第4話 大門高校の秘密 前編
[五月八日――二回目]
古今東西、物語の王道といえば『宝探し』と『敵討ち』と相場は決まっているそうだが、もうひとつ加えるとすれば『謎解き』だろう。
とはいえこの『謎解き』ってやつは曲者で、一読者として無責任に楽しむ分にはいいが、自分自身が世にも厄介な謎を課される当事者となると俄然、話は違ってくる。
武術家と名探偵、二足の草鞋を履くのはちとハードルが高すぎるってもんだ。
敵にせよ謎にせよ、俺の手に負えるレベルの難易度でお願いしたい。
お願いしたいのだが――そうは問屋が卸さねえらしい。
1
後からやってきた師範代に手伝ってもらって、雷花とトランクスを鬼塚家に担ぎ込んだ。
「……ほう、八十年後の未来から来た人造人間とな」
事情を説明すると、鬼塚鉄斎は古流剣術の大師匠とは思えぬセリフをのたまった。さほど動じた様子を見せないのは有り難いんだが、正直受け入れすぎだとは思う。カメコがいたら大騒ぎするところだが、帰らせて正解だった
な。
「で、慶一郎の娘の容態は?」
「よく寝てます」
雷花の外傷はたいしたことはない。だが打ち所が悪かったのか、もともと寝不足だったのか、気持ちよく眠っている。
それより問題は、涼しい顔で美雪姉の握ったオニギリを頬張っている人造人間の方だ。
「この未来人の名は?」
「只今ご紹介に
「違うだろ!」
トランクスも打ち所が悪かったらしい。鬼塚家に運んでから間もなく目を覚ましたが、前回同様に記憶喪失になっていた。
前回と違うのは外見だ。
「お前はトランクスだ。俺と一緒にタイムリープして、雷花に蹴られたのを覚えてたから
「…………」
黒トランクスはキョット~ンって面だ。そうか、そもそも最初のタイムトラベルで記憶喪失になってるんだから、タイムリープしたところで記憶が元に戻るわけじゃないわけで……ええい、こんがらがってきたぞ。
「どうしてトランクスなの?」
美雪姉が素朴な疑問を投げかけてくる。
「それは雷花のやつが……」
言いかけて気付いた。そういやトランクスって名前も雷花が命名したんだが、これで名付け親が俺ってことに……またクソしょうもないタイムパラドックスだよ! いろんな事が全部俺に押しつけられるこの仕組みはどうにかならんのか!?
「俺のことは覚えてるか?」
「私の推測によると……オレさんですね?」
「違うわ!」
「オレ様でよろしかったですか?」
「もっと違う!」
二十一世紀末なりのユーモアがプログラムされてるのか?
「トランクス、お前を作った科学者は人間性にかなり問題があるから、作られたお前もいろいろと大事なところが欠落してるはずだ」
「いきなり生みの親の人格を否定されました」
「『親子の情』については今さら無理だから『男女間の愛』と『友情』のどちらかを取り急ぎ押さえておく必要があるな。そういうわけでまず風呂に入って親睦を深める」
「超理論が展開されました」
「風呂はもう沸かしてある。行くぞ」
有無を言わさずトランクスを風呂へ連れて行く。脱衣所でスーツを脱ぐように言うと、トランクス本人は勝手が分からない様子なので、俺が手首にあるスイッチを操作した。プシュッと空気の抜ける音がして、フニャフニャになったスーツが膝下までずり落ちる。
現れたのは以前と同じスリムすぎる体型。日焼け跡のない褐色の肌――それに。
「な……に……!?」
俺は脱衣所を飛び出して居間に取って返した。
「付いてるじゃねーか!」
「……何がだ?」
「前は付いてなかったモンが!」
「だから何が付いているのかと訊いている」
「何ってそりゃナニ……」
師範代に説明しようとして口ごもる。前に来たトランクスが女だという話
はしたっけか? して……ないよな? だったらセーフだ。
「特に問題はないです。お騒がせしました」
「おい、真紅郎!?」
呼び止める声を無視して脱衣所に戻る。トランクスは俺が出て行った時と同じ状態で待っていた。
