十九話 魔槍使いと家族の別れ※

 十分ほどだろうか?

 アキレス師匠は目を瞑ったままだ。


 俺はある技術を使う。

 それは双眸に魔力を集中する技術……。

 この技術を〝魔察眼〟や〝察眼〟と呼ぶ。

 

 <魔闘術>系統の技術の一つ。


 その魔察眼で師匠を凝視――。

 師匠の魔力の流れをることができた。

 全身から出た魔力が渦を巻きながら上昇していく。


 これは〝掌握察〟に近い?

 いや、違うか……。

 アキレス師匠の身体から出た魔力は薄い膜。

 その膜はオーロラかカーテンのように揺らめく。


 更に不思議なことが続く。


 アキレス師匠は目の前に存在しているのに、そこにいると分かっているのに……。

 師匠の存在感が薄くなった。

 自然の背景と同化してしまうのでは?

 そんな錯覚を覚えてしまうほどに。


 更に不自然な突風が巻き起こる――。

 アキレス師匠の上空から真下へと降りる風。

 ごおごおと音を立てる突風。

 その突風は意志があるように突然向きを変え、俺を捉えた。


「っ……」


 風の勢いが強い。

 両手をクロスして顔を隠しながら身を屈めた。


 すると、魔力の流れが途切れた。

 風も止む。

 いつの間にか、師匠の存在感も元に戻っていた。


「今のは突風程度だが、やろうと思えば指向性のある風刃を無数に出すことも可能。これが<仙魔術>という魔技。自然の一部と同調し、〝何か〟を引き起こす魔技と言えよう。これは属性が関係しているのは分かるな? 今、風を起こせたのは、わしが〝風属性〟を持ってるからだ。だからこそ、この魔技は魔法に近いとも言える」


 頭の中は疑問と好奇心でイッパイイッパイだった。

 突風と無数の風刃?

 すげぇ、これでも苦手なのか。

 これは<導魔術>に近い?

 詠唱要らずの魔法みたいな物?


 <仙魔術>は、凄い。


「自然と同調して風を起こすんですね。最初、師匠の全身から魔力を出しているだけに見えましたが、<導魔術>とは違うのですか? そして、師匠の存在感を薄く感じたのは何故でしょうか」


 俺の興奮した聞き方にも師匠は優しい笑顔で答えてくれた。


「存在感を薄く感じたのは、わしが扱う魔力の一部が自然と同調したからだ。これはこれで〝気配断ち〟にも使えたりする」


 なら<隠身ハイド>と組み合わせれば、より隠蔽能力が上がるかも?


「次に、魔力の放出だが、これはシュウヤの言ってる通り<導魔術>に近い。途中まではな? <導魔術>の基礎の掌握察の状態から、更に魔力を薄く円を意識して広げ、延ばしていくところが重要なのだ。これが丹田を中心とする<魔闘術>と違うところだな。やがて、自然と同調できる〝波長〟を感じると思う。これは感覚だ。個人差もある。身に付けるのは難しいだろう。しかし、シュウヤなら初見でスキルを得られるかもしれない。もし覚えたのなら、覚えた直後、動けなくなるはずだ」


 自然と同調できる、波長……。


「分かりました。とりあえず一回やってみます」


 目を瞑る。


 最初は〝掌握察〟。


 魔力を全身から出す。

 頭の天辺から足先まで……。

 <導魔術>で放出した魔力が円のように広がる。


 ここからが大事だ。イメージしろ。

 魔力をより感じ、薄く延ばしていく……。

 この薄くする作業が非常に難しい。加減せずに放出していけば、<導魔術>や<仙魔術>にならず、ただの魔力の放出で終わり、魔力の無駄遣いになるだけだ。


 集中を重ねて、魔力を薄く広げて延ばす。

 更に集中……薄く、薄く、延ばす。


 もっと、もっとだ、集中。

 魔力操作の極致。


 ミクロの深淵まで届くように……。

 無意識レベルの操作。

 その刹那――薄い膜の魔力が繭の内部から溶けるように〝揺らぐ〟のが感じられた。

 心の内部にあるイメージと自然の空間が重なり合い、膜がうねり、〝魔力〟が弾ける。


 その反応と同時に冷んやりと周囲の温度が下がった!? 

