ヘビィアームズ・グラディエイター~重鐵の烈剣士~
鬼灯野猫
一章
第1話 散居村の英雄
ソレは少年と呼ぶにはあまりにも肉厚すぎた。
上背は高く、腕は太く、そして明らかにその肉体は巨大すぎた。
近隣の男衆と比べても頭部ひとつ分抜きんでるほどの
そして、その外見は見かけ倒しなどではなく、彼は腕も立った。
一介の農民の嫡男である。正式な武芸を
にも関わらず、
戦いを生業にする者でも腰が引けるバケモノがオーガである。普通ならば成人も迎えぬ若者が負える相手ではない。
しかし彼はなした。弱っていたとはいえオーガをその手で
その後も彼は戦果をあげ続けた。
野犬の群れや野盗に襲われたときも先陣を切って戦った。
冬の嵐のときも冷たい雨のなか農地を見まわり、被害を最低限に抑えた。
彼の傑物ぶりはソレだけではなかった。
その恵まれた体躯に
ゆえに彼は讃えられ、敬われた。
オーギュスタスは、まさに村と一家の英雄だった。
しかし――。
その英雄が今、売られようとしていた。
奴隷として、モノとして、売られようとしていた。
◆ ◆ ◆
ときは帝国歴183年。
三つの皇帝直轄地と三十六の属州を持つ、人類国家最大の帝国ロンバルティア帝国は、『全人類の盟主』を
西方諸王国を属州とし、海を渡った南方国家の一部まで平定した帝国が次の標的と定めたのは東方だった。
しかし、そこには先住民族がいた。
亜人の一種、灰色の肌を持つオークと呼ばれる連中である。
帝国国内で見かける野良オークと違って、氏族単位で群れを形成するこの氏族オークは想像を超えて滅法強い。
かつて帝国はこの氏族オークの前に惨敗し、東方征服を諦めざるを得なかったという歴史があった。西北の亜人であるオーガや南方の野人相手にも圧倒的優勢を崩さなかった帝国軍が、いとも容易く負けたのだ。
元々オークは人類と比べて体格も筋力も上である。
加えて東方の
認めがたいことだが、有力氏族系オークを頂点とするその社会は、原始的ではあるものの、もうひとつの帝国と呼べるほどの規模だったのである。
故皇帝レムニヌス一世は約百年前のその戦いで不名誉の戦死をしたと語られている。
その、忌み名というべき名を継承するレムニヌス二世は、王位継承の日、『
全ての土地はロンバルティアの下に。全ての慈悲は人類の下に。全ての恵みはレムニヌスの頭上に。そして全ての亜人は地の底にあるべし。
そう宣言した。
以降八年――東方では大陸中央部の覇権を巡り、今も激しい戦が続いている。
帝国東征軍本営より『戦局有利』とたびたび戦況が伝えられてはいるものの、実情は悲惨なものだともっぱらの噂である。
加えて人類を苦しめるのは何も亜人ばかりではない。
気象。時としてソレは亜人をも超える脅威だった。
特に農業従事者にとって、もっとも親しい隣人であり、同時にもっとも恐るべき怪物であるのが気象という存在だ。
ひとたび機嫌を損ねれば、穀物は育たず、土地は枯れる。叙事詩に
そう、人の手ではどうしようもない暴君であり
今年のフェッロレジーナ州がよい例だろう。
主都ロンバルドを有する天領ロンバルディア州の隣。旧王妃領の愛称でも知られる農業地帯フェッロレジーナ州は今年、近年まれに見る作物の不作を経験していた。
オーギュスタスの故郷、小領シャイセでも状況は同じだった。
小麦・大麦・燕麦・レンズ豆の主要四作物のうち、主食となる大麦や地代となる小麦が壊滅し、6月半ばの麦秋を前に家族を売るものが続出した。
従来なら、属州と違って皇帝直轄地の三州は保護される。減税や免税、時には食糧の配給まで、不作のときはそれ相応の対応が行われるのが通例だった。
皇帝直轄領は主要な有力者の借用領地が非常に多く、また東征の主軸である上軍の軍団兵たちの故郷でもある。無体な徴税ははっきりと士気に関わるため、温情をなすのが当たり前、という見方が一般的だった。
しかし、おおよその期待を裏切り、レムニヌス二世は早々に今年の免税・減税はなしと通達したのだ。
長引く東方征服のための物資確保が理由だった。
結果として、
オーギュスタスの一家も同様だった。
◆ ◆ ◆
交渉役の男は異議を唱えた。
「流石にそれは安すぎじゃないですか? 見てくださいよ、この丸太のような腕を。そんじょそこいらの連中とは、ワケが違いますぜ」
「とは、いってもなあ。知っているかもしれんが今年の奴隷相場は既に下がっていてな」
