二十二話 逃げるが勝ち

 川沿いは足下が埋まる程の雑草や花々が生えていた。

 ポポブムの重い脚が草花を踏みしめて足跡を作る。


 いい風と気候だ。

 爽やかな向かい風が俺たちを出迎えてくれた。


 川近くにある小高い丘へ上ると、視界が更に広がる。

 ――ハイム川からの支流か。

 岸辺には苔が付着した大小様々な石が集まり、流れついた巨木が小川を形成するように縁取っている。


 沢の景色を楽しんでいると――。  

 掌握察に複数の魔素だ。

 その気配は、ハイム川からだ。


 黒槍を握り警戒しながら、ハイム川から少し離れた。

 黒猫ロロもお気に入りの場所のポポブムの後頭部から降りた。


 降り立ったロロディーヌは、警戒するように黒豹の姿に変身した。

 いつでも襲撃が可能な野性味ある黒豹だ。


 すると、川からぶくぶくと音が響いてくる。

 その音がどんどん大きくなってきた。


 少しして、音の主は姿を現した。巨大な蟹だ。

 口から泡を吹いている。

 巨大な蟹が次々と川から這い上がってくる。


 群れ、ぶくぶく音の正体はこいつか……。


 一対の蟹脚の先にある鉗脚かんきゃく、鋏が大きい。

 叩かれたら痛そうだ。

 

