャブと右ローぐらいしか当てることはできず、あっさりタイムアップとなってしまった。

 よって、瓜子にとってもっとも厄介であったのは、マリア選手だ。アウトタイプでサウスポーで足クセの悪い彼女は、ユーリのみならず瓜子にとっても天敵であったのである。しかも階級が異なるためにリーチ差も顕著であり、瓜子はなかなか有効な打撃を当てることもままならなかった。


(やっぱりマリア選手ってのは、ミドル級で指折りの実力者なんだな。粘り勝ちした多賀崎選手は、たいしたもんだ)


 そして本日はもう一名、初めて手合わせをした選手も存在した。

 誰あろう、魅々香選手である。

 魅々香選手はまったく熱くなっていない様子であるのに、青田ナナにも劣らない勢いと迫力を有していた。その豪腕から繰り出される左右のフックを一発でもくらっていたら、ダウンは必須であっただろう。

 ただし、スピードや小回りでは瓜子のほうが圧倒的にまさっていたので、危うい場面は一回もなかった。そうしておたがいに有効な打撃を当てられないまま、二分間は終了である。


(ミドル級は人数が少なくて層が薄いとか言われてるけど、トップファイターの実力は本物だ。それをひと通りなぎ倒したユーリさんが、やっぱり一番の化け物ってことだな)


 瓜子がそんな風に考えている間にも、赤星弥生子の述懐は続いていた。


「灰原さんと鞠山さん、それに御堂さんは、独特のスタイルですね。キックやムエタイで試合をするには、まったく向いていないように思いますが……きっとMMAでは、そのスタイルに見合った戦法を確立しているのでしょう。現段階では、ちょっと助言の言葉も見つかりません。いまだリハビリ中のサキさんも、また然りです」


「なるほど。御堂さんなんかはキックの試合でも結果を出してるらしいけど、まあ確かに個性的なスタイルだわな。で、残るは桃園さんと多賀崎さんだが――」


「おふたりはいったん輪から外れて、個別指導をするべきであるように思います」


 赤星弥生子の言葉に、立松は小首を傾げた。


「桃園さんはわかるけど、多賀崎さんもかい?」


「はい。彼女に関しては、マリアとの試合も拝見しています。あの試合では、なんとか粘り勝ちできたようですが……彼女は資質とスタイルが噛み合っていないように見受けられます。もっと自分の長所を自覚すれば、さらなる飛躍を望めることでしょう」


「ふうん。それじゃあ、桃園さんは?」


「彼女は、いささか不可解です。どうしてこのように不可解なのか、その原因を突き止めるべきであるように思います」


「それじゃあいったん、弥生子ちゃんにおあずけしようか。桃園さんの当て勘の悪さを何とかできるなら、こっちも万々歳だよ」


「承知しました。……ただ、立松さん。稽古中にちゃんづけというのは、ちょっと……」


「ああ、悪い悪い。肝に銘じますよ、師範殿。他の連中は、俺のあずかりでかまわないのかな?」


「いえ。ナナと猪狩さんは、こちらの稽古を手伝ってもらいたく思います」


 そんな話し合いの結果、四名の選手が赤星弥生子の指導を受けることになった。

 ユーリはのほほんとしており、多賀崎選手は思い詰めた眼差しである。そんな両名を見比べてから、赤星弥生子は多賀崎選手に視線を定めた。


「多賀崎さん。君にとって、立ち技の攻防というのはどういう位置づけなのだろう?」


「位置づけ? ……あたしにはKOパワーもないんで、有利な状態でグラウンドに繋げるための攻防だと思ってますよ」


「なるほど。同門である灰原さんとは、ずいぶん異なるスタンスであるようだな」


「あいつはあんな体格のくせに、立派なKOパワーを持ってますからね。入門当初から、なかなかとんでもないパンチ力だったんですよ」


「そうか。一般的に、パンチ力というのは天性の才能が占める割合が大きいとされている。ただし、パンチ力とKO率は必ずしもイコールではないと思うのだが、どうだろう?」


 質問の形式を取りつつ、赤星弥生子の中で答えは決まっているようだった。


「それに、KOを狙う気概がなければ、攻撃にも力が乗らないように思う。君は攻撃のバリエーションを増やすと同時に、インファイトでぶつかりあう度胸を磨くべきではないだろうか?」


