三百三十話 波群瓢箪

 

 八角形の口が奇妙な形に崩れながらの言葉。

 頬から流れた血のようなモノが、口の端から出た長い牙へと伝わる。

 血のようなモノが滴る長い牙はキラリと光った。

 

 幻影ではなく実体化?

 その時獏からの『生贄はどこだ?』の声音は枯れていて、饑餓を感じさせる。

 時獏は、柔和な象の目ではない。鋭い視線が宙を結ぶと――


「――生贄ァァァァ」


 発狂気味に叫ぶ時獏。

 猩々しょうじょうとも似た猿の毛。

 法被服から飛び出すように逆立った。

 足ごと巨大な亀に絡まった鎖を引きずりながら宙を走る。


 コオロギが跳ねるような素早い機動で前進してきた。

 鎖に絡んだ巨大な亀に乗った状態だが、速い。

 時獏のホラーのような熾盛しじょうを察して後退した。


 が、巨大な象鼻を揺らしながら距離を詰めてくる時獏の動きを止めてやろう。

 紋章魔法――。

 《凍刃乱網フリーズ・スプラッシュ》を念じた。


 水属性の魔力、水が<水の即仗>効果により、自然と宙空に紋章魔法陣を描く。

 その水の魔法陣から、音も立てず、身の丈ほどの凍った氷刃が無数に生まれ出た。

 生まれた氷刃の群れは縦と横に重なり合う、画一化。

 巨大な網目の模様が時獏を包むように飛翔。


 あの網に触れたら、凍るか、切られてしまうだろう。

 現時点で、俺の紋章最上位魔法だ。

 巨大だから、足止めぐらいには……。

 ところが――。

 

 時獏は頭上にあった茶色雲で――。

 俺の《凍刃乱網フリーズ・スプラッシュ》を防ぐ。

 いや、雲から出た重金属の雨か?

 

 ――髪の毛の針?

 ――雨の針?

 ――雨の礫?


 雨の礫の連続射撃を受けた《凍刃乱網フリーズ・スプラッシュ》は一気に、暗くなり、酸でも浴びて腐食しつつ撓むと萎むと、消失。


 時獏は茶色雲を霧散させた。

 強烈な酸攻撃でもある茶色雲は魔力消費が高いようだ。

 しかし、俺の《凍刃乱網フリーズ・スプラッシュ》を相殺どころか、打ち消す威力は凄まじい。


「神器使い、法力術の使い手か、やるな……」


 時獏は長鼻を上下させつつ語る。

 法力術? 魔法って意味か?

 

「だが――」

 

 前傾姿勢で向かってきた。

 空気を振動させる勢い――。

 時獏が乗った巨大な亀の後部から魔力粒子が迸る。

 それはジェットエンジン的な推進力を時獏に与えていた。


 ――あの玄武のような乗り物。

 ――有名な亀型の巨大怪獣を彷彿とさせる動きだ。

 

 そんな巨大な亀に筋斗雲のごとく乗っている時獏は、光る棍を両手に握る。

 先端は尖る杭の刃。あれが時獏の主力武器か。

 大きさの杭だ。刺さったら痛いで済みそうにない。

 ハルホンクの肩防具を残して体が潰れてしまいそうだ。

 それはそれで、どうなる俺? って、オィ!

 自らが肉ミンチとなる想像に、自らツッコミを入れながら――。


 時獏が繰り出した、光る杭の刃を凝視しつつ――。

 右手に魔槍杖バルドークを召喚、その柄を手の内で回転させて、内側に傾ける。

 風槍流の動きで、紅斧刃の腹を胸の前に晒す。

 紅斧刃で盾代わり! 否、柄で受けるフェイントを行いながら――。

 視線はノールックパスを行う如く動かさず、第三の魔力腕の<導想魔手>が握る聖槍アロステを動かした。下から上に向かう聖槍アロステの<刺突>が時獏の腹に向かう。

 ――時獏は対応。

 光る棍棒を下に振るい<刺突>の十字矛を巧妙に受けた。

 光を帯びた巨大棍棒と聖槍アロステが激しく衝突――。

 互いの棍棒杭と十字矛の光属性の権益はどちらが上か! 

