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 次の日、僕は彼女と浜へでかけた。

 彼女はよく焼けた肌に水色のストライプの水着を着て、ぐんぐんと泳いだ。泳ぎには自身のあるほうだったので、始めは彼女を追いかけるように海岸の端と端をストロークしていたのだが、そのうちにあきらめて、彼女がすごいスピードで泳ぐのをテトラポッドの上から見るようになり、そしてそのうちに眠ってしまった。

 目が覚めると、また彼女は僕の隣に座っていた。昨日とまるで同じだ。ただ違うのは、彼女は今日は水着で、そして彼女も寝ている、ということだった。一緒に海にきたのに、これじゃなんだかすれちがいだ。僕が起きているときは、彼女は寝ている。まるで昼と夜みたいだ。決して出会うことはない。僕はしばらく彼女の目が覚めるのを待ってみたが、あきらめて寝ている彼女の方向に「どうしてそんなに一生懸命泳ぐの?」と、独り言なのか問いかけなのかわからない言葉を発してみた。

 「はなし、してるの」彼女は目を閉じたまま、言った。いや、言った、ように僕には聞こえた。それが正確な音として、つまり空気振動としてのものなのか、それとも僕の頭の中に自分勝手に響いたなにかなのか、判断できなかった。なにしろ、周りには誰もいないのだ。判断の仕様がない。彼女をゆすって起こせば解決するが、そんなことのために彼女を起こすわけにはいかない。

 「真剣に泳いでいると、海の言っていることが、わかるようになるの」彼女は僕に背を向けて寝ていたので、彼女の唇は見えなかった。もちろん、自分の位置を変えればわかることだったが、そうすることに意味を感じなかったので、僕はそのまま彼女の発する言葉だかイメージだかに耳をすませた。

 「たぶん、長く泳いで、体力を使うことで、いろんな、余計なものがなくなっていくからだと思う。明日の天気だとか、ちょっと仲が難しくなってきたともだち、振り込まなきゃいけないお金とか、そんなこと全部、忘れちゃうの。そうすると、まず自分のなかのなんだか深いところに降りていけるのよ。そこに、なにかがある、というわけではないの。というか、何も無いの。どんなことがあっても、どんなにたくさんのことを抱えていても、何も置いてはいけない場所。そんなところに降りるの。そして、それからしばらくすると、そこが大きくなっていくの。大きくなって、自分の大きさを超えると、周りの声が聞こえてくるのよ。つまり、海、よね。ときどき魚や近くの人もわたしの中に入ってくるけれど、だめ。雑音しか聞こえないもの。きっと、ゆっくりと生きていないせいね。魚だって、いつ焼かれて食べられてしまうか、びくびくしているのよ。でも、海は違う。海は、わたしを避けたりしない。わたしのリズムにあわせてくれるの。なんだか、わたしじゃないみたい。海がわたしで、わたしが海なの。すべてがわたしで、わたしがすべてなの。それは、ことばさえも超えているのよ。だから、なんていったらいいか、わからない。けれどひとつ言えることは、わたしはそれに会いに、一生懸命泳ぐの。だから、海はわたしにとってなくてはならないものなのよ。」

 話し終わったとき、彼女は僕の隣に座っていた。目をしっかりとあけて、僕に微笑みかけるように。

 「ねぇ、おなかがすいたわ。おかみさんのところへ行って、なにか食べようよ。」

 僕たちはテトラポッドから降り、浜辺へ泳いだ。こんどは、ふたりともゆっくりと、波を掻き分けながら。

 昨日とは違い、今日は平日だ。多くの人たちは朝から背広を着て仕事に出かける。そうでなければ、家で家事をしている。海には僕と同じような学生らしき若者と、リタイアしてやることがなくなった老人たちが何人か群れを成しているだけだった。夏の終わりの静かな海、といったところだろうか。サーフィンが出来るくらいに波が高いところではないため、若者たちは思い思いに海を眺めたり、ビーチボールで遊んだりしている。来週には彼らの多くも新学期を迎える。僕も含めて、彼らがそれぞれの時間を過ごしていけるのも、あとわずかなのだ。

 おかみさんは、少しずつ店じまいを始めていた。店の前に張り出されたビーチ・パラソルはしまわれ、あとには白いチェアーが居心地の悪そうにいくつか散在している。ひるどきを過ぎて、店の中の砂を払っていたおかみさんは、僕たちを見つけると、秋の稲刈りのようにふっと体をあげ、そして大きな笑顔を見せた。

 料理は彼女がつくった。玉ねぎを細かく刻み、それをソースに絡ませながらゆっくりと炒める。焼かれているのか、ただフライパンに乗せられているのかわからないくらい、ゆっくりと、玉ねぎは炒められ、そしてしばらくすると甘い香りと共に玉ねぎはその色をあめ色に変える。あめ色に変わった玉ねぎに少量の水を注ぎ、肉と麺を入れ、水が蒸発するまでまた待つ。僕が高校生のときにおかみさんに頼まれて出した屋台の焼きそばだ。ただし、彼女がつくった焼きそばのほうが確実に美味しかった。

 「海と一緒。耳をすますの。そして、いろんな音を聞くのよ。」彼女は自慢げに焼きそばを僕に差し出し、そして彼女自身も、とても美味しそうに食べた。僕には残念ながら焼きそばを焼く音以外には何も聞こえてこなかった。

 「あの人、ええと、あなたと一緒にいた人、なんていったっけ?彼がね、自分が迎えに行くまであなたをここに置いていてほしい、って、昨日言っていたの。あなた、何か聞いている?」彼女はなんでもなさそうに、焼きそばを食べながら僕に言った。僕が何も聞いていない、というと、少しだけ不思議そうな顔をしたが、特に深くは気にしなかったようで、何も言わずに昼食を続けた。

 「あした、お祭りにいかない?ちょっと変わったお祭り。夕方に、となりの浜で行われるの。」昼食を終えた彼女は、さっきテトラポッドにいたころよりも幾分か輪郭がはっきりしてきたようだった。多分、海から上がってしばらく経ったからだろう。特に予定も無かったが、昨日知り合ったような人間とこうも一緒にいられるものなのかと、僕は答えに戸惑った。すると彼女はそれを見透かしたかのように、

 「わたしは、受け入れるだけ。箱、なの。目の前にあるものを、周りの自然を、受け入れていく。だから大きな波がやってきたら、避難しなくちゃならないの。だって、そんな大きなものまで受け入れられないもの。安心して。わたしは何も求めたりしない。だから、大丈夫。」ぼーっとしていた僕は、夢の世界の何かを見るように彼女を見ていた。ここは…どこなのだろうか。

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