「トランクス、この南雲真紅郎はだな、お前が女子だろうと男子だろうとお構いなしに一緒に風呂に入れる男だぞ」
「とんでもない変態に捕まったのです」
「誤解するな。ちょっぴりストライクゾーンが広いだけだ」
実際、一緒に風呂に入るのはもともと人造人間の身体を調べるのが目的だったのだ。忘れてたわけじゃないぞ。
そういうわけで、口では文句をたれつつもされるがままなのをいいことに、トランクスの身体を上から下まで表も裏もじっくり検査させてもらった。
以下に判明した事実について列挙しておく。
身長百五十二㎝。体重四十二㎏。この貧相な体格でよく雷花を一発KOできたもんだ。
身体に継ぎ目や接続端子等の人工的な箇所は見当たらない。
足の裏を見てもメーカーロゴや製造番号等のプリントなし。
ホクロや
虫歯治療跡――なし。
身体はどこもかしこも赤ちゃんみたいな柔肌で、十何年もかけて育ってきたような歴史を感じさせない。未来の3Dプリンターでいきなりこの姿で生み出されたような天衣無縫っぷりだ。
そして問題のあそこ――前回には付いていなかったアレだが、改めて調べてみると奇妙なことが分かった。可愛らしいサオはあるのに、それに付随しているべきタマがない。非常に……何というか、中途半端で曖昧な感じなのである。
「お前……ホントに男か? まさか男と女のハーフ?」
「有性生殖の生物のほとんどがそれに該当するかと」
「ハハハ、そりゃそうだ。こりゃ一本取られたね」
ものすごくマヌケな質問をしてしまった。しかしトランクスが人造人間なら有性生殖で生まれたとは限らないわけだが。
「まあいいか。俺は性別さえ定かでない人造人間だろうとお構いなしに裸の付き合いができる男だからな」
「エクストリームにフレンドリーなのです」
前回同様に背中を流しながらさらにスキンシップをはかると、トランクスは表情こそ変えないものの未知の感覚に途惑う様子を見せた。熱さに弱いのか、湯船に浸かって百を数えるまでもなくのぼせてしまったので早々に上がり、ベビーパウダーで全身パフパフしてやる。長
「仲良くなりすぎじゃないのか? さっき会ったばかりの未来人だぞ」
「言ったはずですよ。こいつが来るのは二回目だって」
「うにゅ……人として大事な何かを失ったような気がするのです」
「真紅郎、お前風呂で何を」
師範代は血相を変えるが、いらぬ心配だ。
「トランクス。それはな、熱さでのぼせてるだけだ」
「安心しました」
居間とは
左隣に並んだ布団には雷花が寝ている。
「雷花と同じ部屋に寝かせて大丈夫か?」
「心配ご無用。俺が見張ってますから。それよりマギムラは?」
「まだ連絡がつかん」
これだからな。
「マギムラの自宅は? 家は近いんですか?」
「家まで押しかける気か」
「本人に会わないことにはどうしようもないじゃないですか」
「村雨は家に帰らず学校のラボに泊まっているはずだが」
「あいつ、学校に寝泊まりしてるんですか? だったら今夜中にトランクスをラボに連れて行こうと思うんですが」
師範代は渋い顔になった。
「それは……あまりいい考えではないな」
「何故です?」
「お前の話が確かなら、明日の朝、大門高校は消失するのだろう? そんなところへ乗り込んでいって
「だから今夜中ですよ。ライカが寝てる今がチャンスだし」
「どうしてそうなる?」
「だってあいつ、VIPなんでしょう? マギムラが言ってました」
「村雨が?」
「違うんですか?」
「いや、そういうわけではないが……」
師範代にしては珍しく歯切れが悪い。よくよく言葉を選んでいるのが分かる。
「雷花を独りにしないことだ。目を離さないようにな」
「マギムラにも似たようなことを言われました」
「む……そうか。ならばその忠告に従うことだ」
「了解です」
まだ構い足りない様子の師範代を閉め出すと、俺は雷花の布団の横に寝そべった。目を離すなとのお達しに従い、至近距離からじっくり雷花を監視する。
雷花はよく眠っていた。吐息がかかるくらいの距離でもまるで起きる様子
