百三十八話 幕間ヴィーネ
「種族のことから話そう……」
隣に座る強き雄であるご主人様は、わたしの話に耳を傾けていく。
古の時代からダークエルフ社会は女尊男卑の階級社会。
男は女神様から啓示も受けることができない。
総じて、力も無く頭も弱い存在として認知されている。
時折、女神様に愛される目覚ましい働きをする強き男を除き、普通の雄など魔導貴族ではない下民か、それ以下の家畜と同等、常に蔑み疎んじられた存在なのだ。
その同胞の多くが〝魔毒の女神ミセア様〟を信仰している。
わたしが育った地下都市の有力都市の一つである【地下都市ダウメザラン】でもそれは同じ。
女の地位が高く男の地位は総じて低い。
その女の中でも才能がある者たちが司祭としての戦闘職業を得られる。
司祭は女神様のお力を感じられて啓示を受けられるのだ。
そして、司祭となった者たちの中で最年長の女が各氏族の魔導貴族を率いる家長になることが多い。
経験は力だからだ。
しかし、女司祭といえど位の低い魔導貴族に所属している場合は地位も名誉も低いとみなされる。
ただ、魔導貴族とは上流階級であり選ばれし高級の民だ。
魔導貴族の下位だろうと下民とは比べ物にならない存在となる。
階級は絶対なのだ。
位は、各魔導貴族の地位を表す。
ダオと名前がつくのは魔導貴族の証。
最上位の【筆頭第一位魔導貴族】から始まり【第二十位魔導貴族】の最下位まである。
上位ほど、女神様からの恩恵が増えると言われているのだ。
社会的な地位も約束される。
だから、上位になるほど権力が集中するようになっているのだ。
地下都市ダウメザランを支配することは【筆頭第一位魔導貴族】に成ることを指す。
魔毒の女神ミセア様は血を好まれる。
魔導貴族たちを争わせているのだ。
その他の様々な組織をも争わせている。
ダークエルフ社会は、地下社会の中でもとくに争いが多い。
そして、魔導貴族たちは、位を上げるためにどんなことでもするのが、普通だ。
わたしの魔導貴族が滅ぼされたように……。
位が違う魔導貴族と同盟を組んだり裏切ったりと陰謀を含めた機略縦横の才を駆使して、常に先手を打ちながら、先の先を読み方針を練らねば、生きてはいけないのだ。
それは大人も子供も男女も変わらない。
地下の巨大都市とはいえ、同じ都市に暮らす種族同士が屍山血河を渡るのだ。
今のマグルたちの生活とは正反対といえよう。
わたしはそういう環境で育った。
そして、家長でもあり司祭である偉大な母者ラン様と姉者の長女セイジャ様に、子供の頃から厳しく鍛えられる。
その訓練は熾烈……。
今思えば、あれは訓練ではなく……。
蠱毒のふるい落としだった。
最初は一族の妹たちと出来損ないの弟たちは総勢百人を超えていた。
しかし……。
戦獄ウグラ。
アービター。
蟲鮫。
【魔神帝国】のキュイズナー。
そういった強力無比なモンスターたちが徘徊する【暗黒街道】を移動しながら一定の期間を生き残るという命を懸けて闘う長期に渡り行われる実戦サバイバル訓練を続けていくうちに次々と脱落者が出る。
もちろん、脱落者は死。
リョゴルの音無しで暗黒街道を進むのは地獄といえる。
この訓練で何人もの妹弟が死んでいく。
わたしは多数の優れた妹たちと共に、この訓練を無事に生き残ることができた。