 とでも武器同士で熱く語り合うように――。

 百錬鉄火のおたけびが鳴る。

 

 ――互いの武器から悲鳴にも似た甲高い音が響く。

 更に、眩しい閃光が大気を揺らしながら散った。


 独特の魔力の軌跡を宙に生み出す。

 時獏は巨大な姿だが、体を捻りながら後退。


「――ぐぉぉぉ」


 時獏はくぐもった声を轟かせつつ――。

 俺を睨んでくる。

 

 俺の魔力か、何度も実戦を重ねている<導想魔手>の練度か。

 そのどちらの力も合わさったのか、分からないが……。


 俺の聖槍アロステと<刺突>の技の勢いが、時獏の棍棒の技を凌駕した。 

 そこに、「にゃごぁぁぁ」


 と、馬獅子型のロロディーヌが紅蓮の炎を吐く。

 紅蓮の大炎が、空ごと、時獏を呑み込む。


 一瞬で蒸発して消滅か? 


 と思ったが――。

 そう都合良くはいかない。


 長鼻から出た錆びた水で相棒の炎を防ぐ。

 長鼻は、インドの神ガネーシャを彷彿とさせる動きだ。

 錆びた水だから、はっきりいって、うんち水に見えるが……。


 ヘルメが無言だが……水では神獣の炎を防ぐことは不可能に近い。

 だから錆びた水は凄い。

 神獣の炎を防ぐと言えば、邪神シテアトップ。

 しかし、魔力を多大に消費するようだ。


 時獏は縮んで、俺と同じ大きさになった。


 長鼻……。

 ヘルメのイメージでは、ぴゅぴゅっとした水鉄砲だったが……。

 今は、ダムが決壊するようにドヴァッと音を立てて、錆びた水を放出している。


 常に重金属の雨を浴びているから、あんな色合いなのか?


 神獣の炎を退ける力がある錆びた水には、ご利益があるかも。

 見た目とは違い、意外に、障碍、悪霊を退ける効果があったりして。


 時獏は、炎のブレスを防いだ丸い水膜を維持。

 そこで炎を吐くのを止めて口を閉じるロロディーヌ。


 猫らしい瞳だが……。

 どことなく意地を張ったようにも思わせた。

 瞳が縦に獣らしく鋭くなった。


 相棒は、凛々しい馬の口をひろげた。

 口蓋垂を晒す相棒。

 

 喉と口内と舌、鋭い歯牙さえも震えるような――。


 神獣らしい炎を喉奥から生み出しては、その口から神獣の炎を吐いた。


 再び、王級の規模を超える火炎の海が時獏を襲う。

 錆びた水で、水膜を纏った状態の時獏は余裕だ。


 <精霊珠想>とハルホンクを身に纏う俺でさえ……。

 熱量を感じる凄まじい爆炎を浴びても平気のようだ。


 時獏を守る水膜の表面を剥がすように蒸発させる。

 大量の水蒸気が立ち昇った。

 その光景に、沸騎士たちを思い出すが、すぐに切り替える。

 

 指輪型魔道具の闇の獄骨騎ダークヘルボーンナイトが文句をいうように動いた気がしたが、気のせいだろう。


 すると、膜の周囲に発生した水蒸気が水膜に波紋を生み出す。

 と、水蒸気は膜の中に吸収された。

 水膜の内部が真っ白となる。


 時獏の姿が隠れた。

 いや、それは一瞬だった。

 時獏は姿を晒すと、時獏の衣装が変化。

 

