第4章 *2*

 カーテン越しに射し込んだまぶしい陽の光に、サミルはゆっくりと目を開けた。

「……父さんの嘘つき……約束するって、言ったじゃない……」

 夢の残りにすがるように、小指を見つめ、そっとため息をつく。

 父親と幼い頃に交わした『約束』を守るために、うんと勉強して運動もして、身体も丈夫になった。一人で王都まで来て、二次審査まで進んで、ようやく、もうすぐ想伝局員になれるかもしれないのに――あと少しだったのに。

「なんでよ……」

(父さんが村に帰ってこないなら、自分が想伝局員になって探しに行こうって思って、ようやくここまで来たのに……)

 つぶやきが嗚咽おえつに変わりかけたその時、トントンと扉を叩く音がして、セオの声が聞こえてきた。

「おい、もう起きてるか?」

「……あ、うん。何?」 

「えっと、話があるんだが……」

 めずらしく口ごもったセオに、サミルは小首を傾げつつ、ベッドがら飛び起きる。

「ちょっと待ってて、着替えたらすぐそっちに行くから」

 そう答えながら、目尻に浮かんでいた涙をぬぐうと、枕元に置かれていた空色の種のペンダントを付ける。寝る時用のシャツから外出用の服に手早く着替え、若草色の靴を履き、赤紫色の帽子を被った。

 セオの前ではもう獣耳けものみみを隠す必要はなくとも、この帽子は母親が作ってくれた大切なものだから――。

 そうして鏡の前に立つと、自分で自分の両頬を指で掴んで思いっきり伸ばした。変に強張っていた顔をほぐすように、びよびよーんと伸ばして、パッと離す。

 ちょっと痛かったけど、まあ良しとする。

「……よしっ、ダイジョブ。まだ、大丈夫!」

 部屋の外にいるセオに聞こえないようにそうつぶやくと、口角こうかくを無理やり吊り上げ、笑顔を作ってから扉を開けた。

「おはよう、セオ。どうかしたの? せっかく今日は仕事お休みなんだから、もっと寝てればいいのに」

 相変わらず朝から無愛想ぶあいそうな表情を浮かべているセオに、くすくすと笑いかけた。

「……お前――」

「何? やだ、もしかして私の顔に何か付いてる?」

「いや……」

 きょとんと目を丸くして首を傾げたサミルに、セオは何か言いたげに眉をひそめた。

「そういえば、シェルスさんいないみたいだけど……まだ実家の方に帰ってるの?」

 昨日の夜は、セオとシェルス、二人とも実家の方へ行ってくるといって、めずらしくこの家には帰ってこなかったのだ。

 セオの実家がある場所は聞いても教えてくれなかったが、きっとイース地区の高級住宅街のどこかにあるのだと、サミルは予想していた。

 最近、配達の時に余裕をみつけては、こっそりとセオの家を探したりもしていたのだが、まだ発見するには至っていなかった。

「……ああ、シェルスは用事があるみたいで。そんなことより、お前、今日は暇か?」

「うーん。よく晴れてるし、洗濯屋せんたくやさんにでも行こうかなとは思ってたけど……」

「じゃあ、一緒に行ってもいいか? で、その後でいいから、ちょっと付き合って欲しい場所があるんだ」

 唐突な誘いに戸惑いながらも、サミルは頷いた。


 洗濯屋に服を預けた後、サミルはセオの後について街の中を歩いていた。

 賑やかな市場いちばではサミルの好きな果実を買って食べたり、屋台でモチモチとしたパンを試食させてもらったり、広場で楽器を演奏しているのを聞いたりした。

(なんかこれって、はたからみたら、デート? いやいやいや、でもっ!)

