第53話・センセーの教え
かぶと窯では、リベンジの窯焚きが行われた。一回目とちがって参加者もそう多くは集まらず、少人数が交代で窯番をし、各々が与えられた時間帯に責任を持つ形になった。
オレはその夜、ひとりきりで火をつくっていた。凍りつきそうな夜気が首筋や袖口から這いこみ、じっとしていられない。マキを割ってはからだを内から温め、焚き口の炎にあたってはからだを外から温めた。窯を覆う屋根のせいで夜空は見えないが、きっとエントツの上には満天の星がまたたいている。そんな夜だった。
深夜のひとりぼっちの窯焚きは、おそろしく静かな時間だ。そのうちにいつしか、この場所にはじめて足を踏み入れた日のことを思い出していた。
春風の中、運命に導かれるようにここに来たんだっけ。竹がびっしりと根を張る土壌を切りひらき、一日中穴を掘ったっけ。
ーなつかしいな・・・ー
すると、本当に走馬灯のようにこの一年間に起きた出来事がフラッシュバックしてくる。灼熱の盛夏には、ヤブ蚊に包囲されながら、ひたすらレンガを磨いた。つなぎのドベでどろんこになりながら、窯の壁を築いていった。いつも重いものをかついで、むやみに山をのぼったりくだったりしていた。お茶室で雑魚寝した。コタツ布団にくるまって寝た。酔っぱらって寝た。泥を練りながらうとうとと寝た。窯場で疲れ果てて寝た。窯のかたわらで飲むビールはうまかった。火炎さんの打ってくれるそばもうまかった。ラーメンもうまかった。電気窯で焼くピザもうまかった。なんでもかんでもうまかった。すき焼きの夜に「卵がない!」といって火炎さんと車で走りだしたはいいが、山中の一軒家から買い物先のスーパーまで片道1時間半もかかることにドギモを抜かれたこと。酔っぱらって山を下りると、駅では終電が出た直後で、代々木くんと二人で呆然と立ちつくしたこと。その後、火炎さんとはるみ夫人が駅まで迎えにきてくれて、ミニカーのようなツーシーター(二人乗り)車をオープンカーにして四人がぎゅうぎゅう詰めに乗りこみ、ボンネット上で風にさらされて帰ったこと。土をさがしに山深くに踏み入りすぎ、トゲトゲの植物に全身からみ取られて身動きできなくなったこと。あんなこと、こんなこと・・・そんなバカバカしいことをいろいろと思い出した。
ひとは火を前にするといろんなことを考える。それは、言葉や文字やこざかしい社会性を覚える前から、人類が営々とつづけてきた作業だ。そうして窯の火はひとのいろんな想いを飲みこみ、器に焼きつけてくれるのだった。
竹林は暗闇に閉ざされ、あたりは沈黙に支配された。精霊も深い眠りに落ちる時刻。窯の中で熾きがはじけるパチパチという音だけが聞こえる。
マキが心細くなってきたので、オレは明け方前の仕事に取りかかった。小屋にストックされた丸太を小割りにし、朝からの攻め焚きに備えるのだ。小屋に残っていた最強の大物を引っぱり出した。まずは自分の背丈ほどもあるそいつを輪切りにしたい。だが、この夜ふけにチェーンソーを使うのはさすがに気が引ける。母屋ではみんなが寝静まっているのだ。仕方なく、ノコギリで切りはじめた。
じこじこじこじこ・・・
丸太は胴まわりがひとかかえほどもある上に、みっしりと蜜を吸って重く、ノコ刃はなかなか噛み進んでくれない。それでも地道に挽きつづけた。
じこじこじこじこ・・・
30分ほどもそんなことをしていたろうか。やっと刃が半分近くまで食いこんだとき、ふと顔を上げると、目の前に神様が立っていた。神様は、よれよれのトレパンにスカスカのセーターという出で立ちで、白い息を吐いていた。
「太陽センセー・・・」
「やっとるの」
センセーは窯の炉内温度を確認し、手持ち無沙汰に熾きをかき混ぜる。
「すいません、起こしちゃいましたか?」
「ええんじゃ。ちょっくら代わってみい」
超ビッグサイズの丸太を見て、血が騒いだようだ。センセーは弟子の手からノコギリを奪い取る。ところがそれを一瞥すると、ポイと投げ捨てた。
「こんなもんじゃ焦れったいわ。オノでたたっ切ったらー」
そう言うが早いか、両手のひらにペッペッとツバし、巨大オノをむんずとつかんだ。そのまま振りかぶって叩き落とす。丸太の切り口を見て、一撃でまっぷたつにできると考えたのだろう。
ところがその一撃は、「ゴツンッ」と鈍い音を残して、小さな木っ端を散らせただけだった。刃は幹の表皮に食いこむが、まっぷたつとはいかない。オノはマキをたてに割るには便利だが、輪切りに切断しようとするとホネなのだ。しかしセンセーはかまわず、第二打、三打を叩きこんだ。