 と思ったら、同時に魔力がごっそりと持っていかれた。


 そして、瞬く間に、俺の周囲、一定の範囲に多数の水滴が出現――水滴が一気に弾け飛ぶ。

 小さな霧となって散っていく。

 霧が薄雲のように発生し、辺りを包む。


 だが、その霧はすぐに消えてしまう。


 ピコーン※魔技開発成功※<仙魔術>※スキル獲得※

 ピコーン※魔技三種獲得により<魔技使い>の戦闘職業を獲得※

 ピコーン※<魔槍使い>の条件が満たされました※

 ※<槍武奏>と<魔技使い>が融合し<魔槍使い>へとクラスアップ※


 頭に響くスキル獲得音。

 戦闘職業もクラスアップした。

 やった、成功だ。視覚にも続々と情報が出てくる。


 だが……。

 本来ならば言葉に出して喜びたいところだが……。


 ――だるい。


 俺は力なく片膝を地につけた。

 地面に落ちるように崩れ落ちる。


 片方の膝に手をつき、顔を歪めてしまう。

 脱力感と倦怠感が胃を重くする……。

 まるで、重い鉄球が胃袋に入っているようだ。


 吐き気が……。


「……成功しましたが、すぐ止まるってのは、これのことですね……ぐっ」


 魔力消費がハンパねぇ……。

 魔力の枯渇がこうも体をだるくするとは……。

 口の中に胆汁のような、ワケワカラン酸のようなモノが染み渡る。


「そうだ。魔力の枯渇で苦しかろう。それが初めての<仙魔術>なのだ。魔力の大量消費、導魔の比ではない。この消費の仕方は高度な魔法に近いのかも知れん……と言っても、そんな魔法のことは分からんのだが……」


 これから使う時は要注意だな。


「が、さすがはシュウヤだ。初使用で気絶もせずここまでの<仙魔術>を成功させるとは……」


 師匠は感心感心といったように頷いている。


「はは……気を失う?」


 気を失うのかよ。

 だが褒められた。まだキツイが嬉しい。


「そうだ。普通は気を失う。成功しても術の範囲も小さく、影響も出ない場合が多い。それが、だ。シュウヤの場合は意識を保ち、その術の範囲も広い」


 ということは、俺は<仙魔術>と相性がいいのか。

 しかし、<仙魔術>の魔力消費量は尋常じゃないから、おいそれとは使えない。

 しかも、霧だし。


 んだが、ポジティブに考えれば……。

 もっと凄いことができるようになるかもしれない。


 だとしたら、夢が広がる……。

 が、正直な話、使う機会はそうはないかもな。


 <仙魔術>は後回しにするか。

 極々暇なときに訓練しよう。


「……その笑みは、もう余裕か? シュウヤは魔力量だけでなく、回復速度も達人並みということか。<瞑想>も使ってはいないのだろう?」


 師匠が言うように俺は<瞑想>どころか妄想をしていた。

 まぁ、確かに魔力は回復している。


 しかし、まだ胃が重い。


「はい、使っていません……ですが、腹の底が捩れたままのようで重い。苦しいです」

「最初はキツイだろう。だが、じきに慣れる。しかし、魔力回復が速い。ヴァンパイア系だからなのか?」


 たぶんそうだ。

 スキルに魔力回復が速いとかあった。


「……そうかもしれません」

「ふむ。槍だけでなく魔法の才能もあるのは確実だな。先ほど見せた水滴に霧。シュウヤ自身の属性、水属性が色濃く反映した形と言える」


 俺の言葉を聞くアキレス師匠は先ほどから嬉しそうな顔ばかり浮かべている。感嘆の感情がハッキリと見てとれた。


 でも、あの霧、すぐに消えちゃったけど……。


「確かに水属性。ですが、霧もすぐに消えてしまいました」

「当たり前だ。前に言っただろう? 魔技は〝一生涯〟掛かると。だが、例外もあるのだと……わしも今学んだ。さっきも言ったが、一瞬とはいえ、初めての<仙魔術>で広いエリアへ効果を及ぼすのは本当に凄いことなんだぞ?」


 師匠は珍しく力説するが、そういうもんなのか?