 その内の一匹が、俺に向けて泡を飛ばしてきた。


 ――攻撃かよ。俺はポポブムに乗りつつ移動していたから、当然その泡の攻撃は当たらない。

 泡が付着したガレ場からじゅわっという蒸発音が響く。


 ……腐った硫黄系の臭いが漂う。

 毒系? あの泡は食らいたくねぇ……。


 その泡を放ってきた巨大な蟹が一匹だけ、横歩きで近付いてくる。


 もう少し……引き寄せるか。


「ロロ、少しだけあの川から巨大な蟹を引き離すぞ」


 黒猫ロロは黙っていたが、了解。と返事をするように尻尾を振る。


 そのまま様子を窺い、巨大な蟹が川から離れるのを確認。

 黒猫ロロはそのタイミングで触手骨剣を巨大な蟹の腹へ繰り出す。

 触手骨剣が巨大な蟹の腹を突き刺す度に、ぶすっ、ぶすっと、柔い皮を破る音が聞こえてきた。


 穴からは白い繊維の一部、蟹肉が飛び出している。


 巨大な蟹も必死に抵抗。

 巨大な鋏で黒猫ロロの触手骨剣を弾こうとする。

 しかし、弾くには速度が足りず、巨大な蟹は胴体を触手骨剣に貫かれていく。


 が、腹に黒猫ロロの触手骨剣が刺さっても巨大な蟹は生きていた。

 そして、怒ったようで、黒猫ロロへと向かっていく。


 はは、馬鹿蟹だな。


 俺は笑みを浮かべながらポポブムから降りると、巨大な蟹の横合いへ移動。

 黒猫ロロに釣られた蟹の横の位置から、黒槍を突き出した。


 普通の突きからの――<刺突>。

 連続的に突きを巨大な蟹に喰らわせた――。


 が、あまり手応えがない。

 柔らかい感触だ。


 その感触通り、巨大な蟹の胴体には二つの槍による穴ができてはいるが、巨大な蟹はまだ余裕らしく、生きていた。


 口から泡をぶくぶくと吹き出しては、鉗脚の巨大な鋏を振り回してくる。

 狙いもつけずに左右へ振り回して俺に当てようとするが、もう既にその巨大な鋏の届く範囲からは離れているから、そんな大振りな攻撃は当たらない。


 そこに黒猫ロロの触手骨剣が、また巨大な蟹の胴体に突き刺さった。


 巨大な蟹は泡を黒猫ロロへ飛ばす。

 黒猫ロロは地面を蹴り、跳ねるように避けていく。

 飛来する巨大な蟹の泡は、地面に付着して臭い匂いを撒き散らすだけだった。


 巨大な蟹は素早く避けている黒猫ロロを追う。

 脚をかさかささせて横歩きで向かった。


 タフな巨大蟹だが、知能が低くてよかった。

 また黒猫ロロへと向かっていく。


 さて、あの口を狙うか。俺は左手を翳して<鎖>を射出した。

 <鎖>は虚空を切り裂くように直進――。

 巨大な蟹の泡を吹く口を貫いた<鎖>の先端は、そのまま蟹の甲羅の背中を突き抜けた。


 <鎖>が貫いた巨大な蟹は痙攣して仰け反っている。

 その巨大な蟹目がけて前進――。

 僅かに跳躍――力を込めて黒槍を縦に振り下ろす。


 巨大な蟹の――巨大な鋏ごと頭の一部を切断した。

 断面から黄色い味噌がドロリと垂れる。


 おお、蟹味噌じゃんか。

 巨大な鋏の中には白い身がどっさりと入っているし。


 旨そうだなぁ。

 でも、毒みたいなのを飛ばしてたし……。


 俺がそんなことを思って見ていると、黒猫ロロが「ガルルル」と唸り声をあげる。

 口元から鋭い牙をキラリと光らせながら巨大な蟹の内腹へ飛び掛かり、噛み付いて強引に白い腹の皮を食い破っていた。

 そして、むしゃむしゃと蟹の白身を食べ始めている。


「……お~い、ロロ、旨いか?」


 俺の声を聞いた黒猫ロロは子猫の姿に戻り「にゃにゃぁ」とうまいにゃぁ的な声を出す。


「それじゃ、俺も……」


 落ちている巨大な鋏を掴むと、斬った箇所から見えている白い身を口へと運んだ。

 獣じゃないが、歯を見せるようにもぐっと噛み付き食べていく。

 もぐもぐとよく噛み、舌で味わう。

 

 うめぇぇぇ、蟹だ、蟹だよ。

 おっかさん、ここに蟹の身があるよっ。


 テンションが上がって思考がおかしいが、これ、ちゃんとした柔らかい蟹の刺身だ。

 茹でてないけど、正直……旨すぎた……僅かに塩味がついてるし。


 量があるから歯応えがあって、つるっとしてる。

 噛むと柔らかく、でもシャキシャキしていて、うまうまだ。


「うめぇ、醤油が合いそう……つうか、切実に醤油が欲しい……だが、醤油がなくとも身がうめぇぇ」


 俺は鋏を掴む手に力を入れて、奥にある細長い中身もどんどん食っていく。

 黒猫ロロは蟹味噌を食いまくっているようで、口元が黄色くなっていた。


 巨大な蟹なので身の量が多く、あっという間に満腹。

 黒猫ロロも同様らしく、もう顔を洗う仕草を繰り返して食べるのを止めている。


「これポポブムも食うかな……身を少し持っていくか」


 蟹の身を持ってポポブムのもとへ戻り、蟹の身をポポブムの口に当てる。

 すると、ブボッと鼻息を大きく鳴らし、頭を少し伸ばして勢いよく食べていく。


 もぐもぐむしゃむしゃとよく食べて、小さい緑色の眼が何処と無く輝き、喜んでいるように見える。


 こうして美味しい蟹を食べ終わった俺たちは巨大な蟹がうろうろするハイム川から距離を取り、南へ向けて再出発した。


 大きなハイム川を見ながら草原や丘を進んでいく。

 ポポブムが蟹を食べて元気になったようだ。ブボブボ言ってるのが聞こえてくる。


 暫く進むと草原から土の畑へと景色が変わる。

 畑を耕す人に、家が疎らに点在している長閑のどかな光景となった。


 初めての人間、人族。

 農夫っぽい人だった。


 木材で組み立てられた高台も幾つかある。

 見張りと思われる人は椅子に座った老人で、ぼぅっと本でも見るように景色を見てるだけだった。


 晴耕雨読ってか? 


