第143話 prologue-02

 セレーネ公爵領。その領都たるルナの中心地。そこにあるのはセレーネ公爵家の邸宅だ。

 豪華絢爛にして、精緻な装飾を施された屋敷は、精錬された設計と配置によって、まるで芸術品であるかのような美しさを持っていた。

 過剰な装飾は、嫌味な成金趣味になりがちなのだが、様々な技巧を凝らして造り上げられた屋敷にそのような無粋さは微塵も存在しない。

 ある意味では、そのことこそが、楽園エデンの支配者たる三公の筆頭と、汎用な貴族との格の違いを示しているとも言えた。

 しかし、そんな広大かつ豪勢な屋敷に住んでいるのは、使用人たちを除けば、たった一人の男だけだった。

 その男こそが、現セレーネ公爵家当主、ルイ・オーギュスト・ル・ヘリオス・ド・デューク・フォン・セレーネである。

 謁見の間に座す、楽園エデンの支配者とも言える彼の前にいるのは、これもまた、一人の男だった。

 四十路も近いだろうと思える外見に反し、騎士服に身を包んだその肉体は、服の上からでも分かるほどに、無駄なく鍛え上げられ、その紺碧の瞳に宿るのは、触れれば切れそうなほどに鋭い輝きだった。

 彼の名は、ジェラルド・カルティエ。数少ない『双剣』の使い手であり、シェリンドン・ローゼンクロイツと肩を並べる、楽園エデンが誇る最強の騎士の一人である。


「して、ジェラルドよ。我は命じたはずだがな。手を出すな、と」

「はてさて、私は、カルティエが手を出すな、としか命じられておりませんが。確かに、弟子の暴走を止められなかったのは、私の不徳のいたすところではありますがね」


 支配者の覇気をもって、圧しながら問うたセレーネ公に対し、ジェラルドは飄々とした調子で答えた。

 所詮は、爵位の末端に引っかかっているだけのような士爵でしかないジェラルドが、公爵であるセレーネ公にとる態度としては、無礼極まりないものであったが、セレーネ公は、喉を鳴らして忍笑いを漏らしただけだった。


「くっくっくっ……レーヴェルを表立てたのはそういう理由であったか」

「いえいえ、奴が血気に、いや、騎士道にはやっただけことです」

「そう仕向けたのであろう?」

「いやはや、公爵閣下は勘違いしておりますな。奴は、レーヴェルの名を背負うにふさわしき高潔を持つ騎士。その騎士道に一片の曇りもありません」

「なるほどな。知ってのことであったか」

「いえいえ、そのようなことは」


 平伏したまま、そう答えたジェラルドに、セレーネ公は、その紫水晶アメシストの瞳に多少の呆れを宿しつつ、溜息交じりに言う。


「……貴公は変わらぬな」

「閣下こそ、お元気そうで」

「貴公ほどではなかろう。まあ良い。どちらにせよ、我の呼び出しに応じたのだ。まさか、何の用もないなどということはあるまい?」

「閣下こそ、私をあの程度の干渉で呼び出すとは、なにか目的があってのことと思いますが」


 ジェラルドの紺碧の瞳と、セレーネ公の紫水晶アメシストの瞳がぶつかり、火花を散らす。互いに譲らぬ構えで睨み合っていたが、先に折れたのは驚くべきことに、セレーネ公だった。