がない。
それにしても……あらためて思うが、掛け値無しの美人だ。
可愛らしい、というのとは違う。鍛え上げられ研ぎ澄まされた、強さと自信に裏打ちされた美しさだ。まるで鋼の刃のような――と思いかけて、不意に気付いた。
ピンク頭ほど強烈ではないものの、黒雷花は黒雷花で元のノーマル雷花とは外見が変わっている。軽くウェーブしていた髪はストレートになりキッチリ切り揃えられているし、目元パッチリで明るく華やかだった化粧も高校生らしく控えめだ。日本の高校に馴染むためあえて古風で地味なキャラを装っているんだろう。
「んん……」
雷花が身じろぎした。目を覚ますのかと思いきや、俺の方に寝返りを打つ。いきなり吐息が届くほど顔が近付いたので、俺は息を飲んだ。
「……うん……んふふ」
深呼吸した雷花は子供みたいな満面の笑みを浮かべると、俺に抱きついてきた。
「
甘えた声とともに頬をすり寄せ、首にかじりついて完全に身体を預けてくる。まるっきり小さな子供の甘え方じゃないか。
こいつ、
そういや前回、俺の体臭が親父と同じだって言ってたし。言ったのは美雪姉だったか?
「おい、ライカ……」
身を引こうとするも、下半身の方も足でがっちりホールドされてるから逃れようもない。無意識で幼児化していても身体の方は高校生だ。しかも鍛えられている。
全身で雷花の体温を感じ、甘い匂いに包まれる。
ヤバい。脳が
雷花が俺の首筋に唇を押しつけてきた。熱い吐息と唇の感触が首から耳元へ、
こいつは本当に親父のことが好きすぎるんだな。犬なら尻尾がちぎれそうなくらいブンブン振りまくってるところだ。
熱烈な頬ずりに昇天しそうになっていると、不意に雷花の動きが止まった。
夢うつつの状態だった雷花は頬ずりに違和感を覚えたんだろう。おそらく、あるはずのものがないと気付いたんだ。つまり――俺には
雷花は俺の首に回した腕を解き、頭や肩や腕をベタベタと触ると、いきなり上体を起こしてクワッと眼を見開いた。
「ウェイ……!?」
自分が熱烈に頬ずりしていた相手の正体を確認した雷花の顔が完全にフリーズする。
「どうした? 続けろよ」
「ふわわわわわわちちちちちがちがちがわわわわわ」
雷花がクラッシュした。慌てすぎだろ。
たじろいで離れようとする雷花を、今度は俺が逆に押し倒した。胸の谷間に顔を埋め、急激に増加したアドレナリンの匂いを思い切り吸い込む。
「ちょっ……! シシシ、シンクロー!?」
「そっちばっかりズルいぞ! もっと嗅がせろや! そして思う存分ねぶらせろ!!」
「ニャァァ――――ッ!」
悲鳴とともに雷鳴が
十五分後。
ちょっとした爆弾が炸裂したほどの惨状を呈していた部屋を片付けると、俺は雷花と美雪姉の三人で膝をつき合わせて家族会議を開いた。
「寝惚けてシンクローを爸爸と間違えたことは謝ります。ですが……シンクローにも問題があると思います」
家主である鉄斎師匠に挨拶した時には恐縮しまくって平謝りだった雷花だが、襖を閉めて三人になった途端に居直りやがった。この期に及んで姉としての面目を繕うつもりか。
「十二年も放っておかれたらこうもなるわい」
「ど……どういう理屈ですか!?」
「だから俺にはライカの匂いを嗅ぐ権利があると言っとるんじゃい。とりあえず頭のてっぺんの匂いを嗅がせろ。話はそれからだ」
雷花に膝でにじり寄ると顔面を掴まれて抵抗された。
「姉さんもシンクローを止めてください!」
「ダメよぉ~レイちゃん。クロちゃんの気持ちも汲んであげないと」
美雪姉は急須から湯飲みにお茶を注ぎながら呑気な調子で諭す。
「クロちゃんは甘えたい盛りの頃にお母さんと別れてこっちに来たのよ? レイちゃんでお母さんの匂いを思い出したいのよね?」
「そういうことだ! 分かったらな? 分かったら大人しく嗅がせろ! 十二年のブランクを濃密なスキンシップで埋めさせろ!」
「寄るなぁぁぁっ!」
伸ばした右手の手首を取られ、長い両足で右脇と左肩を挟まれた――三角締め!?