 この辺は長閑のどかな農村のようだ。

 傍らで子供たちが木の棒で『クッブ』と似た競技で遊んでいるのが見える。

 大人は……硬そうな球を奪い合っては、体をぶつけ合って殴り合っている。

 棍棒もあるようだし、ラクビーとはまた異なる? 古代ローマにもあったハルパストゥムと似た競技か。

 格闘技っぽいモノを行っている場所もある。


 近くではルンガと思わられる牛が粉引き台を回していた。


 スポーツがあるということは、この辺はモンスターも盗賊もあまりいないようだ。

 長閑のどかな農村を過ぎると、馬車のわだちのある太い道へ出た。


 街道らしき土の道。その街道をポポブムで進む途中、農作物を運んでいる人や馬車と行き交う。


 馬車には人族、エルフ、獣人が乗っていた。

 馭者も人族の場合から虎獣人に耳の長いエルフの場合もあった。

 随分と多様性があるんだな。


 と、ポジティブに捉えながらポポブムを進めていく。


 虎獣人の顔は印象深かった。


 虎のような長い髭とふさふさしてそうな茶色の毛並み。

 それが人族のように半袖の衣服を着て帽子を被り、馬車を操っているんだから、ほんと、不思議な光景だった。


 頭が虎とか豹だと、あの有名な長編大河小説の主人公を思い出す。


 そんな風に行き交う人々を見ながら街道らしきところを進む。

 この辺りは道が整えられていたので、ポポブムの速度も上がり、順調に進むことができていた。


 街道は川沿いにも続いているので、丁度良い。


 小山を越えると、ハイム川の支流の一つなのか、涓々けんけんとした水になり、浅くなっている川もあった。


 浅瀬を渡ると、大きな都市の一部が見えてくる。

 そして、雲が晴れて高い塔も視界に入ってきた。


 凄いな、あの高い塔。


 俺は太陽の明かりを遮るように目の上に手を置きながら、高い塔を見ていく。天まで届きそうな高い塔。


 ダンジョンの一つなんだろうか?

 もしかして宇宙エレベーター?

 地球でも、古代にバベルの塔とかがあったらしいが……ずいぶんと高いなぁ。


 ひょっとして、マハハイム山脈より高いんじゃ? 


 塔に視線が行くが、そういえば、城壁らしきものは見当たらない。

 ここからじゃ見えないだけかな。

 地図にはレフテン王国の【王都ファダイク】と記されてるけど。


 あの高い塔のもとへ行けば王都の中心に着くのかな。

 周りにも建物が増えてきてるし、人通りも増えて行き交う人々も増えた。


 俺が塔を見上げながらポポブムを進めていくと、突然硬質な金属音が響いてきた。

 男のゴツイ声も聞こえてくる。


 どこかで争い合っているようだ。

 掌握察も反応。

 しかし、周囲に人らしき魔素は多数あるから、その判別は難しい。

 続けて<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>を行うと……血の臭いで溢れていた。


 どうやら、この辺りから治安が悪くなっているようだ。

 悪漢にしか見えない人族や抜き身の血に塗れた斧を持った獣人が歩いている。


 獣人は体格が大きい。

 クロスアーマーのような物を胴体に着ている全身が毛むくじゃらの生物だった。


 その姿に有名SF映画のキャラクターを思い出す。


 それらを観察しながら素通りしていくと、案の定、人気のないところで、女性が襲われているような声が聞こえてきた。


 助けるか?


 その音がした通りへポポブムを急ぎ向かわせる。

 しかし、被害者はどこかに連れ去られたのか、もう誰もいなくなっていた。


 残念だが、深追いはせず、そのまま進む。

 そして、夕方になると人通りは極端に少なくなっていく。


 もう夜だ。宿を探そう……が、無さそう。

 散策するが、宿屋らしきものがない。何処も廃れた民家や空き家ばかり……。


 しょうがない、ここを確認してみよっと。

 大きな屋敷の廃墟だ。ここにお邪魔することにしよう。


 廃墟の敷地内は広く、裏庭には雑草やら木々が多数生えている。

 街道にも地続きで繋がっていた。


 そこの木にポポブムを隠して繋いでおく。

 餌でもあげるか。

 ポポブムに乾燥肉を食べさせてあげてから、首元のざらざらした皮膚を撫でてあげた。


 それじゃ、あの屋敷の中を軽く調べる。

 俺は黒猫ロロを連れて廃墟屋敷の中へ入っていった。


 ――誰もいないな。

 泊まるとこもないし、今日はここで一晩過ごすか。


 適当に屋敷の内部を見て回る。

 柱の奥に空きスペースを見つけた。

 そこを寝床にする。


 柱に寄っ掛かりながら乾燥肉を咀嚼。

 肉を奥歯でかみかみしながら、静かに夜を過ごしていく。


 浅い眠りについたその日の夜中――掌握察に反応があった。

 複数の足音と共に複数の魔素を探知。


 そうっと唇の上に指を縦に置き、


「ロロ、しぃ……」


 と、黒猫ロロへ向けてジェスチャーを行う。

 <分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>でも確認。

 複数の人族が近付いてくる。


 そっと起き上がり、影からその様子を窺った。

 黒猫ロロは俺の肩へ跳躍。指示通り、ジッと待機していた。


 廃墟の屋敷に入ってきた奴等は……。

 全員がローブか。

 背中に付いた頭巾フードを頭に被っている。

 顔が見えないな。


 その者たちと一緒に何かしらの丸い光源もある。

 

 廃墟の屋敷の内部を、その光源が照らしていく。

 あれは魔法の光か?