「あたしに、度胸を感じなかったってわけですか?」


「うん。インファイトで打ち負けたら組み技に移行すればいいという心情が透けていたように思う。マリアもインファイトを不得意にしているので、先日の試合では打ち負けることもなかったようだが……そのスタイルでは、一級のインファイターを相手取ることも難しいだろう」


 多賀崎選手は、いっそう難しい顔になってしまった。


「あなたの言うこともわからなくはないですけど……あたしはストライカーじゃなく、レスラーのつもりです。最後に組み技を頼りにするってのは、べつだん悪いことじゃないでしょう?」


「悪くはないが、その最後というものの設定が、いささか早すぎるのではないだろうか? 自分がどこまでインファイトで打ち合えるものか、スパーでその限界を見極めるべきであるように思う」


 そうして赤星弥生子は、瓜子と青田ナナを指し示してきた。


「君はこちらの二名と、首相撲なしのルールでスパーをしてもらいたい。そして君たちは、なるべくアグレッシブに多賀崎さんと打ち合ってもらいたい。今度は三分二ラウンドで、その限定スパーに取り組んでみてもらえるだろうか?」


「あにょう、その間、ユーリは何をしているべきでしょう?」


 ユーリがおずおずと口をはさむと、赤星弥生子は厳しい眼差しでそちらを振り返った。


「君は、手空きの相手と通常のスパーだ。君のどこに問題点があるのか、この六分間で見極めたいと思う」


「はいはい、承知いたしましたぁ」


 そうして、四名の選手による変則的なサーキットが行われることになった。

 瓜子の最初のお相手は、多賀崎選手だ。


「始め!」の号令とともに、瓜子は大きく踏み込んでみせる。

 とたんに、左のショートフックが繰り出されてきた。

 それをすかして、左のジャブをヒットさせる。

 普段であれば、ここでいったん間合いを外すところだが、赤星弥生子はインファイトをご所望だ。瓜子は多賀崎選手のアウトサイドに回り込み、右のローを叩き込んでみせた。


 多賀崎選手もその苦痛をこらえながら、瓜子に向きなおってくる。

 その顔に、また左ジャブをヒットさせた。

 普段の多賀崎選手であれば、ここで下がるか首相撲を仕掛けてくるところだが、それも赤星弥生子に封じられている。多賀崎選手は半歩だけ身を引き、自分の間合いで左のボディブローを放ってきた。


 それを右肘でカットして、半歩踏み込みながら左アッパーをお見舞いする。

 かなり深めにヒットしたが、十六オンスのグローブで威力が緩和され、多賀崎選手はびくともしなかった。

 そして今度は、右のフックを叩きつけてくる。

 瓜子もガードしてみせたが、やはり体重差があるので、なかなかの衝撃が左腕に走り抜けていった。


(足を止めての乱打戦は、さすがに分が悪いな)


 瓜子は適度にサイドへとステップを踏みつつ、自分の攻撃を当ててみせた。

 首相撲を使えない多賀崎選手は、焦れた様子で左右のフックを繰り出してくる。

 当たれば危険な攻撃であろうが、魅々香選手や青田ナナほどの迫力はない。

 瓜子はその攻撃をかいくぐり、レバーブローを撃ち込んでみせた。


 多賀崎選手は「うっ」とうめいて、その場にひざまずく。

 とたんに、赤星弥生子の無情な声が飛んできた。


「もう気持ちが乱れているぞ。集中を切らさず、相手の攻撃をよく見ろ」


 多賀崎選手は歯を食いしばり、立ち上がった。

 しかしその後も、流れは変わらない。普段以上に瓜子の攻撃が当たり、多賀崎選手の攻撃は普段の勢いを失っていた。結果、多賀崎選手は三分で五回もダウンすることになってしまった。