「ぬぐぐぐぐぐ……」
「どう? 投降しなさい」
烈家聖獣拳にも三角締めがあるのか、それとも親父の仕込みか。
「むう~~」
「タップしなさい。でないとこのまま落とします」
黒のストッキングに包まれた太股に力が込められる。
もう少し――と思っていると、背後で襖が開く音が。
「雷花、その締め技は通じていないぞ」
「ファッ!?」
三角締めが全然極まっていないことに気付いた雷花が技を解いて離れた。
俺も飛天流柔術の大師匠である姫川雷蔵から手解きを受けて絡み技(関節技や絞め技)の対策はみっちりやっている。自分からもらいにいった絞め技で落とされるほど抜けてはいない。
俺は口を挟んできた師範代に抗議した。
「師範代! 大事なスキンシップの最中ですよ。邪魔しないでもらえますか!?」
「股に挟まれて喜んでただけだろ」
「これは家族の問題です。部外者は口出し無用に願います」
「師匠といえば親も同然だぞ?」
それを聞いた雷花が
「ではシンクローの教育における責任の一端は草彅老師にもあるわけですね?」
「む」
「それはそうなんだけど~」
雷花と師範代の間に火花が散りそうになるところへ美雪姉が割って入った。
「クロちゃんを厳しく躾けるのが涼子さんの役で、甘やかすのが私の役なのよ~。た~っぷり甘えさせてあげたから、今度は私の方が甘える権利があるのよね~」
美雪姉が俺の背中にギューッと抱きついて頬をすり寄せてくる。
「みゆ姉の言う通りだぞ。だからまず俺を甘えさせろ! 俺を抱き締めろ!」
「いや、それは……」
たじろぐ雷花。嘆息する師範代。
「確かに美雪の教育方針については私も異論はある。そして真紅郎……お前はもっとこう……少しは恥ずかしがれ」
「何をですか?」
「……分からないならいい」
たまに師範代は要領を得ないことを言う。
「十二年振りに再会した生き別れの姉弟がたちどころに家族の絆を取り戻す
にはどうすればいい? 答えろトランクス!」
「一緒にお風呂に入る」
「だな! というわけで風呂に入るぞ、ライカ」
「は……入るわけがないでしょ!? 小さな子供の頃ならいざ知らず! ところで、そもそもこいつは何なの?」
雷花はさっきから家族会議を横で静聴していたトランクスを指さした。
「トランクスがどうかしたのか」
「だからどこの誰よ!? どうしてここにいるの!?」
「何を言ってるんだ。こいつが未来からタイムスリップしてきたところにお前が襲いかかって返り討ちに遭ったんだろ?」
「なっ……こいつがあの黒いスーツの怪人……の中身!?」
「二〇九六年頃から送り込まれてきた人造人間らしいが、そんなことは今は問題じゃあない」
「み……未来から来た人造人間って、大問題でしょ!?」
「お前があくまでスキンシップを拒むというなら、俺はこいつとソイネイングするしかないが」
無抵抗のトランクスを抱き寄せると、雷花は慌てて腰を浮かせた。
「シンクロー、そいつから離れなさい! 危険よ!」
「何を根拠に言っとるんだ? それにこいつはいろいろあって今は記憶喪失だからな」
「人畜無害なのです」
「とても信用できません。記憶が戻った途端に襲われるかもしれないのに」
「不審者ってだけで正体も確かめずに襲いかかったやつに言われてもな……トランクス、こいつはタイムトラベラーを見境なく殺害しようとする女だから気を付けろよ」
「とんでもないサイコパスが野放しなのです。安全保障を要請します」
トランクスがぴったり身体をすり寄せてくる。この二人は前回同様に相性が悪いらしく、雷花は嫌悪感も露わに眉間に
「もう一度言います。シンクロー、そいつから離れなさい」
「じゃあ一緒に風呂に入るか?」
「それとこれとは」
「同じだ、同じ!」
「いやいや、その二択はおかしい」
「師範代は黙っててください。実の姉弟なら風呂に入るくらい何でもないはずでしょう? 違いますか!? みゆ姉と一緒に入った回数なんて旦那よりも多いんですよ?」