「そうですか?」


 気の抜けた言葉で返すと、師匠は少し怒った感じになる。


「またか。その性格はお前の〝癖〟なんだろうが、もっと自分に自信を持て……」


 ――自信か。

 何度も言われているが、もっと自覚しないとな。


「持っているつもりですが、まぁ、癖ですね」

「だろうな。それと、今教えた<仙魔術>も他の魔技と同様に、使えば使うほど魔力消費が抑えられ、長らく作用し、応用もできるようになり、〝未知なる成長〟を果たすから、がんばるのだぞ」

「はい」

「良し良し。これで一通り魔技を教えることができた。戦闘職業の<魔技使い>も覚えただろう? わしは嬉しいぞ」


 頷く。

 <魔技使い>から<魔槍使い>へとクラスアップしたが、覚えた。


 話の腰を折ってしまうので、クラスアップしたことは言わないでおく。


「確かに<魔技使い>に。師匠のお陰ですよ。ありがとうございます」


 慇懃な態度でお辞儀をする。


「はは、そんな畏まらんでいい。この一年でしっかり成長を遂げたのはお主自身なのだからな。わしの知っているすべての〝武〟を伝えたつもりだ」


 すべてか、確かに色々なことを学んだ。

 師匠のお陰だ。


「はい、ありがとうございます」

「風槍流ではなく、アキレス流槍武術免許皆伝を授けてやろう」

「おぉ」

「ぶはは、冗談だ。そんなもんはない。ただの弟子の卒業だ」


 冗談かい、しかし、卒業かぁ、何か寂しい。

 ……ま、これからは〝世界を見て回る〟んだからな。

 異世界を堪能しちゃる。ぐふふ……。

 後、黒猫ロロディーヌの約束も叶えてあげないとな。

 それには、まず冒険者を目指すか。


「……どうした? 変な目付きで呆けた顔をしおって、寂しいのか?」


 アキレス師匠は顔は笑っているが、どことなく、その目の色は寂しげに映る。


 気のせいかな?


「そりゃ寂しいですが、これからのことを考えたら〝わくわく〟ですよ」


 師匠は俺の顔と言葉を聞き、〝何か〟を察したのかニヤリと普段見せない変な笑顔を見せる。


「ま、お前も男だ……そうだろうな。今まで訓練の毎日でそれどころじゃなかったからの。それで、いつ頃出発予定なんだ?」


 そうだなぁ、名残惜しいが、いつまでも甘えてちゃダメだ。

 すぐに出発するとして……。


「……三日後にでも」

「何? 随分と急だな?」


 三日後と聞いて驚いたのか師匠は目を見開く。

 そのまま、俺の言葉の真意をはかるように見つめてくる。


「はい」


 短く返事。


「……」


 何も答えず、黙りとなる師匠。

 厳しい視線を俺に向けたままだ。


 師匠は俺の眼差しに納得したのか「ふむ」と短く呟き、ゆっくりと頷く。


「……旅立ちとは、そういうものでも、あるか……」


 アキレス師匠はそんな言葉を残し、視線を空に移して、何かを見ているようで見ていないような、不思議な表情を浮かべていた。


 そして、軽く目を瞑り、小さく頷いてから目を開けて口を開く。


「良し。では、夕食の時に改めて家族の皆に報告するのだ。急でびっくりするだろうが、皆も分かってくれるはず。一名を除いては……」

「レファですか?」

「うむ……」



 ◇◇◇◇



 ――その日の夜。

 家族が揃った夕食の席で俺は旅立つことを話した。

 最初、レファは黙ってその話を聞いていたが……。

 だんだんと目から輝きが失せていき、俯いてしまう。


 そして、レファは目に涙を溜めて――。


「イヤッ!!」


 甲高い声で叫んでいた。

 案の定、師匠が懸念したようにレファは感情を爆発させる。


「あさって……きゅう、に、なんで? ずっと、いるって、言ったじゃん……」


 レファの目から大粒の涙が雫となって頬を伝う。

 嘔吐くまではいかないが、喉を詰まらせながら泣いてしまった。

 