 サミルは妙に騒がしい自分の胸を落ち着けようと、必死になった。

 セオは話したいことがあるとか言って誘ってきた割に、自分からはあまり喋らないので、サミルは気まずくならないように、色んな話題を探す。

 思えば、仕事では色々言い合ったり、喋ってきたけれど、プライベートなことについてはお互い話したことがなかった。

 サミルは、自分のように言いにくいことでもあるのだろうかと思いつつ、恐る恐る尋ねてみることにした。

「ね、ねぇ、そういえばさ、セオの誕生日はいつなの?」

「……さぁ? そんなもん忘れた」

「何よそれ、普通忘れないでしょー。いっつも人にバカバカ言うくせに、やっぱりセオの方がバカだったりしてー」

「……じゃあ、そういうお前はいつなんだ?」

「私は二月の二十三日だよー。毎年ね、帰ってきた父さんと、母さんと私とで焼いた特製の誕生日ケーキを食べるの」

 サミルはそう答えながら、懐かしそうに目を細めて、微笑んでいる。セオはその表情に複雑なものを感じながら、相づちを打つ。

「ふぅん……」

「んー……じゃあさ、セオには兄弟とか姉妹はいるの?」

「一応、六歳上の兄が一人いるな」

「へぇ、いいなぁ。でも、私もね、お姉ちゃんみたいな人はいたの。隣の家に住んでた五歳年上のスノウ姉さんっていってね、王立学園アカデミーを次席で卒業しちゃったくらい、凄く頭が良くて、美人で優しくて……あ、想伝局員の試験対策の勉強はその人が教えてくれたんだよー」

 その話に、セオはようやくわずかに興味を示した。

王立学園アカデミーなら、ヴァン兄上は首席で卒業したぞ」

「そうなの? お兄さん、すっごいねぇ! じゃあ、セオのお兄さんとスノウ姉さんも、私たちみたいに知り合いだったかもねぇ?」

「……ああ、かもな」

「ところで、セオ、どこに向かってるの?」

 特に何も考えずにセオについて歩いていたが、次第に王都の中心から離れていっていることに気付いた。かといって、家に帰るわけでもなく、森の方へと向かっていく。

 目的地を答えないセオにやきもきしながら歩き続けていたサミルは、やがて小屋が見えてきた時、ポンと手を打った。

「もしかして、あの小屋?」

 しかし、セオは無言のまま首を横に振ると、そのまま小屋を通過した。

「なぁんだ、違うのか。ねぇ、あの小屋って何に使ってたの?」

「……あそこは、し……家を抜け出した時とかに、昼寝したり本を読んだりするために、こっそり作ったんだ」

「へぇ……そうだったんだぁ」

 さりげなく気になっていた小屋の由来を聞けたことにサミルは少しだけ嬉しくなりながら、さらに森の奥へと進んでいく。やがて、少し急な坂道をのぼりきったところで、突然視界が開けた。

 そこは、一面に春の花々が咲き誇っている、見晴らしの良い丘だった。

「今度こそ、到着……?」

 セオはその一番高いところで立ち止まって頷くと、遥か遠くを指さして、目を細めた。

 何が見えるのだろうと、示された方向に視線を移せば、彼方かなたの海にうっすらと見えるものがあった。

「あれってもしかして……創生そうせい大詩樹おおしき? 私、初めて見たかも……」

 この世界は、はるか昔、空から降ってきた詩樹しきの種が母なる海の水を含んで大樹たいじゅに成長し、その大樹が落とした葉によって大陸ができたといわれている。そして、どこからともなく飛来した神鳥しんちょうがあの大詩樹の上に巣をつくり、春夏秋冬きせつつかさどる四羽の鳥、詩樹鳥しきちょうが生まれた。成長した詩樹鳥が飛び立ち、最初に降り立った地に、それぞれの国が出来たと言われ、古代詩樹語こだいしきごで「春」を意味するこのウェール国は、春を司る詩樹鳥に見守られているのだという。

 そして今なお、四羽の詩樹鳥たちが羽を休めているといわれているのが、今サミルの瞳に映っている、大陸の中央海に浮かぶ『創生の大詩樹』だった。

「うわぁ……創生の大詩樹って、本当にあるんだねぇ! 小さい頃によく母さんが話してくれたけど、こうして実際に自分の目で見ると、なんか感動しちゃう!」

 王都にいる人は、当然のようにこの光景を見たことがあるのだろうかと思うと、サミルは少しだけうらやましく思った。

 けれど、広域配達員になって色んな国や場所を巡ったら、あの樹をもっと近くで見れる場所があるかもしれない。そう考えたら、少しだけワクワクした。

 そんなことを考え、感嘆の声を上げて喜んでいるサミルの隣で、セオが不意に口元を手で隠した。

「……あ、セオってば、今、笑ったでしょ! 何よ、どうせ私は田舎者いなかものですよー」

「いや、俺も初めて兄上にここへ連れてきてもらった時は、そんな感じだったと思ってな」

「そうなの?」

「で、兄上がくれた甘い匂いのするプリムの実を食べて、あまりの酸っぱさに驚いた」

(それって……)

