第一章
スコーンにローズジャムを(その一)
朝食を終えて、軽く自分の部屋を片付けたりやっぱり片づけるのを止めたり、途中で中断していたつくろいものをしようかどうか迷いに迷ってやっぱり止めるということを繰り返したあと、ミリィはいそいそと身づくろいをはじめることにする。
約束している時間そのものは昼食のあとで、ということなので、実はまだまだ時間があるのだが、こんなわくわくでいっぱいの気分の時におとなしく部屋の掃除やらつくろいものやらをする気にもなれなかったのだった。
クローゼットを開ける。まずはドレス選びからだ。といっても選択肢はそんなにない。布地というのは高価なもので衣服はそれを手間暇かけて仕立てた代物だ。こまごまとした家事仕事をしなくて済む程度には余裕のある家の娘であるミリィでも、外出に着ていけるドレスの数は片手で数えて指が余る。
二着のドレスを手に取る。
あんず色でフリル飾りがあるちょっとだけスカートが細身のやや大人っぽいドレスか、濃いめのピンクで腰の大きくリボンがふんわりと可愛いドレスを着ていくかで少しの間ミリィは迷う。
が、あんず色の方を以前着ていったとき、「のばら」の奥さんに似合っていますねと褒めてもらったことを思い出したので、あんず色のを着ることにした。
生まれつきの癖で落ち着きのない茶色の髪を木櫛で何度もすいて多少おとなしくさせ、髪色よりもぐっと濃い茶色のリボンを結ぶ。
それから、母方の祖母の嫁入り道具のひとつであったという大事な手鏡で顔を点検し、ついでにリボンがゆがんたりしていないかもチェックする。……気にしているそばかすがまた一段濃くなっている気がするが、見なかったことにする。15歳の乙女にはまだまだ直視したくない現実もあるのだ。
「うん、まぁ、いいかな」
自分で自分に大丈夫、大丈夫、大丈夫、まだそんなにひどくないわと言い聞かせて、小さな革のかばんにお財布やらハンカチやらを詰め込む。
最後に、宝物にしているペンダントを首にかけた。このペンダントは15歳の成人のお祝いにもらった物で、もともとは片方だけなくした母の耳飾りを加工してペンダントにしたもの、らしい。
これで出かける準備は完璧であった。
ただ、準備を完璧に終えたはいいが、約束している時間はまだまだ先だった。
そわそわしながらいつもと同じような昼食を終える。
食べ終わると皿を片付けるのももどかしく、あわただしく自室に駆け込んで、かばんを取り、玄関へ急ぐ。
「ミリィお嬢さん、どちらへいくの」
そんなすがたをみて、家でつかっているメイドが尋ねてくる。といっても、行先はとっくにわかっているのだろう。
「今日は喫茶「のばら」へ行くのよ」
「おまたせー」
「あまり待っていないわ。そもそも約束の時間の鐘だってまだ鳴っていないもの」
約束していた場所、街の南広場にある獅子像前で約束の相手はすでに待っていた。
「こんにちは、ミリィ。今日もいい天気でよかったわ」
「こんにちは、ルリエラ。そうね、こんな日にいいお天気だと気分がいいわ」
ルリエラはまっすぐな黒髪を長く伸ばしている少女だ。年はミリィと同じ十五歳。誕生日も一か月も違わない。それに家屋敷が近い場所にあり、ついでに家の格もほぼ同じぐらいだということで、昔から親しく付き合っていた。
「じゃあ、いこっかルリエラ」
「うん、いきましょう」
そうして二人は並んで歩く。目的地に向かうまでの間も、おしゃべりはとぎれることがない。レースの新しい編み方を教えてもらったとか、こんな刺繍をしてみたとか、あの果物にどれぐらいお砂糖とレモンの果汁をいれてみたらちょうど美味しいジャムができたとか、どこそこの果物屋さんで働いている人がだれかれと結婚するらしいとか、あそこの仕立て屋のお針子が北門の衛兵と付き合っているらしいとか、そういう内容だ。
そんな風に二人はおしゃべりを楽しみながらだったのだが、目指す場所、目的地が近くなるとだんだん口数が減り、早足になっていく。
やがて、白い壁に青い屋根をもつ二階建ての建物が見えてくる。
とりたてて立派なわけでもなければ華麗なわけでもない建物だ。大きさだって多分、ミリィの住む家より小さいぐらいだろう。通りに並ぶ店のなかでは平凡で目立たないとすらいえるし、初めて来る人はそれとわからないだろう。
だが、間違いなくここが二人の少女の目的地であった。