すると、わたしだけが妹たちから引き離されることになった。
司祭候補である長女セイジャ様と同じように優遇されて育てられる。
不思議だったのだが……。
どうやらわたしの頬にある銀蝶のエクストラスキルとは貴重なスキルだったようだ。
特別な教育は座学もあり、様々な事を教わった。
ダークエルフ社会の身分制度の厳しさ。
ヒエラルキーの最下層である下民たち、各地下都市に住まうドワーフ、ノーム。
都市の外の事も学ぶ。
地下回廊を徘徊するはぐれドワーフ、はぐれドワーフの軍閥が率いる独立都市、ノームたちの独立都市、黒き環、グランバ、魔族たち、魔族以外の勢力もある魔神帝国の独立都市。
蓋上の世界に住まう穢れ多きマグル。
そこは侮蔑にまみれた世界だと教わった。
これは間違いであると後々に知ることになるが。
更に、魔毒の女神ミセア様への信仰、強き者に対する尊敬と敬語、権謀戦術、盗賊技術、密偵技術、隠身、斥候技術、魔法の扱い、気配察知、魔闘術の稽古、エクストラスキルである銀蝶の扱い、近接戦から遠距離戦における、あらゆる状況下における個人戦、集団戦の戦闘を叩き込まれた。
こうした訓練のお陰で、わたしは戦闘職業を次々と覚えクラスアップを果たして強くなっていく。
強くなっていく過程で……。
魔法を指導してくれる偉大な母者ラン様も褒めてくれたと聞いている。
母者ラン様は、わたしが所属する魔導貴族アズマイル家で唯一の司祭でもある。
魔毒の女神ミセア様のお言葉を聞くことができる御方だ。
姉者セイジャ様がいうには、司祭になると女神様から神聖なる〝薔薇の鏡〟を授かるそうだ。
〝特殊な鏡を用いて女神様の天恵や啓示を皆に示し〟
〝魔導貴族の一族を纏めて率いていく〟
姉者様はそう説明していた。
司祭は魔力、精神力、信仰心が必要らしい。
基本は、女神様が直接にお選びになると聞いた。
だから、母様は優秀なお方なのだと。
その母様を選んでくださった魔毒の女神ミセア様は、怒り、強さ、嘘、妬み、恐怖、裏切り、といった感情が大好きなんだと、緑薔薇と蛇と蜘蛛も好まれると教えられた。
幼きわたしは〝強さ〟を好む部分を聞いて、妙に納得していた。
不謹慎だったのだろうな。
司祭といえば、セイジャ姉様が後一年で、その司祭候補となる。
と、嬉しそうに話していたのを思い出す。
わたしにとって一番の良き思い出。
確か、訓練の終わり……石椅子に姉様と一緒に座っていた時だ。
「姉さま、どうして妹たちは、わたしと違って使えない弟たちと一緒に訓練を続けているの?」
「それはお前が特別だからだ。一族の未来のために、わたしや母様が直接鍛えているのだよ。他のサーメイヤー魔導貴族のような屋敷を守護する喋る木がいない。なので、我らは一人一人が強く成らねばならん」
特別。最近、いつもそれを聞く。
当時のわたしは厳しい訓練を共に生き抜いた妹たちと過ごしたかったのだ。
そんな甘えた事を姉様にいっていた。
「また、特別かぁ、妹たちと一緒に訓練できないのは嫌だなぁ」
「何をいうか。お前の右頬にある蝶の御印は、使いこなせれば我が魔導貴族の武器となり得るモノなのだぞ? そして、女神に愛される強き男を夫に迎えなければならん」
強き男?
男なんて弱き存在ばかりなのに、この時、姉様は何をいってるのだろう?