 その新しい法被服が勢いよく水蒸気を取り込んだ。


 水系をエネルギー源にできるのか。


 あ、だから、ヘルメと相性がいいということか。

 ヘルメが、時獏の魔力を吸い取りスキルを獲得できた理由かもしれない。


 しかし、『ぴゅっぴゅっ』とした喜びの声は聞こえない。

 <精霊珠想>中のヘルメちゃんは無言だ。


 ブルゥン様の神像を囲っていた時と同じか。

 今のヘルメは、俺のハルホンク衣装と合体した状態。

 ヘルメは<精霊珠想>の能力で、半透明な法被服と化している。


 思念で喋って来ないと少し寂しい。

 ま、仙技というか魔技か。

 それほど集中力を必要とするのだろう。

 慣れの問題かも知れないが……。


 そんな感想を持っている間に、時獏を守る水膜の一部が変形。

 さすがは神獣ロロディーヌが放つ炎の威力だ……。


 二度目だから力を入れたか?

 時獏も炎を防いではいるが……。


 こりゃバリアが溶けるのも時間の問題かな?

 だが、え? 時獏の長い鼻が急に膨れて勃起。

 その長い鼻の巨穴から錆びた水が出た。先ほどよりも増大している。

 錆びた水は自身を守る水膜の内部で衝突しながら溜まっていく。

 一瞬、内部で溺れてしまう? と考えたが、バリアの維持をするエネルギー源か。

 溜まる錆びた水により、時獏を守る丸い水膜バリアはなんとか形を維持している。


「……黒い馬獣、なんという炎を繰り出すのだ。そして、お前たちは、ただの生贄ではない……ん、少し前に黒い野獣を見たが、同じ生物なのか?」

 

 相棒の炎を防いだ時獏は、余裕の態度で喋る。

 

「ガルルゥ」


 神獣ロロディーヌは自慢の炎が効かなかったことが、かなり悔しかったらしい。

 

「今の見た目は、獅子のような胸毛といい、別の洗練された黒馬のようにも見えるが……」

「ガルルゥゥゥ」


 相棒は陥穽かんせいに嵌まった風のような唸り声を発して、口を勇ましく閉じる。

 鳴き声とは違う。上顎と下顎から生えている牙たちが衝突する音は猛々しい。

 悔しがる紅色の眼は可愛らしい。が、やはり神獣らしい精力をたたえるロロディーヌ。

 何かを思考しているような意識は感じられた。

 炎の息吹を諦めたらしい。頭部を揺らし、嘶くと、頭部と首回りの獅子のような黒毛と長い触手の群を靡かせながら左の空を駆けていく。


 移動する様が、なんとも美しい。蒼空が夜の色に染まり動く光景。


 美しい神獣ロロディーヌは時獏の裏側に回り込んでいた。

 背後から触手攻撃の機会を狙うようだ。

 一方、神獣の炎を防ぎきった時獏。

 わずかに残っていた霧のような水蒸気を全身に吸い込む。


 そして、俺のことを睨んできた。

 時獏の双眸は魔眼だ。

 光彩の表面に、将棋の駒のようなモノが時計回りに蠢く。


 時獏はそこで気を取り直すように、首をかしげた。

 視線を外し、他に生贄はいないのか? とでもいうように、頭部を動かす。

 現状の場所、蒼い空を確認しているような素振り。


 錆びた水を放っていた象鼻を縮ませて、真上へ伸ばす。

 また周囲を確認してから、再度、俺を見据えてきた。


 空気の圧力の粘度を感じさせるクマバチの羽が動くようなブーンとした音が響く。


 ……あの魔眼から、ある種の精神波のようなモノが出ているようだ。

 魔眼は常時その力を放っていると推察できるが……落ち着いたか?

 少し話しかけてみるか。


「……俺は生贄じゃないですよ?」

「……【グラースの時箱】に魔力を込めたのはお前だろう?」


 あの鎖が飛び出ている雷文模様の箱は、グラースの時箱というのか。


「確かに魔力を込めましたが」


 俺の言葉を聞いた時獏は、金剛の棍を消失させてから両腕を組む。


「ならば次の契約者はお前だ。俺は生贄を食べていないので飢えている。だが、そんな飢えより、この時に縛られた契約の次元鎖がさらに増えてしまうことのほうが……」


 血の涙を流していたのは飢えかな?

