ランチの時間です(その三)


 

「……うぅ、まだまだ、腹減らないよ」


 サフィロの街が夕暮れの赤い輝きに覆われている。

 誰もがすきっ腹をかかえて家路を急ぐだろうこの時刻、なんとも贅沢な話だが、いまだに満腹に近い状態のおなかをなでながら、リセウスは下宿先への帰り道を歩いていた。


「おかみさんに、今日の夕ご飯はいらないですってしないとかなぁ」

 おかみさんにはそんなこと急に言われても、という反応をされるかもしれないが、きっと他の下宿人たちがその分を食べてくれることだろう。心配はない。

 下宿先の面々は、リセウス以外はガタイのいいそれはよく食べる連中だった。

 食べないから縦にも横にも伸びないのだ、と茶化されたりもするが、あいにくリセウスは童顔でも二十歳をとっくに超えている。成長期はとっくに終わっているという悲しみだ。

 

「……」

 ……や、やっぱり、食べれる範囲でもいいから食べておくか……。

 そのために、出来るだけお腹を空かせて帰る必要があった。

 ということで、ちょっとだけ遠回りをして帰ることにする。

 まだこの街に住んで一年ちょっとにしかならないリセウスには、それも冒険だ。もちろん、ほんの小さな冒険ではあるが、それはわくわくとする響きだ。もしかするともしかして、意外なお宝だって発見できるかもしれない。

 「なんてね」

 お宝といっても、小さな冒険には小さなお宝がお似合いだ。

 たとえば、たとえばそう、道端に名前も知らない小さな花が咲いていたとか、可愛い猫を見つけたよとか、道行く家族の楽しそうないい笑顔とか、そういうものがいいのだ。

「たしか……地図によるとこっちに公園みたいなの、あったよね」

 役人としての仕事で見る機会の多い、サフィロの街の地図を思い出しながら小さな通りをのんびりゆったりペースで進む。

 リセウスの記憶は正しかったようで、それほど時間はかからずに目的地らしい場所にたどり着いた。そこは、ずっと前にとある金持ちが街に寄贈したとかいう庭園らしかった。庭園、と仰々しく言ってもそれほど大きなものではない。庶民の家屋敷が数軒ぐらい入れば上等ではないか、といった程度だ。つまり、公園としては決して広いものではない。

 敷地の外から見てもわかったが、何か広葉樹とおぼしき樹が、ずいぶんたくさん植えられている。春がまだ来ないためなのか、広葉樹はひとつも葉がない枯れ木状態だ。

「さて、宝の地図によるとここなんだけどなー」

 公園の中を早速探索してみることにする。


 と

 

「宝の地図、ですか。ふふ」

 

 涼やかな女性の声。

 誰もいないと思っていた、樹の陰に、その女性はいた。


「……え?」

 沈みかけのわずかな陽光に照らし出される、その姿

 その女性を、その顔を、その顔だけを、リセウスは知っている。

 

「君、は」

「私をご存じなの?」

「……肖像画の君?」

 喫茶「のばら」に飾られているあの絵。

 真っ直ぐな黒髪の、彼女だ。

 あの絵の女性が、この昼と夜との間の時に発生する魔力で、リセウスの前に現れたとでもいうのだろうか。

「そうね、私は絵の中の魔女、絵の中に幽閉の身の上、絵の中にしか存在しないモノ。黄昏どきの力によって、ちょっとだけ絵から抜け出すことができたのよ」

 それは、まるでおとぎばなしのような。

「というわけで、さだめられた契約――お約束どおり、言い当てたひとにはご褒美をあげなければ。小さな冒険には、小さなかわいらしい宝物がよく似合うから」

 そう言い、肖像画の君は自分の上方向を指さした。

 と、その時――

 

 ざあああああぁあああああっと、風がふく。

 まるで彼女がその風をおこしたかのように。

 

 リセウスが目を開けると、そこにもう、女性は居なかった。

 まるで、黄昏の魔力が消え失せてしまったのように。

「……うそ、だろ?」

 思わずリセウスは、彼女が立っていた樹の陰を確認する。

 なにもない。

 その樹にうろかなにか、隠れる部分がないか確認する。

 そもそもそんな部分などない。

 もしかしたら、樹の上に?