と疑問に思ったものだ。
「やだ、雄、弱い男なんて嫌っ」
当時のわたしは男など弱きモノだと思っていた。
だが、そんなわたしを強く否定し、怒ったように姉様はわたしの両肩を強く持って言い聞かせてくれた。
「――バカモノっ。いいか? 確かに弱き雄など捨て置けばいい。だがな、必ず、何処かに強き雄が居るものなのだ」
この時の姉様は鬼気迫る顔で少し怖かった。
「……でも、皆がいってるよ? 弱き雄ばかりだって、母様も〝下らん雄など近寄らせるな〟って怒ってたし、伝統に従いなさい。って何回もいってた」
姉様はわたしの言葉に頷くが、首を左右に振って否定した。
「同胞の教えは大事だが、あまり古き伝統に拘るな。お前のエクストラスキルは子孫代々に伝えなければならない大切な〝力〟なのだぞ。だからもっと訓練を行い、お前自身が強くなれ。そして、強き男を見つけて夫に迎えるのだ。強き男に他の女がいたら〝力ずく〟で奪い取れ。そして、夫婦の儀を行うのだぞ。他の魔導貴族や同じ家族の妹たちにも負けてはならぬ」
わたしは正直まだ納得していなかったが、姉様は真剣な顔で話を続けるので頷くしかなかった。
「……はい。でも姉さまは強き男はいらないの?」
「――ははは、わたしは長女だから無理だ。セルミたちと一緒に剣を鍛えたいが……一族の司祭候補だからな。魔毒の女神ミセア様に仕える身。だからこそ、ヴィーネは強き雄、気高き男を見つけるのだぞ……」
姉様は優しい笑顔を浮かべていたのをよく覚えている。
笑窪が素敵だった。
「うん。分かりました。でも、今日の姉さま、何か、嬉しそう」
「ふふふ、そうだ。分かるか? 確かに嬉しいのだ。今日、正式に母様から啓示報告が女神様から齎されたらしい。わたしを来年の司祭候補にするようにと」
「わぁ~、すごいすごい。姉さま、司祭に成れるんだね。おめでとう」
「はは、気が早いな。だが、ありがとう。可愛い
姉様はわたしの頭を撫で抱き締めてくれた。
だが、五年後の神羅月の第三週目。
突然に本屋敷が炎上。
屋敷の外で轟音が鳴り響き、戦が始まっていた。
わたしはすぐに行動を起こす。
戦っている敵を捕まえては尋問をした。
そこで初めて、戦争を起こしてきたのが【第五位魔導貴族ランギバード家】と【第十一位魔導貴族スクワード家】の構成員で占められていることを知る。
怒りの感情が爆発した。
この時のわたしは青い皮膚ではなく、真っ赤に燃えていたことだろう。
わたしは迫り来る敵を次々と仕留めて、抵抗を続けていく。
何十人と敵のダークエルフを屠っていた。
最終的に、屋敷に突入し数人を切り伏せたところで、大好きだった姉者の姿を見る事となる。
赤黒い染みに覆われてしまい服の色が何色か分からないほどに変色を遂げていた。
胸、腹が無残にも切り裂かれ、どれも致命傷であった。
わたしは動揺した。
そして、まだ子供から脱皮した頃だ。
調子に乗り油断してしまったのもある。
驕りがあったのだと思う。
希少な戦闘職である
時、既に遅し。
わたしは朱色の厚革服を身に着けている敵方に捕まってしまう。
檻の中へ放り込まれた。
他にも捕まった一族はいたので詳しく聞いたところ、偉大な母様は早々に暗殺されていたことを知る。
そして……妹たちを含めて【第十二位魔導貴族アズマイル家】に所属する一族たちの殆どが戦死していた事も知った。
司祭を失った【アズマイル家】は魔導貴族を剥奪。
潰されてしまったのだ。
わたしの人生を費やしたものが、全て……。
更に、わたしは生き恥に晒された。
追放の儀に当てられてしまう。
正式に地下都市ダウメザランから蓋上の世界、マグルの地上世界へ追放されたのだ。
「……これが、わたしが地下都市で生活をしていた頃の話だ」
初めてだな。こうやって昔の話をするのは……。
ご主人様はわたしの話を聞いて頷いたり、悲しんだり、黙って耳を傾けてくれていた。
「……なるほど、ヴィーネの素の言葉を聞けて嬉しいかも、それに、ダークエルフ社会にも興味があるから凄く面白い。魔毒の女神ミセアが人気というか信仰を集めているのは他に理由があるのか?」
強き雄であるご主人様は神に興味があるらしい。
「……ある。魔毒の女神ミセア様だけがダークエルフだけに語りかけてくれるのだ。そして、女神が認めた司祭とその司祭が所属する魔導貴族に様々な恩恵を齎すからと言われている」
これを聞くと強き男が驚きの反応を示す。
「……神が一つの種族だけに、恩恵をか」
何故、驚くのだ?