「では、相手を交代して」


 多賀崎選手が引き下がり、ユーリがひょこひょこと進み出てくる。

 ヘッドガードをしているのに、その顔はすでにあちこちが赤くなってしまっていた。


「始め!」の合図とともに、瓜子は軽くステップを踏んだ。

 こちらではインファイトを申しつけられていなかったので、通常のスタイルで問題ないだろう。瓜子としてはユーリに数多く手を出してもらい、赤星弥生子の分析のお役に立ててほしかった。


(なにせユーリさんの当て勘の悪さってのは、致命的だからな)


 さまざまな技術を習得してきたユーリの中で、当て勘の悪さというのは最後に残された難関であったのだ。

 当て勘というものも、おおよそは天性のものとされている。それでも重要なのは動体視力であろうから、これだけ熱心にトレーニングを積んでいれば、少しぐらいは改善されそうなものである。


 然して、ユーリの当て勘の悪さはいまだ健在だ。それで生み出されたのがマリア選手に無差別爆撃と称されたコンビネーションの乱発であるのだが、最近ではそれも相手選手に対応されつつある。ユーリがさらなる飛躍を望むのなら、やはり当て勘の悪さの克服というのが最優先事項であるはずだった。


 そんな風に念じる瓜子の眼前で、今日もユーリの攻撃は空を切っている。

 拳も足も、瓜子に届かない。瓜子が踏み込んで左ジャブを放つと、まったく見当違いのタイミングで右ローが飛んできた。


 ユーリもどっしりと構えてカウンターだけに徹すれば、それなりの確率で攻撃を当てることができる。しかしそれでは成長も望めないということで、普段のスパーでは積極的に手を出すようになっていた。

 そうして、空振りが乱発されるわけである。クリーンヒットすれば凄まじい破壊力であるのに、ユーリの綺麗なフォームをした攻撃は、本日も一度として瓜子を苦しめることはなかった。


「それまで! ……四名とも、こちらに」


 多賀崎選手と青田ナナも、息を整えながら赤星弥生子のもとに集合した。

 赤星弥生子は、まず同門たる青田ナナに厳しい視線を向ける。


「ナナ。桃園さんを相手にしているときだけ、攻撃が荒いぞ。君がムキになる理由はないはずだ」


「そうですか? そちらさんのレベルがあまりに低いんで、こっちも引きずられたのかもしれませんね」


 青田ナナがぶっきらぼうに答えると、赤星弥生子はますます鋭く目をすがめた。


「いや。今にして思えば、君は猪狩さんを相手にしていたときも、ずいぶん攻撃が荒かったようだ。こちらのお二人に、何か含むところでもあるのか?」


「身に覚えがありませんね。あたしの気性が荒いのは、生まれつきです」


 赤星弥生子はしばらく青田ナナの仏頂面をねめつけてから、多賀崎選手に向きなおった。


「二ラウンドのスパーを終えて、どうだっただろうか? 感想を聞かせてもらいたい」


「……ええ。いいようにダウンをもらいましたよ。あたしは別に、キックの選手を目指してるわけじゃないんでね」


 実直な多賀崎選手には珍しく、反抗的な物言いであった。

 が、赤星弥生子はむしろ落ち着いた眼差しになっている。


「君がダウンをくらったのは、焦りで動きが鈍ったためだ。自分がどれだけ首相撲を頼りにしていたか、理解できただろうと思う。この二日間は私を信じて、インファイトの稽古を積んでもらいたく思うが……どうだろう?」


