第6話・製品
無間地獄のような土練りの日々がついに終わり、ようやく基本的な造形の訓練がはじまった。最初の課題は、「手びねり・ひも積みで、単純筒形の花びん(口径10cm×高さ30cm)をつくれ」というものだった。手びねりとは、手でこねこねと粘土をのばして器を形づくる作陶方法のことだ。電動ろくろにはまだまださわらせてもらえない。
今回のひも積みというやり方は、土を扁平につぶしてつくったせんべいの上に輪っか状の粘土ひもを積み上げていき、均一な厚みにピンチしながら高くしていく。縄文時代から変わらない原始的な成形方法だ。
「きちんと形の整った製品づくりを心がけるようにね、いかな~」
きちんと、としゅが先生はしつこくしつこく、しつっこく言う。この学校では、訓練生がつくった作品を「製品」とよぶ。キミたちは主体的な意図を反映させた創作物をつくるためにこの学校にはいったわけではない、言われたとおりのものを寸分たがわず「きちんと」つくることが最重要だ、職人のように、いや機械のように正確に手を動かしなさい、というわけだ。
唐突だが、わが職業訓練校の特色として「学費はタダよ制度」がある。自分が持ち帰る作業着や道具類のほかは、授業料、設備使用料、材料費などが、基本的に無料なのだ。学ぶことに関しては、一切お金はいらない。そのかわりに、自分たちがつくった「製品」を学校の外で販売することによって学資を得る。その意味では、訓練生はすでにセミ・プロフェッショナルなのだ。また、市場へ運びだされてばらまかれる製品群は、学校の教育の質のショーウインドウといえる。だからこそ、製品(訓練生の作品)のクオリティに関してはひどくやかましく言われる。整えよ、そろえよ、きれいに、ピッタシに、まっすぐに、まんまるに、恥ずかしくないように、売れるように、きちんと、きちんと、きちんと・・・と。タダほど高いものはない。それによってオレたちは、創作の自由を奪われるのだった。
ついでに言えば、この「授業料無料システム」に加えて、多くの生徒にはさらなる特典もある。学業に専念する12ヶ月間は、まるごと失業保険が下賜されるのだ。訓練校入校のために職を辞した者にかぎり、学費タダ&小遣いつきで陶芸が学べるわけだ(これは残念ながら、雇用保険適用者のみの話で、フリーランスあがりのオレは適用外だった)。なんという大盤振る舞い。泥棒に追い銭・・・じゃなくて、二重三重の優遇措置だ。
それにしても、なぜこんな大名の道楽のようなことを地方自治体(わが校は県立なのだ)がしているのかというと、それは例によって、地場産業の衰退、後継者の不足、求職者の減少、という難題をかかえているからだ。この町は、その名前が「せともの」なんて陶器の通称にあてられるほど焼き物を一大産業として発展させた地域なのだが、今では見る影もなく没落している。これではいかん、ということで、県はこんなささやかな施設で、その道の就業者を細々と育てているわけなのだ。だから入試要項には、こんな涙ぐましい文言がある。
『県内で就職できる者が望ましい』
だがあいにくオレはちがった。めざすのは製陶所への就職ではなく、東京で独立、陶芸教室主宰、そして末は作陶家、である。そのための技術と知識を吸収するために、この学校に教えを請うた。精巧な皿を一枚なんぼで挽く職人の道もシブいが、自分としては今まで創作家として生きてきた以上、やはりクリエイティブな世界で腕を試したいのだった。
クラスメイトたちもおおむね同様で、「自分、生涯を地場産業復興のためにささげるつもりッス」などと疑いもなく言える素直な生徒は、変わり者あつかいされた。だいいち、窯場の給料というのはおそろしく安い。衝撃のプライス!価格破壊!?といっていい。だから先輩たちの卒業後の進路をみても、製陶所に就職はしても、それはさらなる上級技能修得のためだったり、販路やツテづくりが目的だったり、要するに独立にむかう足がかり、というパターンが多い。彼らは薄給&3Kという待遇に身を投じ、くる日もくる日も地道な作業で指先の感覚をみがきながら、野望の種火をちりちりと胸にくすぶらせて、きたるべき日にそなえる。みんな作家になりたいのだ。かくて作家と名乗るのは自由なこの世界に、おびただしい数の「自称・作家」がひしめく結果となるのだった。
ところが、職業訓練校の授業には融通などという概念はない。多彩な表現、多様な就職先、多方向の目標をめざす近年の訓練生たちの求めるところなどかえりみず、授業では容赦なく「製陶所でお役にたてる職人さん」としての画一的な基本技能をたたきこまれる。ここは美大ではないのだ。正確な技術だけが生きぬくすべと教えられる。