その建物の前には名前も知らない鉢植えの植物があり、その横には黒板がたてかけられてある。それには可愛らしい字体でこんな風に書かれていた。
――喫茶「のばら」 開店中です。
それを見て、二人の少女は顔を見合わせ、にっこりと満足をあらわす微笑みを交わしあい、黒板横のドアを開けた。
「いらっしゃいませ、お客様」
そうして「のばら」の客となった二人の少女は、大人の女性のしっとりとしているのにどこか可愛らしさの残る声に迎えられたのだった。
「こ、こんにちは……奥さん」
「あ、あの、カウンターは空いてますか? 今日はふたりなんですが」
「えぇ、ちょうど空いたところですよ。どうぞ」
いつものことなのだが、少女たちはこの女性――店主の妻だから奥さんとかおかみさんとか呼ばれている――の綺麗さにまず驚いて、それからどぎまぎしてしまう。この女性がこれでも三十代、つまり自分たちの母親とそう変わらない年齢であるという情報も、このどきどきをしずめてくれる役にはたってくれない。
“奥さん”は今日は、ふわふわとしているのにつやのある濃茶色の髪の毛を瞳の色と同じすみれ色のリボンで軽く結っている。身に着けているのはこざっぱりとした白地に青の縦縞のドレスに白のエプロン。
今の今まで、ミリィは青の縦縞柄ドレスは洗濯女中みたいだと思っていたのだが、着る者によってそれは違うのだと思い知った。
多分、この店に今日来た女性たちは、白地に青の縦縞柄のドレスがほしくてほしくて仕方なくなっていることだろう。裕福な者だったなら、もしかして帰りに仕立て屋にそのまま立ち寄ったりするのかもしれない。
ミリィはそんなことを思いながら、綺麗な奥さんにカウンター席に案内される。
店の中は今日も結構な人がいた。
この店の席数は正確に数えたことはないがテーブルだけで十以上はある。
ただし、いつ来ても入口すぐのところにあるテーブルには客が二人いる。その席についているのはいつも同じ顔。白髪でおとぎ話にでてくる魔女をイメージさせる容姿をしているのに腰に剣を二本さげて男装しているおばあさんと、いかにも魔法使いだが何か? といわんばかりに魔法文字らしき刺繍が入ったローブを着てねじくれた木でできた長い杖を壁にたてかけている中年ぐらいだろう男。彼らはこのお店の護衛なのだ、という話を小耳にはさんだことがある。
ただ、ミリィ自身はこの店で彼らが出てくるようなもめ事が起きたのにはまったくもって出くわしたことなどない。
カウンター席に座ってかばんを置くとすぐに、この喫茶店の給仕のひとりである銀髪の派手な顔立ちの少女が、この店のメニューの書かれた紙を運んできてくれたので受け取る。奥さんが運んできてくれなかったのがひそかに残念だが、同時にほっとしていた。
受け取ったメニューに目を落とす。ただ、この紙のメニューに書かれているのは茶の類だけ。食べ物や菓子類はその日によって違うものがあったりもするので、カウンター奥などにある黒板に名前と値段が書かれているのだ。
「ルリエラは今日は何にする?」
「いつもどおりのつもりよ。シナモンチャイティー」
ルリエラは紅茶をスパイスやミルクといっしょに煮出してつくられるミルクティーの名前を挙げる。本人がいうとおり、いつも通り。ルリエラは1種類の好きなものにこだわる傾向がある。対してミリィは事前にあれにしようと決めていても、店に入った時の空気や気分、それに「今はいい紅茶がはいってますよ」と言われたりすることであれこれ変えたくなってしまう。
ただ、紅茶と一緒に食べるもの。これはミリィもこの店に初めて来た時からずっと変わらない。
「注文、おねがいします」
ルリエラがメニューを持ってきてくれた銀髪の少女に声をかけると、彼女はすぐに注文をききにきてくれた。
「私はシナモンチャイティーとスコーンを」
「私も同じものを。シナモンチャイティーとスコーンで」
「はぁいー、シナモンチャイティーふたつ、スコーンふたつねー」
「あ、そうだ……今日はスコーンのジャムは何がありますか?」
「今日はローズジャム、ありますよー」
「ローズジャム?」
「ローズジャム!」
ミリィとルリエラは、石炭を採掘していたらダイヤモンドを見つけたような驚きの顔と気持ちになった。
薔薇の花をジャムにして食べちゃうだなんて、まるで妖精のよう、なんて優雅なんだろうか!