 フードを被った奴等は部屋を確認するように周囲を確認。


 幸い、俺のところには来なかった。

 見回りを終えた奴等は広間に集結している。


「ここは前に仕事で潰した貴族の家だ。大丈夫だろう」


 年季を感じさせる声で話す男が頭巾フードを脱ぎ顔を晒す。


 その顔は中年。白髪で目元の彫りが深く頬が痩けた男。

 服装は首回りに薄汚れたファーがついた皮鎧を着ている。


 そして、その場にいた全員が彫りの深い男に続いて頭巾フードを脱いでいく。全員、鉄の兜を被った兵士だった。

 その中の若い兵士が口を開く。


「隊長、あの方々をこちらにお呼びしてもよろしいですか?」

「あぁ、そうしてくれ。……いいか、くれぐれも粗相のないようにな?」


 隊長と呼ばれた彫りの深い中年男は、部下だと思われる兵士に念を押すように話していた。


 粗相? お偉いさんでも来るのか?


「はい」


 若い兵士は頷き廃墟屋敷の外の暗闇の中へ消えていく。

 暫くして、その兵士に誘導される形で人がぞろぞろとこっちへ来るのが分かった。皆、さっきと同様に頭にフードを被っている。


 だが、新しくやってきた連中はその態度や格好からして、兜を被っている兵士たちとは明らかに違う。


 命令しているし、偉そうな態度だ。


 命令を受けた兵士たちは廃墟の中からテーブルや椅子を探して広間へ運んで設置していく。

 机が設置されると、偉そうな連中の一人が頭巾フードを脱ぎ顔を晒した。


 その者は金髪に青の狐目の端正な顔立ちの男。


 背も高いし、まぁ確実にイケメンだ。

 服装も金が掛かっていそうな、金糸に縁取られたダブレットを身に付けている。

 更に毛皮のケープを羽織り、首にネクタイの代わりのような黒光りするスカーフを巻いている。


 胸の毛皮のケープにキラリと光る物があった。

 黄金に輝く手型のブローチか。


 高そうなアクセサリー。


 金髪のイケメンは座ると机に指を立てて数回叩く。

 そして、狐目で隊長さんを睨む。


「おい、ガルダ! 当初の話と違うぞ?」


 金髪イケメンにガルダと呼ばれた隊長さん。

 茶色い革の鎧を着込む傭兵風の中年隊長さんはガルダという名らしい。


 そのガルダは恐縮するように頭を下げていた。


「はい、申し訳ありません。事情がございまして……これは閣下のご命令で王党派が動いたと急遽連絡を受けての行動なのです。閣下からは……念には念を入れて、一旦ここで皆様方に待機をしていただくようにと、命令を受けています」


 それを聞いたイケメンは完全に怒っていた。


「何だと? そんな事情など知るか! わざわざサーマリアから出張ってきたというのに……晩餐会では無くこんな廃墟で出迎えとは……わたしはサーマリアの侯爵の一人だぞ? ザムデ宰相はいったい何を考えておられるのだ」


 あのイケメン、貴族、しかも侯爵なのかよ。

 確実にお偉いさんだ。道理で連れている兵士も数が多い。


 すると、派手な格好の人物が頭巾を脱いで丸椅子に座る。

 ピュアブロンドの長髪が靡く。あの格好からして、女か?


「事情は聞いたでしょ? 貴方も疑り深いわねぇ」

「シャルドネ、君も何か言ってやれ。我々は王党派や機密局などの動きはもう既に把握済みだというのに……」

「まぁね。それくらいは当たり前。だからわたくしたちがここに居るのではなくて? ザムデ宰相も不安でしょうがないのよ。配下がこのような者ですし……」


 ザムデ宰相?