 涙が鼻水と合わさって落ちていく。


「えっと……」


 レファ、ごめんな……。

 レファの元気で可愛い表情しか知らない俺はショックを受けた。

 悲しみにくれる子供の顔を間近で見ると、言葉に詰まってしまう。


 そのタイミングで、師匠が切り出してくれた。


「レファ、シュウヤはそんなことは一言も言っとらん」


 すると、レファがキッと目元を鋭くして、アキレス師匠を睨む。


「おじいちゃんっ、さっき話してたことはこのことだったのね! シュウヤ兄ちゃんのこと、しってたの?」

「……わしもさっき聞いたばかりだ」

「おとうさんも、おかあさんも、きいてなかったの?」


 レファの必死な問いに、ラグレンとラビは黙って頷いている。


「……」


 レファは良い子だ。

 あんな必死に、思い詰めた顔を……。

 こんな俺のために泣いてくれるのか……。


 子供らしい、切ない素直な感情は俺に突き刺さった。


 ――ありがとう。


 目に涙を溜めながらレファに近付く。


「ごめんな? 急で。前々から言おうとは思ってたんだ」


 それを聞いたレファは、また顔を伏せて俯いてしまう。

 そして、少し顔を上げて、ポツポツと喋り出す。


「……ううん、わたしこそ――大きな声だしてごめんなさい。シュウヤ兄ちゃんが、おじいちゃんといつも特訓してて、ぼうけんしゃになるって、きいてたし……いつか、ロロさまといっしょにいなくなるって、分かってたの……」


 レファは話しながらも、充血した目から溢れていく涙を自分の小さい手で拭いていくが、涙は止まらない。


 そうか、理解はしていたんだな。


「でも、でもね、兄ちゃんは〝かぞく〟なの! だから、はなれるのは、めっ! なの。はなれるのはダメなの!」


 健気な姿勢で、俺を説得しようとするレファ。

 涙を溜めた小さい双眸だが、力強い瞳。


 しかも、俺を家族だって?