「そうだ。不思議なことか? この世には色々な神々がいるではないか」
「あぁ、まぁそうだな。俺も厄介になっているし。……それでヴィーネが地上へ追放されたのは、どれくらい前なんだ?」
神に厄介になっているだと?
やはり強き雄であるご主人様は神に愛されているのか。
神に愛される強き雄が、わたしに興味を持っているようだ。
嬉しい感情が溢れてくる。
もっと話してみよう。
わたしが追放されたのは、確か……。
「……マグルで言う、今から五年ぐらい前だろうか」
「五年前か」
そんなことより、わたしの秘密を教えたい。
「そうだ。それで、さっき話していた秘密のことだが……」
「わかった。聞こう」
強き雄、強き男であるご主人様は黒き双眸に魔力溜めて視線を動かし、わたしの顔を見つめてくる。
わたしは少し捻った言い方を試す。
「例えば、
「唐突だな。それが秘密か?」
わたしの疑問の問いに強き男は片眉を動かし、微笑を浮かべながら話している。
知って欲しいから答えを話そう。
「そうだ。その答えは至極簡単。ダークエルフには闇の従属魔法が効かない。いや、語弊がある。従属首輪の効力はしっかりと作用するが、ダークエルフの種だけ、魔力を全身に纏いながら〝解〟か〝解放〟と念じれば身体に染み込んだ従属首輪の効力を弾くことができるのだ」
……ん?
秘密の答えを喋っても、ご主人様は少し頷くだけ。
さほど驚いていないようだ。
「奴隷も絶対ではないのか……」
そんなことを呟いてる。
「どうだろうか。奴隷商には詳しいが、わたし以外には誰一人として奴隷から逃れた種族は居なかったぞ」
「ダークエルフだけということ?」
「そうだ。ダークエルフだけに備わった闇の力。ダークエルフが全員、闇属性を持つのも意味があると思うが、一説には、遥か古代に魔毒の女神ミセア様がダークエルフの魔術師に最初の従属首輪の作り方を教えたことから始まる賜物らしい……」
そこから奴隷商に詳しい訳や蓋上のマグル世界へ追放された当初のわたしを含めたダークエルフたちの話をしていく。
わたしのように追放された者たちを〝アウトダークエルフ〟又は〝はぐれダークエルフ〟と呼ぶ。
さっきも話していた通り……。
この蓋上のマグルの地上世界では、まず、わたし以外に自ら好きこのんでマグルの奴隷となるダークエルフなど存在しないだろう。
奴隷商に捕まったとしても、地下世界を生きて育ったダークエルフは戦闘力が高い。
外の世界で生き延びた、はぐれダークエルフだからこそ、当たり前の話なのだが……。
たとえ、何かの専門的な魔道具によって拘束を受けたとしても、その拘束を何らかの手段で、抜け出すことなど、容易いはずだ。
そして、自分を奴隷にしたマグルの奴隷商人たちなどを許す訳もなく。
油断させたところで、その奴隷商人を殺し自らの痕跡を消して遠い地域へ逃げるか、または、地下の故郷へ舞い戻ることを目指すことが、ダークエルフ社会で育った感覚では、普通だ。
追放を受けた当初はわたしも同じだった。
故郷に舞い戻りたい、と。
故郷、地下都市ダウメザランには〝闇毒の都〟以外に別名がある。
〝暗黒の緑薔薇なる理想郷〟と呼ばれていた。
その故郷に戻り、わたしの家を潰した……。
あの憎き【第五位魔導貴族ランギバード家】と【第十一位魔導貴族スクワード家】を討ち果たしたい。
散ったアズマイル家。
一族の誇りである〝緑薔薇の蛇家印〟が踏み潰されていく映像が頭に過る。
――母様の仇を。
――姉様、妹たちの仇を。
だが、それは叶わぬ夢。
復讐するにしても、地下都市ダウメザランには、辿りつけないだろう。
ダウメザランは地下深く、到底、個人では到達できる場所ではないのだ。
地下世界から蓋上のマグル世界へ大洞穴は果てしなく長く幾重にも広がっている。
その道中にはモンスターが多数徘徊し、浅い階層ではマグルを含めた蓋上に住む多種多様な種族と出会うことも多くなる。