「よもや、このような茶番を演じさせられるとはな」

「存外、付き合いの良い方だと存じておりますが?」

「くっくっくっ……我にそのような言い草ができるのは貴公くらいなものよ。して、『双剣使い』よ。アレは、貴公の知る者か?」

「アレ、と言いますと?」


 ジェラルドは惚けて見せたが、彼もセレーネ公の言うアレがなんなのか理解していた。

 楽園エデンに存在する、ジェラルド・カルティエを除いて、唯一の『双剣』の使い手、すなわち、〈ガウェイン〉を駆る騎士のことである。


「〈ガウェイン〉の騎士。我の聞く限りでは、反乱の際のコロッセウムや、先日の貴公の領でも剣を振るっておったようではないか」


 さすがはセレーネ公というべきか、双剣使いの情報を既にそこまで得ているとは。

 しかし、ジェラルドにとってもそれは好都合であった。


「閣下はそれを知ってどうするおつもりで?」

「無論、使えるものは使うだけのことよ」

「……では、利害は一致しているようですね」

「ほう? それこそが貴公がここへ来た目的である、と?」

「ええ、馬鹿弟子に灸を据えるのも、師の役目だと思いまして」

「ほう? それは肯定と取るが、構わぬか?」

「もちろん。ただ、この私、ジェラルド・カルティエが、対革命団ネフ・ヴィジオン戦線に参加する許可を頂きたく」


 ジェラルドがかしこまって言うと、セレーネ公は、小さく笑い、


「よかろう。貴公には、我の権限において、革命団ネフ・ヴィジオンに対する場合に限定して、自由な裁量で動く権利を与える」

「ありがとうございます、閣下」

「して、かの騎士は何者であるか?」


 ジェラルドはしばしの沈黙の後、慎重に言葉を選びながら、その名を告げた。


「ジン・ルクスハイト。私の弟子の一人にして、唯一、我が双剣の技を伝えた者です」

「くっくっくっ……ははははは!」


 その名を聞いたセレーネ公は、耐え切れないという風に笑い出す。

 ジェラルドは、そんなセレーネ公に、やれやれとでも言いたげな視線を向け、肩をすくめた。この間も臣下の礼は解いていない。実に器用なものである。


「ルクスハイト……13年の時を経て、再び我の前に姿を表すか。なんとも因果なものよな」

「…………」


 ジェラルドは答えない。しかし、彼も、ルクスハイトの名に込められた意味は知っていた。その上で、彼はジンに自らの剣を教えたのである。


「まったく、彼奴も物好きよな。いや、センチメンタリズム、と言ったところであるか」


 独り言のようにつぶやく間も、セレーネ公の頭の中では、次々とバラバラだったピースが組み上げられていた。

 わずかな情報の関連性から、答えを見出し、それを利用する。それこそが、セレーネ公の持つ、支配者としての才である。


「これで、革命団ネフ・ヴィジオンに新たな価値が生まれたというものよ。ジェラルド。貴公にも働いてもらうが、構わぬな?」

「ええ、余計な口出しをされたとはいえ、救援していただいたのは事実。借りは返しましょう」

「くっくっくっ……律儀な男よ。下がってよい。命令は追って下す。よいな?」

「はっ」


 そう言って騎士の礼を取り、立ち上がったジェラルドは、セレーネ公が目の前にいるにもかかわらず、腕を軽く回して、伸びをした。疲れたように口にした言葉には、先ほどまでの堅苦しさは一欠片も残されていなかった。


「まったく、謁見ってのは肩が凝っていかんな」

「形式というのも、こういう場では必要なものであるがな」

「俺はそういうのが苦手でね」

「まあよい、いつまでも貴公に付き合うわけにもいかぬ。控えよ」

「ご随意に、っと一ついいですかね、閣下」

「手短にするなら構わぬ」

「閣下に娘なんていましたかね? そう、例えば、白銀しろがねの彼女との間に」

「さてな。貴公の想像に任せるとしよう」

「……なるほど、では後日」


 そう言って、ジェラルドは、謁見の間を後にした。最後に見せたジェラルドの態度は、不敬に問われても仕方がないようなものであったが、セレーネ公は気にも留めなかった。

 そんなことが瑣末事になるほどに、ジェラルド・カルティエという男には価値がある。そうセレーネ公が認めているからだ。

 そうでなければ、わざわざ自らの領地の一部を割譲したりなどはしない。


「ルクスハイトの血を継ぐものに、アレか……くっくっくっ……革命団ネフ・ヴィジオン。予想以上に我を楽しませてくれるものよな」


 静かに笑いをこぼすセレーネ公の紫水晶アメシストの瞳は、底知れぬ闇を宿していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る