「じゃあ、あの、それでお願いします」
「私もそれで」
「はぁい、少々お待ちくださいー」
銀髪の少女が大きな胸をゆらしながら、カウンターにいる店主と奥にある厨房に注文を告げに行く。カウンター席に座って待つミリィとルリエラはローズジャムという言葉の衝撃でまだちょっとどきどきしていた。
特にルリエラはこの店での習慣にしている、注文を終えたらすぐに本棚で今日読む本を見繕うことすら忘れているようだった。
「楽しみだね、ルリエラ」
「そうね」
カウンターの中では、「のばら」の店主と、奥さんが小声で話をしていて、何か楽しいことでもあったのか微笑みあっている。この夫婦は相変わらずの仲良しだ。
店主は黒髪に青い瞳の、中肉中背と呼ぶにはすこし背が高くてすこしやせた男だ。年のころは二十代半ばぐらいのようだが、ミリィが見てもずいぶん人生経験はありそうな……いろんなものを経験してきて身につけたふてぶてしさというべきものをどこか感じられる。
……まぁあんなに綺麗な年上奥さんをもったぐらいだ、並の神経と器ではやってられないのだろう。
「じゃあ、お休憩もらいますね。すぐに戻りますわ」
「すぐに戻っちゃだめだよイヴ、ちゃんと休むんだよ」
「はい。わかりました。時間通りに休ませてもらいますわね、アルフ」
そんな会話を交わし、奥さんはカウンターの奥にある厨房に消えてしまう。たぶんこれからちょっと遅い昼食をとるのだろうだろう。
奥さんが見れなくなってちょっとがっかりする一方で、綺麗な人が近くにいるときの緊張がなくなってほっとしてしまう。
「なんだい、残念そうだね」
そんなに残念な気持ちが顔にでていたのだろうか。店主がカウンター越しに話しかけてくる。
「そりゃそうよ、この店に来ている理由の約四割ぐらいが奥さんを見るためだもんね」
「残りの約六割は何かな?」
「だいたい三割ずつで、紅茶とお菓子ね」
「ふぅん。まぁよしとしておこうかな。こういうふうに真っ直ぐに妻を褒められるのは夫としても決して悪い気はしないものだしね。……ほら、熱いから気をつけて。スコーンはもうちょい待っててくれるかな、焼きたてを出すから」
きさくに会話しながら、店主は二人が注文していたシナモンチャイティーをそれぞれに出してくれる。器用なものだ。
受け取って、まずはそのぬくもりと、それから香りを味わう。
シナモンをはじめとするスパイスの香りと、それにまけないぐらいの紅茶の香りで胸がいっぱいになる。
紅茶の種類やお客、あとは店主の気分によって変えているという茶器は、今日は素朴な花の模様が青で描かれた厚めで大ぶりなマグカップ。
そのなかに満たされた茶の中に、砂糖をスプーンで軽く二杯入れる。二年ばかり前に、この国が戦争で得た領土でつくられているという砂糖は今なお貴重なものだが、「のばら」の店主は大胆にも各テーブルに砂糖壺を置き、客に砂糖を自由に使わせている。もっとも、そうそう何杯も何杯も砂糖を入れる客はまずいない。そのようなことをするとせっかくの茶の味を殺してしまうからだ。
飲む前にもういちど香りを味わい、それからひとくちいただく。
砂糖の心地いい甘さと、ミルクのまろやかさと、シナモンをはじめとするスパイスがちょっとだけぴりりとした味。それに夢のような、いや、夢では決して味わえないような豊かな香りを飲み込む。
うん、美味しい。
この店を知るまで、ミリィが飲んだことのあるお茶なんてせいぜいそこらの野山でとれる香草を使ったものぐらいで、ちゃんとした紅茶なんて飲んだことが無かったが、この店で紅茶を飲み、以来とりこになってしまった。
今日も美味しくて、あったかくて、幸せだな。
ミリィは心の底からそんな風に思った。
「あの、店主さん」
ミリィがささやかに幸せを感じているとき、ルリエラはこの店に来ると毎回頼むほどに大好きなシナモンチャイティーには手を付けず、店主にこう切り出した。
「店主さんって、どうして奥さんと結婚したんですか?」
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