「こんなろー・・・」
頭上で気をため、渾身の力で振り下ろす。が、丸太も弾んだりしなったりして、その強烈な打撃にあらがった。それでも打ちこみつづける。
がんっ、ごんっ、ばかんっ・・・
激しい音が山向こうにまでこだまする。チェーンソーを使えばもう少し静かに事が運ぶのだが、今さらそんなことは言いだせない。
齢七十七。センセーは曲がった腰をめいっぱいに伸ばしてオノをかかげ、コロコロ小柄なからだの満身で丸太と闘った。つるつるの額に汗がにじむ。側頭部にわずかに残るほわほわの毛が逆立つ。
太陽センセーは、いつも全身全霊を自分の信ずる道に注ぎこむ。不借身命、一意専心。そして周りにも、そうあることを求める。だからセンセーが全力で教えてくださることは、こっちも全力で吸収しなければならない。つまり、対決、勝負なのだ。オレは、センセーがオノを振り下ろす姿を見つづけた。
なぜか、ふと思いだした。あるときろくろで、筒形の挽き方を教わったことがあった。これはただの筒ではなく、型で成形するための筒挽きだ。つまり、あらかじめ石膏でつくっておいた四角柱の型に、ろくろ挽きした筒をすっぽりとかぶせ、外から叩き締めて四角形ののぞき向こう付けにする、という方法だ。前項で紹介した型成形技法の発展形といえる。
この筒挽きのむずかしい点は、石膏型にぴったり合うサイズの筒をイメージし、その通りに挽かなければならない、という点だ。センセーが実際にろくろでお手本を見せてくださった。唐津仕込みの左回転で、特殊な自作ベラを使って挽く。筒はたちまち立ち上がり、石膏型のサイズぴったりに仕上げられた。センセーは三度だけそれをくり返すと、
「やってみよ」
とこちらにうながす。
「はいっ」
もう以前のような恥はかけない。ろっくん相手にさんざん左回転で練習してきたのだ。三回も見れば、ヘラの扱いも指の操作も制作プロセスも、完全に解析とフィードバックができる。一発で寸分たがわぬもの(自分なりに)を挽いてご覧に入れた。横からセンセーに見つめられながら挽くのはものすごいプレッシャーだったが、だからこそ異常な集中力が発揮できたのだ。
オレは何度も何度もそれを挽き、センセーはそのたびにオレの指先を凝視した。ただ、食い入るようにじっと見つめるばかりで、なにも言ってはくださらない。
いつか火炎さんがこう話してくれたっけ。
「親父が作品をほめてくれるのは、まだまだってときなんだ。仕事をけなされるようになってからが、やっと師弟関係のはじまりだね」
だけど結局、センセーはオレに、ただの一言も声をかけてはくださらなかった。ほめることもなく、ましてやけなすこともない。認められるには、まだまだ腕前も経験も、なにより見識も足りないのだ。認められるどころか、指導していただくことさえおこがましい立場なのだ。一言もなくて当然だろう。
オレが太陽センセーから直接ろくろの指導を受けたのは、このときと、夏の夜に蚊柱の中で片口型ぐい呑みを挽いたあのときの二度きりだ。センセーはオレの挽いたものに関して、ついに何一つ評価を下してはくださらなかったが、オレは、全力の視線を手元に投げてもらっただけで十分にうれしかった。そして思う。センセーはいつも、教えるよりも、示してくださっていたのだ。
オノが丸太を打つこだまはいつまでもつづいた。東の空がしらじらと明けて星を飲みこみはじめても、センセーはまだ丸太を打ちすえていた。意固地で負けず嫌い。それ以上に、彼の美意識が後退を許さないのだ。オレは人生の師の背中を見つづけた。重いオノをヨロヨロと振り上げ、ヨロヨロと叩きつける。見ちゃいられないが、止めることもできない。ただ、見つづけた。
オノを一千回振り下ろして、ついにあの太く重い丸太が、真ん中からまっぷたつに断ち切られた。切られたというよりも、それは砕き割られた。
「どうじゃっ、みたか。かっかっかっ・・・」
汗まみれで破顔一笑する。センセーにとっては、当然のことをあたりまえにやり遂げただけなのだ。
泣きそうになる。センセーがいつも示してくださったのは、この姿勢だった。このひとの造形以上に、このひとの生き様をこそ見習いたい。何者かに打ち勝ったセンセーは誇らしげで、このひとを仰ぐオレもまた、誇らしかった。
・・・明けて翌日、センセーは筋肉痛で、寝床から一歩も起きあがれなかった。窯はセンセーの熱を飲みこみ、上々に焚きあがった。
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