そんな道中を突破するには……。
少なくとも上位魔導貴族が率いる精鋭クラスの中隊規模が求められるのだ。
個人で地図もなく地下の大洞穴を突破など……不可能。
実際、わたしを含めた他の討ち滅ぼされた魔導貴族のダークエルフの生き残りたちが、マグル世界へ追放を受ける時は、その精鋭部隊がわざわざ地上まで護送していた。
精鋭部隊とは代々において
一人一人が弩を持つ魔法戦士集団といわれている。
この精鋭部隊は外敵を守るだけでなく諜報にも長け、常に〝追放の議〟により正式に蓋上世界へ追放が決まったダークエルフたちを護送する任務も背負う。
そんな精鋭部隊が必要とされるほどに長く険しい道。
一人では故郷への思いは見果てぬ夢ということだ。
蓋上世界への入り口は何ヵ所もある。
わたしを含めた他のダークエルフたちは、そういった無数にある場所で置き去りとなった。
場所は岩場だらけの荒涼地帯。
〝光の岩場〟という場所であった。
追放を受けるはぐれダークエルフたちは、こういったように頭巾を被され互いに意思疎通ができない状態で蓋上世界に放置される。
だから、まず追放を受けたダークエルフたちが一緒に行動することは滅多にない。
偶然に遭遇することはあるかもしれないが。
可能性は限りなく低いだろう。
まぁ、当然の処置だ。
纏めて解放などする理由がない。
今しがた話をしたように、わたしも当然、襤褸衣一枚で置き去りにされる。
追放を受けた岩場は、眩しく光り輝いて見えていた。
そして、目が慣れてくると岩場が光っていたのではなく、この蓋上の地上世界が、光に満ちた世界なのだということを、ここで初めて知った。
そうして、蓋上の世界、地上を宛もなく徘徊。
蓋上とは良くいったものだ。
本当に蓋が無いのだから一面に青い空があるだけという……途方もない。
遠き空には大きい不思議な丸い物も浮かんでいた。
丸く異様な眩しい光を発する物体だ。
眩しい光は肌を焦がすようで凄く嫌だった。
時間が経つと、その丸い物は沈むように無くなる。
故郷のように上が暗くなり、空が黒く覆われた。
何が起きているのだ? と暫し上を見続けていく。
すると、遠き上に光蠱が湧いているのか、光の点が無数に現れ、空が変貌を遂げたのだ。
点だけでなく、大きい丸い物が一つと、欠けているが光る丸い物が上に現れた。
蓋上がこれほど変化するとは、怖い、怖すぎる。
恐怖で身が竦む。
わたしは上を見るのを止めて、恐怖を抑えるために身を小さくさせ岩場の陰で眠ることにした。
蓋がある世界へ帰りたい。
ダウメザランの故郷に帰りたい。
そんな情けないことを考えながら眠っていた。
次の日、また次の日と歩き続けるうちに上が暗くなり明るくなるのが繰り返されることを知る。
そんな日を繰り返しながら歩き続けた胸中には、どす黒い感情が渦巻き、何でもいいから鬱憤を晴らしたい思いで一杯になっていた。
穢れたマグルを見掛けたら殺してやる。
と考えたが、襤褸衣一つの身。
地上に追放されてからというもの、食べている物は虫や草ばかり。
生きるために必死に食い物を探すことに専念した。
その際に数々のモンスターに遭遇した。
遠くからは魔法で対処したが、風の気配察知は地下とは違う。感覚の狂いで大量のモンスターに遭遇してしまった時は石や素手で抵抗した。
石だけで殴り殺すことができた。
石を使った戦闘術など習ってはいないが、色々な訓練のお陰だろう。
これならマグルと遭遇しても抵抗できる。
そんな思いを抱きながら、ひたすら歩き続け荒涼を抜け森を越えた時、マグルの姿を初めて見かけることになった。
わたしはどうやら知らず知らずの内にマグルたちの生活圏に身を寄せていたらしい。
相手は背が小さい。子供のマグルだった。
しかし、子供のマグルは穢らわしいとは思えなかった。