 シャルドネと呼ばれている女貴族は厳しい視線で、ガルダをゴミを見るように見つめる。


「ふっ、確かに、今回はこの使えない奴等も含めての包括的な仕事だからな」


 金髪のイケメン貴族は頬を歪ませながら話していた。

 二人の貴族に責められたガルダは居心地悪そうに顔色を悪くしている。


「ヒュアトス、彼をあまり苛めてはダメよ? これでも、レフテン王国のザムデ宰相の部下なのですから」


 侯爵の名前はヒュアトスという名前らしい。

 というか、宰相って……。


「そうであったな。ここは確かに違う国。そして、停戦条約が結ばれているとはいえ、我々も本来は敵対国同士の仲」

「そうよ。わたくしたちは違う国同士の仲、そして何故か今ここに一緒にいるのだから、もう一蓮托生でしょう?」

「シャルドネ、君がそういうことを言うとは……」

「あら……意外かしら? わたくしだってかなりの資金を投入していますのよ?」


 その貴族の会話に、中年の隊長ガルダが、言葉静かに割って入った。


「申し訳ございません、ヒュアトス様、シャルドネ様。その件でお話が……」


 それを聞いて、金髪のイケメン侯爵君ことヒュアトスは、まだ怒りが収まってないのか、狐目で睨みながら口を開く。


「なんだい?」

「はい。……閣下は王女ネレイスカリ様に関することで王党派に情報が漏れたのではないか? と危惧なされているのです」


 ガルダは少し緊張しているのか声質が変化していた。


「ザムデ宰相はまだそんなことを心配しているのか? そんなに焦らなくても抜かりはないのだがな? 誘拐といっても関わっている金の経路は全部ダミーで、王党派だろうが機密局だろうが絶対にバレないのだから……」


 なんだなんだ? 王女? 誘拐? 機密局? 王党派? 

 聞いちゃいけないワードが沢山でちゃってるよ?


「貴方が囲っている仮面をつけた集団……人攫い、暗殺など、裏稼業なら何でもこなす集団でしたわよね?  ネビュロス、それとも【暗部の右手】とかいう名前だったかしら? さぞ優秀な人たちなのでしょう」


 シャルドネはそう言って、ヒュアトスの背後へ視線を向ける。

 彼女はブロンドの髪を少し触る仕草をしながら妖艶な笑みを浮かべていた。


 この女の喋りは、どことなく鼻につく。

 シャルドネとかいう女、嫌な感じはするが美人だ。


 ブロンドの綺麗な長髪に陶器のような白い肌。

 鼻筋も長く通っているし、青い瞳の涼しげな表情には、どことなく高級な調度品の美しさを感じさせるほど。


 それに着てる服装も、その美しさに拍車をかけている。


 コートの隙間から見える黒とピンクの花の刺繍が付いたレース付きの襟に、胸元が開いているのを隠すように三角形の花が装飾された布の胸当てがある。

 下にはきっと宝石であしらった上服でも着てるんだろう。足元はシックな黒の長いズボンという格好だったけど。


 服装からして、ベルバラに出てきそうな感じ。

 高飛車女的な印象を受けた。


「そういう君だって、君の後ろに控えている者たちも同じ類いの奴らだろう?」

「あら、そんなことは当たり前じゃない。こんな郊外の廃墟屋敷にわざわざ雑魚の兵士と一緒に来ると思って?」

「それは確かに」


 そこで、ガルダが口を開いた。


「ヒュアトス様、シャルドネ様、もうじきザムデ閣下からご連絡があるかと……明日の晩餐会ではお詫びにサプライズを用意するというお話を承っております」


 シャルドネと呼ばれた女貴族はそれを聞くと、満足そうに笑顔を浮かべていた。


「……当然ですわね。期待しているわよ。でも、ザムデ宰相も人が悪いわねぇ。貴方の国の姫でしょう?」


 姫を誘拐したのか?

 こりゃ本格的に退散した方が良さそうだ……。


 <隠身ハイド>を発動させて、そっと、一歩、二歩、と後退した。


 その瞬間――。


「――ッ、何者だ!」


 うひゃっ、<隠身ハイド>をしたのに見つかっちゃったよ。

 そう警告の野太い声を発した主はヒュアトスの背後にある暗闇からすぅっと現れていた。


 格好は白い仮面に黒い外套を身に纏っている。外套を着た白仮面さんはあきらかに殺気を俺へと向けている。


「おいおい、部外者がいるのか? 誰も居ないはずでは?」


 金髪のヒュアトス君は怒り心頭。顔を紅潮させながらガルダを睨みつけていた。


「はい、そのはずですが……本当ですか?」

「そうだ。ゼエフが反応しているということは間違いないだろう」

「あらまあ。この会話……ということは、計画が漏れちゃったの?」


 ゼエフと呼ばれた白仮面野郎は、まだ俺の方へ顔、仮面を向けた状態だ。


「出てこい、そこの隅にいるだろう」


 あちゃぁ、本当にバレて看破されている。

 掌握察や<分泌吸の匂手フェロモンズタッチ>に似た気配察知の技を、あのゼエフとかいう白仮面は持っているのか。


 いや、最初は気付かなかったから、違うタイプの感知か。


 掌握察による魔素の反応は、周りに複数だ。

 皆で夜食会でも開こうってか?