手びねり訓練では、定められたサイズの筒形に粘土ひもを積み上げていった。課題の30cmはかなり背が高い。垂直となるとさらに成形がむずかしくなる。しかも8mm厚という薄づくり。慎重に慎重に、少しずつ少しずつ、角尺(直角定規)をあてながら丁寧に丁寧に作業をすすめる。
「先生、できました!」
クラスで最初にオレの手が上がった。とにかく作業が早いのだ。というよりも「いちばん」が大好きというべきか。素人の鉄砲も数撃ちゃ当たりだす。作品の質はともかく、手の早さだけは自慢だった。
声に気づいたしゅが先生が、確認のためにこちらに近づいてくる。クラス中の視線が集まる。オレは得意満面だった。しかしその表情は、先生が手にするシッピキ(切り糸)を見て凍りついた。
「どれどれ。見せてもらうね」
できたての筒形花びんのてっぺんに、ピンと張った糸があてがわれる。直径を測るようなしぐさだ。ところが糸はそのまま体重をのっけられて上から下へと一閃に走り、筒をまっぷたつに割いた。
「わわわ・・・せ、先生・・・」
この形は彼のお気に召さなかったようだ。大傑作を一刀両断。躊躇なし。しかし先生はまゆひとつ動かさない。まるで手なれた公儀介錯人の冷徹さだ。今までにどれほどの花びんを葬り去ってきたのか、この男。
「いかな~」
先生は、制作者本人には目もくれない。そして断ち割った花びんの半身を立たせたまま、もう片側をバナナの皮のようにペロンとむいた。今まで剛直に起立していた筒はハーフサイズにされ、カットされた部分はまるで濡れ布のように長々と作業台に横たわる。アワレ・・・。完成させるまでに二時間をかけた労作なのに・・・。それができあがって「ハイ先生」と言ってから20秒後には、この変わり果てた姿である。
ところが、それはダメ出しの破壊ではなく、訓練生に現実を見つめさせるための司法解剖だった。
「この切り口を見てごらん」
しゅが先生は無慈悲に、冷酷に言いわたす。
「わかるね。厚みが均等じゃないよね。それに垂直から若干ずれてるよね。それにほらここ、ひもの接着も甘いよね。つなぎ目もつぶしきってないよね。それからそれから・・・」
ダメダメの失敗作だよね、いかな~・・・そう聞こえる。ありとあらゆる欠点の列挙をたまわり、頭がまっしろになった。がっくりと力が抜ける。解剖図を突きつけられては、反論のしようもない。思えば、そのとおりなのだ。器の内側は、まさにオレの腹の中身だった。かくし通せるだろう、という見くびり。ごまかせるだろう、というあなどり。目に見えるうわべを整え、器の本当に必要な部分をおろそかにしていたのだ。それを見透かされ、顔から火がでそうだった。作品を破壊されたショックはもうない。それよりも、なまけ癖のついたこの寝ボケまなこをひらかせてくれたことに感謝するべきだろう。
「というわけで、もいっこつくってみてね。いかな~」
先生はさっさと教卓へとかえっていった。コマは振り出しにもどった。クラスで最初にすごろくのアガリをせしめたと思ったのは、幻想だった。一からやり直しだ。いや、一以前の、根本的なところからの出直しだ。
考えてみれば「振り出しにもどる」はあたりまえのことかもしれない。ひとつの製品の完成はゴールなどではなく、1マスなのだ。こうして1マス1マス、オレたちは自分を進めていくしかない。そして卒業時の技術の完成度こそがゴールであり、自分自身こそが作品となるのだ。オレはもう二度と心得ちがいはすまいと、この失敗を心に焼きつけた。
即座に二個めの花びんを積み上げにかかる。スピードには自信がある。だれよりもたくさんつくればいい。と同時に、クオリティを上げていく。だれにも文句を言わせないほどの出来映えに仕上げることこそが重要だ。
三個、五個、十個・・・時間の許すかぎりに手を動かしつづけた。そして完成したらすぐに、厚みの均一さと土ひもの接着部を確認するため、たてにまっぷたつに割く。断裁した製品は、惜しむヒマもなく廃棄する(捨てるわけではない。すべてのできそこない製品はつぶして粘土にもどされ、もう一度製品となって輪廻していく)。制作サイクルはますます早くなっていった。割かれた花びんは、たちまち山のように積み上がった。しかしそんなものには目もくれず、再びまっさらな粘土を図面通りに正確にのばし、完成させては割き、またつくる、割く、つくる、割く、つくる・・・。割くためにつくりつづけ、つくるために割きつづける。製造科訓練生は何日間も、そのくり返しに明け暮れた。
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