わたしの方が汚く放浪者であり追放者。
穢れていたからだ。
子供の笑顔を見ると妹たちを思い出す。
マグルとて、変わりないではないか……。
もう、その時には〝殺してやる〟などの黒い気持ちは消えていた。
だが、話してみないと始まらない。
わたしは勇気を持って近寄り、話し掛けてみた。
しかし、言葉が通じない。
子供が喋る言葉も分からない。
参った。想像すらしなかった。喋る言葉が違うなど。
……だが、通じないが……話している言葉の意味は何となく伝わってくる。
すると、ついてきて。という仕草をみせた。
わたしは永らく放浪したせいか力があまり出ない。
ゆっくりと歩いてついていく。
子供は時々、立ち止まって笑顔を見せてくれた。
わたしが警戒心が無い?
わたしよりも小さい子供にどうしろと言うのだ。
そして、子供に住んでる村まで案内されその子供の親から食べ物を分けてもらえることができた。
お互いに言葉が分からなかったが、笑顔でお礼を言っておいた。
この時はマグルと言っても良いマグルもいるのだな。
と、認識を改めた。
だが、その晩。
その認識は間違っていたと知る。
わたしを捕まえようとするマグルの奴隷商たちが、世話になった親子の家に奴隷を連れながら乗り込んできたのだ。
その奴隷商たちはわたしが笑顔を向けた子供の親に金を払っていた。
そう、わたしは売られたのだ。
ハハハ、結局はどこも同じか。と嘆いた。
やはり魔毒の女神ミセア様は裏切り、怒り、嘘が大好物らしい。とな。
これは、わたしの、ダークエルフとしての宿命なのだろう。
わたしはその場で、魔毒の女神ミセア様に我が怒りを捧げるように咆哮。
乗り込んできた奴隷商たちを逆に殺してやった。
わたしを売ったマグルの親を殺しその地域を離れた。
子供は……殺せなかった。
妹たちのことが頭に過ぎったのでな、だが、あの子供はわたしを恨んでいるだろう。
それからはマグルの世界を身を隠すように旅をする日常になっていく。
だが、行き先々でトラブルが起きる。
ダークエルフの存在は、マグルにとって珍しい種族なのだろう。
違うマグルが住む地域に来ても、また、マグルの奴隷商に追いかけられてしまった。
だが、この日はどうしたことか、気紛れが起きた。
生理が来たわけではないのに……。
頭が働かず奴隷商に捕まってしまう。
首輪を掛けられ奴隷になってしまった。
ま、奴隷になってもすぐに魔力を纏い念じれば、従属魔法なぞ弾く。
わたしには効かぬのだから、すぐに逃げようと思っていたが、最初から丁寧に扱われた。
衣食住を提供されて自由に行動を許される。
身ぶり手振りで奴隷商は説明してくれた。
生命の保証もされたようなので、暫く大人しく過ごしていると、どういうわけか、マグルの奴隷商はわたしを教育しようと、マグル語、人族の言葉を教え始めた。
この奴隷商はどうやら目利きらしく、わたしが普通のダークエルフなだけでなく頬にあるエクストラスキルの存在証拠を見抜いたらしい。
なので、高く売れるとふんでいるのだろう。
だが、これは逆に好都合ではないか? とな。
地下世界に返り咲くには、あらゆる事を経験し、力、金、穢らわしいマグルでさえも手懐けなければ……ならんと。
ただの見果てぬ夢では終わりたくはない。
このまま捕まったふりを続けてマグル社会を見てみるのも一興かと思ったのだ。
月日が経つ。
わたしがマグルの言葉をある程度理解した頃。
案の定、わたしは違うグレードの高い奴隷商に大金で売られていた。
それから紆余曲折ありキャネラスのもとへ辿り着く。
キャネラスからは更なる高等教育を受けていた。
その途中でご主人様がわたしを買い、今、ここにわたしが存在するのだ。
結局、すべてを、いや、過去の一部の話をしてしまった。
この不可思議な強き雄、強い男に……。