 しかし、冗談めいたことを考えてる場合じゃねぇな……。


 人数的に圧倒的に不利だ。

 逃げる準備はしとかないと、と考えながら……逆に俺は姿を晒した。


 急に現れた俺の姿をヒュアトスは切れ長の狐目で確認してきた。


「お前はどこの者だ。まさか王党派か?」


 と静かに尋ねてきた。


「えっと、ただの浮浪者ですが」


 ごまかすつもりはないが、一応。


「いつからそこにいた?」

「最初から」

「ゴミと云えど生かしてはおけないわね? ヒュアトス?」


 貴族の女、シャルドネだっけか。

 色白で綺麗な顔だが、腹の底から冷嘲が滲み出ているような冷淡な態度を取る。


 今、こいつは俺をゴミと言った。


 蔑みの目で俺を見下しながら語っている。

 ……気に食わねぇな。


「分かっている。ゼエフ、アポー、ユイ、殺れ」

「はっ」

「分かりました」

「直ちに」


 すると、二つの影が返事と共に暗闇からゆらっと出現。


 新たに現れた影たちは、ゼエフと同じように黒い外套に身を包み、白と黒の仮面をそれぞれ顔に装着している。

 新手の二人。白と黒の仮面を顔に被る二人は、足音を立てずに、ゼエフと呼ばれた同じ白仮面野郎の隣で止まった。


 合計三人か。更に、隊長ガルダが口笛を吹く。


 その合図と共に、兜を被った兵士たちが抜き身の長剣を出して貴族たちを守るように壁となった。


 その中から数人の兵士が、じりじりと間合いを詰めるように俺に近付いてくる。


 魔察眼で確認。


 顔を出している兜の兵士は問題外だ。魔技の気配もない。

 問題はあの白黒仮面の三人。全員、魔力が足や手に集中している。


 三人共に魔技使いか。


 だが、明らかに練度が低い。

 体内魔力の移動が鈍すぎる。


 ん、一人だけ、やけにスムーズなのがいた。


 正直戦いたくないから……話してみるか。


「ちょっと待った。勝手に殺れとか言われても、俺は無関係だぞ。この後に何が起きようが、知ったことではないんだが……」

「君は知る必要がないことを知ってしまったんだよ」


 ヒュアトスは冷たい視線を維持してそう話す。

 俺をチラッと見てから、部下のゼエフとアポーと呼ばれた白黒の仮面野郎たちへ視線で殺せと合図をしていた。


 チッ、しゃーない。


 衝突やむなしと、黒槍を構えて黒猫ロロへアイコンタクト。


 黒猫ロロは一瞬のうちにむくむくっと体を大きくして二人の兵士へ飛び掛かった。

 それとほぼ同時に、俺を最初に発見した白仮面のゼエフが先に仕掛けてくる。


 ゼエフは足に魔力を溜めた魔闘脚で地面を蹴り前進。


 ――素早い動き。


 右手に握られた長剣を突出させてくる。

 狙いは俺の胸辺りか、黒仮面のアポーも続けて走り寄ってきた。


 同じような剣突技を繰り出してくるようだ。

 こっちの黒仮面の狙いは首辺りか。


 俺はゼロコンマ数秒で狙いを把握し、反応。

 黒槍を微かに八の字に動かし――二人の剣突を往なした。


 長剣をそれぞれあらぬ方向へ弾く。


 その一瞬の隙を突く。


 まずは白仮面のゼエフへ黒槍の穂先をプレゼントしてあげた。

 ゼエフは俺の反撃の黒槍に反応できず。

 体を僅かに動かしただけだ。

 当然、俺の槍突を防ぐには間に合わない。


 速度を乗せた返し突きは白仮面ゼエフの鳩尾みぞおちを深く穿ち、金属の裂ける音が響く。外套ごと裂けた箇所からは血が噴出していた。


 ゼエフは「グォッ」と呻き声を出し、苦悶の表情のまま後ろへ後退。


 すぐさまアポーと呼ばれた黒仮面野郎が仕掛け直してくる。


 〝槍は引き際に隙が生まれる〟という師匠の言葉を想起。


 ――視界の右隅に黒仮面の下にある緑の瞳が一瞬ぶれて映る。

 アポーが両刃の長剣を振り下げて、俺の右の肩口から胸を削ぐように袈裟斬りをかましてきた。


 俺はそれを見切るように動く――。


 爪先半回転の技術で体を左円軸軌道で動かし、半歩後退。

 そして、肘を上げ、腋を僅かに広げながら黒槍の後方部を持ち上げた。


 石突を――斜め上へ突くように長剣を迎え撃つ。

 すると、ガンッと短い金属が折れる音が響いた。

 石突と衝突したアポーの折れた剣先は、貴族たちの目の前に向かう。

 壁となっていた兵士の顔へ突き刺さった。


 ――ひぃ、と微かな悲鳴を生んだ。

 フッ、成功。そう、長剣を折ってやった。


 これは簡単に見えるが、結構難しい。

 剣刃の腹を叩くように黒槍の石突を絶妙なタイミングで剣と衝突させるって奴。アキレス師匠直伝の〝剣砕き〟だ。


 即座に反撃。

 アポーは愛剣を折られたことに動揺したのか、俺の速度に付いてこれない。


 円軸軌道からの突然の直角、突撃軌道。

 俺は自ら鋭利な刃物にでも成ったように真っ直ぐ前進。

 蹴りを繰り出す――。

 魔闘脚で魔力を込めた左中段足刀がアポーの鳩尾みぞおちを捉えた。

 