 レファ、そりゃ反則だろ……。

 甦ってくるだろう……。

 朝起こしにきたり、隠れて滝壺で一緒に遊んだり、俺の訓練を邪魔しにきたりと……。


 何気ない日々だったが、思い出はきっちりと刻まれていたようだ。


 視界が揺れ動く。

 目の前の光景が、自然とぼやけていた。


 年甲斐もなく涙が流れる。

 が、しっかりと気持ちを伝えなきゃな……。


 血は繋がってないが、大事な妹だ。


「……ありがとな? 俺もこの一年、レファと一緒に生活してて楽しかった。ここで過ごした思い出は忘れない。そして、照れ臭いけど言っておく。……皆、ありがとう」


 皆、一家全員が涙を流してくれていた。


 あの屈強なラグレンも涙を流しているし。

 ラビさんもそんなラグレンを見ながら泣いていた。


 師匠も、というか……鼻水スゴッ。


 アキレス師匠も泣いていた。

 涙の影響で鼻から糸を引いたような鼻水がだらりと垂れていた。


 レファが思わず笑い出す。

 それがきっかけで皆が笑う。

 和気藹々と夜遅くまで話し合うことが出来た。


 皆で最後に思い出を作るように過ごしていく。



 ◇◇◇◇



 こんなに心が揺れるとは思わなかった。


 ラビさんにレファにアキレス師匠にラグレン。

 この一年ここに居候させてもらったが、本当の家族のようになれた。


 いつもなら、寝台を背に預けステータスを確認して……。

 一人で微笑を浮かべているんだが……。


 今はそんな気になれないや。


 寝台に背を預けて、寝返りをうったり天井を見つめたり。

 黒猫のロロディーヌを見たりと……何かを考えるでもなく――。


 ただ、喪失感と共に呆けていた。


 黒猫ロロディーヌの視線を寝台の下から感じるが、俺は目を合わせない。

 黒猫ロロはそんな俺の顔を不思議そうにジッと見つめてくる。


 黒猫ロロは「にゃっ」と声を出し、その場でくるりと回って体を丸めて、尻尾を腹の下にしまいながら眠りについていた。



 ◇◇◇◇



 旅に出るまでの三日間は訓練はしなかった。

 師匠から地図と魔法袋をいただいて、旅の路程を考えたり食料をラビさんに作ってもらったり、その手伝いをしたりと、忙しく過ごす。


 そして、最後の夜。


 いつものように寝台に背を預けながら、能力をチェック。


「ステータス」


 名前:シュウヤ・カガリ

 年齢:21

 称号:神獣を従エシ者

 種族:光魔ルシヴァル

 戦闘職業:魔槍使いnew:鎖使い:魔法使い見習い

 筋力12.2→18.2敏捷11.3→19.3体力10.5→17.4魔力14.1→22.2器用9.3→17.2精神10.5→23.1運6.0→11.0

 状態:平穏

 

 新たな戦闘職業<魔槍使い>を得ることができた。


 <魔槍使い>は、<槍武奏>に<魔技使い>が合わさることで得られる戦闘職業。


 それにしても、色々と能力値が上がり、だいぶ俺も成長した。


 だが、魔技をもっと極めていきたい。

 剣も覚えるか。剣は素人同然だ。

 ククリの両刃剣を用意してもらっても、今の腕じゃ宝の持ち腐れ。


 そして、メインの槍もまだまだ高みを目指せるはずだ。


 俺はもっと強くなりたい。

 ま、少しずつ出来ることをやっていこう。


 スキルも一応見とくか。


「スキルステータス」


 取得スキル:<投擲>:<脳脊魔速>:<隠密>:<夜目>:<分泌吸の匂手>:<血鎖の饗宴>:<刺突>:<瞑想>:<魔獣騎乗>:<生活魔法>:<導魔術>:<魔闘術>:<導想魔手>new:<仙魔術>new


 恒久スキル:<真祖の力>:<天賦の魔才>:<光闇の奔流>:<吸魂>:<不死能力>:<暗者適応>:<血魔力>:<眷族の宗主>:<超脳魔軽・感覚>:<魔闘術の心得>:<導魔術の心得>new:<槍組手>new:<鎖の念導>new


 エクストラスキル:<翻訳即是>:<光の授印>:<鎖の因子>:<脳魔脊髄革命>


 闇虫ダーク・ビートルを倒した時に覚えた<鎖の念導>は便利だ。


 <鎖>が自由自在で伸縮自在。


 今後の<鎖>による攻撃は攻防だけでなく、色々な場面で活躍しそうだ。

 これからの戦術が増すのは簡単に予想できる。


 楽しみだ。


 さぁて、明日から未知への旅だ。

 眠くないが、無理にでも寝る。



 ◇◇◇◇



 いつもより早く起きた。


 今日で最後。

 この部屋を綺麗にするつもりだ。

 一年間、寝泊まりしていた小屋だもんな。


 〝入念〟に掃除を行おう。


 ――良し、こんなもんだろう。

 小屋は一年前、俺がここに来た時よりも確実に綺麗になっていた。


 さて、そろそろ朝食の時間か。


 綺麗にした小屋から出て、いつも皆で食べる居間がある大家へ向かう。


 その朝食中、皆の様子がどことなく……勝手が違っていた。


 三日前の夜のようなハイテンションではなく、笑顔で会話が続くが、何となく寂しげな表情が多くなっていたのだ。


 レファも笑顔を見せてはいるが、時々顔を俯かせてしまう。

 ラビさんもレファを気遣うように、ぎこちなく笑っていた。

 ラグレンは頬がひきつっていた。


 はは、なんか皆、無理してるな……。


 そんな雰囲気の中でスープを食べていると、アキレス師匠だけは普通に接してくれ、


「旅立つ前に渡す物があるから、準備ができたら広場に来い」


 と淡々と話してくれた。


 食べ終えて小屋へと戻り装備を整える。

 いつも使用していたタンザの黒槍を手にとった。


 まずはここから南にある【ヘカトレイル】辺りを目指すか……。


 そんなことを考えながら小屋の出入り口にある布の帳の前で立ち止まり、部屋を振り返って、一年生活していた部屋を感慨深く見つめた。

 壁も新しくしたし、あの時は左官職人立身伝を目指そうかと本気で思ったが、止めておいた。


 俺が師匠に教わった木工細工で作った小さな机に椅子。

 ここも、これで最後か。


 異世界での下地を作ってくれた場所だ。


 ――感謝。


 誰もいない部屋に頭を下げた。

 踵を返して布の帳を潜る。

 