 視線を自らの足と亀に向けている。

 俺たちに襲い掛かってきた理由は、次元鎖とやらに縛られた故らしいが……。

 一度攻撃を受けた以上、警戒は緩めない。視線を強めて、


「そんなことは知らない。マンチキンの箱やらマングースの箱やらと、契約した覚えはないですから。さぁ戦いの続きをしようか?」


 魔槍杖を構える。久しぶりに紅矛と紅斧刃を相手に向けて槍投げしようか。

 そこから、イモリザを第三の腕に変化させて、<精霊珠想>とガトランスフォームの組み合わせの実験をしながら、腰のムラサメを右手に握り……袈裟斬りから、<闇の千手掌>辺りの圧力戦を展開して、魔壊槍で止めプランか。

 いや、<鎖>を囮に魔法で牽制して樹木で足止めからの、新しい<牙衝>を使い止めにしよう。

 と、<脳魔脊髄革命>としての能力を発揮したかはわからないが、数十以上の新しい戦闘パターンを夢想していく。


 すると、相対している時獏が動揺したように法被の形を変化させて身構える。


「ま、まぁ待て……」

「待つ? いきなり生贄と叫び、襲い掛かってきたのは、お前だろう」

「そうだが……飢えて焦っていたのだ。済まなかった。まずは名を教えてくれないか?」


 背後の神獣ロロディーヌと俺に挟まれている時獏は、冷静になったようで、闘争の方針を切り替えたのか静かな海のような穏やかな雰囲気を醸し出す。

 猩々のような猿の毛もどことなく小さくなり外套の法被模様も変化。


 なんとなく同じ法被系だから親近感を……。

 あ、もしかして、この雰囲気も魔法なのか? 


 すると、時獏は半透明ながらも紳士的に頭を下げてきた。

 単に、相棒の炎をもう浴びたくないからの時間稼ぎの可能性もあるが……。

 戦う気がない相手と戦ってもつまらないし、礼なら礼を。


「……名はシュウヤ、相棒はロロディーヌだ」

「シャァァァ」


 攻撃はしないが、俺の紹介に合わせる形で、神獣は礼をする。

 馬獅子型のロロディーヌは警戒するように声を発していた。


 俺に『油断するニャ~』と鳴いたのかもしれない。


「……<角識>を弾くシュウヤ。お前と背後の黒馬は……生贄には無理だと判断した」

「なりえたとしても嫌ですね。そして、戦うなら、あなたが神だろうと上位の存在だろうと……全力を尽くして、この槍で戦う」

「ふっ、強気だな……だが、先ほどの魔法と武器、当然か。さらには、贄を得ていない弱った俺とはいえ、<角識>を弾くのだから」


 <角識>とは、魔眼か。


「弱ったというと、まだ本気ではなかったと?」

「そうだ……」


 弱った、という言葉の影響か、本当に弱気な態度となる時獏。


「だから生贄を欲しがったということですか」

「……それもあるのだが、さっきも少し話をしたように根本的な問題があるのだ。この【グラースの時箱】へ魂と魔素を供給しなければ……この足に絡むフザケタ足枷、次元鎖が箱から増加してしまうのだ。俺は、これ以上、この鎖に雁字搦めとなったら……」