買い手の男は言い渋る。まだ
家族を売り払うことになったのは、何もこの辺りだけの話ではない。フェッロレジーナ州以外でも被害は出ており、値崩れする前にと、
鑑みるに市場にはもう相当な数が入荷し、買い手を待っている状態だ。
収穫を終えた後であるこの時期になって商談を持ちかけるのははっきり言って遅すぎるというほかない。
なれど交渉役は諦めない。
身振り手振りを交えて、口先達者に、価格交渉を続ける。
「確かに女子供の価格は暴落しているでしょう。けれど大事な働き手たる男衆はまだあまり売られてはいないはずです」
「確かにそうだ。だがな、今後は間違いなく増える、それも急激にだ」
商人は渋った様子を崩なさい。むしろ先ほどより険しい表情で、売られゆく哀れな子羊たる、いいや大羊たるオーギュスタスを眺める。
それでも交渉役の男は引かない。
「けれどそこで増えるのは精々村の暴れん坊や穀潰し、やさぐれた三男坊といった落伍者連中でしょう。
それに、と交渉役はぐぐっと顔を商人に近づけて言い放った。
「見てくださいよこの瞳。こいつぁは働き者の目ですぜ、俺が保証しますよ」
更に、ぐ、ぐぐぐと近寄ってもう一度、
「俺が保証しますよ」
そう断言した。妙に自己主張の激しい交渉役である。
と、ふいに真剣なこの交渉の場に、不釣り合いな音が響き渡った。
笑い声だった。
商人が急に吹き出したのだ。
険しくしていた顔を緩めて、咽せるように笑いながら、手で交渉役を制す。
「ま、待て待て。そんな、目をみてわかるほど俺は辣腕じゃないんだよ」
「本当ですかい? ほら、この目、純真で働き者で、正直者で、しかもそれでいて賢そうな目でしょう」
交渉役はここぞとばかりにたたみ掛ける。
「……お前、自分で言ってて恥ずかしくないのか」
対する商人は完全に呆れ顔だ。
そう、売り込みをかけているのは驚くべきことに、あるいはホトホト呆れたことに、その商品たるオーギュスタス自身なのである。
巨躯を上手に丸めて商人の目に高さに視線をあわせ、さも正直者ですと、純真そうなドングリ眼を作るのだからたまらない。哀れにも商人の頬はひくひく痙攣し、今にも笑い転げそうな有様である。
「あー、わかった、わかった」
百戦錬磨とはいかないまでも、それなりに商売をしてきただろうこの商人も、きっとこのような交渉は初めてに違いない。
当たり前だが家族の誰かを売るとなれば、家長なり集落の長なり、専門の交渉役なりが出張って話をつけるのが筋である。
それをこのオーギュスタスは、自らの交渉役を自らで買って出て、開幕言い放ったのだ。
「商品のことを一番よく知っているものが交渉に立つべき、と俺は思うわけですけど、どうでしょう」
言い得て妙ではあった。
ある意味ではその時点で、商人が折れるのは決まっていたのかも知れない。
戦と商売は自分の常識の
商人は両手をあげて、根負けを示した。
「お前には負けたよ。実際腕力も確かだし、頭も切れる。純真さは知らんがね」
「ご冗談を、俺の一番の売りですよ、そこ」
商人の言葉に、オーギュスタスは失敬なと大仰に顔をしかめる。
その滑稽さと愛嬌を感じさせる仕草には人の警戒を緩める、一種に才能とすら呼べるものがあった。
「はいはい。お前さんは純真さの塊だよ」
「あ、そこまでじゃないです」
ぞんざいに褒めると、オーギュスタスは真面目くさって、キッパリとそう返したのだった。
◆ ◆ ◆
「さて買値をあげるとなると、売り先が変わってくるわけだがお前さん、希望とかあるか? お前さんの能力次第だがそんだけ鍛え上げられた身体なら、肉体労働系だったら買い手はだいたいつくだろう」
「どういう売り先があるんです?」
「そうだな。剣奴、水夫、鉱夫、農奴、戦奴、それから男娼だな」
商人が売り先をあげ連ねると、オーギュスタスは首をかしげる。
「男娼って、言っちゃ何ですがこんなデカブツに需要あるんですかね」
「さあね、俺は専門じゃないから何ともだが、帝都のほうじゃ高貴な身分の女性が逞しい男の愛人を買うのは少なくないらしい。お前さんは顔も悪くないから、可能性はあるんじゃねえか」
「適当ですね。商売なのにいいんですか」
「所詮希望だ。必ずしも聞いてやるわけじゃねえからな。そもそも俺たちは奴隷専門つーより何でも屋に近いもんでね」
商人は肩を竦めてから、「とはいえ帝都の業は深いつーからな」と付け加えた。