 小屋を後にした。


 見晴らしの良い場所で北極連星を探そう。

 北が分かるだろうし、簡易地図もある。


 それに、太陽を見れば、ある程度方角も判別ができるだろう。


 小屋を出て、空を見上げ、山の間から僅かに見える南の平原を見る――。

 この景色も見納めか……。


「ロロ、行くぞ?」


 黒猫ロロは屋根の上で丸くなって寝ていたが、俺が話し掛けると、もそっと小さい顔を上げて「ンンンッ」と小さい喉声で鳴く。


 地面に降りるや否や、尻尾をピーンと立たせつつ俺の脛に頭部を寄せると、頬を擦りつけてくる。

 黒猫ロロは、俺の脹ら脛に胴体を当てながら尻尾も絡ませてきた。

 尻尾の感触が擽ったい。

 黒猫ロロは足下をいったり来たりしている。


 そのまま可愛い黒猫ロロを引き連れて石畳の広場に向かった。

 アキレス師匠は広場ではなく坂道がある左の手前で一頭のポポブムを連れて待ってくれていた。


 そこはゴルディーバの里で唯一崖下に繋がる道。


 黒猫ロロはポポブムを見るなり走り出す。

 そのポポブムの後頭部に飛び乗ると、早速座り込んだ。


 自分の席はここだと言わんばかりのドヤ顔だ。


「ハハッ、さすがは神獣様。素早い」

「師匠、そのポポブムは?」


 ポポブムが気になったので聞いてみた。


「あぁ、お主にこのポポブムを進呈しようと思ってな? これに乗って旅に出るといい。乗らなくなったら馬屋にでも売れよ? 乗らずに放置することはポポブムのためにならん。生物の糧はそれぞれなのだ。そして、馬より高く売れるからお得だ」

「師匠……」


 感動で泣きそうになる――。

 さすがアキレス師匠。これで旅がだいぶ楽になる。


「ははっ、感動するのはまだ早い。旅をするには色々と物が必要だ。このポポブムの鞍は連結して袋や物資が載せられるようになっている。タンザの槍も鞍の背にひっかけて乗せて置けるし、刃をしまう布の鞘も用意した。荷物も皮水筒三つに魔法袋二つを用意したぞ。ポーション類は必要無いと思うが、一応わしが調合した濃度の薄い魔力回復リリウムポーションを多めに袋に入れておいた」


 何から何まで……用意してくれていたのか……。


「ありがとうございますっ」

「それとポポブムの餌じゃが、わかっとると思うが、雑食なので好きな物をあげるといいだろう。一応、鹿の干し肉が束で入っているので後で確認するように」


 アキレス師匠はポポブムの鞍を弄りながら俺に視線を向け話を続けた。


「まだ進呈する物がある。シュウヤが今着ている上着の革服だけでは心許ないと思ってな? この虎革の上着と旅の資金を用意した。持っていけ」


 アキレス師匠が見せてくれたのは……。

 狩りに行くとき師匠が着ていた黒革のジャケット風の虎の革を使った上着と金色に輝くコインだった。


「おお、その服、師匠が着ていた服ですか?」

「そうだ、わしが狩りの時に着ていた物と同じ革の服。因みにわしとラビの合作で拵えた物だ」


 ラビさんが優しい表情を浮かべて頷いているのが目に浮かぶ。


「嬉しいです……」

「安心しろ。下着のように、わしらの中古ではないからな。わしが着ている物の代えの品だから新品同然だぞ。その上、中々の優れ物だ。 蜘蛛系のブラックコンダクターという魔物が放出する丈夫な糸に闇油を染み込ませた代物とゼレリの黒い虎革を合わせて仕上げた防護服。自慢じゃないが逸品だ。裏地にも闇油が大量に染みこませてあるから、〝光〟以外の魔法ならある程度防ぐぞ」