「それは小学生までの話だろう!?」
「……え?」
「ん?」
勘のいい師範代がとたんに疑わしい目つきになる。
「真紅郎、突っ込んだ質問をしていいか?」
「家族の間のことに口出しは無用に願います」
中学卒業まで一緒に入っていたことは言わない方がよさそうだ。
「ここのしきたりがそうだとしても、いきなりすぎて心の準備が……シンクローはもっとずっと小さくて可愛らしい頃しか知らないので……」
雷花が耳まで赤くしてモゴモゴと言い訳する。今のやりとりのどの部分で日本式のスキンシップが避けて通れない通過儀礼だと理解したのか分からんが、前向きに検討しようという態度に変わったのはいい傾向だ。
美雪姉がポンと手を叩いた。
「仕方ないわね~。ここは間を取って、私がレイちゃんとお風呂に入りましょう」
「みゆ姉が!?」
「私は一番お姉さんなのでその権利がありま~す」
「なるほど……
「そこ、納得するところなのか!?」
師範代が激しく突っ込んだが、雷花があっさり承諾するに至って得意の
「なぬ!?」が出た。
「お師匠さま! あの姉弟はいろいろとおかしすぎやしませんか!?」
居間に戻って鉄斎師匠に告げ口する声が聞こえてくる。師匠はあれで孫娘に甘いし、実質的に鬼塚家のオピニオン・リーダーは美雪姉なので師範代の不満が聞き届けられることはないだろう。
風呂から戻ってきた雷花は、美雪姉とたっぷりスキンシップしたせいかすっかりしおらしくなっていた。髪をアップにして紫の浴衣姿で現れた雷花を見て、反射的に「結婚して」と口走りそうになったが辛うじて踏み留まった。
慣れない和服を着せられて不安げな雷花は、俺の視線を誤解したらしい。
「……何よ、その顔は?」
「あいつを帰すのが早かったなと思って」
「?」
カメコがいたら写真集が一冊できるくらい撮影させるのに、惜しいことをした。
「慶一郎さんに写メ送ってあ~げよっと」
美雪姉が携帯のカメラで雷花を撮り始めたので、内心万歳三唱しながら俺も便乗する。
「ところでライカ、今日はこれからどうするんだ? いったん帰るのか?」
「私のことより、その未来人をどうするつもりですか?」
「当然うちで預かるし、今夜は俺がソイネイングするが」
「それは危険だと言いました」
「こいつから目を離す方が危険だろ。これは決定事項だ」
「それなら私も同じ部屋で寝ます。未来人と二人きりにはできませんから」
「
この言い回しは通じなかったらしく、雷花は一瞬引っかかるような表情を見せたが
「とにかく、これは決定事項です」
雷花はそう言って譲らず、結局八畳間に三人で寝ることになった。
俺の左側にトランクスの、右側に雷花の布団が並べられる。前回はトランクスと同衾していたので布団は二組だったが、今夜は三組ある。違うといえば違うが、同じといえば同じか。
布団に入って灯りを消すと、ほどなくしてトランクスは安らかな寝息をたてはじめた。この人造人間は右も左も分からんというのにリラックスしすぎだろ。
対する雷花の方はといえば、こちらも静かだが眠っていない。俺やトランクスが身じろぎするだけでビクッと反応する。ピリピリしすぎだろ。
「むにゅ……」
トランクスが俺の方に寝返りを打って、胎児のように身体を丸めた。
もしかして寒いのか? 脂肪が薄くて基礎体温も低そうだしな。
俺はトランクスの方に身体を寄せて、掛け布団を二重にしてやった。異変と勘違いしたらしい雷花がムクリと起きるが、構わずサイドソイネイング(横臥)の体勢に入る。
三十分ほど経ち、トランクスが熟睡しているのを確認して仰向けになる。雷花は相変わらず緊張したままだ。どうせならしっかり睡眠をとって明日に備えたいんだが……さて。
俺は少し考えて――いや、とくに考えることなく――右手を伸ばした。
掛け布団の下を忍ばせ、雷花の左手に触れる。