 魔力を込めた蹴りがアポーの腹に沈み込む――。

 軋む鈍い音が響いた。


「グェッ」


 黒仮面アポーは苦悶の声を出し、前のめり姿勢で突っ伏した。

 今にも倒れそうな黒仮面の外套を手前に引く――。

 黒仮面を背負い投げのように地面へ投げつけた。

 だが、それだけじゃない。

 投げられたアポーの黒仮面が俺を見つめる中――。

 アポーの頭蓋が地面に当たる直前に――。

 黒槍を下から掬い上げるように、蹴りを繰り出していた。

 蹴りによって押し出された黒槍はアポーの顔面にめりめりっと沈み込む。


 黒槍は黒仮面ごと頭蓋骨を粉砕。

 アポーの脳漿を撒き散らした。


 差し詰め、〝雷落とし・改〟と言ったところか。


 まぁ<槍組手>には無象や無形の技が豊富にあるが、その名前はほとんど覚えていない。

 師匠との戦いは、ほとんどが実戦だったし。


 おっ、ロロの方も雑魚兵士たちの首を噛みきって戦いが終わったようだった。


 だが、もう一人……白仮面を着けた奴がいる。

 同じように足に魔力が集まっているのが確認できた。


 こいつは一番身長が低いが、さっきの二人より強そうな雰囲気がある。


 小柄の白仮面は仲間が軽くあしらわれたのを見て用心したのか、ゆっくりとした所作で、特殊な刀と分かる二本の刀を鞘から引き抜いている。


 仮面を隠すように刀の刀身をクロスさせていた。

 その刀身から白く輝く文字がうっすらと浮かんでいる。


 あの刀、魔法の加護を窺わせる物だ。

 二本共に魔力が漂ってやがる。


 かっこいい。


 それにあの刀、トレンチナイフやスカルクラッシャーのように近接で拳で攻撃できる物も付いてるじゃん。

 刀身から延びた刃の一部が環状に伸びた柄と繋がっているという特殊な作りだった。


 その特殊な刀に視線を向けながら、黒槍についた血を払うように振り回した後、正眼で構え、待つ。


 白仮面野郎が先に動いてきた。


 奴は小柄な体型を生かすように前屈みになりながら速度をぐんっと上げ、刀を水平に保った横薙ぎを繰り出してくる。


 俺は急ぎ正眼から黒槍を斜めに構え直し――その斬撃を防ぐ。


 特殊な刀剣とタンザの黒槍が衝突した。

 キィンという甲高い音と同時に刀を弾き返し、同時に黒槍の突きを返す。


 だが、難なく躱される――。


 奴はヘッドスリップをするように僅かに頭を反らし、俺の黒槍を躱していた。

 そのまま体を前方へと畳んで左手を前に伸ばし、銀に輝く刀を俺の首へ突き立ててくる。


 ――ぬおっと、油断ならねぇ、な。


 一突き、二突きと突いてくるのを、左右へ上半身を揺らし、避けた。

 白仮面は逃さないと言わんばかりに、右手に握る刀を水平に保ちながら、俺の胴目掛けてまた薙ぎ払ってくる――。


 こいつ、中々強いな。

 白仮面の連続攻撃に、俺は防戦一方となった。


 避ける。躱す。ずらす。と、剣撃を躱し続ける。


 ま、わざとなんだけどね。この刀、綺麗だな。


 アレ切り札を使うまでもない。


 俺はじっくりと観察して刀の間合いを掴むと、反撃に出た。


 黒槍を時を刻む秒針のように見立て、ゆったりと回転。奴が大振り気味になる二太刀目の攻撃を待った。


 一太刀目、槍では受けずに体を半歩ずらし、ギリギリで躱す。白仮面は左斜めからの袈裟斬りを繰り出してくる。