「下手すりゃ、爺さんの愛人にと買われたりするかも知れんしな」
「あ、男娼はご遠慮しますぅ」
「露骨だな、おい」
とたんに一蹴するオーギュスタスに、商人は苦笑した。
「流石に、ねえ?」
好き嫌いを言える立場ではないが、流石にその帝都の業を理解する気にはなれない。
「正直言えば剣奴が一番理想ですね。奴隷階級の中で一代で正市民権を得られる可能性がある数少ない職業ですし、高値で売れやすいとも聞きます」
奴隷にもいろいろ種類がある。
その中で、初年度の脱落・死亡率が高いぶん、優遇された面もあるのが剣奴という職業だ。剣奴とは別名を闘士といい、刃物類あるいは武器を用いて闘技場で戦う職務に従事する奴隷を差す。一方、戦場で戦うが戦奴だ。
そしてこの二つの奴隷職には他にはない特権がある。
ロンバルディアの正市民権・正市民補権・准市民権・准市民補権・外地市民権・属州民権と複雑に分けられた市民権のうち、最も高位である正市民権を得る『資格』があるのだ。
もっとも『但し、犯罪や過失負債による刑罰負債奴隷ではないこと』という条文があり、該当した場合は准市民以上にはなれない。
「やけに詳しいな」
「まあ、いずれこうなる可能性はあると思っていましたから」
「なるほど。とはいってもそれは一種の夢物語だぞ。大抵は途中で死ぬか引退して教官になって終わる。正市民権を得られたものなんて一握りもいない」
「でも前例はなくはない。しかも一人は元老議員にまで成り上がった、これは他の奴隷ではありえない偉業です。そうでしょう?」
「本当に詳しいな、お前さん。借地農の息子とは思えない博識ぶりだ」
「あ、驚きに値する博識さってことで査定金額に上乗せお願いします」
「却下だ。剣奴じゃ博識さは大した評価対象にはならん」
商人はすげなく首を横に振った。
「確かに剣奴から議員になったという例はある。そういう意味では他の奴隷とは違っているのは間違いない。比較的高値で売れるのもだ。けれど夢物語でいいなら他の奴隷だって決して成り上がれないわけではないぞ」
商人の指摘に、オーギュスタスは「そうですね」と相づちを打った。
奴隷水夫でも名うての船長になって莫大な富を得たり、逃げだし海賊となって悪名を轟かせる例はある。男娼でも名家に買われればそれなり以上の生活はできないこともないだろう。農奴だって上手に飼い主を丸め込めればのし上がれないこともないかも知れない。鉱夫だって――こう、何かすごーい発見をすればきっと、たぶん、おそらく――。無理かも知れない。
しかしいずれにせよ、その他の奴隷になった場合、一代でのし上がれるのは解放奴隷としての准市民までだ。決して正市民権は得られない。
正市民権と准市民権の差は社会保障が優遇される点と立候補権、投票権、民会への参加権など普通に暮らす上では大差ないように感じられる。別にオーギュスタスは正市民権を得て議員や要職を目指したいわけではない。けれど准市民と正市民の間には、定められた権利の差以外に、決してぬぐえない暗黙の格差があるのだ。
法はすべてではない。皇帝の言葉以上に前例や格式、帝国法を重んじるこの国であっても、法では管理できない区別、差別が無数に存在している。
だから望めるならば、正市民権を得られる奴隷を選ぶというのは、話の筋としてはおかしなものではなかった。
それでも――商人は言った。
「件の話を希望だと夢見るなら辞めといたほうがいい。あれはもはやホントに伝説、夢物語に過ぎないからな。それを目指すくらいなら、農奴として今まで同様、畑仕事に明け暮れていたほうが幸せかもしれん。夢破れて絶望の中に死ぬくらいならな」
ひどく重々しい言葉だった。
オーギュスタスとは違って、商人は本物の剣奴を見たことがあるのだ。闘技場に何度も足を運んだことがあるに違いない。試合を見たことがある。絶望する闘士を見たことがある。絶望の中で殺される剣奴を見たことがある。亜人に
だからこその言葉。そういう思いを商人からは感じられた。
でも、オーギュスタスは否定する。
「絶望さは、無力さは知っていますよ」
「なに?」
「何でもないです。でも男なら憧れるでしょう、成り上がることに。あなたもそうではないのですか。ウォレスさん」
「……さて、な」
ウォレスと呼ばれた壮年の商人は、そう言葉を