 そういえば彼女は消える直前に上を指さしていて――

 リセウスは樹を見上げる。

 なにもない……?

 いや「肖像画の君」こそ、そこにいなかったが、まるで何もないというわけでは無かった。見上げたそこには……

 枯れ枝状態の樹に、かすかにうすべにいろの花芽が、ひとつだけ、ついているのをみつけたのだ。

「……小さな、宝物……彼女はこの宝物をくれた……?」

 呆然とつぶやくリセウス。


 立ち尽くす彼にも、夜闇のヴェールがそっとかけられようとしていた。

 



 

 

 次の日、お昼どき

 

 リセウスはあの公園について、親しい先輩あたりに聞きたかったのだが、そんな日に限って、やけに忙しい。

 忙しいのはリセウスたちだけではなく、上司たちもだ。ここのトップ(正確には代行)の代官ですら、昼食時間をまだとれないでいるらしい。

 なんでも、とてもとてもお偉い高貴なすごいおひとがこの街を訪れるとかそうでないとかで、上から下までの大忙しだ。

「リセウス君、上からの指示だよ」

「はい、なんでしょう?」

「リセウス君の班の子達に昼食摂らせてあげて、だってさ」

「お、粋なはからいですね、助かります。伝えてきます」

 ありがたいことに、どうも下の者達から順番に食事の時間というわけらしい。となると、リセウスの食事の時間はお昼の鐘が鳴って、その後一回鐘が鳴れば、になりそうだ。


 リセウスの食事の時間は、予想通り、昼過ぎの鐘が鳴って、すこし後ぐらいにまわってきた。

 この忙しい時に、悠長に飯というのも申し訳ないので、なるべく近場の店で、なるべく早めに終わらせないといけないのだろうが、リセウスは今日ばかりはどうしても喫茶「のばら」へ行かなければならなかったのだ。

 あの絵が、真っ白になっていたり、あるいはポーズが少しばかり変わっていたりしないかどうか、あとは昨日の女性が本当に肖像画の君だったのか、などを確かめるためである。


「そんなわけ、ないよなぁ」

 そうつぶやきながらも、期待はなくせないまま、リセウスは「のばら」にたどりつき、両開きドアの右側を開けた。

 

「いらっしゃいませ、お客様」

 ここの奥さんの、いつもの声に出迎えられる。

「リセウスさん、今日は遅いお昼ご飯でらっしゃるのですね」

「え、えっと、えと、仕事がちょい立て込んじゃって」

「いつもご苦労様です。お席はカウンター席になさいますか?」

 奥さんにそういわれて、店内を見回す。

 昼食時間と言うピークを過ぎたせいなのか、いつもリセウスが見慣れたいつもの店内より、客ははるかに少ない。

「ん、カウンターでお願いします」

「かしこまりました」

 そう言うと、奥さんはびろうどみたいになめらかなつやのある濃茶髪をゆらゆらさせながら、カウンターへと導いてくれる。

 カウンターには何人か居たが、隣の席には妙に体の大きな男性と、もうひとり女性が。

「お隣、失礼するね?」

「あ、はい」

 椅子に女性のかばんなどが置かれていないことを確認し、座る。

 と、妙に隣から視線を感じる……ような?

