第6話 夢みたいな夢/Dreamlike Dream

「……ん。舌以外は治ったみたいね」


 あいつの身体を調べ上げ、私はそう診断を下した。

 ……下さざるを、得なかった。


 白竜の魔力を通したこいつの身体はほんの二週間前は、自分で歩くどころか寝返りも打てない程にボロボロだった。体内の魔力を通す道、経絡がズタズタに千切れていたのだ。何らかの後遺症が残っても……いや、下手をすればそのまま寝たきりになったっておかしくないほどの大怪我。


 それがたった二週間で治るのだから、竜という生き物はやはりでたらめだ。


「なんで舌だけこんなに治りが遅いんだろ」

「多分、あんたが自分でつけたからでしょうね」


 こいつが言うには、魔法というのは意志で出来ているらしい。傷が癒えるのも魔法の結果だ。傷が傷んだり身体が動かなかったりして、早く治りたいという気持ちが傷を治す。


 自分で傷をつけようという意思はそれと真っ向から対立するものだ。だから回復がうまく働いてないんだろう。


「ま……その舌が治るまでは、ゆっくりしてなさいよ」


 こいつのことだ。たった二週間で考えを纏められるわけもない。いや、それどころかこの二週間で余計に悩みを深めたに違いなかった。


 アイやユウキ、リンたちがこっそりと二人きりの時間を作ってこいつに甘えていたのは知っている。その思いの丈を全力でぶつけたことだろう。この優柔不断な竜がそんな思いを無碍に出来るような男じゃないことは、私が一番よく知っている。


「ゆっくりって? 仕事はもう復帰していいんだろう?」

「そうじゃなくて……」


 相変わらずこいつは鈍い。


「あんたが倒れる前に……話があるって言ったでしょ。それのことよ」


 数ヶ月か、一年か。竜の再生速度はデータが少なすぎて私にも予測できないけど、まあこいつにはちょうどいい時間だろう。せいぜいゆっくり悩めばいい。


「いや」


 そう思っていたのに。

 あいつはずいと身を乗り出すようにして、真っ直ぐに私を見つめた。


「今でいい。今、聞いてほしい事があるんだ」

「何?」


 仕事の話かな? けどこのタイミングで言うようなことが何かあっただろうか。

 それとも今晩の夕食がどうとかそんな……


「結婚しよう」


 ………………………………………………………………………………え?