 時獏は、長鼻を縮ませて、気分を悪くしたように眉間に縦皺を作っていた。

 次元鎖とは、白銀の亀と時獏の太い足に絡んでいる鎖のことか。


 次元鎖は俺の<鎖>とは色が違う。

 そして、小さい魔法陣を無数に刻印している鎖。

 その次元鎖は、依然として雷文模様が綺麗な箱の中から伸びている。


 鎖に足が絡まっているのには、少し同情できる。


「その箱は……」


 そう尋ねた瞬間――。

 時獏を縛る鎖が伸びている雷文模様の箱から、にゅるりと音を立て、金剛色に輝く如来めいた頭部の幻影が出現した。


 なんだ? ホログラムの朧気な仏像のような頭部だ。

 その仏像の頭部の周囲に、黒い数珠と不可思議な立方体の幻影が出現。


 仏像の顔にありそうな、真一文字の口が、ぐにゃりと動く。


「獏者の玩具。贄の蠅を食べる時間かと思うたが……何を苦戦しておるか」

「……グラース、うるせぇ」


 仏像の頭部はグラースという名前なのか……。


「玩具の態度ではないぞ、次元鎖を増やして欲しいかえ?」


 頭だけとはいえ仏像だ。

 格式も、また一層高まった雰囲気で、時獏に説教していた。

 しかし、贄の蠅だと……俺とロロディーヌのことか?


「……俺は蠅じゃありませんが?」

「……無礼ぞ。たかが、定命の蠅が、我に意見するとは……」


 どちらが無礼だといいたいが、相手は偉そうだ。

 何かしらの神らしい……時獏は、こいつの玩具なのか?


「……蠅じゃねぇ、名はシュウヤ・カガリだ」

「ならば、シュウヤよ。お前も我の新しい玩具となるかえ?」


 金剛色の如来めいた表情を醜く崩しながら嗤うと、双眸を見開く。

 と、同時に眼窩の中から、魔法の鎖をじゃらじゃらじゃらと放ってきた。

 頭部を含めて宙に揺らいでいる幻影だが、その鎖だけは、ハッキリとした物。

 二つの鎖の色合いは、時獏を縛る鎖と同一。

 あれで、俺を縛り玩具化する腹らしい。


「――ふざけるな、玩具なぞ、お断りだ」


 瞬時に、<導想魔手>の聖槍アロステを消失させて<導想魔手>も解除。

 一瞬、魔法と<光条の鎖槍シャインチェーンランス>を使うかと思ったが、鎖なら鎖で対抗だ――両手首の因子マークから<鎖>を射出させる。


 一直線に弾丸のごとく伸びた二つの<鎖>と仏像の頭部から伸びている次元鎖は、俺と仏像を挟む、ちょうど真ん中の位置で衝突した。


 衝突した空間から次元に穴が空いたような閃光が生まれる。

 そして、俺の<鎖>は仏像の頭部から伸びていた次元鎖を貫通していた。


 <鎖>はそのまま、仏像の頭部の幻影をも穿つ。

 仏像の額のど真ん中に風穴が空くと、


「――グァァァァ」


 金剛色の仏像の頭部は断末魔の悲鳴を上げてのたうちまわる。

 次元鎖を射出していた眼窩からビームを放つように灰銀色の光を発しながら周りの影のような数珠と立方体を吸い込むと、一気に萎むように消滅した。


 ※ピコーン※称号:亜神ノ一部ヲ撃破セシ者※を獲得※

 ※称号:光邪ノ使徒※と※亜神ノ一部ヲ撃破セシ者※が統合サレ変化します※

 ※称号:亜神封者ノ仗者※を獲得※

 ※エクストラスキル連鎖確認※

 ※エクストラスキル<鎖の因子>の派生スキル条件が満たされました※

 ※<封者刻印>※恒久スキル獲得※


 鎖系のグレードが上がったのか? 手首の<鎖の因子>のマークがまた変化した。

 今までと違い、拡大せず、コンパクトに縮小。

 中心に梵字のような文字が出現している。


 そして、時獏の両足と玄武っぽい亀に絡んでいた魔法の鎖も力を失い引いていく。

 魔法の鎖は、じゃらじゃらじゃらと凄まじい鎖分銅のような音を立て、グラースの時箱の中へ逃げるように収斂した。

 称号とスキルをゲットしたが、完全に撃破したわけではないらしい。

 相手は亜神のようだし、当たり前か。


「おぉぉ、すげぇ。幻影とはいえ時に縛られた契約の鎖を打ち破りやがった!」


 時獏は嬉しそうだ。


「まだそのグラースの時箱とやらは蠢いているが、大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。これは貰うぞ――俺を永い間こき使っていたグラースの野郎……それ相応の痛みを味わってもらう」


