五百六十四話 キッシュの願い

 

 シュウヤ!


 あぁ、夢か……。

 シュウヤたちを襲う魑魅魍魎たち……。

 ヴァーミナの呪いはわたしは受けていないが、不安を感じてしまったらしい。

 いや、蜜をつまみに酒を飲み過ぎたせいもある。

 あのレベッカが持ち帰った黄金酒は凄まじく美味しい酒だった。


 しかし、わたしは精神の成長を果たしていないようだ。


 今は深夜……。

 皆、寝静まっている。


 シュウヤたちは地下に旅立ってしまった。


 タオルケットを下ろし、寝台に手をつけてゆっくりと起き上がる。

 寝所に腰掛けながら暗がりに映る魔導具の明かりを頼りに、周囲を、あった。サイドテーブルの銀容器。


 そのゴブレットの縁に口を当て、中身の水を飲もうと思ったが、ゴブレットは空だった……乾いた唇の感触から切なさを感じる。


 はぁと溜め息を吐きつつ立って、水の桶、大きな瓶がある右に向かった。


 鏡に映る自分の顔を見ながら、下の水の桶にゴブレットを沈ませた。

 くぷくぷと水音を立てゴブレットの中に水が溜まる……。


 空気の泡で水瓶に映るわたしの顔が崩れていく。

 そのゴブレットを掬い、水がたっぷりと入ったゴブレットを、乾いた唇に当てながら一気にゴブレットを傾けた。

 酒で焼けた感が残る喉を通る水が冷たくて気持ちいい――。


 口からこぼれた水が胸元を濡らすが、構わない、胃袋に水が溜まった。


 ゴブレットを桶に投げ入れ、壁に手を当てた。

 木製の窓から覗く月明かりを見ようと外を見た。

 

 外は静か……昼の喧噪が嘘のようだ。


 と、振り返り、部屋を歩いて、会議の時にセリス王女が座っていた椅子を整える。彼女も兄から逃れるためとはいえ王族の地位を捨てるとは……勇気がいる行動だ。遙か東のローデリア海。その先の王国からの逃避行。

 力を持つ兄なら追跡も普通じゃないはず……。


 ま、このサイデイルは天然の要害だ。

 追っ手の心配をする必要はないだろう。


 そのセリス王女だが……バング婆の呪術札をもらって薔薇の魔法のことを興味深そうに聞いていた。

 バング婆の弟子入りでもするつもりなのだろうか。


 と、目の前の机に手を当て、壁にも指を当てながら……扉に向かい、その扉を開けて外に出た。


 涼しい風……モニュメント付近は、だれもいない。


 時々、ランタンを片手にトン爺たちがふらついているんだが……いない。


 昔のハーデルレンデ村の象徴……。

 山の一部ごと削られた痕『蜂たちの黄昏岩場』。

 嘗ての一族の象徴。

 ルシヴァルの紋章樹によって隠れているが、まだ僅かに見えている。


 ……魔竜王よ。

 今ではお前に感謝するべきなのか?

 シュウヤの笑顔がすぐに浮かぶ。


 そうだな、わたしはまだ酔っている。


 馬鹿なことを……。


 蠱宮の天辺にあるような穴場が複数ある。

 そこの一つに魂の黄金道があった。

 魂の黄金道の行き先はハーデルレンデの回廊の聖域か地底神ロルガに奪われた【蜂式ノ具】のはずだ。

 他にもペルヘカライン大回廊かオーク大帝国の地下領域に通じているだろう。


 あの魂の黄金道からシュウヤたちは地下に進んだ。


 シュウヤ、がんばってくれ。

 だが、女としての寂しさも覚える。

 いや、何を甘えているのだ……。

 皆、労を惜しまずがんばってくれているのに、女として考えてしまうなんて。

 わたしは……情けない。

 シュウヤの<筆頭従者長選ばれし眷属>となっても……絶対的な力を手に入れても……。

 シュウヤという大事な友が、わたしを女王と呼んで尊敬の眼差しで見つめてくれているのに。


 まだまだわたしは精神が弱い。


 が、愛しているからこその、弱さ。

 女の甘さと言われてもいい……。

 この弱さがあるからこその愛。


 この想いは大事にしたい。


 お父さんのキッド。

 お母さんのシュミ。

 兄のシュトラン。

 そして、妹のラシュ。

 まだ小さかった赤ちゃんのラトシュミ。

 ……親戚の叔母さんシュド。

 優しかったお爺さんアブ。

 わたしのために葡萄を栽培してくれた友のミトン。


 シュウヤたちは聖域への道を開きに向かってくれたんだ。

 家族の魂と祖先の魂たちのために……。

 先祖たちの願いを叶えに。

 一族の秘宝を取り返すために。

 サイデイルのために……わたしのために……。

 

 キストリン様とイギル様も頼む……。

 愛しい友のことを頼みます。


 そして、地底神ロルガに挑む皆のこと助けてあげてくれ――。

 戦神ヴァイス様も、見守ってください!

 そう願った瞬間――。

 不思議と生暖かい風が身を突き抜けた。

 涼しい風が変わるとは奇妙だが……。


 ふふ……気持ちいい風。

 

 励まされている気分となった。


 蜂も増えた。深夜なのに不思議なことが連続で起きるのも先祖たちが騒いでいる結果だろうか……。

 蜂たちにも神様がいるのだろうか? 

 蜂は蜜を集めにきたのか?

 ドナガンの畑はあっちだぞ?

 

 と、蜂を誘導するように、指先を向けると、わたしの指に止まる蜂。


 その時、懐かしいラシュの匂いが漂ったような気がした。

 ふふ、ラシュもシュウヤたちのことが心配なのだな?


 蜂は指から離れて、魂の黄金道のほうに――え?

 ら、しゅ?

 あ、蜂とラシュらしき光は消えてしまった。

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