四百八話 樵のエブエ

 シュウヤたちが訓練場で悪夢の女神ヴァーミナと接触していた頃。


 シュウヤの家がある小山から西に下った先で、せっせと仕事に励む男がいた。

 その男の名はエブエ。樵だ。

 エブエは魔力を内包した古めかしい薄い羽根製の衣服を着ている。

 羽根の隙間から筋肉質な上半身と黒豹の刺青が覗く。

 下半身は大腿部を覆う防具を穿いていた。

 頑丈なジュラルミン的なオーク製の防具。魔力も漂う。

 オーク製だが、その防具は彼のために拵えたようによく似合っていた。

 そんなエブエは樵の仕事を続けている。

 正一時間――。

 無言のまま巨大な魔斧を持つ両腕を振るい上げては振り下ろす。


 巨大な樹木の幹が破壊されるような衝突音が響く。

 飛び散った木くずが、頬と額を裂く。

 その頬から血を流しても彼は気にしない。


 その瞳は張り裂けるほどに見開いている。


 そして、また、一心不乱に、何度も、何度も――。

 巨大な魔斧を振るい下げて巨大な樹木に魔斧の刃を衝突させた。

 樹木を破壊するように、幹を削りに削る。


 それはまるで『パニッシャー』にでもなったかのような気迫。


 その魔斧を動かす行為は異常に見える。


 エブエは樹木の幹を強大な敵の姿と重ねて見ているのか?

 はたまた、過去に起きた心の傷となったトラウマ映像を突発的に思い起フラッシュこす現象バックでも起きているのか。


 そのどちらとも関係がありそうなエブエ。

 鬼神に魅入られたように……樹木を破壊していた。


 そんな彼が握る巨大な魔斧の名はデ・ガ。


 オークのカイバチ氏族の中でも扱える者は少なかった代物。

 普通の人族ならまず扱えない代物なのだが……。


 サイデイル村ではバング婆以外、誰一人として、その事実に気付いていない。


 魔界セブドラの狂神を信奉する一族によって改造が施された半透明なオークの怪物と化した〝ガ・デル・ヴァイゴルザン〟を倒したシュウヤでさえ気づいていなかった。


 瞳に力を入れたエブエは、その巨大な魔斧を振るう――。

 同時に彼の肩から胸元にかけてエンボス加工を施したような〝黒豹の刺青〟が瞳を輝かせながら浮かんでは、褐色の肌の中へと沈むように消えていた。

 

 この消えたり現れたりする〝黒豹の刺青〟こそ……。

 彼が特別な能力を持つ証拠である。

 ホフマン・ラヴァレ・ヴァルマスクの眷属、<従者長>トイズが注目した能力だ。エブエがホフマン一党たちに捕らえられた原因の一つ。


 すると、エブエは巨大な魔斧を止めた。

 彼が振り向いた先は森。その茂った葉が蠢くと、


「ンン、にゃぁ~」


 そこから現れたのは黒猫。

 そう、神獣のロロディーヌだった。


「ニャオ」

「ニャア」


 白黒猫ヒュレミ黄黒猫アーレイも一緒だった。

 子猫たちは、エブエに近づいていく。


「これは神獣様、俺に何か用ですか?」


 と、聞きながら革服で額の汗を拭うエブエ。


「ンン、にゃお」


 そう鳴いたロロディーヌ。

 黒猫姿から、いつもより大きい黒豹に変身を遂げる。

 ロロディーヌの神獣姿を見た黄黒猫アーレイ白黒猫ヒュレミもそれぞれ巨大な虎の姿へと変身を遂げた。


「……」


 獣たちに囲まれたエブエは、巨大な魔斧を地面に落とす。

 エブエは、自身の黒豹の刺青を意味があるように触った。


 黒豹のロロディーヌは、そのエブエに向かって口を広げ、


「にゃおおぉぉ」


 と、鳴く。

 その鳴き声はエブエに問いかけているように見えた。


 『本当の姿を見せろ』と、『大好きな人には黙っていただろう』


 といった意志が込められているとエブエ・キルモガーは<獣心>で感じ取る。


「神獣様……また、俺の本当の真なる姿を見たいのですか?」


 エブエは声を震わせて語る。


「ンン、にゃおぉ~」

「ンン、ニャァ」

「ニャオ、ニャオォン」


 三匹の獣たちに囲まれたエブエは覚悟を決めた。

 すると、彼の双眸が猫のように窄まる。

 続いて、虹彩の表面に石油を流したような煌めきが拡がった。

 胸元の〝黒豹の刺青〟も夜空の昴のように微かに光る。

 刹那、黒豹の金剛石のような瞳がストロボ的な閃光を生み出す。

 彼の肌に刻む黒豹の刺青が、姿形を、そのままにして、宙に浮かぶ。

 と、浮かんだ黒豹は爆発するように散った。散った黒豹の刺青だった墨の魔力は、彼の褐色の肌と古びた衣装に降りかかった。衣装は瞬く間に、銀色と黒色の液体めいたモノに変化。


