第10話 誇り高き田舎者

 朝、清が目をさますと、既に百合はベッドには居なかった。

「あれっ、随分早起きだなあ」

 居間の方に行くと、百合が朝食の準備をしている。しかし、その格好はあまりにも時代錯誤しており、一瞬、清はまだ夢の中にいるのではないかと思ったくらいだ。「百合ちゃん、その格好は・・・」

「徳さんからお下がりで譲ってもらったの」

 かすりの着物にもんぺ姿、日本手ぬぐいを姉さん被りしているのだ。この様な姿は恐らく昭和、それも戦後間もなく位までだろう。しかし、何となくではあるけれど、この村の風景にはマッチしそうな感じがする。

「どう、似合うかしら」

「似合ってるよ。ていうか、どうするの?」

「うん、今日は校庭の所に畑を作ろうと思ってるんだけど、やっぱり農作業といえば、これかなあなんて思って・・・」

「良いかもしれない。逆になんか新鮮な感じがするよ。あとで作業してるところをスケッチしたいな」

「えっ、恥ずかしいけど・・・、でも良いですよ」

 百合も恥ずかしげではあったが、清に良いと言われたので、満更でもないようだ。朝食を済ますと、清はアトリエに入った。村の人が耕してくれているのだろう、トラクターの音がアトリエまで響いてくる。どのくらいの広さの畑を作るのだろうか。彼は絵を描きながら、何となく気になり、外に出ることにした。

 玄関から外に出ると、果たして三十メートル四方はあるだろうか、グランドの土がしっかりと掘り起こされていた。流石に機械を使えば、これくらいの広さはあっという間に耕すことができるのかと、彼は感心しきりだ。

「随分広い畑だなあ」

「凄いでしょ。今は秋まき小麦の時期だから、これから小麦の種を蒔くの、今日は種蒔きまでいかないかも・・・」

「じゃあ、お昼は僕が作ろうか」

 二人が話していると、徳さんが割って入ってきた。

「大丈夫だよ。もうちゃんと二人の分も用意ができてるからね」

「えっ、でも徳さんは手ぶらで来たじゃないですか」

 怪訝そうな顔で、百合がそう言うと、徳さんはニンマリと笑った。

「農家には農家のやり方っちゅうものがあるのさ」

「郷に行っては、郷に従えですね。じゃあお任せします」

「ああ、任せておきな」

 そう言うと、徳さんは百合を従え、作業を始めた。慣れない百合を優しく教える徳さん。そんな二人の姿を清は、スケッチブックに描いていく。二人の姿は、まるで親子のように仲が良く、自然な関係に見える。二人の振る舞いが、自然であればあるほど、絵になるのだ。作業は、やはり経験者の徳さんが様になっている。しかし、百合も徳さんに教わりながら、楽しそうに畑仕事をこなしていく。何とも長閑な風景だろうか。

 お昼近くなった頃、村長の妻英子が、大きな風呂敷を抱えてやって来た。

「皆さーん、お昼休みにしましょう」

 あとから村長の金子吉蔵と、徳さんの夫の越川銀次もやって来た。大きなブルーシートを広げ、みんなで英子が持ってきたお弁当を真ん中に輪になって座る。百合は頭にかけていた日本手ぬぐいで、額の汗を拭いている。汗できらきらと光る百合の顔が、清にはとても美しく見えた。

「何をうっとり見とれているんだい。これからは毎日飽きるほど見られるんだからね」

 徳さんが、清を冷やかすとみんなは大声で笑い出した。気恥ずかしそうに百合は俯いている。だが、清にとっては彼女の全ての表情が、新鮮で刺激的なのだ。

「この畑には何をうえるの?」

「えーとね、来春にはキュウリにナスに人参、トマト、大根、ネギ・・・」

「そんなに沢山・・・?」

「大したことないよ。こんだけの畑があれば、もっと沢山の野菜が作れるんだから」

 確かに、かなりの作物が期待できそうだ。

「僕も一緒に汗を流したくなってきたなあ・・・」

「清さんは力仕事をしちゃダメ。腕が震えて細部を繊細に描けなくなっちゃう」

「じゃあ、種蒔きと刈り取り位は・・・?」

「それくらいなら手伝わせてあげようかなあ」

 百合は、今回の挑戦をなんとか一人でやり遂げたいらしい。とは言っても、最初は徳さんのアドバイスを聞きながらなのだが。恐らく、一年経てば彼女は、優秀な農家の嫁になるのではないだろうか。作業をする百合の真剣な姿を見ていての、清の素直な感想だ。だがしかし、彼女は農家の嫁ではなく、画家の嫁だ。本当に、これで良いのだろうか・・・。清は、今日の作業が終わって、二人きりになったら、百合に聞いてみることにした。