「……はい。せっかくのアドヴァイスを無視したんじゃ、この稽古に参加させてもらった意味がありませんからね」


 そう言って、多賀崎選手は深々と頭を下げた。


「さっきはくだらない軽口を叩いて、すみませんでした。正直、まだあなたのアドヴァイスはピンときていませんけど……その意味が理解できるように、向き合ってみます」


 やはり多賀崎選手は、実直であった。

 赤星弥生子はひとつうなずいて、ユーリに向きなおる。とたんに、その眼差しがまた鋭くなった。


「それで、桃園さんだが……君は攻撃のフォームがものすごく安定しているのに、それを出すタイミングが無茶苦茶だ。念のために確認しておきたいのだけれど……決して手を抜いているわけではないのだね?」


「はいぃ。ユーリはいつでもめいっぱい全力のつもりですぅ」


「うん。私もそうだと信じているのだが……しかし、君のようにちぐはぐな選手は初めて見た。あれだけのフォームを完成させるには相当な稽古が必要だろうに、当て勘がだけがまったく磨かれていない。まるで、何年間もスパーをせずに、サンドバッグだけを相手にしてきたかのようだ」


「そうですねぇ。去年の初めぐらいまでは寝技中心のお稽古でしたけれど、サキたんにお説教されてからは心を入れ替えたつもりですぅ」


 ユーリが申し訳なさそうに答えると、赤星弥生子は腕を組んで考え込んでしまった。

 するとそこに、人数分のドリンクボトルを抱えた六丸と是々柄が近づいてくる。


「とりあえず、水分補給でも如何ですかぁ? 夏場は熱中症が怖いですからねぇ」


 そんな風に言いながら、六丸はユーリのほうにぽいっとドリンクボトルを放り投げた。

 山なりの曲線を描きつつ、ドリンクボトルがユーリの手もとに落下する。

 実に見事なコントロールであったが――案の定、ユーリはわたわたと手を動かして、それをキャッチし損ねてしまった。


「こら、六丸。余所の門下生の御方に、失礼な真似をするな」


 まるで犬を叱りつけるように、赤星弥生子がそのように言いたてた。

「どうも申し訳ありません」と、六丸は無邪気に笑う。


「でも、わかりましたよ。それを彼女に伝えてあげるべきでしょうか?」


「なに? いったい何がわかったというのだ?」


「だから、彼女の打撃技がちっとも当たらない原因です」


 瓜子は仰天して、六丸ののほほんとした笑顔を見つめることになった。


「でも僕はコーチでも何でもありませんし、余所の道場の門下生に力を添える理由がありません。それをお伝えするべきかどうか、弥生子さんにご判断をおまかせしていいですか?」


「……かまわないから、言ってみろ」


「承知しました」と、六丸はユーリに向きなおった。

 ユーリは――いくぶん怯えたように六丸の笑顔を見返している。


「でもこれって、ご本人はとっくにわかってるはずですよね。何せ、ご自分の身体のことなのですから」


「はあ……いったい何のお話でありましょうか……?」


「あなたの、視力のお話です。あなた、右目だけ視力が弱いのでしょう? それで、不同視になってしまったのですね。だから遠近感がつかめなくて、攻撃を当てることが難しいというわけです」


 ユーリはぺたりと座り込み、深々と頭を垂れてしまった。


「……ご慧眼、お見それいたしましたぁ……」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 不同視って、何なんすか? 右目だけ視力が弱いって……そんな話、自分たちは聞いてませんよ?」


 ユーリは限界いっぱいまで小さくなりながら、怯えきった目で瓜子を見上げてきた。


「うり坊ちゃん……怒らないで、聞いてくれる?」


 ユーリの色の淡い瞳に、不安と絶望の影がちらついていた。

 もしも瓜子に嫌われてしまったら――と、幼い子供のように怯えてしまっているのだ。

 瓜子は大きく深呼吸して気持ちをなだめつつ、ユーリのもとに膝をついてみせる。


「話によっては怒るかもしれませんけど、ユーリさんを嫌うことは絶対にありません。だから全部、正直に話してください」


「うん……」と、かぼそい声で応じながら、ユーリは瓜子のTシャツの裾をぎゅっと握りしめてきた。

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