 早速、黒革のジャケットを皮服の上から羽織って着てみる。


 黒革のジャケットは半袖より少し長い感じのツイード系。

 背には黒いフードが付いて、頭を隠せるようになっていた。左胸には綺麗な狼っぽい銀糸の刺繍が施されている。


 これは神獣のマークだろう。狼や豹にも似ている。


 師匠の身長は俺より少し小さいぐらいなので、服のサイズも少し小さい程度、良い着心地だった。


 それに、このフード、ロロが気に入りそうだな……。


「うむうむ、似合っているぞ。胸の裏地にはナイフが大量に入るし、取り出しも簡単だ」


 新しい衣服を見ながら、腕を伸ばして軽く動き、裏地をチェックする。

 ――確かにナイフが取り出しやすい。


 それと、このお金。


「はい、良い感じです。それと、この金貨は少し重いですね。俺が持っていた〝コレ〟とは形も違うようです」


 と、初めから持っていたコインを初めて見せる。


「それは金か?」

「そうみたいです。数枚ですが、持っていました」

「わしのとは、大きさも絵も違うな……まぁ当たり前か。わしのコインは三百年前の冒険者時代に稼いだ貨幣だからな? 今でも通用するかは分からん。だが、何枚もあるし、一応渡しておく」

「はい」


 十枚渡されたコインは小さい金貨。白っぽいが……。

 価値はどのぐらいだろ?

 もしかしたら金の含有量が豊富?

 価値が高い可能性もある。

 逆に含有量が低いと価値がさがったりして……。


「本当はその防護服以外にも、冒険者用の背曩や色々な装備品を渡してやりたいのだがなぁ」

「いえいえ、この上着にお金だけでもすごくありがたいです。水筒も三つあれば血の補給にも充分ですし、それにこのポポブム、いいんですか?」


 俺はポポブムに載せられた荷物をチェックしながら師匠に聞く。


「うむ、大丈夫だ。ポポブムは三頭いる。また捕まえればいい。そんなことより……旅先のことだ。前に一度説明したが、もう一度確認だ。北は止したほうがいいだろう。簡単に説明するから前に渡した地図を出すのだ」


 地図地図っと……俺は前にもらった袋から地図を取り出して、ポポブムの背に広げた。


「この地図の大まかな情報は三百年前の物。だが、今も昔とそう変わらんそうだ。ラグレンがそう言っていた。ラグレンはエルフと交流してるからな? その辺は色々情報が手に入るらしい」

「そういうことですか、なら安心です」


 師匠は地図に指を差しながら行程を説明していく。


「それでな、最初に北は止めておけと言ったのは、ここから北は砂漠地帯があるからだ。だが、北に行くにせよ、南に行くにせよ、どちらにしても南の難所地帯を抜けなければ、北に向かうことはできないからな? ここから北の山脈を越えることは、まず不可能だ。空を飛べるなら別だが、絶壁に加え風も強い上に標高も高い。更にドラゴンの領域も存在する。まずは南の急勾配の山道を越えエルフの領域へ出ることだ。だが、エルフの領域も少し厄介かも知れん」


 地図の北にマハハイム山脈がある。

 その北にゴルディクス大砂漠と描かれてある。

 南に山地や急勾配の地形が続き……エルフの領域、【テラメイ王国】の森林地帯と描かれてあった。


「エルフの領域が厄介とは?」


 地図を見ながら質問した。


「その森林地帯にはエルフの国、【テラメイ王国】という国が存在するのだが、三百年前は人族の通行が禁止されていた。たぶん、今もだろう。そのお陰で、わしらのいる高原地帯には人族が来ることはない」


 へぇ。でも、探検心あふれる冒険者とか、いそうだがな……。


「通行が禁止ですか。でも、中には紛れ込む人族もいるのでは?」

「どうだろうか、わしが知るかぎり一回も無い。この国のエルフには古き帝国の生き残りが多いと聞く。長期間生きているから経験も豊富で、境界線に関する事柄は厳しいはずだ」