「――――!?」
驚いて息を飲む気配。逃げようとする手首を掴んで押さえ、そのまましばらく待つ。
やがて、腕の強張りが緩んだのを見計らって手を握る。
ここからどうするかというと――別に何もしない。これで完了だ。
最初は途惑った様子の雷花だったが、俺がただ単に手を繋ぎたいだけだと理解したのか、フウ~ッと歎息した。
俺の手が振り解かれる。拒否られたと思いきや、すぐに雷花の方から握り
返してきた。
どうやら自分の手が下になるのが嫌だったらしい。俺の
いかん、俺の方が緊張して胸がバクバクしてきたぞ。雷花を落ち着かせるためにやったはいいが、これじゃ眠れないじゃねーか――
2
いつの間にか眠っていたらしく、気付くと朝になっていた。つまり二回目の五月九日だ。
右手の温もりが消えている。起きてみると隣に雷花の姿はなく、雷花が使っていた布団も綺麗に畳まれていた。
トランクスは? 掛け布団をめくると……いた。丸まって俺にくっついている。猫かよ。
銀髪頭を手でグリグリしてやったがまだ眠いらしくムニャムニャいってる。寝惚けたトランクスを担いで部屋を出て、洗面所に向かう。その途中、白い制服の上に
トランクスと一緒に顔を洗って居間に戻ると、朝食の用意ができていた。焼いたアジの開き干しにだし巻き玉子、ほうれんそうのおひたし、野菜たっぷりの豚汁にサラダという普通のメニューだ。
「中華じゃないのか!?」
「何の用意もなしに?」
雷花がプイとそっぽを向く。美雪姉がフォローを入れた。
「レイちゃんが作ったのはドレッシングだけよ~」
「ほほう」
ボウルに山盛りになっているサラダを箸で大胆につまんで口に運ぶ。ピリ
辛の味噌と胡麻油の風味が絶妙にマッチしたドレッシングは初めて食べる味だった。レモンの酸味で後味も爽やか。
「美味いじゃん。これだけでメシがモリモリ食えそうだな。
「爸爸のレシピよ。美雪姉さんのリクエストで」
何だ、俺のために作ったんじゃねーのかよ。
「トラちゃんはこっちね」
美雪姉がトランクスのためにアジの混ぜご飯を用意していた。箸の持ち方も
師範代は昨夜のうちに帰ったので今朝は鉄斎師匠を交えて五人での食卓になった。完璧な作法でアジも綺麗に食べ終えた雷花が訊いてくる。
「真紅郎、今日は学校を休むと聞きましたが」
「ん? ああ、トランクスを連れて学校へ行くわけにはいかないからな。自宅待機だ」
「では、私はいったんマンションに戻ります」
「何しに?」
「着替えを取りに。それと今日の昼食は私が作りますから買い物もしてきます」
「未来人にも食えるメニューで頼むぜ」
俺たちの会話の内容を理解しているのかどうか、トランクスは混ぜご飯に夢中だ。
午前八時過ぎに雷花は出て行った。
これは想定外の事態だ。願ったり叶ったりというべきか。正直なところ、俺はどうやって雷花の目を盗んで大門高校に向かったものかと思案していたのだ。もちろん。午前九時に大門高校に起きる異変の正体を確認するためである。
昼食の買い物をするとなれば雷花は九時までには戻るまい。
八時半――俺は前回同様、美雪姉に借りた女子の制服をトランクスに着せて外に連れ出した。
大門高校までまっすぐ向かえば十五分の道のりだ。九時前には余裕で着く。
そのはずだった。
大宮バイパスを渡ったあたりから、やたらと濃い霧が立ちこめていた。大門高校に近付くにつれて霧はどんどん濃くなり、やがて十メートル先も見通せなくなった。
「この霧は……例の地震が起きる前からこうだったのか?」
トランクスに訊いたところで分かるはずもない。
俺は身体から〈
はぐれないようにトランクスと手を繋いで霧の中を進む。慣れた通学路のはずだが、距離感や方向感覚に自信が持てなくなる。ここまで視界不良だと闇夜を歩いているのと変わらんぞ。
不意に、平衡感覚がおかしくなった。
真下から突き上げてくる衝撃――地震か!?