 時獏は憎しみを剥き出しにした表情でグラースの時箱を掴むと、懐にしまっていた。

 グラースとは亜神の名前かな。とりあえず、契約者のことを聞くか。


「なぁ、俺を契約者と呼んでいたのは?」

「契約者とは、単に、この忌ま忌ましいグラースの時箱に魔力を注げる資質を持つ者を指す」

「……あのホクバにも資質があったと」

「そうだ。少なくとも、あの猫獣人アンムルが契約者だった時は、俺の足に次元鎖が増えることはなかったからな……喜んで色々と力を貸してやったのさ」


 あのホクバは異常な速度だった。

 時獏自身か、彼が乗っている玄武のような亀か、わからないが、速度が上がる系の加護を持つのかな。


「……だが、そのシュウヤが纏っている衣からして、俺を使っていた猫獣人アンムルたちを仕留めたということか」


 あの時か。時獏の魔力を吸ったからな、ヘルメは。

 予想通りこの<精霊珠想>は、この神様の魔力を取り込んだお陰と見ていいだろう。


「そうですね。戦いの結果ですが、わかりますか」

「……わかるさ、俺の魔力が匂うからな。で、もう俺は、シュウヤと後ろの黒馬と戦う気はないからな」


 時獏は、魔眼、スキル、匂い、周りの状況の分析は済ませたようだ。

 この話し合う姿勢といい、やはり時獏も神クラスか。


 あの箱のことも聞いておこう。


「了解です。今さっき懐に入れたグラースの時箱とは?」

「時の亜神グラース。俺はアブラナム大戦、俗に言う荒神大戦の最中に、仕事に失敗してな。時箱と繋がる亜神グラースに捕まったのだ」


 聞いたことがある。ホウオウとアズラの争い。

 ん、すると、この時獏さんは、どちら側で戦っていたんだろうか。

 ホウオウ側なら黒猫ロロの友達の白猫マギットこと、荒神マギトラだ。

 この時獏はバルミントの卵をくれた荒神カーズドロウ・ドクトリンと敵対することになるかもしれない……。


 その高・古代竜ハイ・エンシェントドラゴニアのロンバルアを使役しているカーズドロウが、話していたことを思い出す。

 アズラ側には味方をしないでくれと……。


「……アズラとホウホウの争い。どちら側で戦っていたんですか?」

「どちら側でも戦った、俺は気まぐれだからなァ」


 時獏は色調が変化する両手の指で体を掻く。

 蚤のような虫が、その体から飛んでいる。


「……そうですか、正式な名前はありますか?」

「お前は恩人だ。普通に話をしていいぞ。因みに俺の正式名は〝時の徴に捕らわれた獏者〟だ。他にもモー、タービア、タイムピンィン、色々あるが、今さらなので、時獏でいい」