「ん……?」

「あ」

 視線が気になって、つい隣を見る。

 と

「君、は」

「……また会いましたね」

 

 隣に座っていたのは、真っ直ぐな黒髪の少女。

「君、え、え、え、えええええええええええ?」

 いたずらがばれてしまった、とでもいいたげに、少女は恥ずかしそうにうつむいて頬をそめる。その顔は昨日に見た姿や、絵の中のそれよりも、ぐっと若いというか幼い。

「ん、ルリエラさんの知り合いかい?」

 ルリエラと呼ばれた彼女の、さらに向こうに座っている体の大きな男は、両手に羊皮紙の束と、木炭筆をそれぞれ持っている。それで彼女を今描いていたらしい。

 ……そういう、こと、か。

 リセウスは、あの絵が、モデルがいないものだとばかり思っていた。

 いや、いたのだとしても、それはこの街とかではないどこか、どこか遠く遠くとかにいるような存在で、こんなに、こんなに近くで、隣の席で、お茶を恥ずかしそうに口にしている、とは。

「えっと、知り合いといえば知り合いかしら。素敵なものを見つけたので共有した同士なのよ」

「その、昨日はどうも、っていうべきかな。ルリエラさん……でいいのかな?」

「えぇ、あらためてはじめましてですね。ええ、私はルリエラといいます。この近くに住む、ただの街娘というわけなの」

「はじめまして、ボクはリセウスです。一応、この街で役人やってます」

「まぁ、リセウスさんずいぶんお若いのに……まだ、私と同じぐらいなのに」

 ルリエラの言葉をさえぎって

「いや、あの、たぶんだけどね? ボク、ルリエラさんより五歳ぐらいは年上だと思うよ? そりゃよく童顔とはいわれるけど、けど、これでも二十二歳だもの」

「え……うそ……え?」

 ルリエラは、思わず、と言った感じで隣にいる体の大きな画家男を振り返る。彼は苦笑いをしながらも、こんな風に言った。

「彼は確かに若く見える顔立ちみたいだけど……ルリエラさんと同じぐらい、ってのはないよ。さすがに十五歳はない」

「え、でも」

 そういえば、彼女には宝の地図がどうこうと言っていた、夢見がちも夢見がちが極まるところを聞かれてしまっている。それで彼女にはどうしても、役人なんてお堅いイメージの仕事をしている大人がそういう事を大真面目に言った、という事がどうも信じられないようだ。

「ボク、冒険とか、そういうのに憧れたクチでね。いまでもそういうのが大好きなんだよ。昨日は楽しかったし、宝物も君の導きのおかげでちゃんと見つかったよ。ありがとう」

「こ、こちらこそ……」

 ルリエラは、とっても恥ずかしそうに目を伏せてしまう。

 その姿は、昨日のような幻想的な雰囲気こそないが、とても可愛らしい。


 ルリエラをモデルに絵を描いているという、自称貧乏画家の男はカルダーというらしい。ルリエラの祖父の厚意で、彼女の絵を(ほとんど無料で)描かせてもらっている、らしい。

 カルダーが持っていた今までに書いたという絵(もちろんすべてルリエラがモデルだ)をいくつか見せてもらったが、たしかに壁の絵と同じ画風だった。


 リセウスは注文したスパイスミルクティーを飲みながらも、カルダーがルリエラを描いているところから目を離さなかった。

 いつもと同じように、店主アルフがカウンターで淹れてくれた美味い茶であるにもかかわらず、それはスパイスが少し利きすぎているような辛さを感じずにいられなかった。


 


 そうして、リセウスは今日も「のばら」から庁舎への道をもどりゆく。

 今日はのんびりしすぎてしまったので、ちょっと駆け足で。

 食事後に、ルリエラたちといくつか話をした。

 ルリエラは、混雑するお昼時は避けて「のばら」に常連と言っていい頻度で通っているだとか、そういうことだ。

 昼食を終わったすこし後の時間に、友人と「のばら」へ来ることもあるらしい。

 これからは、リセウスの昼食時間はすこしずらしてもらおう。具体的には時間を告げる鐘ひとつ分だ。


「これからがんばらないとなぁ、「のばら」に通うための軍資金も貯めないと。そのためにも、仕事もっともっと、がんばろう」

 今日の午後も、明日も明後日も、その先も、仕事をがんばる。彼女に会うためならがんばれる。




 のちに、平民の出ながら王家直轄領サフィロ一帯を任される代官 リセウス

 これこそが、彼の第一歩。


 でもそれを詳しく語るのは、また別のお話で。







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