「早すぎないか!?」
慌てて携帯の時計を確認する――九時ちょうど、だと!? いつの間に?
「急ぐぞ!」
トランクスの手を引いて白い闇の中を駆け足で進む。濃霧はねっとりと絡みつくような粘度を帯びているように思えた。これは錯覚か、それとも――
何度か道を間違えたため、大門高校にたどり着いたのはさらに十分後だった。
「ここが大門高校ですか? 斬新なデザインなのです」
「……だろうな」
トランクスのとぼけた感想に俺は気のない
大門高校は前回同様、敷地を囲む塀を残して消失していた。敷地内の校舎をはじめとする建物が根こそぎ持って行かれ、すり鉢状の巨大な穴が空いている。
「――
正門前で声を張り上げると、地面が盛り上がり、忍者よろしく隠れていた毒島號天が姿を現した。
「地震を感じたよな? その後大門高校に何が起きたか……一部始終を見ていたか?」
「残念ながら」
號天は首を横に振った。やはり前と同じか。霧のせいで出遅れたぜ。
俺が舌打ちすると、號天はやけに神妙な顔つきで続けた。
「真紅郎……お前に伝言を預かっている」
「伝言?」
「校長からだ」
「校長……イケメンの?」
「現校長からのな」
「どうしてそこを言い直す?」
俺の素朴な疑問を號天は無視した。もっと不可解なことがあったからだ。
「紫門校長がどういう意図で俺に伝言を託したのかは分からんし、伝言の内容自体も俺には分からん。だから一字一句変えることなく正確に伝えるぞ……『鍵はすでに君の手の中にある』」
「何だって?」
「だから『鍵はすでに君の手の中にある』だ。確かに伝えたぞ」
「鍵は俺の手の中に……?」
俺がいま左手に掴んでいるのはトランクスの右手だ。
「つまり……トランクス、お前が鍵ってことか?」
「知らぬ存ぜぬなのです」
「だよなあ」
號天がトランクスの姿をしげしげと眺める。
「おい真紅郎、こいつは何者だ? 日本人じゃなさそうだが」
「詳しい説明は省くが、未来から来た人造人間だ」
「なにィ!?」
身体こそ動いていないが、號天は心情的に三歩くらい後ろに引いた顔になった。
「貴様……途方もないことをサラッと言うな!」
「気持ちは分かるが落ち着け。異常事態が交通渋滞を起こしてるのは俺だって理解してるが、いまは校長の伝言の謎解きが先だ。あのイケメン校長はこういう事態になることが分かっていたのか?」
「そう考えて間違いはあるまい」
「だったらその伝言は凝った謎かけなんかじゃなくて、額面通りに受け取るべきか。すでに〈鍵〉を持っているってことは……」
俺は制服のズボンの前後ポケットを探り、次に上着の胸ポケットを、次に内ポケットを探った。
「……あれ?」
「どうした?」
上着の内ポケットに入っていたのは、見覚えのある白い洋封筒だった。
封は切られている。切ったのは俺だが……はて、この封筒はいつ手に入れた物だったか?