「なるほど。地上の世界を見るためにわざと奴隷になっていたのか。それで、ヴィーネ、君はさっき一瞬だが、魔力を体に纏ったよな?」
やはり気が付いていたか。
ご主人様であり強き雄、平たい顔のマグルなのに、鋭すぎる。
「はい……」
さっき魔力を纏い〝解〟と念じたのは反射的なこと、わたしの心が混乱していたからだ。
あの場はどうしようも無い。
夫婦の儀式、
裸で、互いに武器もなく無防備な状態で……。
夫となる男と一緒に風呂に入るという儀式を……わたしにとって、生まれて初めての事。
……しかもご主人様は強き雄といえどマグルの男だ。
マグルだが、見事な筋肉を持つ。
わたしは一度も経験が無いうえに、つい……マグルの男が〝心を開け〟と言うから、反射的に怒ったというか嬉しかったというか……感情が爆発して混乱していたのだ。
正直、奴隷のままでよかった。
だが、今となっては、これでよかったのかもしれない。
何れはこうなっていただろう。
「……奴隷を脱したんだな。ということは俺と敵対したい?」
「いや、違う……」
強き雄のご主人様が残念そうな顔を浮かべて、そんなことを聞いてきた。
わたしはこの強き雄と敵対したくない。
魔力を見透せる勘の良さ。
先の、あの迷宮での槍技、魔法、身のこなしの戦闘術。
わたしを気遣う心。不意打ちを喰らっても冷静に対処し仲間を助ける行動力。
恐怖の黒き獣を従わせる、優しき性格。
すべてが凄い。凄すぎる。
まさに、強き雄、強き男。
だが、本当に普通のマグルなのか?
わたしは地上へ追放されて何年も経つが、こんな強き雄、強き男など見たことがない。
もしや、わたしが知らないだけで、蓋上の世には他にもこのような男が居るのか?
そこで、姉の言葉が甦る。
神に愛される強き男を夫にしろと。
確かにご主人様は神に厄介になっていると話し、仲間を助けた後……。
精霊の奇跡を起こしている。
あのネックレス、ネピュアハイシェントの力と光精霊、魂も関係していると思うが、滅多に見られない現象だ。
やはり神に愛されるほどに強き雄と思える。
その強き男が口を開く。
「……違うか。だが、黙りのうえにその目に顔付き。眉間に皺を寄せてるし怒ったように見える。首輪にあった従属魔法をキャンセルできたのなら俺に危害を加えられるし、今の状態だと、自由だ。俺から離れられるんだよな?」
ん、急に雰囲気を変えた?
残念がる顔ではない……怖い、殺気か。
このわたしが視線だけで、恐怖を感じるだと……。
だが、恐怖だけではなくわたしの胸が締め付けられる。
いや、今はそんなことより――武器は寝台横にある。
幸い恐怖の黒き獣は寝ている……。
しかし、何度も思うがこの強き雄、強き男とは敵対したくない。
マグルを認めたくはないが、この強い男であるご主人様は別だ。
弁明しよう。
「……いや、わたしは怒ってはない。攻撃は確かにやろうと思えばできる。だが、敵対などしたくない。わたしの顔はこれが素の顔なのだ。今までの奴隷としての作り顔とは違い、本音を晒して考える本当の顔を表に出しているのだ。ご主人様っ」
わたしは必死に弁明していた。
「そっか。なら、少しは信頼してくれたのか? しかし、従属魔法をキャンセルしたのは本当か。胸上にあった円環が無い」
この強き男は鋭き視線を止めて笑顔を浮かべていた。
強き男の黒い双眸は、わたしの首、胸上を捉えては舐めるように胸を見つめながら語っている。
わたしの胸は大きいからな。
さっきも、手は出さなかったが、わたしの胸ばかりに視線を集中させていた。
「もう一度いうが、ご主人様とは敵対をしたくない」
ご主人様はわたしの言葉に頷きながらも胸を凝視してくる。
欲望に素直な男のくせに、わたしが承諾しなきゃ襲わないとも言っていた。
この強きご主人様は意外に紳士か。
だが、わたし自身、さっきから胸が締め付けられる思いを感じるのは何故だ?