「まあ、それにですね。生憎とこの肉体です、少しは素質あるんじゃないですかね、俺。剣奴の中で最高峰に上り詰められる素質が」
「確かに。お前さんならあるいはいいところまで行けるかもな」
ウォレスもそれは認めざるを得ないようだった。なにせこの交渉の最中も常に見下ろされているのだ。その体躯に秘められた迫力や重圧感はウォレスが一番感じているだろう。
それを感じ取ったようにオーギュスタスは、にこやかに言った。
「お、認めたところで査定金額の上積みを」
「却下だ」
にべもなく商人は拒絶する。
「く、言質をとる絶好の機会だと思ったのに」
「ごほん、話戻すぞー?」
「へーい」
オーギュスタスはいかにもガッカリという顔で、巨体をへなあと丸め、力なく答えた。
元々体躯に似合わず童顔の彼である。ある種の哀愁と愛嬌を兼ね備えたその姿に、商人は三度苦笑いを浮かべた。
◆ ◆ ◆
「お前さんの気持ちがわかった。こっちも商売だ、利益が出るなら是非は問わん。だがな、剣奴で売るなら当然剣の扱いは必須なのはわかるな」
「当然ですね。一部拳や槍、斧、棍棒などで戦う人もいるとは聞いてますが」
「まー、そういうゲテモノは例外だ」
「はあ、ゲテモノ」
流石にゲテモノ呼ばわりは可哀想ではと言いたげなオーギュスタスだが、商人は意にも介さず本題を進める。
「でだ、お前さん。剣は扱えるんだろうな」
「もちろんです。あー、とはいいましてもこの体躯ですからね、一般的な剣では小さすぎるので、剣と呼ぶにはあまりにも巨大で無骨すぎたものを扱っております」
上背も身幅も人一倍なのだ。並の剣では子供のおもちゃにしか見えない。そもそも本気の力で剣を振るったら、普通の剣では保たない。結果としてオーギュスタスのソレは、笑ってしまうほど巨大で無骨で、正しく塊物と呼ぶべき代物だった。
「持ってきてみろ」
商人が言った。
「いえ、さっきから目の前にありますが」
「……はい!?」
言われた商人は驚き、広場を見回して、見回して、最後に諦めの表情を浮かべ、中央にそびえる記念碑を見やる。
「ええ、それです」
「あれかー」
半ばわかってはいたと言いたげなウォレスである。
そう、集会所も兼ねた
デカい。地面から抜き放たれたソレは驚愕すべき大きさだった。
「冗談だぜ……」
そうウォレスが呟いた。
オーギュスタスが叫ぶ。
「行きます!」
そう言うなり豪快に巨剣を振るった。
ごうと空気が呻き声をあげ、斬撃の先の地面からは
空中で一回振っただけでこれだ。その威力は言わずもがな。というよりウォレスは絶句し、語る口を持たなかった。息だけが口から
果たして、これは剣技と呼ぶべき代物なのか、どちらかといえば
木製だからまだいい。もし仮にこれが金属製だったら、凄惨な光景が広がるに違いない。
「うーむ」
ウォレスは
「俺は剣技にはさして詳しくない、しかし、今の剣撃はわかる」
「お、査定金額上乗せですか!?」
オーギュスタスがずいと迫る。
「……それは剣を扱っているんじゃない。ただ振っているだけだ」
「あ、はい。すみません」
その後、オーギュスタスは指示されながら剣を振るって、「あー、まあまあだな」と何とも微妙なお言葉を
オーギュスタスは十分剣技に詳しいじゃないかという目をするも、
「俺は行商人だ。最低限の自衛手段は持ち合わせている。ただ人に教示できるほどの腕前じゃあないって話だ」
とはウォレスの談である。
その目ですら粗が目立つというのだから未熟というほかはない。
「残念、村の英雄はタダの脳筋だった」
オーギュスタスはがっくりと肩を落とす。
半ばわかってはいても真正面から否定されるとこうも辛いんだなあと呟き、うなだれる。
我流ではあるものの、それなりの形にはなっているのではないかというような自負を持っていたに違いない。商人は少々申し訳なさそうに頭をかいて付け加えた。
「ま、悪くは、なかったぞ」
「……それ、逆に辛い」
こうして、村の英雄の運命と、売値が無事決まったのである。
「本当にその金額でいいんですか?」
「ま、何とかなる。お前さんの気にすることじゃないさ」
なお査定金額はかなり良心的な金額だった。ただしその金額は肉体能力のみを評価した金額でオーギュスタスの必死の営業はあまり加味されていなかったという。
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