 すると、その液体は、意識があるようにエブエの体を包む。

 エブエは変身した。

 黒豹をモチーフとした真新しいコスチュームを装着。


 眼光鋭くしたエブエは誇りある表情を浮かべていた。

 コスチュームを見たら褐色の肌と合う黒豹のようなイメージを持つだろう。


 体のところどころから、銀色の牙が飛び出た造りだ。

 これはキルモガー種族の独自の力。


「……神獣様、この間と同様に、皆には内緒ですからね」


 炯々とした豹の目を持つエブエは静かな口調で語る。

 ドココ・ミユーズに殴られたエブエとは思えない。


 エブエ・キルモガーの変身を見届けた神獣と魔造虎たちはエブエの問いに応えずに『こっちにこい』とエブエを誘うように頭を振ってから、素早く反転。


 神獣たちは颯爽と森の中へと消えた。


「あ、神獣様! この形態だと速度は……仕方ない……」


 エブエはそう喋ると、両腕を胸前でクロスする。

 その瞬間、神獣ロロディーヌより小さいが、凛々しい筋肉質な黒豹の姿へと変身を遂げた。

 

 雄らしい気高さを感じる黒豹エブエだが神獣ロロディーヌのような触手はない。

 その代わり、銀を帯びた牙のような武器を、前足と胴体の一部に備えていた。


 生き生きとした艶の黒毛を持つ黒豹エブエは、頭を傾け地面に落ちていた魔斧デ・ガを咥えるとロロディーヌたちが消えた森の奥へと獣の目を向けた。


「ガルルルゥ――」


 唸り声を上げた黒豹エブエ。

 そして、筋肉が目立つ後脚に力が入った瞬間――駆け出した。

 脚先から伸びた銀色の爪が樹海の地を削ると、そこにはもう濛々とした土煙だけが残っているだけで、黒豹エブエの姿はない。

 神獣ロロディーヌたちを追いかけるように茂みを突っ切って突進していった。

 風を切るように漆黒の黒豹が躍動して樹海を走る。


 ◇◇◇◇



 樹海を駆け抜けていた神獣率いる獣軍団は足を止めた。

 そこは川沿い。


 とある激戦が行われていた証拠の血溜まりがあちこちに残る。


 十字の墓を作るように神界勢力の武器らしき刃が至るところに鎮座。

 艦砲射撃でも浴びたように地形が不自然に変わっている。

 力を失ったシックルの刃の残骸も鉄屑アートを作るように散らばっていた。


 神獣ロロディーヌは、ふと、蛾の紋様の煌めきを残す血痕が気になった。

 その血溜まりに舌をつけ、血を舐める。

 神獣ロロディーヌは、頭部を上げて周囲を見る。

 

 黒女王のような気品ある動きを取りながら、


「にゃお~」


 魔導虎たちに『こっちよ』と知らせてから首回りから触手を四方へ展開。

 そのまま、蛾の紋様が続く血痕の跡を辿っていった。


 魔造虎たちの背後にいた黒豹エブエも鼻を動かし血の匂いを感じ取る。

 黒豹エブエは『このまま何かを狩るのか?』と、考えながら、神獣の長い尻尾が背中に付くぐらいに弓なりにしなっているのを視認。


『黒女王のような神獣様は、夢中になっておられるのか……』


 と、エブエは考えていた。


 そうして、血痕の跡を辿った先に向かう神獣軍団。

 洞窟の前では血痕を残した者が血濡れた紫色の魔槍を握ったまま倒れていた。

 裸に近い大柄な体格だが……もう息がないようにも見える。

 片足、片腕のない血塗れの状態だ。


 神獣ロロディーヌはこの倒れている者が『大好きな人と戦った敵』とすぐに分かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る