「そういえば、ちゃんと口にした事がなかったなと思って」


 いや、ちょっ、え? 待って。何が……


「いつも……ずっと、一緒にいてくれて、支えてくれてありがとう。私が今こうしていられるのも、ニーナ。君のおかげだ」


 嘘、何で、いったい、なにが、おこって……


「愛してる。これからも、ずっと一緒にいて欲しい。私の……その。妻になって欲しいんだ。駄目……かな……? えっと、ニーナ……?」


 …………………………あ、そっか。


 これ、夢だ。


 だって、そうじゃなきゃ……こいつがこんなこと、言うわけないもの。


「うわっ!? 何で!?」


 あいつが慌てた顔で私を見る。一体何を慌ててるんだか。これは夢なんだから慌てる必要なんて何もないのに。


「そんなに嫌だった!?」

「は? 何言ってんのよ。めちゃくちゃ嬉しいに決まってるでしょ」


 まあ夢なら強がる必要もないか。私はそう思って、素直に答える。


「いや、だって……何で、泣いてるの?」


 言われて初めて、私は自分の目からぼろぼろ水がこぼれてることに気づいた。


「これはただの嬉し涙よ。あんたが夢みたいに嬉しいこと言うから出てきただけ。気にしないで」

「う、うん……」


 あいつは戸惑いながらも頷いて、じっと私を見つめた。


「ええと……じゃあ、承諾してくれたってことで、いいのかな」

「当たり前でしょ。私だってあんたのことは大好きだもの」


 夢じゃなくてもこのくらい素直に言えれば、もっと楽に生きられるんだろうか。そんな事を思いつつも答えると、ただでさえ全身真っ赤なあいつは顔まで真っ赤になった。


「ありがとう、ニーナ……」


 ぎゅっと、あいつに抱きしめられる。


「……あったかい」


 人の姿でも竜の姿でも変わらない、初めてであったときからずっとおんなじ体温。

 なぜだかほっと安心してしまう、全身を包み込むような暖かさだ。


「……撫でて」

「ん?」

「頭」

「あ、うん」


 背に回されていた手が後頭部へと移動して、大きな手のひらがゆっくりと優しく私の頭を撫でる。ん……これは、いい。


「なんだか今日のニーナは随分可愛いね」

「何。普段は可愛くないっていうの」


 夢なんだから余計なこと言わないで欲しい。そう思って言えば、柔らかな苦笑がかえってくる。


「もちろん、普段も可愛いけど」

「ん。もっと言って」

「はいはい。可愛い可愛い。ニーナは可愛いよ」


 言い方に若干不満がないではなかったが、まあこいつにしては及第点だ。何より撫でられながら褒められるのはなかなか悪くない……うん。かなり悪くない。


 なんとかして現実でもこうする方法がないかしら……

 ……駄目ね。どうやったって恥ずかしくて死ぬわ。

 夢の中だけで満足しよう。


 ……にしてもいつもなら抱きつこうとした辺りで覚めるのに、今回の夢はやけに長い。


「その……ニーナなら、わかってると思うんだけど」


 まあいいか。割り切って堪能する私に、あいつはやや気まずげにそう切り出した。


「可愛いニーナちゃん」


 夢の中でまで気の利かない奴だ。呼び方を訂正してやる。


「え、と、その……可愛いニーナちゃんの事は、心の底から愛してる」


 うんうん。良い。


「ただ……その。愛してる相手は、ニーナだけじゃないんだ」


 ……んん?


「アイ、ユウキ、リン……それに、異性としてではないけどクリュセのことも。私は……やっぱり、手放すことが出来ない」


 ちょっと待って……


「何でそんなこと言うの……?」

「最低な事を言ってるのはわかってる。けど……それが、偽らない私の正直な気持ちなんだ」


 いや、そうじゃなくて。

 私にとって都合がいい夢ならば、そんな事をわざわざ言うわけがない。


 そんな……とっくの昔にわかりきったことを。


「これ……夢じゃないの?」


 あいつは少し考えて、答える。


「この世界が胡蝶の見ている夢じゃなきゃ……夢ではないと思うけど」


 私は恥ずかしさで死んだ。



 * * *



「馬鹿。馬鹿。夢じゃないなら夢じゃないって、どうしてはじめからそう言わないのよ」


 私は胸に顔を埋めるようにしたまま、拳で意外と厚い胸板を叩いた。鏡を見なくても、耳の先まで真っ赤に染まっているのがわかる。恥ずかしすぎてとても顔を上げることはできなかった。


「ごめん。気持ちを率直に伝えたかったんだ」


 完全に八つ当たり以外の何者でもないその文句に、謝りながらそんなことを言う。


 優しく頭を撫でる手は、まるで子供扱いのようだ。


「それは……まあ、伝わったけど……」


 正直、言った内容そのものは、元々わかっていたことだ。こいつが私のことを好きなのなんて、水林檎の木が春に花をつけるくらい当たり前のことだから。


 けれどそれをこんなにもストレートに伝えてくるなんて、思っても見なかった。


「その直後に他の女も好きっていうなんて、かえって最低じゃない?」

「うぐっ……」


 少しからかってやれば、あいつは気まずそうに呻いた。こいつなりの誠意のつもりなんだろうけど、とことんズレているのだ。まあ、いい加減慣れたけど。


「これ、他の子たちにも言ったの?」

「いや、まだ……ニーナが最初だよ」


 ふ、ふーん。へえ。そうなんだ。へぇー……

 まあ、こいつのことだから順番に深い意味なんかないんだろうけど。


「最初に会ったのが、ニーナだったからね」


 ほら。たまたま私が目の前にいたからってだけで……


「一番近くに、一番長くいてくれた。だから、最初に伝えるべきだと思ったんだ」


 ああ、もう。


 私はあいつの襟首を引っ掴んで引き寄せる。


「ニー……んぅっ」


 そして、これ以上余計な事が言えないように、黙らせた。

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