 その話はまるで、獣姿のサミルがあの小屋でセオに出会った時と同じだった。

「……セオ、もしかしてお兄さんとケンカでもしたの?」

「……なぜそう思う?」

「なんとなく……というか、私も小さい頃、お母さんとケンカした時とか、よく家を飛び出してたんだけど、その時にいつも行く場所があってね。そこは、お母さんが教えてくれた秘密の場所で……えっと、つまり、セオもそういうことなのかな、って」

 ケンカした人のことを忘れようとしてるのに、気がついたらその人との思い出の場所に来てしまっていたような。今のセオの表情はどこか寂しそうに見えた。

 けれど、セオは結局、ケンカしたのかどうかは答えなかった。

 丘の上の静寂せいじゃくに、さわさわとすずやかな風が花の香りを運ぶ音だけが過ぎていく。

 若草の上に座ったサミルとセオは、白い雲がゆっくりと流れていく青空を、何も言わずにただ見上げていた。

 やがて、沈黙を破ったのは、セオのほうだった。 

「お前は何で想伝局員……広域配達員になりたいと思ったんだ?」

 その問いに、サミルは思わず苦笑した。

 それは、今一番聞かれたくないことでもあり、迷っていることでもあったから。

(まさか、気付かれていたとか……?)

 サミルはこの数日、特に、セオに弱気なところを見せないように頑張ってきた。

 セオは優しいから、相談すればきっと手を差し伸べてくれる。

 けれど、その優しさに甘えたくはなかった。これから先、ずっと一人で生きていかなければならないのに、誰かを頼るような弱さは捨てなければと思ったからだった。

 サミルはセオの問いから長い沈黙を空けて、口を開いた。

「正直言うとね、わからなくなっちゃったの。最初は、父さんに憧れて、色んな国を見て回りたいって思ってた。それから、いつか自分の村にも想伝局を作って、そこで父さんと一緒に仕事して、母さんと三人でずっと暮らしたいなって考えるようになって……でも」

 想伝局を作ろうとしていた村はなくなってしまった。

「それでもね、父さんがこの大陸のどこかで広域配達員として頑張っているなら、自分も同じ仕事にいて、父さんを探し出して驚かせてやろうと思ってたの」

 それなのに、約束を交わした父親も、死んでしまった。

「もう想伝局員になる意味……なくなっちゃったから、どうしよっかなぁ、なんて思ってたとこ!」

 サミルが自分をあざけるような笑みを浮かべながら言うと、セオはため息をついた。

「……お前さ、なんでそこで笑うんだ?」

「え?」

「お前っていっつも、人の心配はするくせに、人には心配させようとしないよな。笑ってごまかそうとしても、無理してこらえてんのバレバレ。見てる方が辛くなんだよ」

「……そんなことないよ、私、無理なんて全然してない! もう、セオってば、なに突然、真面目な顔して言ってんのよぉ」

「サミルのバーカ!」

「何よ、バカっていう方が――」

 反論しかけた瞬間、サミルはセオに強く肩を抱き寄せられた。

 かと思うと、温かいその手が、小さな子どもをあやすかのように、サミルの銀髪を優しく撫でてくる。

「お前さ、広域配達員に向いてるよ。人が本当に伝えたい想いを伝えて、人を笑顔にすることが好きなんだろ? 誰かのためじゃなくてさ、自分がやりたいって思ったから、ここまで頑張ってこれたんじゃねぇの?」 

「……っ!」

「無理、すんなよ……」

 セオの言葉が、じんわりと心に染み渡って、肩に入っていた力が抜けていく気がした。

 気がつくとサミルの瞳からは、透明なしずくがポロポロとこぼれ落ちてきていた。

「無理なんて……してない……もん」

「じゃ、別に泣いたっていいじゃん?」

「……泣いてなんか、いないんだからっ!」

「はいはい……」

 呆れたようにつぶやかれたセオのその声はいつにも増して優しくて、隣にいてくれるだけで、心が強くなれる気がした。

 だから、サミルは言うつもりのなかった言葉まで、涙と一緒につい、こぼしてしまった。

「……セオとずっと一緒に、配達の仕事ができたらいいのに」

「…………」

(あ、あれ? てっきり、すぐに反論されると思ってたのに……)

「バカかお前は、とか、言わないんだね?」

予想外のセオの反応に、サミルは首を傾げつつ、少しだけ嬉しくなる。

「……どうやら俺もお前のバカが移ったらしい」

「え……?」

「なんでもない! っていうか、お前はいつまで俺にくっついてんだ?」

「わあ、ごっ、ごめん……!」

 我に返ったサミルは慌ててセオから離れると、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染めたのだった――。

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