 変わらないか。


「時獏」

「そうだ、様はいらない、口調も畏まらないでいい、シュウヤの好きなように話せ」

「了解、で、これからどうするんだ?」

「……それが問題だ。俺は飢えているのは変わらない。だが、お前たちは俺を許すのか? 特に後ろの黒馬は俺を……」


 時獏は半身に体勢をずらして、背後の黒馬ロロに視線を向ける。


「……にゃご」


 確かに、ロロディーヌは触手群を全身から孔雀の羽を連想させるように伸ばしていた。

 あの触手群で、ガトリングガンのような連撃をするつもりはあるんだろう。


 今は、俺が時獏と会話を続けているから、様子を見ているだけだな。


「襲ったことを許す気はない。が、戦う気がないのなら何も起きないぞ」


 そう話しながら、馬獅子型のロロディーヌへ視線で『攻撃はまだしない』と、アイコンタクトを行う。


「ふっ、変わった野郎だ。だが、甘んじて強者のシュウヤの寛大な言葉に従おう……」


 時獏は丁寧に頭を下げた。


「そして礼だ。俺の大切な【雲錆・天花】の源の一部が入った【波群瓢箪】をあげよう」


 続けて、象鼻の一部を変形させていた先端から、大きな瓢箪を出現させると、俺にその瓢箪を送りつけてきた。


「これは……」

「俺の頭上に浮いていた雲の源。最初は使い勝手・・・・に苦労するだろうが、本人の魔力次第でいかようにも育つ。その可能性は夢幻。がんばって育ててくれ」

「くれるなら貰うが……」

「ふ、そんな疑念は必要ない。俺は獏者、時獏、呪神ではないからな」


 時獏は視線を自身が乗っている亀に向ける。


「では、さらばだ。あの鯨を贄としよう。アーロン、出るぞ」


 亀からジェットエンジンのような白銀色の魔力粒子が出た直後――。

 時獏は遠くの空に去っていった。


 かすかに見えるところで、空を飛ぶ鯨に喧嘩を仕掛けているのが見て取れる。


 神獣ロロディーヌも戦いが終わったことを察知、触手を収斂して、側に戻ってきた。


 そのタイミングで<精霊珠想>を解除。

 綺麗な半透明の法被服は消失。

 液体ヘルメは瞬時に俺の左目に納まった。


 すると、


『……閣下、少々魔力を……』


 あぁ、<精霊珠想>はそれなりに魔力を消費するのか。

 ヘルメの声に力がない。急ぎ、魔力を注ぐ。


『ァァン、ウゥン』


 悩ましいヘルメの声だ。

 ま、がんばったご褒美だ。


 さて、この、波群瓢箪。形はまさに巨大な瓢箪だ。

 この中に、時獏が使っていた錆びた雲が入っているのかな? 

 雲錆・天花とかいう名前らしいが……。

 ま、アイテムボックスの中に保管だ。いつか試すとしよう。


 スキル確認も後だ、今はヘカトレイルに向かうことを優先しよう。


「ロロ、南に向かう――」

「にゃ」



 ◇◇◇◇



 城塞都市ヘカトレイルが見えてきた。


 あの壁、あの巨大彫像。

 あの天辺に降りて、何かを叫んでみたいが、それは去る時でいいだろう。


 そして、このまま城塞都市に乗り込むのはまずい。

 グリフォン隊がすっ飛んでくるだろうし、セシリーと会えるからそれもいいかもしれないが、ここは普通に丘の下からだ。


 神獣ロロディーヌは旋回しながら、街道から外れた丘の下に着地。

 翼が胴体に納まっていく。

 その柔らかい肉質のような感触は感覚を共有しているから、不思議と幸せを感じられた――。


 ――よし、いいぞ。

 俺の気持ちと連動したロロディーヌが進む。

 馬の脚と似ているはずのだが、蹄を守る蹄鉄とかは嵌めてないんだよな。

 相棒は神獣だから蹄鉄は要らないかと、神獣ロロの脚を心配しながら歩いていく。

 気分は馬上の槍を抱えた武将気分だ。

 そんな武将気分でイモリザのように――るんるんとした気分で通りに出る。


 すると、ポポブムに乗りながら都市の外に出た頃を思い出した。

 海馬から流れる記憶が……。

 ここで出会い別れていった皆の顔が……。


 次々と脳裏に浮かび過ぎ去っていく。


 そうして、牛車の一隊を率いる商隊に加わったり、旅人と冒険者たちと何気ない会話を楽しんだりしながらヘカトレイル付近の街道を進んでいると、見たことのある後ろ姿が視界に入った。

 あの茶色髪のウェーブ掛かったクリープパーマ、両手剣……。

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