封筒を開けて中身を取り出す。それは――
『
苦笑いを浮かべる俺に、號天が首を傾げる。
「何だそれは?」
「まさかとは思うが……これが〈鍵〉か?」
試してみるしかないか。俺は十一枚
その瞬間――チケット自体が光の粒子と化した。
手の中で光の塊が膨れあがり、数秒後、光の
「……はひゃ?」
俺の両腕に抱えられたそいつが、バカみたいにポッカ~ンと口を開けて俺
を見上げる。
「なっ……はっ!?……ほへっ?……あひゃ、ふぁはははははぁ~っ!?」
「おい、暴れると――」
カメコこと框芽衣子は地面に落ちて
「ふぇぇぇん、いったぁ~い!」
痛がるカメコを俺は冷静に観察する。いつもの大門高校の女子中間服だ。右手にペンを持ったまま……ということは?
「いったいナニゴトッスか!? いきなり人をその……」
カメコは周囲を見回し、自分が正門の外にいることに気付くと、アホ面で俺に視線を戻した。
「どどどど……どうしたンスか? あれ? 自分、確か教室にいたはずじゃ……」
「俺がお前を呼び出した。これを使ってな」
いまや十枚になった回数券を見せると、カメコは目を白黒させた。
「なっ……何スかこれーッ!? ファッ、ファッ、ファッ……」
「お前が俺の下駄箱に入れたんだが、覚えてないか?」
「いや~知らないッスよ……でもこのサインは自分で書いたみたいな字ですけど……」
やはりそうか。これはタイムリープ以前の五月八日の朝に手に入れたチケットだ。つまり本人がサインしたとしてもそれは前の周回での話であって、当然ながらこのカメコが覚えているはずがないのだ。
そして問題は、前の周回で手に入れたチケットがどうしてここにあるのかということだが――これが校長の言うところの〈鍵〉であるのは間違いないだろう。
「ところでカメコ、このチケットはお前を召喚するためだけに使ってもFUCKはしなきゃならんのか?」
「ファッ……そっ、そんなの知るワケないッスよォ~!」
「権利はあっても義務はないよなあ」
「いや……でもまあ、その、必ずしも、ダメってワケでも……ゲヘヘ」
まんざらでもないらしい。しかし照れ笑いが『ゲヘヘ』の女じゃ萌えようにもなー。
「あと十枚あるからそれはまた別の機会にな。それよりもだ……お前、召喚される前までどこにいた?」
「どこって……1Aの教室ッスよ? 国語の授業中でした」
「教室って、学校がこのザマなのにか?」
いまや巨大な穴と化している大門高校を指さす。しかしカメコはリスのように首を傾げた。
「学校がどうかしたッスか?」
「どうかしたって、お前……見たままじゃ――」
「真紅郎」
それまで静観していた號天が口を挟んだ。
「どうやら……その女の目には、俺たちと同じものが見えていないようだぞ」
「なに?」
その言葉で思い出した。謎の地震を認識できたのは俺と雷花と號天という〈神威の拳〉の使い手と、人造人間であるトランクスだけだった。
「カメコ、奇妙な質問をするぞ……大門高校はいまも健在なのか?」
「は? 何言ってるッスか? 見たまんまッスよ……ほら」
カメコは唇を尖らせて、さも当然のように校舎のあるべき位置を指さす。
俺と號天は顔を見合わせた。俺たちにはその校舎は見えていないのだ。
「どっちが正しいのか……白黒つけるしかなさそうだな」
號天も異論はないと頷いた。
「よーしカメコ、それじゃあひとつ……校舎まで案内してくれるか?」
「ほへ? そりゃ構わないッスけど」
「俺たちはお前の後についていくからな。頼むぜ」
「はあ……」
頭を掻き掻き歩き出したカメコは、正門横の通用門を開けて敷地内に足を踏み入れた。俺はトランクスの手を引いてその後に続く。
通用門を通り抜けるまさにほんの一瞬、目の前の景色が魚眼レンズを介して見た映像のように極端に
そして現れたのは――無傷の大門高校の校舎だった。
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