「清さん、この卵焼き凄く美味しいよ」

「ん、どれどれ。本当だ。これは美味い」

「これは徳さんの飼っている軍鶏の卵を使ったのよ。味がしっかりとしているでしょ」

 英子がそう言うと、徳さんは誇らしげに胸を張った。歳に似合わず、そんな仕草をする徳さんが二人には可愛いく映る。

「徳、そんなことで自慢気な態度をするな。いい歳こいて子供みたいだぞ」

 越川の一言で、年寄り達は一斉に笑い出した。何とも素朴な人達だ。しかし、この様な長閑な村の一コマの情景はごく自然であり、見事なほど風景の中にとけ込んでいる。あの渓谷の宿の主人と同じ人達が、二人の周りに沢山いるのだ。見栄っ張りで、高慢知己な人間が闊歩する都会とは全く違う世界。全てが『素朴』という言葉で片が付く。恐らく、この素朴さを素直に取り入れて、自分もこの情景の一部になってしまえば、悩みや苦しみなんて吹き飛んでしまうだろう。都会では精神を病み、苦しんでいる人たちが沢山いるが、コンクリートやアスファルトという無機物の中で生活しているせいかも知れない。

「清さん、何を考えているの?」

「ん、いや、改めてこの村に来て良かったなあって、そう思ったんだ」

「ほらほら、早く食べないと、みんな爺さん達に食われちゃうよ」

「あ、はい」

 何とも和やかな、昼のひと時。まるで、この空間だけは、時間が止まっているようだ。昼食が終わり、雑談をして、英子と金子、越川はその場を去っていった。

「さて、百合ちゃん、続きを始めようか」

「はい」

 畑作業をしている二人の姿をスケッチし、清はアトリエに戻った。まずは、渓谷の絵を完成させなくてはいけない。百合が新たな挑戦をしているのだから、清も自分のできることを精一杯頑張ろうと、カンバスに向かった。

 時間の経つのも忘れて、真剣に描き続けその日のうちに何とか仕上げる事ができた。ふと後ろを振り向くと、百合が微笑みながら立っているではないか。

「素敵」

「いつから居たの?」

「結構前かな。夕飯の支度ができたんで呼びに来たんだけど、清さんがあんまり真剣なので、声掛けそびれちゃった」

 時計を見ると、既に十九時を回っている。

「もうこんな時間か」

「ご飯にしましょう」

「そうだね」

 夕飯は豚の角煮、野菜サラダ、なめこの味噌汁と、徳さんの特製絶品の沢庵。角煮はよく味がしみており、とてもふっくら柔らかく煮えている。なめこの味噌汁も美味しく仕上がってる。

「とっても美味しいよ」

「ありがとう」

「ところで、あの畑は随分本格的だけど、農家でも始めるの?」

「ううん、近く両親が、この村に越して来るんだけど、親に殆ど任せるつもりなの。二人とも、この村に帰ってきて、ただ年金暮らしじゃ惚けちゃうんじゃないかと思って・・・」