 二太刀目の刀を振り落としてきたところを、タイミングよく狙った。


 ――来た!


 黒槍の握り手を柳の枝のように意識。

 柔らかく、刀の斬撃を受けて――弾き、黒槍と衝突した刀はあらぬ方へと向かう。

 その隙に右から円を描くように、<魔闘術>は使わずに、素の右下段足刀の蹴りを敵の足へ喰らわせる。


「えっ――」


 白仮面野郎を転倒させた。

 そのままもう一度、地面に転がる奴の腹を軽く蹴り上げる。

 

 後方へと吹き飛ばした。

 これには愉快そうに見ていた貴族たちも目を見張る。

 ヒュアトスは驚いた眼差しを向け、


「わ、我が【暗部の右手】であるネビュロスの三傑をこうもあっさり――」

「……驚いたわ。わたしの部下に欲しい――」


 彼女、シャルドネだっけ?

 女貴族も頬を赤らめて、あんなことを言って呆けているし……。


「ヒュアトス様! シャルドネ様! ここは退きましょう。わたしが――」


 ガルダという名の隊長も、俺と戦うつもりか?

 が、こいつも黒猫ロロが倒した他の兵士と大差ないと思うが……。


「ガルダ、お前では無理だ」


 ヒュアトスはかぶりをふって語る。

 自分の部下があっさり倒されたから、俺の実力が分かったようだ。

 師匠譲りの風槍流は伊達じゃない。


「こっ……この責任は、わたしが!」

「ガルダ、そういう……お前、いや、ザムデ宰相がこれを仕組んだのでは?」


 ヒュアトスはガルダを睨む。

 ガルダは慌てて頭を左右に振り、ヒュアトスを見て、


「違うっ、絶対に違います! わたしは知りません。本当です。ですが、コイツは、機密局や王党派側が用意した手練れかも知れません……」

「ガルダ――君は相当な能無しだな。だが、まぁそのおかげで、君が敵ではないと判断できるが……」


 そこに大剣を背にした白いマントを靡かせる白髪の老人が現れた。大剣を背中に持つ老戦士はシャルドネの前で軽く頭を下げると、そのシャルドネへ近付いていく。


「お嬢、いえ、閣下……」


 老人はシャルドネに耳打ちして、小声で会話をしている。


「そう、わかったわ。一旦退きましょう……ヒュアトス、何か語っているところ残念だけど、このお話はまた今度ということで……それではね。キーキ、サメ、帰るわよ」


 そこにシャルドネを守るように女獣人がさっと現れ、白髪の老戦士の隣に並んで、片膝を地面につける。


「はっ」

「畏まりました」


 獣人と白髪の老戦士はシャルドネに頭を下げて返事をしていた。


「シャルドネ!」


 ヒュアトスは約束を破るのか! と言わんばかりに叫ぶ。


 他にも強そうな部下がいたのかよ。でも彼女らは逃げるようだ。

 良かった。俺も逃げよっと。


「それじゃ、俺も逃げるよ。あんたらも安心したらいい。俺は口外するつもりはない。ここには俺は居なかったってことで、一つよろしく。ロロ、行くぞ。ではさいならぁ」


 くだけた口調で話して、挨拶するようにお辞儀をした。

 ヒュアトスとガルダは俺を睨んでいたが、三十六計逃げるに如かず。


「なっ、お前!」


 魔脚で黒猫ロロのもとへ素早く近寄り脇に抱え込むと、跳躍するように走ってポポブムを繋いでおいた場所へ向かう。

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