この男に見られると、下腹部に熱を感じてしまう。
何かこの強き男だけが持つ特殊スキルか?
それとも、弾いたとはいえ、従属魔法の副作用があるのだろうか。
「……敵対したくないか。それじゃ、俺から離れて自由になるか?」
「いやだ離れたくない」
「なぜ? ヴィーネはマグルの世にも詳しいし、十分一人でもやっていける。自由なんだぞ?」
世に詳しい? 多少、商売関係に詳しいだけだ。
「……わたしがここにいては迷惑だろうか」
「いやいや迷惑じゃないよ。俺としては嬉しい。だが、奴隷じゃないなら無理に縛るつもりもない。自由に外へ行くがいい」
自由に外へ行けだと?
マグル社会にまだまだ疎いわたしとて……。
あの豪華絢爛で隙の無い奴隷商のキャネラスが靡く程の大金が、どれほどの価値があるかは分かっているつもりだ。
そんな大金で買ったわたしを……。
わたしの〝意思を尊重〟して自由にするとは。
なんて器がデカイ男なのだ。
――心が震えてくる。
今……分かった。認めよう。
仲間を助け女に優しいこの強き男は、他のどのマグルよりも強く気高い立派な〝雄〟であり〝男〟なのだと。
ただ、エロくスケベで知古になり得た女には弱いのが、玉に瑕か。
だが――面白いぞ。
この強き男であるご主人様を、もっと知りたい。
これから先も共に歩んで生きたい。
あ、も、もしや、わたしは……。
――その瞬間、神の悪戯か分からないが……。
わたしの脳裏にダウメザランで過去に起きた惨劇の記憶が甦ってくる。
アァァ――母様、姉様、すみません。
古き
いつか憎き仇の魔導貴族を討ち果たします。
ですが、わたしは間近で見ていたいのです。
この強き男を……。
この強き雄であり、強き男となら……。
不思議ですが、わたしの復讐を越えてすべての事柄を成し遂げられる。
そんな、今まで感じたことの無い高揚な気持ちを抱かせるのです。
惨劇の記憶が脳裏を駆け抜けながらも、はっきりと自分の気持ちが分かった。
強き男を見つめる。
そう、わたしはこの強きご主人様に惚れたのだと。
「……自由か、なら、わたしは今まで通り尽くさせてもらう。自由だからいいだろう? ……ご主人様」
もう奴隷ではないが古き
新たに忠誠を誓う気持ちでいったつもりだ。
「……何か釈然としないな。何故、俺に従う?」
うう、一度、敵意を見せるように魔力を纏ったから信じてもらえないか。
どうしたらわかってもらえる?
……恥ずかしいが本音をいってしまおう。
最初にわたしが混乱した原因を。
「……ご、ご主人様が本当に強き雄だからだ」
告白してしまった……顔が熱い。
アァァ……恥ずかしい。
わたしはどうしてしまったのだ。
ご主人様の黒い瞳に吸い込まれてしまう……。
「そ、そうか、強き雄ね。ありがとう。俺に従うなら嬉しいや、やっぱ大金を出したからなぁ」
ご主人様は、そういって嬉しそうに微笑を浮かべると照れ隠しをするように頭の毛をポリポリと掻いている。
あぁ、よかった。
少したじろいでいたが納得してくれた。
信頼を得るためにも口調は奴隷の時に戻そう。
強き者には尊敬を。
「はい、その大金に見合う活躍をしてみせます。ご主人様」
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