 閉鎖的か。


「この辺りを庭のように行き来しているラグレンのような案内人がいれば話は別だが。なんせ、ここらは険しい山に歪な崖が幾つもあるからの。それに、凶悪なモンスターの生息圏でもある。だがまぁ、わしらが知らんだけで、優秀な冒険者の中には、人知れず探検をしている人族もいるかも知れん」


 冒険者の中には、そういうことができる実力者も存在する可能性があるってことか。


「確かに、そうかもですね」


 アキレス師匠は頷いて説明を続けた。


「少し話が脱線したな。南にはハイム川がある。ハイム川は大河。川を辿った西には【迷宮都市ペルネーテ】があり、そこから更に川を南下すると【オセベリア王国】の【王都グロムハイム】が存在する。王都を越えたら海に出る。東に行くと【城塞都市ヘカトレイル】があり、それを越えると【レフテン王国】の【王都ファダイク】があり、その遥か北東の地である東の都【レリック】まで続いているのだ」


 ハイム川は確かに大河だなぁ。

 この川を中心とした地図の範囲だけでも東京から広島ぐらいはありそうだ。

 縮尺が分からないから、もっとデカイか?


 俺がこの【テラメイ王国】の南に出たと仮定すると……。

 人族の国の中で一番近い都市は【城塞都市ヘカトレイル】か。


「そんな大河であるハイム川の南には、天気が良ければ巨大な竜が住むと云われる【バルドーク山】が見えるはずだ。良い目印となろう。何せ、標高が高いからな」


 ほぉ、そんな山があり巨大な竜がいるのか。

 実際に見てみたいが、あったらあったでびびりそうだ。

 師匠はエルフの森を指差して話を続ける。


「仮にこの【テラメイ王国】がある森林群の南から出られたとして、そこにはモンスターが大量にいる【魔霧の渦森】が存在する。その森を越えたら人族の国で一番近い都市は【城塞都市ヘカトレイル】だ。まずはここを目指すべきだろう」

「はい」

「どの都市もハイム川の支流で繋がっているから交流が盛んだ。その支流沿いに西に行くと、沼地があり【魔鋼都市ホルカーバム】に着く。そこからハイム川を南西にゆくと【迷宮都市ペルネーテ】があるのだ」


 師匠は指を動かし差し示す。

 【魔鋼都市ホルカーバム】に【迷宮都市ペルネーテ】……。


「分かりました。しかし、エルフの領域は、通してもらえるんでしょうか……」

「たぶん大丈夫だろう。交渉はラグレンに任せる。わしも昔はエルフと交流があったが、これは今でも交流のあるラグレンのが良いだろう。ラグレンに領域近くまで案内させる」


 すると、背後から――。


「シュウヤ、準備はできたようだな?」


 ラグレンの声が聞こえてきたので、振り向いた。

 ポポブムに乗ったラグレン。


 その傍にはレファを連れたラビさんもいる。


「シュウヤ兄ちゃん……」


 レファは母親であるラビさんの足に隠れ、元気なく呟いている。


「シュウヤさん、代えの新しい皮服や一緒に作った保存食は瓶に積めて仕舞ってありますからね。後、堅いパンや他の携帯食に塩などの調味料は違う袋だから、もしもの時はそれでしのぐのよ?」


 ありがたい、貴重な塩までくれるとは。

 ラビさんは心配そうな表情を浮かべている。

 それから、隠れるように此方を見ているレファの背中を片手で優しく撫でてあげた。


「はい。ラビさん、服に保存食をありがとう、お元気で。レファも元気でな? またいつか会える日を楽しみにしてるよ。師匠も、今までお世話になりました」


 アキレス師匠は厳しい目付きのままだ。

 返事をするように俺を見据えてから喋り出す。


「……うむ。最後に一つ忠告しておく。魔技を修めたからといって〝絶対強者〟ではないということだ。常に世の中、解らんことが起こる、気を付けるのだぞっ。そして、ロロディーヌ様とシュウヤの旅の無事を祈る、ラ・ケラーダッ!」


 師匠は胸元で敬礼のようなポーズ。

 ハンドマークを作った。


「はいっ、師匠も、ラ・ケラーダ!」


 俺も敬礼するように手印を作り、丁寧にお辞儀をして、地図を袋に戻しポポブムへ乗り込んだ。

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