「なる程、そういうことか。親孝行ないい娘だ」

 二人は微笑みながら、食事を進めていく。

「今日は疲れただろう。風呂から上がったら、マッサージしてあげるよ」

「えーっ、そんな、旦那さんにそんな事して貰ったら罰が当たっちゃいます」

「そんな事無いよ」

「じゃあ、私も清さんをマッサージしてあげる。絵描きさんだって肩が凝るでしょうから」

「僕たちって、仲がいいね。この仲の良さは、いつまで続くんだろうね」

「一生涯続きますよ」

 この甘い甘い新婚生活が、そのまま何時までも続くことを二人は信じて疑わなかった。

 翌朝、外は雨がパラついている。徳さんがやって来て、百合に今日は作業中止と言って帰っていった。

「あーぁ、仕方ない。久し振りにビーズアクセサリーでも作りましょう」

「それがいいよ。君はそれが本職なんだから」

「そうよね。忘れるところだったわ」

「あ、それから、来週またあの宿に行こうね。絵を持っていきたいから」

「はーい。じゃあ今日は頑張っちゃおう」

 朝食を終えると、清はアトリエへ、百合は作業部屋へと入っていった。清は、百合と徳さんの作業姿を描くための、下書きを開始し始めた。問題は構図だ。周りの山の風景と畑、そして人物像のバランスを調えなければ、何の絵なのかわからなくなってしまう。彼はしっかりと時間をかけて、下書きを仕上げていった。

「よし、これでいい。あんまり凝らずに、自然な姿に描かなくちゃ、意味がないからな。田舎の素朴さを絵に描き込むんだ」

 清の気持ちは、もうこの村とは切り離せない。その気持ちをこの絵に書き込みたい。そう思ったのだ。

 どれくらいの時間が経過したのか、清のお腹が鳴っている。ふと時計を見ると、既に夕方の五時になろうとしていた。

「昼ご飯も食べずに、頑張っちゃったか・・・。そういえば百合ちゃんはどうしたのかな?」

 清は気になって、彼女の作業場を覗いた。すると、そこには作業台に向かい、腰に手を当てて立っている百合の姿があった。作業台の上には、キラキラと輝く白い花瓶に一輪の美しい花が刺さっている。

「綺麗だねぇ。これをビーズで作ったのかい?」

「あ、清さん。そうなの。花瓶はビーズで、花はペーパークラフトで作ったんだけど・・・」

「何か気に入らないの?」

「そういうわけじゃなくて、売り物にするのがもったいなくて・・・」

「だったら、それも宿に持っていって飾ってもらおうか」

「あ、いいですね。そうしましょう」

「しかし、凄いなあ。百合ちゃん、これは芸術の域だよ」

「そんなぁ、おだてないで下さい。木に登っちゃいますよ」

「いやいや、登らなくても良いからさ、今度画商が来たら、相談して見ようよ。何か良い案があるかも知れないから」

「ありがとう。清さんは本当に優しいね。私、あなたと一緒になれて本当に良かった」

「そうだ、今日は特別に夕飯を町で食べようか」

「はい」

 二人は、いそいそと車に乗り、町のレストランに向かった。店内は木調で白熱電球を上手に利用した証明が施され、なんとなく暖かな雰囲気を醸し出している。しかし、人の騒めきや、足音、食器の当たる音などが壁に反射してるのか、なんとなく落ち着かないような気もする。

「なんだか最近は、人の少ない所にばかりいるから、違和感を感じるね」

「うん、なんだか人に酔ってしまいそう」

「僕もだ。きっと僕らは、誇り高き田舎者になったんだよ」

「やだ、清さん面白い。でも素敵な表現ね。誇り高き田舎者って」

 二人はステーキを食べ、そそくさと店を後にし、車を家に走らせた。二人だけの空間に戻ったせいだろうか、なんとなく安心感が二人を包んでいる。

「以前は、あのような小洒落たお店で、食事しながらお話するのが素敵だと思っていたけど、なんだかつまらない感じだったわ」

「きっと僕らは大自然に抱かれていないと、満足できなくなっちゃったんだよ」

「そうなんですね」

「うん」

 村に帰ってきて、清は空を指差した。夜空は綺麗に晴れ渡り、今にも落ちてくるのではないかと思うほどに美しく星が瞬いている。

「町ではこんなに沢山の星は見えないよね。ということは、こんなに近くに見える星達が、この村に住む僕たちだけの物っていうことなんだ」

 そう言って、百合の頬にキスをした。

「凄くロマンチック。町ではこんな気持ち味わえないと思う」

「そうだよね。高層ホテルの窓から夜景を見るよりも、ここでこうして星を見ている方が絶対にロマンチックだと思うよ」

「あ、流れ星」

「星も、僕たち二人を祝福してくれているんだよ、きっと」

「そうね」

「さ、お風呂に入って、今日はもう寝よう。昨日今日と随分頑張ったものね」

「はい」

 二人は風呂から出ると、すぐにベッドに潜り込んだ。

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