ケンコンイッテキ

もりを

1・シロツメクサ

 上空低くに垂れ込めていた雲が南風に流され、輝く空がひらくと、北国金沢の長い冬がようやく終わる。深い雪がじわじわと解け、凍てついた土はやわらかくほどけていく。冬枯れた緑はここぞとばかりに新しい命を芽吹かせる。モノクロだった風景に、あざやかな色彩がもどる。

 芝生も、ふっくらと日光をはらんで呼吸をはじめる。グラウンド上で、いっせいに光合成がはじまった。草のにおいをふくんだ酸素の対流。かぐわしい風は、美術棟の立て付けの悪いガラス窓からも忍びこみ、オレたちの鼻先をくすぐった。抑えこんでいたものがうずきだし、じっとしていられなくなる。

 啓蟄に虫が這い出すのと同様に、コチコチに凍っていたグラウンドが春風にゆるむと、部員たちはコタツの中で凝り固まった背骨を陽の下に伸ばしにやってくる。だらしなく、なんとなく、誰が言いだすでもなく、そこにガン首はそろっていく。お互いに顔をあわせると、すこし照れながら、よお、などと声をかけ合った。グラウンドが雪に閉ざされるあいだ、久しく散らばっていたメンバーだ。抱きしめ合いたくなるような高揚感すらおぼえる。なのに素っ気ない。どうしていいかわからない。なにしろ口べたでめんどくさがり屋で気むつかしい連中の集まりなのだ。伸びをしてみたり、かるい柔軟体操をしてみたり、草をちぎって口にくわえてみたり・・・

 そのうちに必ず、どこからか革張りのボールが転がってくるはずだ。ぼろぼろに使いこまれて、ヤスリにかけられたようなボール。するとたちまち、誰もがそいつに向かって飛び込んでいく。魔法の動きをする楕円球は、ニンゲンを野生に帰らせる。ただでさえ野人に近い部員たちは、不規則なバウンドに本能をかき立てられ、毛糸玉を追うネコのようにじゃれかかった。その光景は、奇妙にいとおしい、バカそのものの姿だった。

 ボールはひろわれ、大切にかかえられ、また乱暴に蹴飛ばされ、放り投げられ、やがて仲間に手渡されながらゴールエリアに運ばれる。

「トラ~イ!」

 やんやの歓声。わが金沢美大ラグビー部は、毎年こうして始動する。その日があらかじめ決められていたわけではない。なんとなくみんなが集まった日が、その年のスタート日だ。桜と同じだ。いい陽気で、いい風が吹いて、ほわんと気分さえよければ、それが花をほころばせるその日なのだ。

 ボールさえあれば笑っていられる連中だ。気まぐれなバウンドを追っては、グラウンドのあちこちに笑顔がこぼれた。ただ、冬の間の不摂生と運動不足で、この時期の鬼ごっこは長くはつづかない。オレたちはすぐにエンドゾーンに座りこんだ。アルコールにおかされてにごった血液が体内を右往左往し、内臓が苦いものを分泌しだす。関節はきしみ、筋肉は破裂しそうだ。息が切れて、思わず地面に突っ伏す。すると鼻先で、芝が針のような葉をひらこうとしている。

 芝生は、枯れ色の中にあざやかな緑を回復しつつある。そんな風景の中に、ひときわ瑞々しく映える、シロツメクサの群生があった。

 美しいとも言いがたいその素朴な花は、不思議なことにコーナーフラッグに向かってまっすぐに並んで咲いている。まっすぐにまっすぐに、ひたすらまっすぐに並んだ白い花。それはまるで

ーまっ白なゴールラインだ・・・ー

 小さな花をかかげて、人為的にきちんと整列させられたようなその情景に、最初は、はて、と思う。だけど立ち上がってグラウンドを見渡すと、不意に胸を突かれる。エンドライン、サイドライン、22mライン、テンmライン、センターサークル・・・。シロツメクサで描かれたラグビーグラウンドがそこにあった。この花は、栄養のゆきとどいた消石灰の上に密生して咲いているのだ。彼女たちは雪に埋もれる数ヶ月の間、白粉のラインの下で肩を寄せ合って過ごした。それが春になって、いっせいに芽吹いたというわけだ。まったく劇的な光景だった。

 彼女らは穏やかにシーズンがやってきたことを示唆してくれる。そしてみずいろの空にすこんと立ちあがるゴールポストを見上げながら、スパイクに踏んづけられて踏んづけられて、それでも頭を起こして咲きつづける。弱くてはかなくて、それでも強情に、いじらしく夢見つづけるシロツメクサは、オレたちの姿そのものだった。

 そんなグラウンドで、オレは学生時代の4年間を過ごした。

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